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「翠清山死闘演義」編
371話 「裏切りの理由 その1『逃亡』」
しおりを挟む杷地火たちがロクゼイ隊と対峙していた頃。
濃霧が漂う中、一つの人影が猛スピードで走っていた。
否。
それはほとんど落下するに等しい速度であり、実際にその人物は転げ落ちていたのだ。
そして、ようやく平坦な地形になり、そのまま木に激突。
しばらくは強い衝撃によって痺れていたが、それが終わると一気に痛みが襲ってきた。
「いってー!! マジ痛ぇーー!! ヒビ! ヒビ入ったんじゃね!?」
その人影、烽螺は悶絶。
たしかに常人ならば重度の打撲を負っていたかもしれないが、着込んでいたジャケット(自分で作った)の防御力が優れていたこともあり、幸いながら怪我らしい怪我はなかったようだ。
呼吸が整うのを待ち、周囲を警戒しながらゆっくりと立ち上がる。
「ったく、なんなんだよあいつら。挨拶もなしにいきなり追いかけやがって。追われたら逃げるに決まってるだろうが。弱者なめんなよ」
烽螺もまた海兵と遭遇したために、全力で逃走した一人であった。
自身で弱者と言っていることからも、ディムレガンの男性は追われたら逃げる習性が身に付いている。
これは燵賀しかり、ディムレガンの女性の暴力から身を護るためである。だから他の青年も逃げ足は速いのだ。
ただし、烽螺は青年の中では運動能力が高いほうではあるが、精鋭相手に逃げきれたのは、単純に見つかった時に距離があったからだ。
濃霧でうっすらとした影しか見えなかったものの、明らかにディムレガンとは違う姿にいち早く気づき、逃げる態勢を整えていたことが大きい。
しかしながら無我夢中で走った結果、見事に低い崖から転落する羽目にもなったので、運が悪ければもっと酷い怪我を負っていたかもしれない。
「やっぱりあれは海兵だよな。この調子だと他のところにもいるっぽいぜ。ということは、本当に捕まえに来たのか? うーん、どうすっかな。とりあえずみんなと合流したいけど…ここから滝までかなり距離があるし、森側に抜けるのも怖いんだよな」
烽螺はたまたま西側にいたため、現在地は琴礼泉の南西に近いエリアにいる。
ここから敵を避けて北東の滝に向かうには、かなり遠回りする必要があるだろう。
「下手に動くより隠れていたほうがいいかもな。その間に杷地火さんたちがなんとかするだろう。駄目そうなら、またその時に考えればいいか。さて、どこに隠れようか」
烽螺の場合は煜丹とは違って、前向きな思考で隠れることを選択。このあたりに性格の違いが出るものである。
そうして改めて周囲の様子を探ろうとした時だった。
突然、藪の中から影が飛び出してきて烽螺に激突。
「ぐえっ!?」
「ひぃっ!?」
両者共に完全に無警戒だったためにまともにぶつかり、もんどり打って倒れる。
さきほどは背中を木に打ちつけたが、今度は腹に当たるという不運であった。
「いたた…なんだよ」
「あたた…頭ぶつけた……え? 烽螺?」
「あ? その声…まさか炸加か!?」
烽螺の目に映ったものは、厚い登山着で身を包み、大きなリュックを背負った人物だった。
頭も帽子を深く被り、ゴーグルまでしているので外見からは誰かわからないが、その声は間違いなく炸加である。
海兵ではなくほっとしたものの、その異様ないでたちに面食らう。
「なんだその格好? どんだけ重装備だよ」
「こ、これは…その……ゆ、雪山に登ろうかと思って」
「は? 雪ってお前…銀鈴峰にでも行くのかよ? よく見れば術具まで大量に付けてるじゃねえか。ジャラジャラさせすぎだろう」
「だ、だって、危ないから…」
彼の装備は、ただの登山着ではない。
こちらもディムレガンが作ったものなので防寒性能が極めて高いうえ、魔獣の攻撃すら防ぐ耐久性を持ったものだ。しかも軽いとくれば、相当な値打ち物といえる。
さらに身体の至る所に『身代わり人形』や『我慢人形』、その他大量の術符と、これでもかと護身用の術具をぶら下げていた。
仮に一般人がここの雪山を登るのならば、最低限これくらいの装備は必要だが、どう見ても様子がおかしい。
「お前も海軍から逃げてきたのか? だが、そのわりには準備万端だな。普通は着の身着のままだろう」
「う、うん。僕はいつも逃げる準備をしていたから…」
「ああ、前にそんなことを言ってたな。でも、避難場所とはだいぶ離れているぞ。ここからだとかなり遠いよな」
「烽螺は…避難場所に行くの?」
「そりゃそうだろう。杷地火さんの指示を仰がないとな」
「…そっか。じゃあ、ここでお別れだね」
「お、おい! 待てよ! どこに行くつもりだ!?」
「わわっ!? は、放してよ!」
躊躇なく逆の方角に向かおうとするので、烽螺が慌てて止める。
もともと体力がないこともあり、リュックを軽く引っ張るだけで動けなくなってしまった。
「なんでそうなるんだよ! 単独行動したら危ないだろうに!」
「ぼ、僕の勝手だろう! 放してよ!」
「つーか、やたら重そうなリュックだな。何が入っているんだ?」
「べ、べつに…たいしたものじゃないよ。わわ! 開けたら駄目だって!」
「これはポケット倉庫か? だが、こんなにたくさんあるなんて不自然だな。ちょっと見せてみろ」
「だ、駄目だって言ってるのにーーー!」
なまじ重装備で動けないことをいいことに、烽螺がリュックの中を漁る。
中身は食料品や備品のほかに、いくつものポケット倉庫があった。
その中身をぶちまけてみると―――ガシャガシャガシャンッ!
出てきたのは大量の鉱物のほかに『武具類の山』。
鉱物は子猿たちが持ってきたもののようだが、問題は武具のほうである。
烽螺もディムレガンである以上、目利きに関してはかなりのものだ。瞬時にそれが何かを見破った。
「おい、これって【杷地火さんの術式武具】じゃないか! なんでお前が持っているんだ!」
それらの武具は、どれもが一級品の術式武具であり、その多くがアズ・アクス本店から持ち出されたものだった。
普段は杷地火が管理しているもので、検分以外で触れることが許されない高級品ばかりである。
「だ、だから開けちゃ駄目だって言ったのに…」
「これはどういうことだ? ちゃんと説明しろ」
「は、杷地火さんから預かってくれって頼まれて…」
「それは嘘だな。他のベテランの職人がいるんだから、わざわざお前に頼むわけがない。俺だったら爐燕さんに頼むしな。…まさか盗んだのか?」
「ぬ、盗んだというか…海軍に取られたらいけないと思って…勝手に預かったというか…」
「それを盗むっていうんだよ。まあ、緊急時だからそれはいいけど…って、これを盗んだのは昨日今日じゃないよな? 海軍が来ることを知っていたのか?」
「そ、それは…そんな気がしていただけで…」
「本当か? なんか怪しいな…。そもそもどこに行こうとしていたんだ?」
「ちょ、ちょっと外に避難するつもりだったんだ。安全になったら戻ってくる予定で…」
「さっきと言っていることが違うぞ。どう見てもちょっと避難する格好じゃないだろうが。お前、仲間を見捨てて山から逃げ出すつもりだったんじゃないだろうな!」
「そんなに怒らないでよ! だって、逃げるしかないじゃないか! 捕まったら終わりなんだよ!」
「いや、終わりってわけじゃないだろう。そこまで深刻か?」
「烽螺にはわからないよ…。もうハピ・クジュネは終わりなんだ。泥船に乗っていたら、こっちまで沈んじゃう。早く逃げないと!」
「だから待てって!」
「は、放して! 本当に間に合わなくなっちゃうから!」
「お前が嘘ばかりつくからだろうが! ちゃんと全部吐け!」
―――「ん? 誰かそこにいるのか!」
「っ…!」
両者が押し問答をしていると、少し離れた場所から鋭い声がした。
二人ははっと顔を見合わせ、咄嗟に藪の中に身を潜ませる。
それと入れ違いざまに、霧の中から海兵が出てきて周囲を見回す。
「…ちっ、また誤認か。波動円が全然効かないんじゃ、こんな視界の中でどうしろっていうんだ! このまま逃がしたら隊長からどやされるだけじゃ済まないぞ! なんとしても見つけないと…!」
海兵は、愚痴をこぼしながらも行ってしまった。
波動円が効かずに苦労したことで、今回も勝手に誤認だと勘違いしたらしい。藪の中まで捜すことはしなかった。
完全なる怠慢であり幸運と呼べる結果であるが、これもアンシュラオンの妨害があってこそである。
二人は気配がなくなったことを確認し、深く息を吐き出す。
「ふぅ…助かったか。あいつら、本気で捜し回っているみたいだな」
「だから言ったじゃないか。捕まったら終わりなんだよ」
「お前の反応は過敏すぎるけど、たしかに捕まらないほうがよさそうだ。ここも安全じゃない。ひとまず逃げるぞ。道を知っているんだろう? 案内しろよ」
「烽螺も来るの!?」
「一人で行くつもりかよ? 薄情なやつだな。連れていかないなら永遠に引っ張り続けるぞ」
「わ、わかったよ。今度は邪魔しないでよ」
二人は移動を開始。
炸加が選んだのは、ただでさえ険しい山道の中でも、さらに狭い獣道であったが、まったく迷わずに進んでいく。
当てずっぽうでこんな真似はできない。封鎖されたのが一年ちょっと前だと考えると、その前からあらかじめ逃道を見つけていたようだ。
「いてて…枝がやたら硬い。引っかかると痛いな」
「ちゃんと全身装備を整えないとね。その格好だと仕方ないよ」
炸加がこんな重装備をしているのは、こういった人が通らない道を進むためだったらしい。
何度か大きなリュックが引っ掛かるハプニングはあったものの、二人は琴礼泉から少し外れた場所にまで避難することができた。
完全にエリア外なので、海兵もここまで追ってくることはないだろう。
「だいぶ遠くまで来たな。ここからどうするんだ?」
「…僕は山を下りるよ」
「はぁ? 本気で下りるつもりだったのか!?」
「もうこの山に安全な場所なんてないんだ。魔獣だって今後どうなるかわからないし、ハピ・クジュネにも未来はない。だったら逃げるしかないよ」
「それでどこに行くんだよ。行く場所なんてないだろう」
「南部に行けば…きっと買い取ってくれる人がいるはずだよ。南には西側諸国から来た軍隊もいるんだし、彼らなら大丈夫なはずなんだ」
「何を言っているんだ? 話が見えないぞ?」
「さよなら、烽螺。僕は…自由になる!」
「おい待て!」
「ぐぇっ!? なんで止めるのさ!!」
「お前が逃げるのはまだいいけど、杷地火さんの武具は置いていけ。それはディムレガンの財産だからな」
「このまま海軍に接収されるよりは、ましじゃないか! だったら僕がもらうよ! 今はお金が必要なんだ! 有益に役立ててみせるから!」
「金って…まさか売るつもりか!?」
「そうだよ。それを軍資金にして南に行くんだ」
「南に行ってどうする! 何のコネもないだろう!」
「いろいろと事情があるんだよ! それじゃ、僕はもう行くから!」
「お前にそんな権利があるか! 置いていかないのなら逃がすかよ!」
「だ、だから! そんな暇はないんだって…!」
二人が再び押し問答をしていると、藪の中から音がした。
また海兵かもしれないと身を強張らせたが、そこからひょこっと顔を出したのは、迷彩服に身を包んだ『女性』だった。
金髪の長い髪に整った顔立ちは、間違いなく美人と呼べるものである。
「お、女? どうしてこんな場所に女が!?」
「違うよ! あんなに小さいわけがないって!」
「…それもそうだな。なんだか動きも変だし…」
炸加が言う通り、その女性のスタイルは成人のものであったが、どう見てもサイズが半分くらいしかない。
それも当然。
なぜならば、これは『人形』だからだ。
整った顔立ちは誰かが意図的に作った理想像であり、その動きもすべてが人為的に制御されたものであった。
人形はその一体を皮切りに、どんどん増え続けて二人を囲んでいく。
「な、なんだこいつらは!? 不気味すぎんぞ!」
「わ、わからないけど嫌な予感がする。早く逃げたほうがいいよ!」
「そうだな―――うわっ!? 銃を持ってるぞ! 本物だ!」
烽螺たちが逃げようとすると人形が発砲。
弾丸は逸れて木に当たったものの、穴があいたことから紛れもなく実弾である。
他の人形たちも銃口を突きつけて威嚇してきた。今のはわざと外したらしい。
「次は撃つってか! ちくしょう、どうなってんだ!」
「また誰か来るよ!」
「今度は何だ!?」
二人が動けないでいると、木々を切り裂いてやってきた者たちがいた。
それは赤い装束を身にまとった集団、赤鳳隊の面々であった。
まずは先頭を歩いていた鷹魁の大きさに烽螺が驚愕。
「で、でけぇ! なんだこれ!?」
「組長、どうやら当たりみたいだぜ! ちっこいのが二人いるぞ」
「しゃべった!? 人間か?」
「ええ、私たちは正真正銘の人間ですよ」
鷹魁が横にずれた後ろから、ソブカがやってきた。
彼らにしても通るのは面倒な道だったようで、外套には折れた枝葉がいくつも付いている。
ソブカは不死鳥が描かれた背中まで綺麗にしてから、改めて二人に向き直った。
こんな時まで汚れを気にするのだから、彼にとってこのシンボルが何よりも大事であることがうかがえる。
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