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『翠清山の激闘』編
279話 「第三階層攻略戦 その2『グランハムという教材』」
しおりを挟む侵攻開始、二十六日目。
森林第三階層、深部への攻撃が始まった。
標的は、三本の『吸命豊樹』という植物型魔獣だ。
北西にある『ガッツァント〈軍隊針蟻〉』が管理する樹には、ベルロアナ率いるファテロナ隊六百と、グラス・ギースを支持していたハンター・傭兵混成隊千五百が参加し、約2100人で攻撃予定。
北にある『オグロンビス〈弩弓牛〉』が管理する樹には、アンシュラオン隊と、人喰い熊でも活躍した特別討伐隊を含むハンター五百および傭兵五百が参加し、約1000人で攻撃予定。
北東にある『バーナーマン〈手投蛇猿〉』が管理する樹には、グランハム率いるザ・ハン警備商隊、約1200人による攻撃が予定されていた。
混成軍の中でも突出した三つの隊による同時作戦に、拠点に残る者たちは若干の興奮をもって見送る。
ベルロアナ隊は、拍手の中での出陣。
アンシュラオン隊は、熱烈な野次と歓声の中での出陣。
そして実績のあるグランハム率いるザ・ハン警備商隊も、傭兵たちの羨望の眼差しを受けながら出発し、森の中を進軍していた。
頑強な全身鎧を着た第二警備商隊が先頭を歩き、次に中距離を得意とする第一警備商隊が続く。その後に後方支援と物資搬送を担当する第三警備商隊が続いていた。
ザッザッザ。
ガシャガシャガシャ。
「…とことこ」
ザッザッザ。
ガシャガシャガシャ。
「…とことこ」
成人男性が茂みを踏みならし、鎧や武具の金属音が響く中に軽やかな音が交る。
それに気づいた傭兵たちが、ふと後ろを振り返ると、そこには黒い少女がいた。
「ん? なんだ? 女の子?」
「アンシュラオンの妹じゃないか。なんでこんなところにいるんだ?」
「お嬢ちゃん、ついていくところを間違えているぞ。ハンターたちは北の牛が担当だろう? こっちは北東の猿が相手だ」
「…こくり」
「わかったら、さっさと戻りな」
ザッザッザ。
ガシャガシャガシャ。
トコトコ。
ザッザッザ。
ガシャガシャガシャ。
トコトコ。
「あれ? まだついてくるぞ?」
「さっき頷いてなかったか? 言葉は通じるよな?」
何度か話しかけて注意するも、サナは気にした様子もなくついてくる。
どうやらすべて理解したうえでの行動のようだ。
さすがに気になったので、メッターボルンとグランハムにも報告が入る。
「おい、グランハム。アンシュラオンの妹がついてくるらしいぞ」
「すでに波動円で補足はしている」
「一人なのか?」
「そのようだな。過保護なあの男にしては珍しいことだ。いつもならば最低でもメイドは一緒にいるはずだが…」
「どうする? 放っておくと戦いに巻き込まれるぞ。さすがに子守りは御免だ」
「仕方ない。一度止める」
グランハムは行軍を止め、サナを呼ぶ。
「何をしに来た? お前の兄の担当は中央だ」
「…こくり」
「ここは我々の担当だ。自分の隊に戻れ」
「…ふるふる」
「もしや、我らと一緒に行くつもりか?」
「…こくり」
サナの視線はグランハムに向けられていた。
これによって狙いが彼であることが確定する。
「はははは! 色男はつらいなぁ! こんな小さな子供にもモテモテではないか! ははははは!」
「ふん、アンシュラオンがそんな理由で妹を派遣するものか。何か別の魂胆があるのだろう。一緒に来るのはかまわんが、お前の面倒を見る義理はない。怪我をしても知らぬぞ」
「…こくり」
「邪魔はするなよ。お前たちもこいつには関わらなくていい。放っておけ」
そのままサナは、グランハムの後ろについていく。
「おー、可愛い子だな。飴でも食べるか?」
「…こくり。もごもご」
「立派な刀を持っているじゃないか。使えるのかい?」
「…こくり。ぐっ」
「兄貴がホワイトハンターなんだから、妹も強いのかもな」
「歳がだいぶ離れているらしいぜ。まだ子供さ」
「何か困ったことがあったら、おじさんたちに言うんだぞ」
「…こくり」
ザ・ハン警備商隊は当然ながら全員男であるため、サナのような女の子が帯同することはない。
あまりの愛らしさにグランハムの命令を無視し、周囲の傭兵たちも珍しがってサナを歓迎する。
魅力が高いせいもあるだろうが、なぜか彼女は人々から愛される資質があり、ここでもその能力が発揮されているようだ。
(アンシュラオンめ、何が目的だ? やつの性格上、一人で来させるわけがない。おそらくは小型闘人でも忍ばせているのだろう。地下に一匹…二匹……それ以上はわからんか。相変わらず堂々と人間離れした力を使うものだ)
グランハムが波動円で探知できたのは、モグマウスが二匹だけだ。
サナの護衛がその程度であるわけがなく、まだまだ潜んでいるだろうが、グランハムをもってしても見つけられないことが怖ろしい。
「そろそろ猿の縄張りに入るぞ。攻撃準備だ」
第三階層の森は縦にも大きく、樹高三十メートル以下の木は存在しない密林地帯である。
猿たちの住処は特に顕著で、幹も太い大樹ばかりが並ぶ一帯だった。
当たり前だが、魔獣は自分が住みやすい場所で生活する。人間にとっては過ごしにくくとも、猿たちにとってはここがマイホームなのである。
そして、グランハムが命令を下した数十秒後のことだった。
木の上に、二百頭近い黒い影が現れる。
鱗で覆われた蛇のような顔をした猿で、手足が長いのが特徴の『バーナーマン〈手投蛇猿〉』という魔獣だ。
彼らは大半を木の上で過ごし、ツリーハウスを作って生活する器用な魔獣でもある。
そんな彼らの攻撃方法は―――
「石を投げてくるぞ! 注意しろ!」
メッターボルンたちが盾を構えたところに、猿たちが一斉に石を投げつけてきた。
長い腕から投げられる石が、剛速球となって襲いかかる。
頑強な鎧を着ている戦士隊は見事に耐えたが、流れ弾に当たった傭兵が吹っ飛んで気絶。
見れば、金属製の兜が凹んでおり、頭部から出血していた。
ヒポタングルも石や岩を活用していたが、この投石という攻撃手段は意外と効果的かつ厄介だ。魔獣の筋肉から放たれる石は、時速三百キロを軽く超える。
野球のボールでさえ危険なのに、投げる石には金属が含まれた硬いものや、割れるとナイフのように鋭いもの、果ては当たった瞬間に砕けて周囲に散弾のように弾けるもの等、さまざまなものを投げてくる。
戦気があまり強くない者たちは、重鎧や大盾でもなければ攻撃を防ぐのは難しいだろう。
「第二商隊は前進! 押し上げて圧力をかけろ! 第一商隊は援護射撃だ! お返しに銃弾の雨をくらわせてやれ!」
メッターボルンたちが盾を構えながらじりじり近寄り、相手の陣地に少しずつ侵入していく。
そのたびに投石は激しくなるが、屈強な戦士隊は一歩も引くことなく進んでいく。
だが、防御に手一杯で盾以外は使えない。
そこに中衛の第一警備商隊が、射撃で猿たちを攻撃。
木々が邪魔をするので直撃した弾は少ないものの、弾幕を張るだけで相手は圧力を感じるものだ。
下からは盾を構えた屈強な戦士も近寄ってくるので、どちらに対応してよいのかわからずに、相手の攻撃対象もバラバラになっていく。
「所詮は猿だな。まともな戦術も持ち合わせていないか。中衛は援護射撃を継続! 身軽な者は私に続け! やつらを木の上から地面に叩き落とす!」
グランハムが木の上に跳躍。他の者たち十数人も追随する。
投げつけられる石をかわしながら接近し、赤鞭を使って猿を叩き落とす。
猿は途中の枝にしがみつくも、銃弾の雨に襲われて地面に落下。
バーナーマンの投石が怖いのは、木の上から投げられるからだ。同じ高さでの勝負ならば、重装備の人間のほうが強い。
一気に押し込んだメッターボルンたちが、落ちた猿に群がって斧や剣を叩きつけて仕留めていく。
「腕を狙え! 登れなくなれば脅威ではないぞ!」
メッターボルンの指示で、狙うは腕だ。
こちらの猿は猿神のグラヌマとは異なり、さほど高い防御力を持っているわけでもないので、腕を切り落とした段階で勝負あり。
何よりもザ・ハン警備商隊の連携が見事で、次々と落とされる猿を順調に仕留めていった。
しかし、そこにいつもとは異なる違和感がつきまとう。
(誰かがついてくる。この気配は…)
グランハムが木の上を移動している時、背後から追跡される気配を感じ取る。
その気配は、彼が通った道をトレースするように、ぴったりとついてきた。
そこにいたのは―――サナ
(この動き方、まさか真似ているのか? なるほど。アンシュラオンのやつ、私を『妹の教材』にするつもりらしい。見せるだけでは飽き足らず、直接体感させようというのか)
なぜサナを警備商隊に帯同させたのか。
その理由は、グランハムにサナを鍛えてもらおう、というなんとも図々しいもののようだ。
サナが成長し、達人認定されるようになったため、より高いレベルの教育を施すのが目的である。
(アンシュラオンの妹か。もともとは白スレイブだったようだが、あれだけの武人が妹にするのだ。その理由は気になる。…いいだろう。やれるものならばやってみるがいい)
グランハムは速度を上げて木の上を駆ける。
サナも速度を上げて追跡する。
しかし、ここで最初の違いが生まれる。
熟練した武人は、足の裏に戦気を集中させることで摩擦を自在に操り、垂直の壁すらも走ることを可能にする。
アンシュラオンに至っては命気を使うことで、一切の痕跡を残さないことも可能だ。
それがサナの場合、まだ戦気を扱い始めたばかりなので上手く足裏に集中させることができず、もともと子供であることも相まって、一歩一歩の距離がかなり短くなってしまう。
それによって、すぐにグランハムに置いていかれる。
「どうした? アンシュラオンから戦気の使い方を教わっていないのか? そうやってちんたらしていれば、恰好の的になるぞ」
木の上をノロノロ動く者がいれば、当然ながら目につくものだ。
人間とて素早く動く虫は苦手でも、ゆっくり動く虫ならば、しっかり狙いをつけて―――投げる!
「…っ!」
サナは飛んできた石を跳躍してかわす。
だが、次々と放たれる石に全部は対応できず、三発ほど被弾。
陣羽織によって守られたものの、木からずり落ちて地面に戻されてしまった。
その間にグランハムは、次の木に移動して猿を叩き落としている。
「…じー」
サナは、じっとグランハムを観察。
何が自分と違うのか。どうやって移動しているのか。どんな工夫をしているのか。
グランハムは戦気の総量がさほど多いわけではないのに、長時間動き続けても疲れることはなく、動きが鈍くなるわけでもない。
必要な場所に必要なだけ戦気を送り込むことで、無駄な消費が少なく、極めて効率性が高い燃焼をしているのだ。
それができるのも長年の修練で優れた戦気術を体得しているからだ。はっきり言って、戦気術の扱いだけならばマキよりも数段上だろう。
グランハムは、アンシュラオンがわざわざ教材に選ぶだけの実力者なのだ。
(もうついてこられないか。アンシュラオンの妹は、この程度か?)
グランハムが戦いながら周囲を見回すと、サナが木を登ってくるのが見えた。
二つの足だけでは間に合わないため、手も使って必死に登ってくる。
今度は適当に登るのではなく、しっかりと体重がかかりやすい場所を選んでいるため、あっという間に木の上にまでやってきた。
「やる気はあるようだな。だが、まともに戦気術を扱えない者が、私についてこようとは、さすがになめすぎだ」
グランハムの鞭がサナに向かって放たれる。
サナは登ったばかりで、ちょうど動けない体勢。完全に死に体だった。
だが、鞭は彼女を通り過ぎると、その背後から向かってきた石に激突して破壊。
グランハムは即座に雷貫惇の術符を取り出し、石を投げた猿に向かって放って仕留める。
その威力は普通の武人とは違い、鋭く大きな雷撃が放出されたので、魔力の値も高いことがわかるだろう。
「ここは戦場だ。弱い者から死んでいく。さっさと帰るのだな」
「…ふるふる」
「強情なやつだ。次は助けんぞ」
サナが次の段階に進むためには、この男に追いつかねばならない。
だが、グランハムの壁は大きく厚かった。
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