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『翠清山の激闘』編
263話 「遅れた報告書と戦気修練」
しおりを挟む「以上が今朝になって届いた報告書の内容だ」
アンシュラオンがグランハムから報告書を渡される。
そこにはスザク軍が、いきなり三大ボスの一角と遭遇して大打撃を受けた記録が載っていた。
「スザクも災難だね。険しい山岳地帯での奇襲は、もっとも恐れていたものだ。それが空からだとすると誰だって対応できない」
この時代は『女神の規制』によって、人間が空を飛ぶことが禁じられている。飛び跳ねることは可能でも、継続した揚力は搔き消されてしまうのだ。
こうなると規制なく空を飛べる魔獣が圧倒的に有利となる。
山道をひいこら歩いている兵士たちを、軍用ヘリが襲来して機関銃で狙い撃ちする光景を思い浮かべてほしい。彼らの機動力を考えれば戦闘機と言っても過言ではないかもしれない。
まだ軍全体の調整が終わっていないスザク軍がこれだけの被害を受けたのは、致し方のないことである。
「オレ個人はこっち側を急襲してくると思ったけど、向こうに来るとは意外だったな。それだけスザクが狙いやすかったんだろうね」
「敵が撤退した理由は何だと思う?」
「資源を狙ったのならば単純に時間稼ぎじゃない? それと魔獣側は山が住処だから、あえて戦場にしたくない気持ちもあるはずだ。ここでスザク軍が撤退してくれれば楽になるからね。逆にいえば、そこで一気に叩くだけの戦力がなかったのかもしれない」
「なるほど。長期戦になれば数で勝るスザク軍も立て直す。敵は強い個体だが、逆に百程度しか派遣できなかったと見るべきか」
「奇襲は無防備な相手に全攻撃力を叩きつけることに意味がある。あれ以上やっても相手が対応してきて、消耗戦になっていただろうね。マスカリオン・タングルって魔獣はかなり頭が良いみたいだ。知能はほとんど人間と変わらないね」
「マスカリオン自体も厄介だが、一番の打撃は連絡網の破壊だろう。この報告書は十日以上前のものだ。現在はどうなっているかわからない」
これらは伝書鳩を介さずに人が足で運んできたものだ。
ただし最重要機密なので簡単に受け渡しができず、わざわざグラ・ガマンからハピ・クジュネ経由で送られてくるから時間がかかる。
「ここには拠点作りに時間がかかっていることまでしか書かれていないけど、現状がわからないってことは都市に撤退しなかったのかな?」
「おそらくはそうだろう。スザク軍が撤退してしまえば、我々やハイザク軍が孤立する可能性がある。それ以前に総司令官の立場上、安易に逃げ帰ることはできないはずだ」
「魔獣がそれをどれくらい認識しているかだね。スザクが重要人物だと知られれば本気で潰しにいく可能性もある。それを防ぐためには、こっちの最大戦力の動向が肝心だ。ハイザク軍はどうなっているの?」
「順調に進んでいるようだが、進めば進むほど連絡が減ってきている。こちらもヒポタングルたちに妨害されているようだ。スザク軍を襲った群れの数が少なかったのは、山全体に妨害部隊を配置しているせいだろう」
「山の中はあいつらのテリトリーだからね。さすがに簡単にはやらせてくれないか。この様子だと、まだまだ一波乱もふた波乱もありそうだ」
「ひとまずスザク軍の状況がわかっただけでも朗報だ。この情報を基にして敵の戦略を考察することができる。こちらも猿神の出現には気をつけねばなるまい」
「オレたちのターゲットの熊の動きも気になるけど、まずは森の熊さん退治かな」
「いけそうか?」
「だいぶ人選は進んだよ。明日の夜に仕掛ける」
「夜でいいのか? やつらは夜行性だぞ?」
「まあ、こっちは本職のハンターの集まりだ。任せておいてよ。そっちはそっちで敵の戦略の解析と第三階層の攻略準備を頼む」
「わかった。熊のほうはプロに任せる」
「じゃあ、オレは戻るよ」
アンシュラオンは部屋を出ると、頭の中で翠清山脈の地図を思い浮かべる。
(魔獣のやつら、かなり戦場をワイドに使っているようだな。さすがにいきなり連絡網を潰してくるとは思わなかった。こっちは三万の軍勢といえば凄く聞こえるけど、総数は向こうのほうが何倍も上だし、実際は山のほうが遥かに大きい。相手のホームタウンなんだから動きを見定めるのは難しそうだ。こうなると本当にいつどこで猿と出会うかわからないから、今のうちにサナたちの強化を進めておきたいな。次はガチの殺し合いになるだろうからね)
自身の野営地に戻ると、そこではサナたちが戦気の修練をしていた。
「アル先生、みんなの調子はどう?」
「始めたばかりにしてはいいほうアル」
今日はアルも普通に樽から出て、皆の指導役をしてもらっている。
もともと達人かつ老師とも呼ばれていただけはあり、教えるのがかなり上手い。今では基礎はアルに任せ、アンシュラオンは個別にアドバイスすることにしていた。
「戦気の修得って、こんなに時間がかかるものなんだな。オレはやろうと思った瞬間に出せたんだけど」
アンシュラオンが戦気を使いだしたのは、自我がそこそこ芽生えた三歳の頃。
パミエルキに「ほら、出してごらん?」と言われてすぐに出せたので、「これは面白い!」ということで遊び道具になっていたくらいだ。
「それはユーの肉体が最初から活性化していたせいヨ。たまにそういう特別な身体を持っているやつがいるアル。ミーも満足に出せるようになるには数年かかったネ」
「アル先生でも数年か。そう考えると上達速度は悪くないほうかな」
「…ふー、ふーー」
サナを見ると、身体からほんのり戦気に近い波動が出ていた。
サリータにも押し合いで勝ったことから、半分は覚醒している状態なのだろう。あとは何かのきっかけで修得できるかもしれない。
ただし、特殊な条件下であっさりと戦気を修得する場合もある。
「あっ、これ! 出たんじゃないですか!?」
「本当だわ! 小百合さん、すごいわね!」
ここで小百合に変化が起こる。
身体から風が渦巻くようにオーラが出るようになったのだ。
「でもこれ、マキさんのと少し違いますね。緑っぽくないですか?」
「それは風気ね。風属性をまとった戦気よ。通常は普通の戦気を出してから属性変化を覚えるものなのだけれど、いきなり風気は珍しいわね」
「きっと魔石のせいアル。ユーが魔石の影響を受けて自然と風属性に変化したネ。半分は身体に流れている魔石の循環エネルギーのおかげヨ」
「それなら納得です。鍛錬が遅かった一般人の私が、サナ様より先に出せるようになるなんて常識的におかしいですもんね」
「私のほうも何か出ましたが…ご主人様に近いような気がします」
「それは水気ネ。ユーも魔石の影響を受けているヨ」
続いてホロロも澄んだ色の水気を生み出す。
本来戦気は激しい闘争本能が顕現したものだが、魔石経由で『身体が変質』したこともあり、魔石の特性が色濃く出ていることがわかる。
だが、属性があっても戦気は戦気。
これによって劇的に身体能力向上が見込めるようになる。
(本当はサナに一番最初に出してほしかったが、焦ることはない。あの子の魔石は強すぎるからな。少しずつ慣らしたほうが最終的には強くなる。それに比べて―――)
「アイラ! なんだその戦気は! 昨晩と変わっていないじゃないか!」
「当たり前だよー!? 半日ですぐに変わるわけないじゃんー!」
「言い訳はいらん。最下位を脱出したければ努力して結果を出せ!」
「環境に差がありすぎるよー! 私もジュエルが欲しい!」
「お前もスレイブになりたいのか?」
「あっ、スレイブにならないといけないんだっけ。えー、どうしようかなー。そんなになってほしいなら考えなくもないけどー」
「じゃあ、べつにいいか」」
「距離が遠い! もう少し寄ってきて!」
(そうか…オレの傍にいるってことは、こいつもスレイブになるってことだよな。今のところ異変はないけど、やっぱり映像を見るのは不安だな。まあ、その時にまた考えるか。まずはこの作戦で最低限使えるくらいにはしておかないとな)
アイラ自身はただの間抜けな女子高生で害はないが、やはり映像のことも気になっているので、珍しくアンシュラオン自身が迷っていた。
だが、いつかは向かい合わないといけない問題なので、時が来たら覚悟を決めることにする。
それからサリータとベ・ヴェルの様子もうかがう。
「はあああ!」
「ぐぬううう!」
「二人とも力が入りすぎだよ。筋力じゃなくて【意思】の力を使うんだ。身体はその媒体にすぎない」
「そうは言われても、ついつい力が入ってしまいまして…」
「じゃあ、逆に『戦気の集中』の訓練をしてみようか。手でも足でもいいから、一番意識が向く場所に集中してみて」
「意識が向く場所…左手でしょうか?」
サリータが自分の左手を見る。
いつも盾を持つ側の腕だ。
「そういえば、サリータさんは左利きだったね」
「はい。一番力が出ます」
「バランスの観点からいうと両腕を鍛えたほうがいいんだけど、左利きの武人はあまりいないみたいだから、そのまま左手を鍛える方向でいってみようか。左手に集中してみてくれる?」
「腕に集中。体内の生体磁気を…集めて……粒子と化合する…。集まれ…集まれ!」
「無駄に力を入れても出ないよ。小学生が『かめはめ波』を撃つんじゃないからね。手の筋肉を使っても意味がないんだ」
かつての小学生ならば、誰もがそれを試した経験があるだろうか。
当然出せないので、手の筋肉を一生懸命動かして終わることになる。まさに黒歴史だが、その想像力は大切だ。
「意思の力で戦気をイメージするんだ。ん-、そうだな。絵描きが絵を描く時にはすでに頭の中でイメージが固まっているけど、あれに近い感覚だね」
絵を描くという行為は出力する行為にすぎず、実体はすでにイメージの中にある。
戦気もそれと同じで、自分が思念でイメージしたものを肉体を使って物理的に表現することに近い。
センスや才能がある者というのは、それが最初からできるか、上手い人間のことを指すのだ。
「ほら、もう一回やってみよう」
「はぁあ!!」
「まだまだ固いよ」
「うひゃっ!」
尻を軽く叩くとサリータの膝が崩れ落ちる。
「手に集中しながらも周囲の状況を感じ取るんだ。そうしないと危ないからね。わかった?」
「は、はい!」
「戦気は本能的なもの、いわゆる闘争本能だよ。『戦う気』と書くんだから、戦闘のためにあるのは間違いない。ほら、目の前に敵がいると思って集中してごらん」
「ううう…うおおおおお!」
サリータは必死に感情を奮い立たせようとするが、失敗。
生体磁気に多少の変化はあるようだが、まったく戦気の形にはならなかった。
「う~ん、まだ戦気のレベルには達していないね」
「申し訳ありません…」
「こりゃ難しいよ。あたしらは要領がよくないからねぇ。小難しいことを言われても理解できないのさ」
「ベ・ヴェルさんも才能はありそうなんだけどなぁ」
「さん付けも性に合わないねぇ。雇われているようなもんだし、普通に呼び捨てのほうがいいさ。なぁ、サリータ?」
「そうですね。自分たちは教えを乞う立場です。アイラのように、もっと厳しくしてくださってかまいません!」
「二人がそうしたいならそうするよ。じゃあ、サリータとベ・ヴェルは、サナと一緒に夜までずっと戦気の練習だ」
「はい!」
「あいよ!」
「じゃあ、またしばらくしたら見にくるよ。どんな時でも全力で挑むんだ。努力は必ず実るからね」
アンシュラオンがサナのアドバイスに行ったので、傭兵二人が目を合わせる。
その顔は興奮していて、赤みがさしていた。
だが、これは訓練によるものではない。
「ベ・ヴェル、こ、この感じ…わかるか?」
「わ、わかるよ。悔しいけど…なんか…」
――― 「「すごく―――イイ!」」
二人の言葉が重なる。
べつにアンシュラオンは男に話すように接しただけだが、それが二人には刺激的に感じられたようだ。
(この感じ、やはり…イイ! 男に命令されて、こんなに気持ちいいなんて初めてだ!)
女性扱いされて喜ぶのが普通かもしれないが、常に男と張り合ってきた二人からすると、逆に自分たちが屈服するほどの男に命令されることが快感に感じてしまうようだ。
その意味においては、スレイブに適した人材なのかもしれない。
とはいえ今まで肉体だけで勝負してきた彼女たちは、戦気の修練で苦戦している様子がうかがえる。はっきり言えば体力馬鹿で、頭を使うことに慣れていないのである。
だが、焦ることはない。
(逆に考えればいいんだ。簡単に修得してしまうと教える楽しみがないじゃないか。そしてこのノウハウは、今後新しい女性を増やしたときにも有効のはずだ)
そこそこ経験がある傭兵でも、こうして戦気を使えないことがあることがわかった。それだけでも収穫といえる。
言い換えれば、差はそれだけにすぎない。足りない部分は自分たちが教えれば済む話だ。
戦気は程度の差はあれど、基本的には誰でも出せるはずである。
どんなに絵が下手な人間でも、何十年もやっていれば少しは上手くなるし、何かのきっかけでいきなり目覚めることもある。
大切なことは継続すること。それが重要なのだ。
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