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「翠清山死闘演義」編
336話 「観測実現」
しおりを挟む「せっかくだ。もう少しボクの能力を見せてあげよう」
新たに影が生まれると、グランハムそっくりに変化。
そして、『影』が手にナイフを生み出して―――刺す
ナイフはずっぷりと腹に突き刺さり、偽のグランハムが出血。
その瞬間、静止している本物のグランハムの腹からも、じんわりと血が滲んできた。
アンシュラオンが『観測』したことで、『可能性が実現』したのだ。
「どう? 便利でしょ?」
「………」
「あんまり驚いてくれないんだね。なるほど、ボクの能力の分析に集中しているのか。さすがだよ。闘争が染み付いている。単純な戦闘能力に関していえば、ボクはキミにはまったく及ばないだろうね」
「『忌竺』だったか? こそこそ隠れて生きるやつには、お似合いの能力だな。次はオレに試してみろよ」
「今度は挑発? 嬉しいなぁ。でも、キミは傷つけないよ。そもそもキミは死ぬことをまったく怖れていないでしょ? 痛みさえもキミは愛しいと感じてしまう。あの時からずっと変わっていないよね」
アンシュラオンの肝っ玉が太いのは、この世界に転生したせいではない。元来の魂としての『強度が高い』のだ。
『彼』の冷たい瞳がじっと見据えると、その冷淡な色合いに影が震える。
「ああ…その目だ。人をゴミのように見下す視線は最高だよ。キミは『人の皮』を被っている獣…いや、【魔人】だ。人のふりをするのは疲れるでしょう? それとも案外楽しんでいるのかな?」
「言ったはずだ。オレは人間だ」
「カテゴリーとしては魔人も人間だから間違ってはいないね。ただし、キミがそう思えるのは火怨山で暮していたからだ。その年齢になるまで『人外』としか接していなかったおかげだよ。もちろん、パミエルキに関しても同じことがいえるけどね」
「まるで牢獄か動物園の檻のような言い方だな」
「同じ意味だよ。もしキミたち二人が何の枷もなく出ていたら、とんでもないことになっていただろう。たった二人の魔人に世界は蹂躙されてしまうからね。そのために【人類最強の二人】が近くにいたのさ」
「師匠とゼブ兄のことか?」
「その四人が集ったのは偶然じゃないんだよ。キミたちが危険な場合は、二人が身を挺して止めることも想定されていた」
「そんな殊勝な人たちには見えなかったけどな。かなり自分勝手だったぞ?」
「彼らも【宿命】の中にいる。嫌でも従うしかないのさ。しかし、それはもう難しい。パミエルキの強さは『現生人類』を超えてしまったんだ。本来の『災厄の魔人』は、あそこまで強くはない。彼女が特別なんだよ。今となってはボクでも止めることはできないだろう」
「それほどの脅威なら、どうして子供の頃に倒さなかった? オレが言うのもなんだが、成長する前に殺せばよかっただろう。当時は師匠のほうが強かったはずだぞ」
「この星は常に人手不足でね。それだけ強いのならば女神にとっては良い道具になる。そして結果的に、キミはかろうじて人間として繕うことができているじゃないか。『実験』は成功だったんだ」
「人を実験動物みたいに言いやがって。何様だお前は」
「ボクが決めたわけじゃない。文句は女神に言ってよ。でも、そのおかげでパミエルキも完全な『災厄の魔人』にはなっていない。キミがストッパーになっているからね」
「逆にいえば、オレがいなければヤバいのか?」
「暴走した彼女がどれだけ危険かは、容易に想像できるだろう? 一番近くにいたキミならね」
「………」
「言いたいことはわかるよ。そんな危険な存在を使って何をするのか、だろう? 残念だけど、それはまだ教えるわけにはいかない。その前に、キミはこの事態を打開しないといけないはずだ」
影が小百合とそっくりの影を生み出すと、その頬にナイフを押し当てる。
「さっきは反応が鈍かったね。女のほうがいいのかな?」
「やめろ!」
「そんなに情熱的に見つめられたら困っちゃうよ。胸が苦しい…苦しいよ!」
と言いながら、すぱっと切る。
こちらもアンシュラオンが観測したせいで、本物の小百合の頬から血が流れ出る。
それを見たアンシュラオンから強烈な怒気が湧き上がった。
「女性の顔を傷つけたなぁああああ!」
「いい、イイよ。すごくイイ。キミの感情がダイレクトに突き刺さるようだ。ところでキミは、どうして女性にそこまで敬意を持つのかな? 性別なんて、たかだか地上での役割の違いにすぎないじゃないか」
「オレは女性を守ると決めているんだ。くだらないことを訊くな!!」
「『贖罪』のつもりかな?」
「…っ!!」
「ボクはキミの過去を『記録』しているからね。知っているよ。随分といろいろとやっていたみたいだ」
「黙れ。その汚い口を二度と開くな」
「ボク、口は無いんだけどなぁ」
「オレのものにこれ以上何かしやがったら、ぶっ殺す!!」
アンシュラオンの目に本気の殺意が宿る。
周りの人間に意識がなくてよかった。もしこの殺気を受けていたら間違いなくショック死していただろう。
だが、いくら凄んだところで状況は変わらない。
「わかるよ、アンシュラオン。キミが一番怖れていることが何か。パミエルキに見つかることじゃない。彼女に縛られることでもない。それはある種、キミが望んでいることでもあるからね。そうだとすれば、『これ』だ」
「―――サナっ!!」
影が、黒い少女に巻きつく。
あえて最後まで触れなかったことから、すでに標的は決まっていたのだろう。
少し視ただけでも、サナを溺愛しているのは丸わかりだ。
そして、それこそアンシュラオンの【最大の急所】でもあった。
「キミは愛する者を失うことを怖れている。奪われることを怖れているんだ」
「サナに手を出したら殺すどころじゃ済まさねえ! お前の存在そのものを消し去ってやる! 世界そのものを破壊してやる!!」
「…あぁ…その言葉を待っていたよ。この星に来て、おかしいと思ったことはないかな? そうなんだ、この世界は半分壊れている。それはもう滅茶苦茶なほどにね。今まではなんとか延命してきたけど、やっぱり根幹が壊れていたらどうにもならない。だから一度壊す必要がある」
「サナに触れるな!! ぶっ殺す!! てめぇは殺す!!! ぶっ殺してやるうううううううううううう!!」
「もうほとんど聞いてないよね? まるでチンピラだ。うん、いいんだよ。それがキミの本質だ。どんな皮を被っても、どんな肉体に入っても、仮にキミが魔人でなくても、その中身は破壊なんだ。だからボクはキミが大好きなんだよ」
「やめろ!!」
影の手が、サナの首に差し掛かる。
ゆっくりと、じわじわと、回転を強めていく。
その先にあるものは、確実なる死。
これはたしかに虚構であり可能性の一部でしかないが、アンシュラオンが観測することで現実になってしまう。
なんという―――【理不尽】
そう、これは理不尽そのものなのだ。
「世の中には多くの理不尽が溢れている。金が無くて死んでいく者、暴力によって虐げられる者、知能が劣っていて損をする者。いつだって弱い者が不利益を被る。なぜならば、すべての紛争は一部の者たちが操作し、利益を奪うために行っていることだからだ。そう、世の中の苦しみは、神ではなく人が引き起こしている【人災】なんだよ」
人々の多くは、世の中で起こることが偶然で成り立っていると考えがちだ。
テレビで見る株価の動き、物価の上昇、いずこかの地域で発生している戦争や紛争、不可思議な宗教団体の存在から果ては一部の自然災害に至るまで、そのすべては人が引き起こしている。
それらは人の意思によって発生した『負債』ともいえるものだ。
「人は言う。『神はどこにいるのか』と。『我々を見捨てるのか』と。ふふふ、あははははは。愚かしいよね。『自分自身が神』であることも知らずに、人は無知で無能で無力であり続ける。いったいこの世界は何なんだい? そう、虚構だ。所詮は幻の世界にすぎない」
地上という世界は、人という霊が肉体を持って生きる場所である。
匂いや感触、痛みや快感を肉体を通じて味わうことで、霊としての感覚を強化することが目的だ。
ただし、その進化の方法は、惑星に住む『それぞれの人間』のやり方に委ねられる。
「ボクたちには自由がある。自由があるから成功する権利も失敗する権利もある。それこそが【可能性】だからね。じゃあ、この星はどうだったのだろう? キミやボクの一部がいた地球という星は、どうだったのだろう?」
―――「そう、【失敗】だよ」
「腐敗と堕落と汚職は、とどまることを知らない。表面だけいくら綺麗にしても中身は真っ黒で汚物塗れ。悪人ほど道徳の衣をまといたがる、という言葉は真実さ。じゃあ、誰が一番悪いのか。悪いことをする人間が悪いのか? いや、それは真実の半分しか語っていない」
―――「もっとも悪いのは、【受け入れた者】たちだ」
「人々は不条理を受け入れ、正すことをやめた。その瞬間から人は【退化】の道を歩み始めた。キミも散々見てきただろう? 嫌気が差しただろう? いくら正そうとしても必ず邪魔が入り、それ以上の力によって潰される。だが、そのたびに思うはずだ。『どうしてこいつらは何もしないんだ』とね。もっとも抵抗しなくてはいけない者たちこそが、まっさきに逃げて裏切って【奴隷になりたがる】。不思議なものだね。ボクもいまだに不思議だよ」
情報に操られ、薄々間違っていると気づきながらも、従っているほうが楽だからと受け入れる。
その間にもじわじわと自己を蝕み、首を撥ねるための鎌が忍び寄っているにもかかわらず、まるで他人事のように傍観するだけ。
それだけならばまだしも、立ち向かおうとする者たちの邪魔をして罵声すら浴びせる。
なんて―――醜い
「キミがなぜスレイブを求めるのか、そこにすべての答えがある」
―――「【人間が嫌い】なんだよ」
「弱く愚かな人間を死ぬほど嫌っている。そこでキミが思ったことは―――【愚か者全員を殺してやろう】という単純な発想だ。ふふふ、過去にもいたよね。こういう考え方をする者たちがさ。多くは人間の限界を迎えて殺されたり、自滅して死んでいった。しかし、それは彼らが人間であったからできなかったことだ」
―――「でも、魔人ならばできる」
「そもそも魔人は、そのために造られた。人が人を止めるために自ら生み出した【怪物】なんだよ。しかし、今までは偶発的なものばかりで、たいした存在にはなりえなかった。せいぜい一つの小さな文明を滅ぼす程度しかできなかったけど―――」
―――「キミたちならば【世界を壊せる】」
「さぁ、アンシュラオン。キミが本当に魔人なのか、特別な魔人になりえるのか、それを見せてほしい。ボクとキミの『約束』が果たされるのか、それとも今回も失敗なのか。ボクに教えてくれ」
影の手が、サナの首を―――ギリギリギリ!
彼女の表情は、いつもと同じく無表情。
意思の無い少女が覚えたものは、怒りの感情だけ。
それだけを見れば、どう考えても不完全。無意味。
モヒカンの言い分ではないが、せいぜい奴隷にしかなれない、ただ顔が可愛いだけの欠陥人間と評価するのが自然な生き物だ。
「たぶんキミは哀しむだろう。でも、それこそ偽りの感情だ。だってキミは、自分自身のことしか愛せないんだ。それを今からボクが証明して―――」
その時、世界が静止した。
動画の再生を止めたように、すべての存在が動きを止めたのだ。
それは影も例外ではない。
サナの首を絞めつけていた影の手が、いきなり動かなくなった。
(これ…は……おそ……い?)
思考速度は完全には止まってはいないのだが、ひどくゆっくりとしていて、寝起きのように意識が定まらない。
何か特別なことが起きたわけではない。依然として場は、影によって支配されている。
であれば、理由は簡単。
今この場には、【影以上の思考速度を持つ者】がいるだけのこと。
それが普通に動いているので自分が遅くなったように感じるのだ。
―――ウ・ゴ・ク・ナ
「―――っ!?」
たとえば、地の底が抜けて地獄の入口が開いたかのような、圧倒的な絶望感のような。
たとえば、届きそうで届かない、懸垂をしようとしてどうしても顎が届かない時に感じる無力感のような。
たとえば、どうしても金が足りず、どんなに掻き集めても届かなかった時の現実感のような。
それは、どうしようもなく残酷で、とてもリアリティがあって、ボクたちの前に立ち塞がる理不尽そのもののような。
その存在が軽く手を振っただけで、周囲にいた影が一瞬で掻き消える。
そして、自然な歩みでこちらに向かってくると、ボクの頭をむんずと掴む。
「や…ぁ、久しぶり……だね。ようやく『本当のキミ』に会え―――」
―――シ・ネ
ズリュリュリュッ!
ビニール袋に入れたうどんの生地を強引に引き裂いたような。
形はあるが存在しないものを削り取ったような。
それは『影』そのものをすり潰し、粉々にして、意識ごと蹂躙してしまう!
魔人の眷属だけでも、あれだけ強くなる。
では、その大本である当人が『魔人化』すれば、どうなるのか。
見た目は白い少年そのものではあるが、その目は完全なる血の色に染まっており、体表から滲み出る『黒いモヤ』は、その濃度と圧力の高さのせいか空間が歪んでしまうほどだった。
圧倒的。
圧倒的―――序列外!!
すでに序列などという存在すら打ち消して、すべてを破壊する魔人へと変貌する。
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