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「翠清山死闘演義」編
331話 「兄妹演武 その3『兄の導き、雷狼教育』」
しおりを挟む(こんな狂暴な魔石を扱えること自体が『選ばれた者』である証拠だ。しかし同様に、この魔石獣を飼い慣らさねば、いつか災いとなって跳ね返ってくるだろう。サナにそんな哀しい人生を味わわせるわけにはいかない)
サナをあえて追い込んだのは、こうして魔石獣を顕現させるためだ。
まだ自分の意思で扱うことはできず、今のままでは不安定な力でしかないが、どんな力でも持っていることに価値がある。
その練習台として鬼美姫はちょうどよい相手だ。
それを示すように、鬼美姫はつまらなそうにサナを見据える。
「ふん、魔石か。珍しくもない。その程度ならば、やはり雑魚だな!」
「―――っ!?」
鬼美姫の背中側の腕がサナを捕らえて、力ずくで握り潰そうとする。
雷撃を放って抵抗するが、相手も腕に強力な術式防御を展開しているので簡単に振りほどけない。
鬼美姫が力を入れるたびに、雷狼の鎧に亀裂が入っていく。
「うううううっ!! ふぅううう―――っ!!!」
捕まった雷狼は、野生動物のように威嚇し、噛みつき、引っ掻き、蹴り飛ばし、必死に逃げようとするが、鬼美姫はそれ以上の力で押さえつける。
圧力は本体のサナにも及び、骨にヒビが入り、筋肉と内臓を圧迫していく。
いくら魔石で強化されているとはいえ、素のサナはまだまだ子供。体力的にはユキネより下なのだ。パワー勝負で勝ち目はない。
「サナ様! くっ、雷が強くて近寄れない!」
ホロロが近寄ろうとするも、サナが雷を放出すればするほど周囲は援護に行けない。
「どうした魔人、今回は助けないのか?」
「お前に負けるようじゃ話にならないだろう?」
「言ってくれるな! このまま潰してくれる!」
アンシュラオンならば強引に雷を押しのけて援護もできるが、ここはそのまま傍観どころか挑発までする。
なぜならば、サナがそういう戦い方をしているからだ。
「―――っ!? ふぅううううっ!!!」
その間にもサナへの圧力は強まっていき、肋骨がパキンとへし折れ、雷狼の鎧も一緒に剥げ落ちていく。
暴れても暴れてもどうにもならない。これこそが現実。力の差。
このままでは間違いなく潰されてしまうだろう。
「うううーー! ぐるるうううう!」
妹が怒りの感情に支配されて暴れる。
青雷狼も、それに影響されて魔獣の本能のままに怒り狂う。
(サナ、痛いだろう。苦しいだろう。しかし、実戦に勝る学びは存在しない。それでは勝てないことを身をもって悟るんだ)
妹を想い、ぐっと握りしめた拳からは血が流れていた。
彼女の成長を願って、その先にある幸せを願って兄も耐える。
「―――っ!?」
そして、サナの筋肉が断裂し、内臓にも大きなダメージを負った時。
ペンダントが大きく明滅し、青雷狼に一瞬だけ【弱気】が見えた。
これだけの雷を放出したのだ。エネルギーが徐々に枯渇し始めたことで、余力がないことを悟ったのである。
怒りは一時の興奮によって力を吐き出すもの。それに突き動かされた魔獣の激しい攻撃本能も長くはもたない。
そこに鬼美姫の容赦ない圧力が加えられて、ついに【死】が見えてくる。
「…はっ! はっ…!? はぁはぁはぁ!! う―――うううっ!!」
サナと青雷狼は必死にもがく。死にあらがうのは生物の自然な保存本能だからだ。
火事場の馬鹿力も発揮されて大量の雷が発生するが、それで逆に力を使いきってしまった。
ここで本来ならば緊急用の命気が発動するのだが、アンシュラオンはあえてストップ。供給を止める。
そのせいで青雷狼は完全に拠り所を失ってしまう。
もう手が―――無い
最後の切り札すら相手に通用しなかった時、生物は何を感じるのか。
怒り? 嘆き? 哀しみ?
否。
それは自己の―――【放棄】
ある種の諦めと諦観、あるいは達観した不思議な感覚が満ちる。
どんな生物でも必ず死ぬ。いつかは自分の番が来る。その先にある何かに怯えと期待を寄せるのだ。
その隙間を狙って―――
「サナぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ―――ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「―――――――――――――――――――――――!?」
兄の叫びが、妹を貫く!!
サナは、なぜ叫ばれたのかわからずに、びくんと硬直。
兄の意図を探ろうと、その姿を目にする。
「サナ、オレを見ろ! 自分の意思をしっかり持て!」
「…ふー、ふーー!」
「感情だけで魔石を使うな! それでは力に呑まれるだけだ! 力とは集約しなければ意味がない! 荒ぶる力を抑えて制御するんだ!」
「…ふるふる!!」
「わかっている。感情を制御するのはつらいな。痛いな。苦しいな。大丈夫。お兄ちゃんがいるぞ。オレはここにいる!」
怒りの感情を制御することは非常に難しい。
なにせ原初の感情であり、怖ろしいまでの力を秘めているからこそ、誰もが癇癪を起したり、苛立ったり、他者を殺す力になりうるのだ。
しかしながら、それだけでは勝てない相手がいる。
「これから手本を見せてやるからな。その目に刻むんだ!」
アンシュラオンはサナとは対照的に、外への感情の流出を減らし、淡々と粛々と行動に移していく。
眉一つ動かさず。
足音一つ立てず。
呼吸一つ乱さず。
相手の感情を受け取り、そのまま跳ね返す鏡となる。
気づけばアンシュラオンの感情の鎮まりとともに、気配そのものすら感じなくなっていた。
だが、それでもなお強い。
静寂の中に力は集約され、与える打撃は的確に確実に相手を追い込み、敵の攻撃は流れる水のように受け止めてしまう。
かといって、ただ淡々とこなすだけではなく、そこには確かな熱情があった。
なんとも不思議。
静かなほうが荒ぶっている時よりも強いのだ。
「…はぁはぁ、じー」
サナの瞳が、兄の周囲に『光の粒子』が渦巻いている光景を目撃する。
それは未来を映し出す光。武人が見る行動予測の束。
この流れの一本一本で生死が決まってしまうほど、戦闘にとっては大事なものだ。
それが彼の周りでは『六千もの糸』になって回転しており、一本一本丁寧に紡いでいく姿に、怖れや不安は一切存在しない。
これぞ―――【聖の領域】
アンシュラオンが属する第三階級の『聖璽級』には、【魔を倒す聖なる力を有する者】という意味合いがある。
この世界にある幾多の魔。人の欲望や醜さによる堕落を含めて、鬼神や魔神といった存在すら打ち砕く者に与えられる称号だ。
ここに至ると、人は聖なる力を発揮するまでになる。
物的な側面での恐怖を感じなくなり、怒りや憎しみを制御できる『聖人』に昇り詰める。
これは道徳面の聖人ではなく、『聖なる力を行使できる者』という意味だ。
「…はぁはぁ!? …はっ、はっ!?」
サナは、あまりの未来の多さに判断が追いつかなくなり、どうしてよいのかわからないパニック状態に陥る。
ただでさえ雷狼の力に翻弄されているのだ。もはや意味不明だろう。
だが、一筋の光が一層輝いて彼女を導く。
(サナ、こっちだ)
「…っ!」
サナは光の導くままに感覚だけで刀を振る。
その一撃は、ちょうどアンシュラオンの打撃と重なり―――ガチン!
前と後ろから同時に攻撃が当たり、鬼美姫の中で音が鳴った。
捕まっているので腕だけで振った軽い一撃だが、なぜか今までよりも響く。
「…???」
また再び光の粒子が見えるので、刀を振ると―――ガチンッ!
さきほどよりもしっくりとした音が鳴る。
また光に従って、ガチン。
また光を追いかけて、ガチン。
また光を追い越して、ガチン。
徐々にタイミングが合ってきて、音から濁りや淀みが減って高音になっていく。
「…ふー……ふーー…」
光の粒子に抱かれたことで、サナの呼吸が次第に落ち着いてきた。
それとともに魔石獣からも獰猛な気配が少しずつ減っていき、雷の総量も減ったことで雷の鎧が完全に消失。
わずかな隙間が生まれたことと、鬼美姫がアンシュラオンに集中したことで、拘束から逃れることができた。
「サナ、魔石獣を維持しろ。そのためのエネルギーは与えてやる」
「…はぁはぁ、こくり」
ここでサナに命気を注入。動けるだけのコンディションに戻しつつ、青雷狼にもエネルギーを供給する。
ただし、暴走しない程度に調整したことで、新たに生まれた雷の鎧は全体的にすらっと小さくなり、雷爪も細り、仮面も半分だけになる。
これでは攻撃力も防御力も半分。さらに半覚醒状態なので、実質は四分の一の力しか出ないだろう。
が、それが適正値。
「それでいい。それが今のお前が扱える力の最大値だ。それ以上は身を滅ぼす。言葉の意味はわかるな?」
「…こくり」
「オレが導く光に従うんだ。大丈夫。暴走はさせない。安心して力を使ってごらん」
アンシュラオンの光の導きに、サナが引っ張られていく。
自分よりも強い者に抱かれて戦う安心感は別格。
少しのミスも許容され、大きなミスもカバーされ、力が外にぶれることもなく、力一杯全力で叩きつけることができる。
しかもアンシュラオンが発した水気による『エスコート』により、雷が引っ張られて、漢字の練習帳のようになぞるだけ。
正しい軌跡を描くことで、最短で最速で最適に到達して―――カーーンッ!
小気味よい音を立てると、鬼美姫に激震!!
「ぐうう―――がはっ!!!」
どう考えても、さきほどよりも雷の量は少ないにもかかわらず、芯を突き抜けたような重い衝撃と痛みが走った。
雷狼化したサナの攻撃は派手だったが、あれは大振りのパンチと同じで運動エネルギーが無駄に使われており、相手に当たった時には威力が激減してしまっていた。
だが、できるだけコンパクトに力を集めた結果、振りも速くなり、素早くなり、最短距離でロスなく力を当てることができる。
少しずつサナがその動きに慣れていくにつれて、雷が黒千代に集まり出した。
それまでも時々刀に雷をまとっていたが、今はさらに圧縮されていて、刀身が青く輝くほどになっている。
正しい力の使い方をしていることで青雷狼もおとなしい。上機嫌に尻尾を振っていた。
「その調子だ。心は魔石獣を制御することに集中しろ。筋力の大半は回避運動に残しておいて、攻撃部分だけを雷狼に担当させればいい」
「…こくり」
「自分の中にある『獣』を飼い慣らせ。すべては無理でも、攻撃する相手と場所だけはしっかりと限定するんだ」
「…こくり」
サナの目から赤い光が薄れていき、美しいエメラルドに戻っていく。
彼女もまた魔人の力ではなく、人の武で戦うことを選んだのだ。兄がそうしたように妹も同じように倣う。
「眷属までなめた真似を! どうしても魔人にはならないつもりか!」
激怒した鬼美姫が、身体を回転させて刀を振りつつ、体表から何十という金属の刃を生み出しながら、さらに自らの血すら振り撒く。
それはまるで、カバーのないミキサー。
周りすべてを巻き込んで自爆する、制御を失った危険な力であった。
しかし、冷静さを取り戻したサナは、アンシュラオンの導きに従って身体を動かすことで、それらの攻撃を紙一重で回避。
荒ぶる感情を強引に抑えつけることに集中しながら、攻撃は青雷狼に一任することで、次々とカウンターの一撃を加えていく。
当然それに合わせてアンシュラオンのサポートが入るので、まともに刀が入って―――ゴーーンッ!
二人の攻撃が当たるたびに音が鳴っていく。
ゴーーンッ ゴーーンッ ゴーーンッ
音は次第に身体の中から外に出るほど大きくなり、他者にも聴こえるようになった。
眷属以外で、この意味に誰よりも早く気づいたのはソブカだった。
(これは…【鐘の音】?)
大きな音によって刻まれる『リズム』は、紛れもなく規則正しい鐘の音そのものである。
そして、漠然とアンシュラオンの意図を悟る。
何の打ち合わせもしていないのに、すべての流れがソブカの脳裏に浮かんできた。
(勝負が決まるまで、あと―――六十秒!)
何千と巻きついた光が到着する先に、一つの大きな未来がある。
この音は、およそ一分後に起こる『事実』を確定させるための『予言書』なのだ。
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