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「翠清山死闘演義」編
376話 「魔に魅入られし者 その1『襲撃』」
しおりを挟むロクゼイ隊をやり過ごした杷地火たちは、ひとまず隠れて様子をうかがっていた。
今のところ猿神たちとの乱戦は続いているようで、追撃はない。
「親父、これからどうする?」
火乃呼が、少しワクワクしたような顔で訊ねる。
彼女の属性は『火』だ。退屈さより刺激を求める傾向にあることと、父親が自分が望む決断をしたことに興奮しているのだろう。
そんな娘に少しだけ苦笑しつつ、父は現実的な対応を考えていた。
「まずは避難場所に向かって爐燕たちと合流だ。熾織が戻ってくれば、これで女は全員集まったことになる。そうすれば琴礼泉から移動する選択肢も選べるだろう」
「あいつらに反撃はしないのか? 捕まった連中はどうするんだ?」
「悪いが、助けるだけの余裕はない。ロクゼイもあえて人質にすることはないはずだ。意味がないからな」
ディムレガンが女性の生存を第一に考えていることは、少し付き合えば誰でもわかることだ。
男は見捨てると宣言した杷地火の言葉は、嘘偽りのない真実である。
それは火乃呼も理解しているが、一つだけ心配なことがあった。
「あいつらはしょうがないけど、おふくろたちは大丈夫か? 街にいるんだからヤバいよな。それこそ人質にされないか?」
「気になるか?」
「…そりゃまあ……こうまで全面的に逆らうとな。おれたちと違って逃げ場がないしさ」
「里火子たちはライザックに逆らっているわけではない。むしろ受け入れて恭順する姿勢を示している。お前はそれが気に入らないだろうが、こういうときのために残ってもらったのだ」
「ん? どういうこと?」
「仮に我々がハピ・クジュネを見限っても、里火子たちがいる限りは思いきった行動には出られんのだ。一応、あそこがアズ・アクスの本店だからな」
「おれたちがいないのにか?」
「中身はなくても形式的には本店だ。何よりも都市の政策をそのまま受け入れた結果でもある。それに対してライザックは何もできぬ。自らの政策を否定することにもなるからな」
「嫌がらせをするかもしれないぞ。拘束したり尋問したりさ」
「もしそのようなことをすれば、ますます人が離れていってハピ・クジュネが力を失うだけだ。そんな自殺行為をあの男がするとは思えん。せいぜい監視が付く程度だろう」
長年都市に恩恵をもたらしていたアズ・アクスを処罰すれば、他の店も危機感を覚えるだろう。次は我が身かもしれない、と。
また、それによって鍛冶師とのトラブルが公になれば、クジュネ家に離反を止めるだけの力が無かったと思われ、さらに人は離れていく。
ハピ・クジュネがああも繁栄しているのは、強い防衛力に加えて、自由に商売をやらせているからである。
今後さらに都市側の締め付けが厳しくなれば、おのずと人は自由を求めて旅立っていくのが自然の理というものだ。
「我々が不用意に近寄らなければ何も起きんさ。向こうは大丈夫だ」
「でも、そうなるともう会えないってことなのか?」
「最悪は一生会えないこともある。決別を選んだ以上、我々は自立の道を歩まねばならない」
「………」
「そこまでは考えていなかったか? すまん」
「謝るなよ。…おれが考えなしだったんだ。そっか。そういうことなんだよな…」
元来は家族想いの心根の優しい娘だ。
同族意識も強いディムレガンなので、もし一生会えないとなれば寂しいに決まっている。
となると、やはりこの結論に至る。
「やっぱりライザックが全部悪い!」
「それも過去のものになる。お前もあの男から脱却する必要があるな」
「そうは言われても、ムカつくもんはムカつくんだよ!」
「ひとまずその件は後回しだ。今は安全な場所に避難することを考えるぞ。その前に一度、俺の家に寄る」
「親父の家? なんでだ?」
「武器を回収しなくてはならぬからな。作った武器を海軍に奪われるのは癪だろう?」
「ああ、そうだな。そのことをすっかり忘れてたぜ。じゃあ、おれの家にも寄ろうぜ」
「余裕があればな。そろそろ行くぞ。周囲の警戒を怠るなよ」
杷地火たちは移動を再開。
まず立ち寄ったのは杷地火の家だ。
彼自体はほとんど工場に住んでいるようなものだが、保管庫として利用している小屋がある。
そこでアズ・アクスから持ち込んだ武器の回収をしようと思っていたのだが、調べてみると約半数がなくなっていた。
「武具が足りないな」
「盗まれたのか? 海軍の連中か?」
「かもしれんが、可能性は低い。やつらの目的は俺たち自身だ。武器を漁る前に人を捜すだろう」
「ってことは、村の誰かってことか?」
「うむ…床下の隠し倉庫のことは誰にも言っていなかったはずだが、もとより盗まれるとは思っていなかった。不用心であったことは否めないが…」
琴礼泉で物を盗んだとしても、外に持ち出せなければ意味がない。魔獣が使うにしてもサイズが合わないので、まさに宝の持ち腐れとなる。
さらに海軍の来訪を予期していたのは杷地火くらいだ。他の者たちは、捕まった青年のように無警戒だったはずである。
そうなると最初から逃げることを想定していなければ、まずこんなことはしないし、そもそもできないのだ。
(もしや俺のほかにも、ライザックの息がかかった者がいるのか? …やつのことだ。そのほうが現実的だな。しかし、まさか同族の財産を盗む者がいるとは…いや、まだ保管しているだけかもしれん。仲間を疑うのはやめておこう)
というのが通常のディムレガンの思考なので、炸加がいかに駄目なやつかがわかるだろう。その意味においては、ライザックの目は確かといえる。
ただし、隠し倉庫は念のために『二重底』。
ただでさえ床下に隠しているのだから、さらに下があるとはなかなか思わない。そのおかげで半数は無事だった。
上には主に買い手の希望があった品を置き、下には買い手がつかなかったものを置いていた。何かあった際に需要があるものをいち早く回収して逃げるためだ。
これは商売のことを考えていたのではなく、いくら基準を満たしていなかったとはいえ、購入希望者に悪いと思っていたからである。そのあたりに炸加との人間性の違いを感じてしまう。
杷地火たちは武具を回収し、滝の避難所に向かって動き出す。
火乃呼の工場にも行きたいが地理的に避難所が近いので、一度爐燕と情報交換するために合流を優先した結果だ。
あちらの工場の武具は特徴的なものばかりで、使い手がいない昨今の現状を考えると、最悪は捨ててきても問題はないという判断もある。
(武具はまた作ればいい。火乃呼がいれば何度でもやり直せる)
貴重な品々を失った杷地火に、まったく落胆の色は見られない。
彼自身も優秀ではあるが、火乃呼の存在は別格だ。彼女を無事保護できたことだけでも大きな収穫といえる。
火乃呼こそ、ディムレガンの宝であり希望。
歴代筆頭鍛冶師を超える逸材なのだ。
しかし、その道中のことであった。
何かが飛んできて、先頭を走っていた男性の足にぶつかる。
「ぐっ…これは!」
男性は立ち止まってうずくまる。
その足には、一本の『矢』が突き刺さっていた。
彼もまた重鎧に身を包んでおり、足も金属でガードされているのだが、いとも簡単に矢は貫通していた。
「敵か!?」
「気をつけろ! 狙われているぞ!」
そうしている間も次々と矢が放たれて、ディムレガンの男性たちに突き刺さる。
矢は的確に足を射貫いているので、どうやら意図的に機動力を削ぎにきていることがわかる。
「木々を盾にして隠れろ!」
杷地火の号令で各人が木や岩に隠れるものの、矢は障害物すら貫いて襲ってくる。
ただし、それによってわずかに威力が軽減されたことで、かろうじて鎧でも防げるようになっていたのは救いだろうか。
が、状況は悪いままだ。
「本当に矢なのか!? 威力が桁違いだぞ!」
足に突き刺さった矢尻を切り落としながら、男性が呻く。
矢は簡素な造りで、木材が豊富な山では現地調達しやすい長所があるが、その分だけ銃と比べると威力が弱い。
そんな矢を使って、手加減していたとはいえ海兵の剣気すら弾くほどの鎧を貫くのだ。凄まじい威力といえる。
「相手が人間であるのは間違いない。おそらくは戦気か剣気で補強しているのだろう。急所に直撃すれば命も危ういぞ」
「命中率もすごい。この霧の中で、ここまで正確に我々の足を射貫けるのだ。相当な使い手のはずだ」
「このようなところで足止めを受けるとはな。だが、ずっと隠れているわけにもいかんぞ。敵がすでにここまで来ているとなると、避難場所も安全とは言えない。残った者たちが心配だ」
「仕方がない。我々が囮になり、杷地火と火乃呼だけでも先に離脱させる」
「それが賢明か。少なくとも女は離脱させることができるからな。杷地火、頼むぞ。最悪の場合は、皆を連れて逃げてくれ」
「わかった」
見捨てるのは若い男ばかりではない。彼らのような中核メンバーでさえ、女性とリーダーのためならば自ら犠牲になる。
これがディムレガン全体の共通理解であり、杷地火もそれを受け入れて、すんなりと結論が出た。
「いくぞ!」
タイミングを見計らい、全員が一斉に飛び出す。
それと同時に敵側も矢を放つ。
すでに足を射貫かれている者が一番外側に配置されているため、まずは彼らが矢を受けることになる。
一斉に動いたせいか、今度は足ではなく胴体を狙ってきた。
それでも相変わらず命中精度は極めて高く、心臓は避けて致命傷にならない箇所に突き刺さる。
男性陣も何発かは耐えるものの、脇腹や太ももに当たると、たまらずに崩れ落ちていった。
防具は優れていても中身は普通のディムレガンの男性だ。内部にまでダメージが通れば肉体の耐久性は高くない。
「ちっ!! 遠くから好き勝手やりやがってよ!」
「火乃呼、今は耐えろ!」
「くそっ…!」
この場にいる者たちは、火乃呼にとっても親戚のおじさんのようなものだ。
いくらディムレガンが女性優位社会とはいえ、親類がやられている光景を見て悔しくないわけがない。歯軋りをしながら見えない敵を必死に睨みつける。
このことからも、敵が火乃呼の視野外から攻撃していることがわかるだろう。遠距離から攻撃してこの威力であることが一番怖ろしい。
「うぐっ…! あとは頼む…!」
「はぁはぁ、ここまで…か」
そして、どんどん壁が減っていき、ついに最後の一人も腹に矢を受けて倒れることになった。
残ったのは、杷地火と火乃呼の二人となる。
ここまでやられれば、さすがの火乃呼も事態を察する。
「こいつ! わざと他の連中を狙ってやがるんだ!」
多人数の状況ならばピンポイントで狙うことは難しいが、五人以下になれば狙い撃ちも比較的容易だ。
しかし、火乃呼と杷地火はいまだに無傷のままである。ならば、あえてそうしていると考えるべきだろう。
(わざわざ恐怖を与えるようなやり方をする。手慣れていることから、やはりプロの仕業だな)
獲物をなぶり殺しにするようにじわじわと追い詰める姿は、まさに熟練の狩人といった印象を受ける。
しかも敵は、こちらが滝に向かっていることを知っている。だからこそ的確に狙いをつけることができるのだろう。
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