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「翠清山死闘演義」編
360話 「琴礼泉の生活 その1『杷地火』」
しおりを挟む翠清山の中腹。
ハイザク軍が三袁峰に向かった道と、混成軍が銀鈴峰に向かった道の中間の位置に『琴礼泉』はある。
古くからこの地域の鍛冶師の聖地として有名で、簡単に立ち入ることは難しいものの、鍛冶師ならば誰もが一度は行ってみたいと思う場所である。
なぜ聖地なのかといえば、上質な金属と綺麗な水が大量に手に入るからだ。
翠清山に希少な金属があることは過去の文献にも記されており、荒廃した大地に魔獣が跋扈してまともな鉱脈が発見できない北部においては、極めて魅力的な資源といえるだろう。
水に関しては、琴礼泉の延長線上に翠清山最大の水源の一つである『清翔湖』が存在するので、そこから流れてくる水が使いたい放題となっている。
ハビナ・ザマやハピナ・ラッソでは比較的水があるとはいえ、北に向かえば向かうほど水は貴重な資源となる。だから優れた鍛冶師は水が豊富なハピ・クジュネといった港湾都市に集まる傾向にあった。
ただし、ハピ・クジュネに行ってしまうと今度は希少鉱物が不足して武具の材料に難儀する以上、やはり翠清山の聖地の座が揺らぐことはないだろう。
唯一かつ最大の難点は、すでに周知の事実である三大魔獣の住処であり、普通の鍛冶師はまず入ることができない点である。
彼らは荒野の無秩序な魔獣とは異なり、(一部の魔獣を除いて)いきなり人間に襲いかかったりはしないので、そこに交渉の余地があるわけだが、翠清山の魔獣に認められることもまた難しい。
よって現状では、猿神に気に入られた『ディムレガン〈竜紅人〉』しか入ることができない状況にあった。
どうしてディムレガンが気に入られているかといえば、彼らが竜人である点と、武器を提供していることが挙げられる。
「鍛冶長、今日の分ですけど後回しでもいいですか?」
一人の青年が、忙しそうに材料の運搬をしながら、工場の中にいる身体の大きな男に声をかける。
「どうした。何かあったか?」
その大きな男は、作業をしながら振り向きもせずに応える。
常時火の前にいるので身体中から汗が噴き出ているが、彼ら鍛冶師にとっては当たり前の光景である。鍛冶師と火は、切っても切れない関係にあるのだ。
ただし、ここにいるのは全員がディムレガンだ。
素手で炎に触れても火傷しないほど、火には強い耐性がある。逆にいえば、その彼らが汗を掻くほど温度が高い火を扱っているともいえるわけだ。
男性のディムレガンの特徴は、はっきり言えば特にない。
女性は先端がハート形のトカゲに似た尻尾を有しているものの、男性は竜としての血が薄くなっていて、少しだけ尾てい骨にその面影がある程度だ。
それ以外となると、肌に多少ながら赤い筋が残っているくらいだろうか。
これは竜人が持つ鱗が退化したものともいわれているが、それが目に見えるのは強い火を発する鍛冶の時だけであり、高温を伴わない日常生活においては人間と見分けがつかない。
そして、この鍛冶長と呼ばれた男こそ、炬乃未の父親である『杷地火』その人である。
杷地火はがっしりとした体格で、筋肉ムキムキの四十代後半くらいの見た目の男だが、炬乃未たちが何十年も生きていることを思えば、軽く百年以上は生きていると思われた。
そんな杷地火に青年は事情を伝える。
「いやー、猿たちが急いで武器をよこせって騒いでましてね。通常のノルマのほかに、さらに千本追加しろって言うんですよ」
「そんなもん、無理だろう」
「ですよね。こっちも抗議はしたんですけど…相手も譲らなくて」
「…何かあったか?」
猿神は、そこまで頻繁に武具を取り換える種族ではない。
自分が気に入った剣を見つけたら、もう一本の剣で研ぐことで、好みの切れ味や趣を作り出して比較的長く使う習性がある。
彼らが剣同士を叩いて剣舞を踊ることには、こうした剣のメンテナンスの意味合いもあるわけだ。
よって、だいたい二本、予備を含めて四本あれば十分だ。
破邪猿将が定期的に開く猿向けの武器市の場合は、大量に必要になることもあるが、そこまで一気に必要になることは滅多にない。
であれば、何かしらの異変があったはずである。
「詳しいことは相変わらずわかりませんが、鍛冶長がこの前言っていたように、もしかしたらハピ・クジュネ軍と交戦したのかもしれないですね」
「…そうか」
「まあ、ここにいると何も変わらないので、中はいつも通り平和なもんですよ。でも、俺らが武器の提供をしているってことが、ハピ・クジュネに漏れたら危ないですかね?」
「お前は余計なことを考える必要はない。俺が全部責任を取るから気にするな」
「そんな! 鍛冶長だけに責任を取らせるなんてできないですって!」
「最悪は逃げればいいんだ。鍛冶師は腕が良ければ、どこでだってやっていける」
「でも、おかみさんたちがハピ・クジュネにいますし…」
「それこそお前が気にすることじゃない。あいつはしたたかな女だ。そのあたりもよくわかっているさ。それにな、ライザックがどんなに嫌ったとしても、アズ・アクスを潰すことはできないんだよ。それこそ自殺行為だ。戻って歓迎こそすれ、罪に問うなんてできるわけがない」
「俺らのやり方を認めなかったのにですか?」
「連中には連中の考えがある。俺らには俺らの考えがある。それだけだ。それより『いつものやつ』はちゃんと仕上げておけよ。猿神の仕事のほうは俺がやっておく」
「それはありがたいですけど…なんで『人間用の武器』まで作ってるんですか?」
「死ぬまでこの山にいるつもりか? 外に出た時に売れるもんがなくて、どうやって生活していくんだ。若手が外で食っていくにも、今のうちに一人前にしないといけないだろう」
「あっ、それもそうですね。わかりました。こっちはやっておきます」
「ああ、しっかりやれよ。たとえ相手の顔が見えなくても俺たちは鍛冶師だ。下手なもん打ったら叩き割るからな」
「了解です。あとで検分お願いします」
そう言うと、青年は慌ただしく行ってしまった。
それを見届けた杷地火は汗を拭い、ふっと息をつく。
(千本となると、かなりの激戦だったか。ハピ・クジュネ軍が簡単に負けるとも思えないが、勝負なんてどっちが勝つかわからんもんだ。発注が来る段階で、少なくとも破邪猿将が生きているのは間違いないな)
琴礼泉は、完全に外界から切り離された場所だ。
特に一年以上前、海軍が調査で猿神たちと一戦やりあってからは、ディムレガンに対しても監視の目が付くようになった。
それから魔獣からの武器の発注が劇的に増え、この琴礼泉の日常も一気に慌ただしくなっていく。
さらに五ヶ月ほど前からは、厳重な警備体制が敷かれるようになり、完全に琴礼泉から外に出ることができなくなってしまった。
周囲は武装したグラヌマたちが常に見張っており、日に日に監視の目は強くなっていく。
武器を提供するディムレガンの存在は魔獣たちにとって有益だが、逆に人間側勢力が接触することを一番怖れているのだ。
そして実際に、杷地火は魔獣と人間用の武具を両方作っていた。
猿たちには事情を説明しているが、あまり納得していないようである。むしろ逃げ出すのではないかと警戒されて、また監視が強まる悪循環に陥っていた。
が、杷地火は依然として、他の鍛冶師に人間用の武器も作らせ続ける。
さきほどの青年のように疑問を抱く者もいるが、彼の意思は変わらない。
(猿神がこちらの身の安全を保証し、鍛冶や生活に必要な物を提供する代わりに、俺たちは連中に武具を提供する。だが、それはあくまで取引だ。こっちはこっちの好きにやらせてもらう。猿神たちとてライザック同様、俺たちを害することはできないからな)
ライザックと仲違いした杷地火たち四十二名を、破邪猿将は快く迎え入れてくれた。
当時はまだ戦争に利用する気もなく、以前から交流があったことを重視してくれたのだ。猿のボスとはいえ、なかなかできることではない。
その恩義もある以上、杷地火は猿の武器を作ることをやめないだろう。
だがしかし、弟子を育てるために人間用の武器も作る。仮にそれが人間に渡ったとしても仕方ないと考えている。
もともと武器屋などそんなものだ。鍛冶師という言葉でついつい忘れそうになるが、この世界において剣が銃よりも強いのならば、地球の軍事産業と大差ない。
彼らが敵味方双方に武器を提供するのは自然なことなのだ。争いがなくなれば鍛冶師も生きてはいけないからである。
「さて、やるか。在庫を提供するにしても、あと五百は打たないとな」
杷地火は再び鍛冶師の顔に戻り、猿用の武具を打っていく。
猿用の剣と人間用の剣との違いを知りたい者がどれだけいるかは不明だが、一応説明しておくと違いはその大きさだけではない。
魔獣は剣気を発しないので、むしろ人間用のものよりも『剣自体の質』を大事にする傾向にある。
単純な硬度と切れ味は素材の良さがもっとも大事で、鍛冶師の仕事はあくまで素材の特徴を引き出して強化してあげることしかできない。
だからこそわずかな歪みも許されず、均整が取れた造りにする必要があるのだ。
この点、杷地火は極めて優秀。
素材の見極めと扱い方が絶妙で、丁寧で堅実な仕事でミスを犯さずに優れた武器を作り続けることができる。
鍛冶のやり方はそれぞれの武器種によって違うこともあるが、大まかな内容は一般的な刀鍛冶と大差ないので細かい点は省くが、杷地火たちはディムレガンであるため『特殊な火』を使う。
杷地火は隣の籠に大量に置いてある火のジュエルを口に入れると、噛み砕いて飲み込んでしまった。
それから自身の皮膚を傷つけて血を出して、炉の火の中に放り込む。
火は一瞬だけ勢いを弱めたが、直後に激しい炎として燃え盛った。変わったのは火力だけではなく、微妙に色合いも鮮やかになったことがわかるだろうか。
その炉に素材となる鉱物を入れて一度溶かすのだが、この段階で人間が作る武器とは少しばかり様相が変わってくる。
ディムレガンは、血そのものが炎だ。
今杷地火がやったのは、もともとの火に自分の血を混ぜることで、この世に一つしかない炎を生み出す作業である。
この火で溶かされた鉱物には杷地火の血が微妙に混じって、彼の特性が嫌でも武器に浸透することになり、今後の工程もやりやすくなる長所があった。
そしてなにより、血も個体それぞれで異なることから、誰が打つかによって性能にも大きな差が生まれてくるのだ。
ちなみに人間が同じことをしてもまったく意味はない。ジュエルは胃で消化できないし、血も蒸発して終わるだけだろう。そもそも噛み砕く前に歯が折れてしまうかもしれない。
それから取り出した素材を『鍛練』していく。
これは鍛冶でよく見る、素材をハンマーでぶっ叩く作業のことだ。
鍛冶の映像でも平たくしたものを折り畳んで、さらに何度も叩く光景が見られるはずだ。簡単に説明すれば、不純物を減らして炭素の含有率を高めることで硬度を上げるのである。
しかしながら、ここでもこの世界特有の技が存在する。
杷地火が手に持っているハンマーが、戦気のように淡く輝いていた。
これが―――【鍛気】
以前炬乃未が説明したように、鍛冶師には自身の生体磁気を利用して生み出す『鍛気』という独自の気質が存在し、それをハンマーで叩くのと同時に素材に送り込む。
これも戦気同様、各人で色合いも性能も異なるため、鍛気の質も鍛冶師の力量と評価に大きく影響を与える要素となる。
たとえば炬乃未の鍛気は、粘着力と吸着率が極めて高く、素材同士が反発しないという特徴が出る。
要するに普通ならばくっつかない粒子レベルの隙間を鍛気が埋めてしまうことで、半ば強引に両者を結合させることができるのである。
そのうえ彼女は、自身の特殊な血によって一つの物質に化合できてしまうのだから、極めて異端な能力の持ち主であることがわかるだろう。
一方の杷地火の鍛気は、その見た目通りに力強く、真っ直ぐで一本気。
炬乃未のように複数の素材を結合させることなどできないが、その鍛気に素材が触れることで、本来持っている限界値まで力を引き出すことを可能にする。
こうして杷地火は無心で、どんどん剣を作っていく。
猿の剣だろうが人間の剣だろうが、鍛冶師は誇りを持って仕事をするので手は抜かない。彼が打ったものは、やはり質が段違いだ。
「もらっていきます」
「ああ」
武器作りは独りでやるものではない。
杷地火が剣の【芯】を仕上げたら他の鍛冶師に渡され、焼き入れを行いながら細かい形状を整えていく。
それ以外にも刀身の色付けや飾り付けをする職人もいるし、柄や鞘を造る職人もいる。そういった何人もの職人たちが関わり、最終的に美しい商品として仕上げていくことになる。
彼らも長年一緒に仕事をしてきたアズ・アクスの仲間たちだ。その仕事ぶりはまさに一流で、次々と頑強かつ美麗な剣が生産されていく。
また、防具を専門で打つ者や、里火子のように織物を担当する裁縫師もいるので、ディムレガン全員にしっかりと仕事が与えられているのだ。
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