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『翠清山の激闘』編
257話 「白い魔人の妻 その3『リズホロセルージュ〈神狂いの瑠璃鈴鳥〉』」
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ベ・ヴェルがホロロに追いつくと、そこは木々の無い少しだけ開けた場所だった。
一見すると、丸いリングのようにも思える。
「わざわざおびき寄せた場所が、ここかい?」
「さしたる意味はございません。あなたにとって、このほうが戦いやすいと思ったにすぎません」
「はっ! あくまであたしに対するハンデってわけかい! つくづく余裕ぶってくれるねぇ!」
「あなたにお訊ねしたいことがあります。アンシュラオン様について、どれくらい知っておりますか?」
「ホワイトハンターだろう? 強いうえに金もある。あとはそうだね、あんたみたいな女をはべらして楽しむ酔狂なやつみたいさね」
「なるほど、よくわかりました。やはりというべきか、まったくご主人様の偉大さを理解しておりません」
「そりゃそうさ。まだ数回しか会ってないからねぇ」
「私はたった一度出会っただけで、あの御方の崇高さを思い知りました。それがわからないということは、あなたには『資格』がないようですね」
「資格? なんだいそりゃ。言っておくけど、あたしはあんたらの仲間になりたいなんて思っちゃいないんだ。勘違いするんじゃないさね」
「あなたの意思など関係ありません。ご主人様が望むかどうかですべてが決まるのです。あの御方の愛が大きいがゆえに、これからも多くの女を身内にしてしまうでしょう。たとえば、あなたのような安易な考えしか持たない者でも、広い御心で抱きしめてしまうのです」
「言ってくれるねぇ。で、あんたはそれが気に入らないってわけだ」
「ご主人様の御心に異を唱えるわけではありません。そのようなことは誠に畏れ多いことです。ただし、『しつけ』は必要です。神への信仰心を持たぬ者を再教育する必要があります」
「さっきからなんだい! あたしはね、偉そうにしているやつの鼻っ柱をへし折るためだけに傭兵をやっているのさ! それはあんたらみたいなやつのことさ!!」
「他の下賤な者に対して、そのように振る舞うのはよろしいでしょう。しかしながら我々に同じ思いを抱くことは、まさに不敬。そんなあなたには身の程を知っていただきます」
「やってみなよ!! 一発はぶん殴ってやるからさ! それでその綺麗な顔をぐちゃぐちゃにしてやるさね!」
「今のあなたには永遠に不可能です」
「はっ、そいつはどうかねぇええ!」
ベ・ヴェルが手に持っていた石を投げつける。
柔軟で大きな筋肉から発せられた石は、もはや投石機と同じ。
避けたホロロの背後にあった木の幹を大きく抉り、中にめり込む。
ベ・ヴェルもまた小百合同様、石を使うことを思いついたようだ。ただ、彼女の場合は『環境闘法』とは多少考えが違う。
「悪いねぇ。まともにやるつもりなんてないのさ! 恥をかかされた借りを返したいだけなんだよ!」
「何の問題もございません。もしお望みならば、こちらをどうぞ」
ホロロがポケット倉庫から大剣を取り出して、ベ・ヴェルの前に放り投げる。
「装甲車の補強用に買っておいた残り物です。どのみち大剣を扱える者はおりませんので、あなたにプレゼントいたします。どうぞお使いください」
「………」
「妨害はしません。遠慮なく拾ってください」
「…ここまでコケにされたのは久々だよ。あいつならば拾わなかっただろうけど、あたしはどんな手を使っても勝ってみせる!」
ベ・ヴェルとサリータは体格は似ているが、性格は正反対だ。
正々堂々と潔く戦おうとするサリータに対して、ベ・ヴェルは勝つことを優先していた。
だから大剣を躊躇なく拾う。
「この身を削ったっていい! 薬や道具を使ってもいい! 何をしても勝つのさ! どうせいつか死ぬんだ! それならば大きい博打を打ってもいいだろう! あんたが言い出したんだ。文句はないだろうね!」
「あなたもサリータのように馬鹿だったら、どうしようかと思っていたくらいです。何をしても勝つ。それは常々わが主がおっしゃっていることです。この世の中は負ければ終わりなのですから」
「そうだよ! 勝たなきゃ意味がない!」
ベ・ヴェルが土を蹴り上げ、目潰しを図る。
彼女の脚力で蹴り上げた土はかなりの量で、よけるよけないは関係なく視界を覆ってしまう。
鈴は動くたびに鳴っているため、まともにやっても当たらないことを知っているからだ。
その間に大剣を大きく振り上げて接近。
ホロロに向かって振り下ろす!
だが、彼女はよけない。
それどころか片手で―――受け止める!
ギリギリ受け止めたとか、なんとか防いだというレベルではない。
軽々と片手で大剣を握りしめ、まるで子供が扱うビニールの剣を大人が受け止めるごとく、一ミリも押されずに素手でキャッチしたのだ。
「なっ…うううううっ!! くおおおおおお!」
ベ・ヴェルは押し込もうとするが、ホロロは微動だにしない。
それどころか彼女の瞳が、冷徹な赤い色を帯びる。
その輝きを見たベ・ヴェルの背筋に悪寒が走った。
(なんて目をしているんだい! これが人間の目なのか!?)
氷のように冷たく残忍な視線。
いつでも足で踏み潰せる虫けらを見る目つき。
それはアンシュラオンが『魔人化』した時と同じ種類のものだ。
雷の精霊王であるシャクティマすら、ガンプドルフに「逃げろ」と警告した時の恐るべき気配が、ホロロからも滲み出る。
「まったくもって無知で愚かな生き物です。あの御方に愛された私に本当に勝てるとでも思っていたのですか? 本当に少しでも届くと考えていたのですか? 愚か、愚か、愚か! それこそご主人様への侮辱!」
ホロロが力を込めるたびに、ビシビシと刃に亀裂が入っていく。
いくら市販の普通の剣とはいえ、武器は武器だ。品質はともかく鉄製品だ。素人でも振れば人を殺せる力を持っている。
それを素手で、この大女の腕力すら凌駕するパワーで握りしめ、ついに破壊。
バリンと砕け落ちた刀身の欠片を踏みつけ、ホロロがベ・ヴェルを睨みつける。
「あなたには罰を与えねばなりません。徹底的に打ち砕き、性根を叩き直し、ご主人様に仕えるに相応しい下僕に仕上げてみせます」
「な、何を…だからあたしは、あんたらの仲間になんて―――」
「だまらっしゃい!!」
「っ―――」
「偉大なる神の前でひれ伏さないだけでも、私は本当に苛立たしいのです! 誰が、誰が、誰が偉大か!! あの御方だけが神!! 世界を打ち壊す神なのです! それをそれをそれを! なんたるなんたるなんたるぅううううう! なんたる不敬!!」
「あ、あんた…だ、大丈夫かい? あ、頭の話だけど…」
「ふふふっ…あははははは! 私は『四番目』でよいのです。しかし、私だけがサナ様のお世話を命じられたのです。神がもっとも大事になされている、あのサナ様を! この私に託された!」
チリンとひときわ強い鈴の音が鳴ると、ホロロの首の魔石が輝きを増す。
これはスレイブ・ギアス。
アンシュラオンがホロロを信頼し、愛した証。
それは白い魔人の力を受けて変質を始め―――ついに出現!
「…と、鳥?」
ベ・ヴェルの視線の先、ホロロの背後に瑠璃色の鳥が浮いていた。
体長は三メートルはあり、翼を含めると横幅のサイズは六メートルはあるだろうか。
だが、ただの鳥ではない。
一つ一つの羽先には鈴が付いており、翼を広げるとチリリイインッ!と大量かつ強力な鈴の音が鳴り響く。
その音の衝撃がベ・ヴェルを突き抜けると、身体に付着していた鈴も共鳴を開始する。
激しい鈴の音の合唱が発生。
直後、麻痺したようにベ・ヴェルの身体が硬直する。
「ぐっ…か、身体が……動かない…!? ま、魔獣なのかい!? どこから現れたのさ!」
「これは神が私に与えた力。不敬なる者に罰を与え、調教するための偉大なる力の片鱗を、その身をもって味わいなさい」
「っ!」
鳥の羽が全方位から飛んできて、ベ・ヴェルの身体中に突き刺さる。
硬直していることもあるが、突然周囲に出現したために、存在に気づいたのは刺さってからだった。
痛みはないが、それによってさらに大量の鈴が身体に付着。
「また鈴かい! こんなもんで何をするってのさ! たかが音でびびるとでも思ってるのか!」
「自分が何をされているかも理解できない愚か者。最初にあなたに付けた鈴は『警告』にすぎません。しかし、その警告を無視した不埒な輩には『悔恨』が訪れます」
浮いた鳥の足に【鳥籠】が出現。
上部が丸みを帯びた美麗なデザインだが、格子の内部は棘状になっており、内部に入れた存在を絶対に逃がさないという強い意思を感じさせる。
「と、鳥が鳥籠を持って…何をするのさ」
「ふふふ、怯えているのですか?」
「だ、だれが―――ぎゃはっ! な、なんだい! 急に痛みが!?」
「『見えない』とはかわいそうなものですね。すでにあなたは鳥籠の中の鳥。矮小な存在なのです。いいでしょう、ご自分の哀れな姿を見せて差し上げましょう」
ベ・ヴェルの周囲に、うっすらと半透明の檻が出現。
それはまさに、今鳥が抱えている鳥籠そのものであった。
「さぁ、愚かな者に罰と痛みを与えなさい!」
ホロロがその鳥に命じると、一気にベ・ヴェルの周囲の鳥籠が小さくなり、彼女を圧し潰そうとする。
それ自体も強烈な力だが、棘が突き刺さり激しい痛みを与える。
だが、不思議なことに血は出ていない。それなのに痛みだけはリアルを超えて過剰なほどに感じさせていた。
「ぐううっ…ううう……」
「さすがは傭兵でございます。痛みには強い耐性があるようですね。しかし、これは『調教』のための道具。あなたの弱さをさらけ出す力。自分の意思でどうにもならない痛みを味わいなさい」
「ぎゃっ!! ぐあううううううう!?! ひぎいいいいいいっ!」
リーンリーンと鈴が鳴るたびに、全身に耐えがたい衝撃が走る。
痛みには慣れているはずの彼女でさえ、思わず転げ回りたくなるほどの激痛だ。
(痛い…! 腹を搔っ捌かれるよりも何倍も痛い!! こんな痛み、耐えられない…!)
「んぎいいいいいいっ!! きゃはあっ!! や、やめろ…! だ、出せぇええええ!」
ベ・ヴェルがいくら暴れても鳥籠は締めつけをやめない。
むしろそのたびに鈴は増えていき、響く鈴の音がますます重複していく。それだけで気がおかしくなりそうだ。
どんなに抵抗しても、どんなにあらがっても、痛みが彼女を襲い続ける。
元凶は当然ながら、目の前にいる鳥である。
その正体こそ―――
(ホロロさんの【魔石獣】が顕現したか。今のところ制御はできているみたいだな)
アンシュラオンが、ホロロの【リズホロセルージュ〈神狂いの瑠璃鈴鳥〉】を観察。
これはサナの魔石を調整する際に出た『青雷狼』と同じ存在だ。
魔石がアンシュラオンの力を受けて変質し、素材になった元の魔獣の性質をさらに強化して『守護獣』が生まれる現象である。
魔石の鍛錬を重ねていくにつれて、ホロロが真っ先にこの力に目覚めた。その理由は、白い魔人への強い信仰心にあると思われる。
どれだけアンシュラオンに服従し、どれだけ忠誠を誓うかが、この力の発現に必要な要素になっているのだろう。
この点ではギアスが100%発動しているサナが一番強いが、その次に彼女が目覚めたのは自然な結果ともいえるだろう。
ホロロにとってアンシュラオンこそ、現実を破壊してくれた正真正銘の神なのだ。
魔石獣の目が血走っている様子が、なおさら狂信ぶりを感じさせて相対する者に恐怖を与えるだろう。
(それにしても、えげつない能力だよな。あの鈴は精神と神経に直接結びついているから、筋肉をいくら動かしても耐えることはできない。ひらすら我慢するしかないが、人間には必ず限界がある。終わりのない拷問には耐えられないんだ)
ソブカもラーバンサーという拷問士を用意していたが、彼が物理的な拷問を得意とするのに対して、ホロロは精神的な拷問を行っている。
最初に見えた鈴は『警告の囀鈴』というスキルで、神経の動きを感じ取った鈴が相手の動きを教えてくれるものだ。
ただし、鈴を付けずともホロロ当人には聴こえるので、あくまで可視化させることで相手に動揺を与え、周囲の仲間に警告を与えるためのものだ。
また、動揺させることでさらに精神に隙が生まれ、より侵入しやすくなる効果もある。
(そして、ベ・ヴェルさんの動きを止めたのが『束縛の嘶鈴』。サナの魔石獣が使った咆哮の雷をまとっていない版とでも思えばいいかな。あれと比べると威力はかなり低くて範囲も狭いけど、ショック状態に陥らせることができるのは強みだ)
これは相手に『警告の囀鈴』が発動していると成功率が劇的に上昇する『状態異常攻撃』である。
従来の『リズカセージュ〈瑠璃羽鳥〉』は、その間に敵から逃げるのだが、ホロロの魔石獣はもっと攻撃的に進化している。
その後に『悔恨の鈴籠』で束縛した敵を閉じ込め、『罪痛の鈴棘』で相手にひたすら痛みを与える。
すでに述べたように精神に直接作用する痛みなので、踏ん張っても意味はない。たとえるのならば、剥き出しの歯の神経を鋭い刃物でガンガン抉り、叩いているようなものだ。
こんなことをされれば、いくらベ・ヴェルとて心が折れそうになる。
「はーーーはーーーー! がっ…ぁああっ…あー、あーーー!」
「どうですか? ご主人様の偉大さがわかりましたか?」
「くそくら…え―――あぎいいいいいいい!」
「なかなか調教しがいのある精神をしておりますね。抵抗してくれたほうが私の能力の実験台になりますから大歓迎です。しかし、あなたの怒りや反発心は、あなた自身の【劣等感】から来るものです。他人に気を許せないのは、それだけ逆に依存心が強いからです」
「あんたに…なにが……」
「ふふふ、さらけ出しなさい。そして、痛みに狂って転げ回って、神を求めるのです!!」
「ふざけ―――ぎっぎいいいいいいい! ごぼっごご」
もうベ・ヴェルは、涙やよだれや胃液を吐き出し、失禁さえしている。身体は完全に痛みに屈してしまっていた。
その状態でも逆らおうとする気迫は見事ではあるが、ただの人間ふぜいが【白い魔人の眷属】に勝てるわけがないのだ。
しかも彼女は、その上位にあたる『白い魔人の妻』なのである。
―――序列四位
神であるアンシュラオンと最上位である序列一位のサナは別格として、次にマキと小百合が続き、その次に彼女が君臨している。
この順位は、そのまま強さに直結するのである。
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