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『翠清山の激闘』編
280話 「第三階層攻略戦 その3『加速する天才』」
しおりを挟む動きが悪いサナを猿たちが狙い始め、容赦ない投石が襲いかかる。
不安定な足場では銃で反撃する余裕もなく、必死に逃げ惑うことしかできない。
投げられた一発の石が足場を砕き、バランスを崩したサナが落下。
ただし、同じ轍は踏まない。
戦気をまとわせた手で樹皮にしがみつき、なんとか落下を免れる。
(戦気の放出はできるようだが、すべてにおいて粗さが目立つ。アンシュラオンめ、こんな未熟者を押し付けるとは…私にどうしろというのだ)
「離れろ! 攻撃の邪魔になる!」
「…っ!」
サナが幹を蹴って離れた直後、下から猿を狙った銃弾が飛んでくる。
しかし、彼女がぶら下がっていたほんのわずかな時間で、相手に隠れる余裕を与えてしまった。
銃弾は素通り。無駄になる。
「落ちる時も場所を選べ! 味方の射線を意識しろ!」
「…こくり」
「勝手に動かれると面倒だ。ついてこい」
グランハムは木々を駆けながら、徐々に拡大しつつある戦線の至るところに顔を出す。
そのためにまず必要なものは『機動力』。
身体的な素早さはもちろん、洗練された戦気術によって一切のふらつきなく、いち早く劣勢な部隊の応援に駆けつける。
猿の集中砲火に晒されていた前衛を見つければ、猿たちを牽制して負担を減らし、猿たちに隙があれば術符で風穴をあけて、それを目印に傭兵たちが突っ込む。
やっていることはアンシュラオン隊のサナの役割と同じ『司令塔』だ。
だが、圧倒的に規模と精度が違う。
「遅い! 一秒の遅れで何人死ぬと思っている! 必死で走れ!」
「…こくり!」
「前に出すぎるな! また射線を塞いでいるぞ!」
「…こくり! はぁはぁ!」
「真上に敵! そこまで近づかれて気づかぬのか!」
「…こくり! はぁはぁ! はぁはぁ!」
この間、グランハムは一度も止まっていない。
直線の速度ではなく、細やかなフットワークによる俊敏性に優れており、前後左右、あるいは上下を使って三次元的な動きで戦場全体を見通していた。
まるで―――『碁盤』
この戦場における味方と敵の位置をすべて記憶し、刻一刻と変化する戦況を常時更新しながら、瞬時の判断によって最善手を打ち続ける。
グランハムの決断に突飛なものは存在せず、堅実に味方を支え、敵の力を削ぐことに注力しているため、徐々にだが確実に戦況は警備商隊が押していく。
サナよりも速く。
サナよりも視野が広く。
サナよりも逞しく。
同じ司令塔で、ほぼ同じようなタイプにもかかわらず、すべての面でグランハムがサナを圧倒していた。
サナも貢献しようと大納魔射津を放り投げるのだが―――横からバシン
投げた大納魔射津を空中で赤鞭が弾き飛ばし、奥にいた猿のほうで爆発させる。
「短絡的に攻撃するな! 何でも攻撃すればよいというものではない! その敵を攻撃した結果を計算しながら動け!」
奥の猿が大納魔射津で吹き飛んだことによって、手前にいた猿たちが孤立。
彼らが慌てて後ろに戻ろうと体勢を崩した一瞬に、銃弾の雨が飛んできて叩き落とし、それを戦士隊が仕留めていく。
もし手前の猿を攻撃していれば、それはそれでダメージを与えただろうが、爆発が壁になって追撃はできず、奥の猿たちは態勢を整えていたはずだ。
「お前は『観察眼』に優れている。相手の位置や特徴を把握することはできるようだが、『戦術眼』には至っていない。百人いようが千人いようが、完璧な連携ができるのはせいぜい五人から十人だ。それがいくつも連なって動いていることを忘れるな!」
誰が相手であれ、集団戦においては数を上手く使ったほうが有利になる。
単体の観察眼ではサナは十分優れているものの、全体を見通す『戦術眼』が足りないのだ。
そもそもこれは当然で、アンシュラオン自身が『味方に対する戦術眼』を持ち合わせていない。単独で戦うことに慣れている者では、サナに戦術眼を教えることは難しいのである。
「レックス隊、アンシュラオンの妹を連れていけ」
「ええ!? 俺らがですか!?」
「勝手に動かれるより、隊に組み込んだほうがましだ」
「そうですけど…お嬢ちゃんとかぁ…」
「では、任せる。ちゃんと管理しておけ」
グランハムは、あっさりとサナを置いていく。
今のサナでは実力に差がありすぎて、足手まといになってしまうのだから仕方ない。
「俺はレックス。こんな身なりでも小隊長だ。よろしくな」
「…こくり」
さきほどグランハムが言ったように、警備商隊の中ではいくつもの小隊が編成されており、基本は五人から十人単位で動いている。そのほうが意思伝達が容易だからだ。
レックス隊もその一つで、彼らは十人によって構成された攪乱部隊だ。そのため全員がグランハム同様に軽装備である。
「不満かもしれないけど、うちは実力主義者なんだ。力がなければ話も聞いてくれないさ。とりあえず一緒についてきな」
「…こくり」
レックス隊は、前衛の戦士隊と援護射撃で正面の敵を圧している間に、迂回して敵の側面に向かう。
その際に敵からの反撃も受けるが、それ自体が相手の攻撃を割くための妨害工作になっている。
「できる限り引き付けるんだ!」
レックスたちも動きを止めない。
常に敵の視界に入るように立ち回り、注意を引いて攻撃を引き寄せる。
だが、激しく細やかな連動した行動に、サナが微妙に遅れていく。
隊が違えば動きも役割も違う。初めて編入された隊ですぐに順応できるわけがない。
そのズレが部隊全体の一瞬の隙を生み出し、隊員の一人の肩を石が直撃。折れはしなかったが骨にヒビが入る。
それが一度や二度ではなく、何度も続くと着実に隊のダメージとして蓄積されていく。明らかにサナが足を引っ張っていた。
ここでアンシュラオン隊との違いが浮き彫りになる。
あそこでは周りにいる者たちが、マキやユキネ、ゲイルといった熟練した者たちであるがゆえに、サナの未熟さがカバーされていたのだ。
多少のミス程度、マキのパワーがあれば打開できるし、ユキネの調整力があれば補ってしまえる。ゲイルたちも淡々と支え、ホロロや小百合に至っては負担が増えても苦にもしない。
しかし、ここは『傭兵隊』だ。
彼らは伊達や酔狂で戦っているわけではない。戦うことで金を稼ぎ、結果を出すことで認められる厳しい社会に生きている。
「嬢ちゃん、もう一歩早く動いてくれ! これじゃ仕事にならねぇ!」
「レックス、このままじゃ損害が増えるぞ!」
「総隊長命令だぞ! 与えられた職場でがんばるんだよ! 文句を言うな!」
「ちっ! 猿ども! 調子に乗りやがって! このクソ野郎が!」
「…はぁはぁ! はぁはぁ!」
ここでは子供で女の子のサナでさえ、上手く動けなかったら罵声が飛ぶ。命がかかっているからだ。誰もが自分のために戦っているからだ。
それらはけっして、アンシュラオン隊では味わえないものばかり。
こうした新鮮な環境が、サナの心と身体に刺激を与えていく。
誰もカバーしてくれない。自分の力だけで生き抜くしかない。
ここに、アンシュラオンはいない!
「石だ! よけろ!」
再び石が飛んでくる。
レックスたちは回避するが、石が飛んでいった先にはひときわ大きな猿がいた。
それが棍棒を持って―――打ち返す!
「なっ―――ぐあっ!」
突如軌道を変えた石が、レックスの背中に激突。
ミシミシと骨が軋み、呼吸が止まって思わず膝をつく。
「レックス、無事か!」
「くそっ…頭にくらっていたらやばかったが、なんとか無事だ。だが、なんだありゃ…」
「今までの猿とは違う種類だぞ。上位種ってやつか?」
「それにしても打ち返すかよ! 遊んでんのか!」
「そうかもしれないが威力がやべぇ。直撃したら死ぬぞ、マジで」
バーナーマンの上位種、『バーナーロイマン〈打投蛇猿〉』。
投げるだけだった通常種とは違い、こちらは棍棒を持っており、打撃にも対応できるように進化していた。
身体も二回りは大きく、手足もがっしりしたパワータイプなので、打ち返した石は投げる時よりも威力を増している。
まさに野球のようだが、石を集めるのが大変だから無駄にしないという、彼らなりの節約術でもあるのだ。
当然、棍棒は石を打ち返すためだけにあるわけではない。
猿特有の森での機動力を生かし、木の上から傭兵隊に襲いかかってきた。
棍棒で傭兵を殴り倒すこともあれば、その長い両手を使って三人まとめて拘束して動きを封じることもする。
これまで遠距離から投げるだけだった戦術に、いきなり変化が生まれたために、場が一時騒然として荒れていく。
「慌てるな! 上からの奇襲だけ注意すれば、そこまで怖れる相手ではない!」
すかさずグランハムが、戦況を落ち着かせるために動き回り、上位種を倒していく。
ただし、続々と奥から上位種がやってきて、さらに通常種も増えていくので対応が間に合わない。
「いったい何匹いやがる!」
「総数は千もいないはずだ! 『吸命豊樹』で回復して戻ってきているにすぎん! だが、死者は蘇生できないはずだ! 確実に一体ずつ仕留めていけ!」
吸命豊樹が生み出す実には、命気に近いレベルの回復力がある。
もちろんそれにはある程度の副作用があるものの、命がけで自らの縄張りを守ろうとする魔獣たちが、そんなことを考慮するはずもない。
これを打開するには、実が尽きるまで消耗戦に付き合うか、グランハムが言うように一頭一頭仕留めるのが確実だ。
「…じー」
「これじゃ消耗戦になるな。レックス、一度戻ろうぜ」
「ああ、そうだな。お嬢ちゃんもいることだし、後退したほうが―――」
レックス隊も一度中列に戻ろうとした時だ。
一瞬目を離した隙に、サナが飛び出す。
「なっ…お嬢ちゃん! どこに行く!」
「そっちはまさか…猿の中に突っ込む気か!?」
「待つんだ! 危ないぞ!」
サナは警告を無視して突っ走る。
そのスタンドプレーには、猿たちも驚きの視線を向ける。
まさか単独でこの大きな群れに戦いを挑む者がいるとは、さすがの魔獣も思っていなかったからだ。
「…はっ、はっ! はっ、はっ!」
戸惑いと敵意が入り混じる針のような視線が突き刺さる中、サナは動きを止めない。
枝を足場に跳躍し、時には猿を足蹴にして前に進む。
一歩、また一歩。
敵の圧力が強まり、石が投げつけられ、棍棒が額を掠っても、その小さな身体を前に前に押し上げていく。
周囲を観察し、瞬時の判断力で適切な足場を選び、自身の体重をしっかり支える。
足の裏に戦気を携えて。
目的地を見据えて。
加速―――する!
迷いなく強く足を一歩踏み出すごとに、サナが速度を上げて猿の群れを突き抜けていく。
猿の手がすり抜ける。
猿の驚く目玉が見える。
彼らの毛並みの一本一本すら、くっきり見えていく。
意識が加速する世界ですべてがスローモーションになり、肌に感じる荒い息遣いと体温が、敵と味方の位置を教えてくれる。
今、後方からはレックスたちが命がけで追いかけてきてくれている。
猿たちの戸惑いを感じ取った戦士隊も、地上で押し上げてきてくれている。
さらにグランハムもそれに合わせて、違う方向から敵陣に突入を開始している。
それらの嗅覚や聴覚、触覚が『碁盤』となって表示され、相手の中枢を頭の中に描き出す。
猿たちは群れで動いている。群れがあるのならば、それを統率する者がいるはずだ。
「…ぎろり」
敵陣を突破したサナの瞳に、一頭の猿が映り込む。
見た目はバーナーロイマンだが、毛の色がやや明るく、目の色もわずかに異なる。
バーナーロイマンの特殊個体、『バーナーハロイマン〈指令打投蛇猿〉』だ。
猿は人間ほど戦術を弄しないが、それでも群れを率いる者がいる。指示を出している存在がいる。それがこの猿だ。
サナが黒千代を抜き、一気に接近。
「キィ!?」
驚いたハロイマンは、咄嗟に周囲の猿を盾にして後ろに下がる。
サナは盾になった猿を切り裂き、さらに接近。
そうすれば相手はまた下がり、他の猿を盾にする。
斬る、下がる、斬る、下がる。斬る、下がる。
その物量の前になかなか肉薄できないが、ここでさらに―――加速!
サナの魔石が光り輝き、速度が上昇。
刀身にも雷がまとわりつき、攻撃力が激増したサナが猿を蹴散らし、ハロイマンを間合いに捉える。
そして、首を狙った斬撃が放たれた。
完全に捉えた一撃だ。これは避けられない。
と思った瞬間―――ミシィイッ
「…っ!?」
他の猿から放たれた石が、振り上げたサナの腕に命中。
篭手によってダメージはなかったため、そのまま刀を振ったが、狙いが逸れて腕を斬り落とすにとどまってしまう。
命拾いしたハロイマンは逃走を図る。
怪我も吸命豊樹があれば治せる可能性があるからだ。
しかし、そんな彼の目の前に―――バラララララッ
大量の術符が球状に展開され、それが一斉に起動。
0.001秒ごとの時間差で発動した五十枚の『雷刺電』が、全方位からハロイマンを貫く。
因子レベル1の術式ではあるものの、これだけの数に加え、一つ一つが極太の針となった雷に全身を貫かれれば、感電して地面に落下。
そのまま絶命に至る。
「勝手に飛び出すな! 常に考えてから動けと言ったはずだ!」
そこにいたのはグランハム。
赤鞭でサナを捕まえると、強引に引っ張って緊急退避。
それを見たレックス隊も慌てて反転。
去り際にグランハムが再び大量の術符を撒いたことで、なんとか脱出路を確保できて戻ることに成功。
「このまま圧し勝つ! 強引にでも攻めろ!」
その後、再びザ・ハン警備商隊が盛り返し、猿たちを後退させることができた。
指揮官がいなくなった猿の群れが、明らかに統制を欠いていたことが最大の要因だ。
こうなれば集団ではなく単なる烏合の衆であり、バラバラに逃げていくことしかできない。
こうして最初の目標は達成―――
したものの、夜になって怒声が響く。
「愚か者! 単独で動く馬鹿がいるか! 何を見ていた!」
「………」
「レックス、お前もだ!」
「ええ!? 俺もですか!? いやぁ、あれはどうしようもないですって…」
「こいつはアンシュラオンの妹だぞ。飛び出すことも想定しておけ!」
「は、はい…すんません」
危険な行動を取ったサナが、グランハムに説教されていた。
ついでにレックスにも飛び火しているのが哀れだ。
「まったく、あの男はどんな教育をしているのだ。どうやら一から常識を教えてやらないといけないようだな。明日からもっと厳しくしてやるから覚悟しろ!」
「…こくり」
「明日もレックス隊に入れ。わかったな」
「…こくり」
サナは素直に頷くと、レックスたちと一緒に夕食を取っている。
いろいろとあったが、どうやら仲良くなったようだ。
グランハムが自分の野営地に戻ると、メッターボルンが待っていた。
「お前がそんなに熱心な家庭教師になるとは思わなかったな」
「何の話だ?」
「本当に面倒ならば、わざわざ教える必要はないだろう? それともそっちの趣味があったのか?」
「馬鹿を言うな。あまりに無鉄砲で見ていられないだけだ」
「そのわりには『術符の連続同時起動』まで使ったではないか。久々に見たぞ。お前のあれは討滅級魔獣でも一瞬で倒す奥の手だ。あの娘に見せるためだけに使うにはもったいないが、それほどの器か?」
「単に敵の指揮官を逃がしたくなかっただけだ。だが、アンシュラオンのスレイブ趣味は理解できんが、あの娘は間違いなく『天才』だ。何よりも学習性が異常だ。まるで赤子が見たもの聞いたものを貪欲に吸収するように、たった一日で私の足運びを真似てしまった」
「まだまだ未熟だ。お前には及ばない」
「当然だ。あんな子供には負けぬ。が、数年後はどうかな。いや、この速度では一年後、あるいは半年後でさえどうなっているかわからない。なにせあのアンシュラオンの妹だ。大きく化けるかもしれん。どうせ数日のことだ。面倒くらい見てもよかろう」
「最初は面倒を見ないと言っていた気がするがな」
「実際に見て、気が変わったのだ」
そう言うと、自分のコテージに入っていった。
普段の彼は自分にも他人にも厳しく、誰に対する評価にも忖度はしない。アンシュラオンに対しても、実際にその力を見てから判断していたほどだ。
そんな男が、サナを天才と評する。相当気に入った証拠だ。
だが、メッターボルンは違うことを危惧していた。
「グランハムのやつ、ロリコンに目覚めなければよいが…」
こうしてサナの深部討伐一日目が終了。
いろいろあったが、実りある経験ができた一日であった。
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