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「翠清山死闘演義」編
316話 「美姫の脅威 その2『本物の強敵』」
しおりを挟む「私が中衛後方に入って指揮を執る!」
アンシュラオン隊にグランハムを加えた形で、鬼と対峙。
その間にレックスたち第一警備商隊が、第一防塞に向かって走り抜けていく。
鬼女は軽く視線を向けただけで、撤退する隊員は無視してこちらを見つめていた。
その目には、強い自負と余裕の感情が宿っている。
どうせなら少しでも足掻いてくれる虫のほうが楽しめる、と言わんばかりだ。
「随分な態度ね! いきなり見下してくれちゃって!」
「待て、キシィルナ! 迂闊に前に出るな!」
「私は戦士なんだから、前に出ないと戦えないのよ!」
マキが鬼女に向かって猛進。
踏みしめる大地が抉れるほどの脚力をもって前に突き進む。
鬼女は身構えたまま微動だにしないが、背中の二本の腕が真上から襲いかかってきた。
それをマキは素早く回避。
さらに加速することで振りきった。
(図体が大きい分、そこまで速くはないわ! これならばかわせる!)
続いて下の二本の手が地面を薙ぎ払うのを、跳躍して回避。
一気に懐に入り込むと、がら空きの顔面に拳を叩き込んだ。
拳はクリーンヒット。無防備な相手の頬に炸裂。
しかし、打撃を放った側のマキに衝撃が跳ね返る。
「硬っ…すぎる!」
武具を装備したマキの攻撃力は、硬度と打撃力を考慮すると『A』に匹敵するだろう。
だが、それをもってしても、光沢のある敵の皮膚には何一つ変化がない。軽くこすったような跡が残っただけだ。
表面の硬い外殻も厄介だが、中身は圧縮された筋肉の塊であり、人間サイズの打撃程度でどうにかなるものではない。
「フシュルル」
「っ…!」
鬼女の視線が、じろりとマキを捉える。
その目にはさきほど商隊員をなぶった時と同じ、嗜虐心といった残忍な感情が宿っていた。
マキは慌てて間合いを取ろうとするが、鬼女は下の二本の腕を引き戻し、バチンッ!
蚊を叩くようにマキが両手に挟まれた。
「はや…い! さっきは…わざと遅くしたのね…!」
相手はただの魔獣ではなく、高い知能をもった存在だ。マスカリオンのように階級やレベルが上がるとより狡猾になり、フェイントや駆け引きも行ってくる。
素の肉体能力で劣っている以上、ただの猛進では太刀打ちできないのは道理だ。
マキを圧し潰そうと手に力が込められる。
「くっ、この―――きゃあああ!!」
戦気を放出して耐えるが、力は圧倒的に鬼女のほうが上だ。
ミシミシと身体中の骨が悲鳴を上げ、さっそく肋骨にビシッと亀裂が入る。
一握りで優秀な傭兵である商隊員らを握り潰したのだ。防御力が低いマキでは長時間は耐えられない。
「抜け出せ…ない! まずい…!」
「もうっ! いきなり飛び出すからよ! その単細胞な性格、いいかげんになんとかしてよね!」
ユキネがマキを助けようと接近し、鬼女の指に剣撃を叩き込む。
されど、一回、二回、三回と素早く斬りつけるも、まったくびくともしない。
むしろ摩擦で武具のほうが削れそうだ。
「うそっ! 剣より硬いなんて、こんなのあり!? 剣気を出しているんだけど!?」
「危ない! よけろ!」
「えっ―――」
マキを握っていた指の一本、人差し指だけがデコピンをするように跳ね上がり、ユキネを弾き飛ばす。
グランハムの言葉で反射的に剣を盾にしたが、圧倒的なパワーで飛ばされて岩に激突。
「か―――はっ」
背中に強い衝撃を受けて、一瞬感覚がなくなる。
これでも戦気で防御したのだが、ユキネもマキ同様に防御に優れた武人ではない。
背骨が軋む嫌な音が聴こえ、指の攻撃を受けた剣の一本も若干曲がってしまっていた。
「ううっ……ハンマーで殴られたみたい…。こっちは力持ちのゴリラじゃないんだから…勘弁してよね……けほっ」
ユキネは背骨へのダメージと脳震盪で立つこともできない。
たったデコピン一発でこれなのだ。鬼女は防御力だけではなく、攻撃力にも優れていることがわかる。
「ユキ姉は動けないみたい! 早く助けないと…!」
「待て、二の舞になるぞ!」
アイラが慌てて駆け寄ろうとするのをグランハムが止める。
「アンシュラオンの隊は統制がまったく執れていない。命令が出る前に飛び出せば、ああなって当然だ」
「そんな言い方ないじゃんかー! 私は助けに行くからね!」
「独りで動くなと言っているのだ。あっちの傭兵たちも連れていけ。ユキネを助けたらすぐに後方に下がれ」
「あっ…うん。グランハムさんって、意外とちゃんとした人なんだね」
「どういう意味だ?」
「厳しいけど優しい人ってことだよー」
「ふん、部下を見捨てるような者は上に立つ資格はない。わかったら、すぐに行動しろ! 敵は待ってくれんぞ!」
アイラとサリータたちが、ユキネの救助に向かう。
だが、それを察知した鬼女が棘を伸ばして迎撃。
「ひゃっ! 気持ち悪いぃい!」
「アイラ! 頭を上げるな! 刺さるぞ!」
真っ黒な棘が伸びる攻撃は、見た目も気色悪いが、何よりも隙間を埋めてくるので回避が難しい。
アイラが転げ回りながら必死に回避するが、鬼女の足にあった棘が地面を這うように迫ってきた。
「ぎゃーーー! やられるーー!」
「このおおおおおお!」
ここはサリータが上から盾を押しつけて棘を防ぐ。
「ありがとう、サリータさん!」
「これくらいならばと言いたいが…くそっ、数が多いな…!」
「あっ、上からも来るよー!」
「なっ…曲がるのか!」
何度か防ぐが、棘は直線に伸びるだけではない。
真上から弧を描いて伸びてきた棘がサリータに迫る。
慌てて盾で防御するが―――貫通
棘の先端が盾ごと地面に突き刺さった。
「ひぃいい! サリータさんが串刺しになっちゃったー!」
「怖いことを言うな! まだ生きている!」
「あっ、なんだー。そう見えただけじゃんー。びっくりしたなー、もう」
一瞬ひやっとしたものの、即座に盾を捨てて回避に専念したおかげで命拾いだ。
サリータは予備の盾、炬乃未が選んでくれたスパイク付きのものを取り出すが、棘を防ぐだけの防御力がないことには変わりがない。
「命は助かったが盾を失ってしまった。武具もタダではないというのに」
「命を無くすよりはましだよねー。最悪は裸でも生きていけるし」
「それもそうか。アイラが言うと説得力があるものだ」
「俺らがカバーする! お前らは早くユキネ嬢ちゃんを助けてやりな!」
「すまない! ゲイル!」
サリータとアイラがユキネに駆け寄っている間も、鬼女から棘が伸びて妨害してくる。
ただし、商隊員を殺した時のような速度ではなく、ギリギリ回避できるレベルの攻撃が続く。
「あいつ、完全に遊んでいるじゃないか! ムカつくねぇ!」
ベ・ヴェルも大剣で棘を弾いているが、少しずつ身体に傷が増えていた。
動けないユキネをわざと放置していることからも、じわじわと弄んで楽しんでいる様子がうかがえる。
「むしろ好都合だ! こちらが打開するまで傭兵隊はそのまま耐えろ!」
「早くしてくれよ! たまったもんじゃない!」
グランハムも赤鞭を振るって牽制しているものの、鬼女は捕まえたマキを盾にして逆に牽制してくる始末だ。
「キシィルナ、まだ生きているか!」
「こんなやつに…やられるわけ……ないじゃない!」
「それだけ言えれば十分だ」
鬼女も時々力を込めているが、そのたびにマキから真紅の戦気が吹き出て、手の中から赤い光がこぼれるのが見える。
彼女の場合はなぶっているわけではなく、意外としぶといのでなかなか殺せないのが本音なのだろう。持ち前の爆発力が生きた形となっている。
しかし、抵抗にも限界がある。
早く助け出さないと、ミンチにされるのも時間の問題だ。
(全体的な動きこそ緩慢ではあるが、攻撃と防御に隙がない。戦闘力と知能がやたら高いことを考えると、あの竜と大差ないレベルの魔獣だと思ったほうがいいか)
目の前の鬼女は、今まで遭遇した魔獣とは強さの次元が違う。
迫力と威圧感を考えると、アンシュラオンが倒した金竜美姫と同レベル帯の魔獣といえるだろう。
つまりは『殲滅級魔獣』が目の前にいる。
討滅級魔獣の三大ボスすら強敵なのに、それを超える相手なのだから強くて当然だ。
「サナ、顔を狙うぞ! 眼球や口内は外皮より硬くはあるまい!」
「…こくり!」
「メイドの二人は援護だ!」
「私は妻ですよー! ツ・マ!」
「どっちでもいい。適当に敵の邪魔をしろ!」
「かしこまりました」
ホロロがガトリングで鬼女に攻撃。
鬼女は再度マキを盾にするも、さすがに手を開いてしまうと逃げ出されることがわかっているので、握ったまま防御。
貫通弾もたいした効果はなく、次々と皮膚と筋肉に弾かれて流れていく。
跳弾がユキネに当たらないか若干心配ではあったが、そこはゲイルたちが盾で事前に防いでくれるので安心だ。
小百合も煙玉を投げ込んで、敵の視界を塞ぐ。
ついでに大納魔射津も足元に投げてみたが、こちらも敵の防御を打ち砕くことはできなかった。
「『防御無視』の術具が効かないなんて、いったいどれだけ硬いんですか!」
小百合が嘆くが、二人の妨害のおかげで多少ながら敵に隙が生まれた。
そこにサナとグランハムが飛び込み、鬼女の顔を狙って術符を発動。
敵の肘関節の限界を見極めつつ、ギリギリ腕が届かない場所から目に向かって雷貫惇を放つ。
鬼女は上の二本の手を使って、顔を覆うように目元をガード。
術式は弾かれて霧散するが、目を庇った行動が見られたのは大きな収穫である。
ただ、これはあくまで牽制。
続いて地を這うように走り抜けてきたのは、【本命のアル】だ。
「老師、頼む!」
「やるだけやってみるヨ」
アイラにサリータたちをつけたことも、グランハムたちの攻撃も、すべては現状の部隊内で最強のアルを生かすための陽動にすぎなかった。
アンシュラオンよりも小さいアルは、素早く接近して懐に入ると、完全に間合いを掌握。
まずはライザックにも使った覇王技、『点轟三穴』を放つ。
身体には大量の棘があるので狙いは多少ずれるが、腹、みぞおち、喉に高出力の戦気をまとった蹴りが叩き込まれる。
だが、予想通りというべきか軽く皮膚がへこんだ程度で、弾力によってすぐに元通りになる。
(根本的に強固ネ。まあ、こういう相手には違う手段を取るのが一番ヨ。武とは、そのためにあるアル)
久々の『あるアル』にテンションも爆上がりアル!
アルはひとまず身体への攻撃は諦め、マキを捕縛している手に向かうと、指に『風神掌』を叩き込んだ。
この技は掌に風気を宿し、敵の体内に『剄』をねじ込むことによって内部を破壊する技だ。
しかも今回は、それを三発連続で発動。
覇王技、『風神三崩掌』。
因子レベル4の技で、風神掌を三発同時に放つ技である。
単発だけならば比較的扱いは難しくない技だが、三連続となると難度が一気に上がり、その分だけ威力も数倍に向上。
荒れ狂う風気が一本の指に浸透することで、内部の筋肉がズタズタに引き裂かれ、中からの衝撃で皮膚も大きく破れて骨が剥き出しになる。
「お嬢ちゃん、今アル!」
「はぁあああああああ!」
マキが全力で戦気を放出。
自身の炎で火傷をするほどの戦気を生み出し、爆発させて緊急退避。
アルの攻撃でダメージを与えた指を力ずくで押しのけて、なんとか離脱に成功した。
「はぁはぁ! 不覚…だわ!」
しかし、地面に降り立ったマキの左腕は、折れて歪な方向に曲がっていた。
身体にも歪みが見られるので、脊椎に損傷があると思われる。やはりギリギリだったようだ。
「フシュルウウ!」
鬼女の大きな目が、アルをじろりと睨む。
そこには軽い苛立ちに似た怒気が宿っていた。彼女にとっては軽く蜂に刺された程度なのだろうが、それ自体が不快である。
「おや、怒ったアル? やれるものならやってみるといいネ」
アルは煽るようにコサックダンスを踊る。
なぜコサックダンスなのかは不明であり、エセ中華のアルあるまじき行為だが、挑発としての効果はあったらしい。
自身を傷つけた虫を潰そうと、鬼女の下の手が迫ってきた。
アルは『地弄足』で回避。
相手の攻撃は残像を掠めただけにとどまる。
単純な身のこなしだけならば、アルの回避率はアンシュラオンに迫るレベルだ。鬼女の全速をもってしても簡単には捕まえられない。
鬼女は棘の攻撃も交えるが、アルは面白いように攻撃を避け続ける。
「ユキ姉、大丈夫!?」
「…なんとか…ね」
そうやっている間にユキネが救助されて後退していく姿が見えた。
アルが引き付けたことで向こう側の圧力が弱まったのだ。
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