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「翠清山死闘演義」編

347話 「崩壊の序曲 その2『魔獣の戦略』」

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 第二海軍の各部隊が個別に撤退戦を繰り広げる中、ハイザクと親衛隊のイスヒロミースも山を下っていた。


「ちっ、ここまできて逃げ帰るのかよ!」

「どう考えても不利だろう。まだ生きているだけましさ」

「まずいよ、後ろがついてきていない!」

「振り返るでない! 今は前を切り開くことを考えよ!」


 幸いながらナカトミ三兄弟もまだ生きていた。

 身体は血路を切り開いたことでボロボロだが、血の滲むような鍛練のおかげで体力はまだあるようだ。

 しかし、全員がそうではない。

 破邪猿将の本隊の群れと戦った怪我が重く、次第に遅れ始める者たちも出てきた。


「猿が来ます!」

「しつこいやつらだぜ!」


 こちらも他の隊と同様にヒポタングルの攻撃を防ごうと森の中に入ると、今度は猿たちに襲われる悪循環が続く。

 空よりは地上のほうがましと応戦を続けるが、弱った海兵たちに猿が群がって傷が増えていく。

 ジンロ隊の屈強な戦士たちも、流れ出る血の量を見て覚悟を決める。


「…隊長、そろそろ駄目っぽいです。俺はここで敵を食い止めます」

「諦めるなよ! まだいけるだろう!」

「これ以上は足手まといになります。ハイザク様を頼みますよ。それと…うちの女房も」

「っ…!!」

「ジンロ、気持ちを汲んでやれ」


 サンロに肩を叩かれて、ジンロは強く拳を握りしめる。


「…わかった。すまねぇ」

「んじゃ、ちょっくら行ってきますわ」


 そうした者たちは、自ら殿を務めて敵の追手を食い止める。

 援軍が来ない状況で敵と戦い続けても生き残れるはずがない。だからこそ死を対価として敵を必死に食い止める。

 そして彼らが死んだら、次に限界が来そうな者たちが自ら残り、死ぬまで戦って敵を食い止めるを繰り返す。

 とある戦国武将が、関ヶ原の戦いでもちいたことで有名になった『捨てがまり』という撤退戦術である。

 将を生かすために部下が死ぬ。

 生き残る側も、これほどつらいことはないだろう。

 それでも彼らは、都市に残した家族のために自ら率先して散っていくのだ。ハピ・クジュネが無事ならば生活は保証されるからである。

 それからも何度も敵の追撃部隊との交戦が続くが、やはりヒポタングルが厄介。

 猿と連動することで持ち前の空戦力が何倍にも増し、また数人また数人と、徐々にだが確実にイスヒロミースは数を減らしていく。

 ギンロは歯を食いしばりながら、なぜこうなったのかを考えていた。


(我らの任務が一番危険であったことは間違いない。ただし、リスクはあったが同時に勝算も十二分にあったはずじゃ。それがここまで劣勢に陥ったのは、すべて『やつらの計略』によるものよ)


 まず最初の異変は、ベルロアナ率いる傭兵・ハンター混成軍で起きた。

 彼らの行く手を阻むように森林地帯南方の八割の魔獣が終結。何重にも及ぶ壁を生み出して、ひたすら足止めをした。

 もしアンシュラオン隊がいなければ、突破にはさらなる時間を要していたはずだ。

 いや、これは逆だろうか。

 ホワイトハンターのアンシュラオンがいたからこそ、あえて三大ボスを配置しないで消耗品の雑魚を押し当てたのだ。

 ボスがいないことを知ったアンシュラオン当人も、自身での強引な突破よりもサナたちの教育を優先して、侵攻は緩やかなものとなった。

 これはつまり、魔獣側が『アンシュラオンの性格や状況を知っていた』ということを意味する。

 ジ・オウンも部分的に関与していたことを思えば、情報が漏れていてもおかしくはないものの、彼女がすべてに関与していたかどうかは謎が残る。


(次はスザク様に起きた異変よ。マスカリオン・タングルによる奇襲によって、わずかな手勢で長期間の足止めを余儀なくされた。ヒポタングルの群れがここまでの勢力を残せたのは、間違いなくそれが要因じゃろう)


 スザク軍とて立派な海兵だ。空の敵への戦いにくさはあっても、最初から準備ができていればそこまでの被害は受けなかったはずだ。

 まだ身体も温まっていない序盤だったからこそ、手痛い一撃が効いたのである。

 ここもあえてマスカリオンが出たことで、スザク側に圧力を与えることに成功した。スザクも奮闘はしたものの全体を見れば、そこまで敵に打撃を与えないまま終わったといえる。

 また、伝書鳩を潰して連絡手段を遮断したことで、各軍の連携が完全に封じられたことも大きいうえに、この事実を意図的にスザクに見せることによって、現れたマスカリオンを倒そうと躍起にさせることにも成功している。

 この段階で、山脈に侵攻する三つのうち二つの軍が機能不全に陥ったことになる。


(そして、猿の動き。やつらは最初から我々を山に引きずり込むのが目的だった。しかし、これができたのも敵が街に奇襲を仕掛けたことと、その後の情報封鎖を徹底したからじゃ)


 第二海軍がここまで山に踏み入ったことは、当然ながら物資の確保もあるが街を攻撃されたことが大きい。

 ここで何年もかけて包囲したとて翠清山は落とせないし、時間をかければかけるだけ海軍への信頼も失墜する。その前に南部からの圧力が増して魔獣どころではなくなるだろう。

 それゆえに勝負を急いだハピ・クジュネ軍は、三袁峰という人間にとっては戦いにくい場所に引きずり込まれる形になった。

 人間側の目的が資源であることも知っていた節があり、それを最終確認するためにしばらく泳がせていたようにも思える。

 その間にヒポタングルたちは準備を整え、三袁峰自体を封鎖する大規模な包囲網を形成していた。

 すべては囮。

 全部が計算の内。


 敵の目的は最初から―――【第二海軍】!


(魔獣は普通、弱い者から狙う。主力である我らを最初から狙うという発想自体が、今までとは根本から異なっておる。マスカリオンの策? いや、そこまでの策を練るとは思えん。もしやつがそこまでの知将だったならば、もっと過去の時代に大きな変動が起きておったじゃろう。となると、ここまで周到な策を練ったのは別の存在の可能性が高い。やつらには軍師か参謀でもおるのか?)


 ギンロもアンシュラオン同様、妙に人間的な戦略に違和感を覚えていた。

 魔獣が軍勢を持ち、戦略や戦術を練って攻撃してくるなど、もはや前代未聞の大珍事でしかない。


(誰じゃ。いったい何者が…)


「じいちゃん、何か来るぞ!」

「空だ! この先のほうから来る!」

「先回りされたようじゃな。銃弾は残っておるか? 残ったすべての術式弾を使って迎撃せよ!」

「ま、待ってよ! 何か様子が変だ!」


 カンロが普通のヒポタングルとは違う機影を発見。

 それはただのヒポタングルではなかった。

 否。

 より正しくいえば、『ヒポタングル【だけ】ではなかった』のだ。


「何か抱えている…のか?」


 サンロの目が、ヒポタングルが運んでいるものをようやく認識する。

 かなり重いのか二頭がかりで一頭を運んでいるようで、シルエットもヒポタングルよりも二回りは大きいようだ。


 それは―――【熊】


 銀色の体毛をまとった猛獣が『空輸』され、次々と近くの森の中に投下されていく。

 かなりの高さから落とされた熊もいたが、どすんと地面に落下してもたいしたダメージはなく、平然と立ち上がっている。それだけ身体が頑丈なのだろう。


「ちょっと待てよ。あれってまさか…」

「じいちゃん、あれはなんだよ!!」

「な、なんじゃと…馬鹿な。ありえぬ…」


 ギンロでさえ、このことは完全に想定外。

 目を見開き口を開けて呆然としてしまうほどの衝撃だった。

 なぜならば、そこに出現したのは『ローム・グレイズリー〈銀盾錦熊〉』の群れだったからだ。

 本来ならばスザク軍や混成軍と戦っているべき相手であり、平坦な地形と寒冷地を好むために、三袁峰に来ることはまずありえない魔獣である。

 それをヒポタングルは忙しく何度も往復し、どんどん錦熊を空輸しているではないか。


(やら―――れた! ここで完全に潰す気じゃ!!)


 魔獣の戦略は、ギンロが考えていたものよりも重厚で、より大胆で、より悪質なものだった。

 それは、【三大魔獣による第二海軍の殲滅】。

 たしかに第二海軍は強い。多大な犠牲は出ているが、こんな状況でもかろうじて逃げるだけの底力を持っている。

 しかし、翠清山の三大魔獣をすべて相手にして逃げ切れるとは思えない。戦力に差がありすぎるからだ。

 彼らの狙いは、最初から最後まで人間側の主力を完膚なきまで叩き潰すことである。

 第二海軍さえいなくなれば、厄介な相手はアンシュラオンくらいなものだろう。スザク軍とて敵ではない。


(このような場所に熊神が現れるとは…! そうか、だからこその時間稼ぎか!)


 銀鈴峰側の二つの軍を執拗なまでに足止めしていたのは、この錦熊たちを移動させるための時間稼ぎだったようだ。

 猿でさえ自らの居城である三袁峰を一度は明け渡したのだ。熊が銀鈴峰を捨てても不思議ではない。

 これでようやく誰もが状況を理解することになった。

 この先に待ち受けるのは【地獄】であると。


「あれが熊神…かよ。はは、マジかよ。たまんねぇな」

「そうそう、やってられないよな。この状況で熊かよ。笑えるぜ」

「じいちゃん、どうするの? これってやばいよね?」

「………」


 ギンロは黙って頷く。

 孫たちへの答えは、それだけで十分であった。


「ジンロ、サンロ、カンロ。やるべきことはわかっておるな?」

「ああ、わかってるよ。ハイザク様を守ればいいんだろう?」

「そうそう、ハイザク様がいれば何度だってやり直せるからな」

「大丈夫だよ。俺たち、ちゃんとやるからさ」

「うむ、我らの命などどうでもよい。ハイザク様のことだけを考えよ! 皆の者も現状は理解したな! やることは一つよ!」


 ジンロたちは、ここで死ぬ覚悟を決める。

 ハイザクさえいれば。ハイザクさえ生き残れば。

 たとえまた十年の月日が必要になっても、あるいは二十年の艱難辛苦が訪れても、ハイザクという英雄さえ生き残ればやり直すことができる。


「敵包囲網を強行突破せよ! 道を切り開け!」

「ううううおおおおおおおおおおおおお!」


 号令を出すと、親衛隊が一気に突撃。

 残った兵は、ジンロ隊約二百、サンロ隊約三百、カンロ隊約二百五十、ジンロ隊約二百。

 半分に減らしたうえに消耗も激しいが、それでも諦めるわけにはいかない。

 そんな彼らの前に立ち塞がるのは、銀色の錦熊。

 熊なので見た目はほとんど人喰い熊と大差ないが、体躯は一回り以上大きく、より二足歩行がしやすいように腰回りが大きいのが特徴だ。

 最大の特徴は、その腕。

 一応四つ足動物ではあるが二足歩行をする都合上、腕と呼んで差し支えないだろう。

 熊の左腕に『銀色の粒子』が集まると、そこに大きな『盾』が生まれた。

 その盾を使って、イスヒロミースの突撃を受け止める!

 猿神よりも重量と耐久力の高い熊神は、第二海軍の突撃を受けてもびくともしない。

 完全に攻撃を殺しきって、逆に押し返される。


「こいつら…重い!」

「槍が止められた!? 毛がやたら硬いぞ!」


 猿は筋肉質でゴムのような身体が面倒だったが、熊たちはさらに『銀の粒子』を身にまとうことで防御力が劇的に向上し、ジンロの拳やサンロの槍すら受け止めることを可能にしていた。

 この銀色の粒子については完全に解明されていないものの、彼らが定期的に食する植物の実と、実を効率よくすり潰すために胃の中に蓄える鉱物に関係があるとされている。

 こうした鉱物は『胃石』と呼ばれ、鳥やワニなどに見られる習性の一つであり、錦熊は胃の中で特殊な鉱物を生成する能力を持っている。

 その成分が染み渡ることで銀色の体毛を持つようになり、体毛から放出される粒子を操ることで盾を作り出すようだ。

 盾を自分で生み出せる点は便利だが、粒子が尽きたら消えるので、何度も攻撃すれば打ち破ることができるため万能とはいえない。

 ただし、彼らの能力は盾だけではない。

 動きが止まった親衛隊に向かって、他の熊たちが腕を向ける。

 今度は盾は生まれず、その代わりに銀色の光が迸った。

 光はレーザーのように真っ直ぐに進むと、直撃した海兵を吹き飛ばす。


「ぐぁっ!」

「大丈夫か! やられたのか!?」

「い、いや…痛み自体はないが、まったく踏ん張りが利かなかったぞ!?」


 これは『銀の飛弾』と呼ばれる錦熊の能力の一つで、本来は盾として生み出す銀の粒子を集めて放出することで、相手を弾き飛ばすことができる技だ。

 今受けた海兵のようにダメージ自体はないが、押し出す力が異様に強く、どんなに踏ん張っても吹き飛ばされてしまう不思議なスキルであった。

 が、これが今は最悪の技となる。

 熊神たちは海軍の突進を盾で受け止め、飛弾によって押し戻す。

 こちらは一歩でも先に逃げたいのに、翠清山でもっとも防御力が高い魔獣が立ち塞がるのだ。これほど出会いたくない魔獣はいないだろう。

 そこにマスカリオンの群れがやってきて、空から―――『一斉射撃』!

 石つぶてや『風放車濫ふうほうしゃらん』といった風の術式が飛び交い、海兵たちを切り刻む。

 熊神もどんどん包囲網を狭めてくるので、空にいるヒポタングルたちも狙いやすい。面白いように命中していく。


「やろう…! こちとら射撃の的じゃねえんだよ!!」

「っ…! やばいよ! あいつら、火を持ってる!」

「くそがああああああ!」


 ヒポタングルは、海兵たちに油と焼けた木を投下。

 猿たちに火計を仕掛けた第二海軍が、逆に火計で焼かれるのは皮肉である。

 ジンロたちは戦気の放出で耐えることができるものの、その分だけ消耗が激しくなるので地味に嫌な戦法だ。


「ヒポタングルは無視せよ! 前方に攻撃を集中させて森の中に逃げ込むのだ!」


 ギンロの指揮で海兵たちが決死の攻撃を仕掛ける。

 が、熊神たちは依然として銀の盾で防御。押し返してくる。

 どうやらあの盾には各種属性への耐性があるようで、雷や炎といった術式攻撃もあまり効果がない。

 攻撃は当たっているのに成果がないというのは、精神的に堪えるものだ。


(熊が突破できぬ! ここにとどまっていれば―――【全滅】する!)


 この様子では他の場所にも熊は配置されているだろう。親衛隊でもこの有様ならば通常の部隊はもっと危ない。

 ギンロの脳裏に最悪の二文字が浮かぶ。


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