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「海賊たちの凱歌 後編」
183話 「アズ・アクスの事情 その3『姉妹の苦悩』」
しおりを挟む「初めまして。炬乃未と申します」
女性は、深々とお辞儀をする。
その姿勢麗しい立ち振る舞いから、彼女の心の美を垣間見ることができる。
「オレはアンシュラオン。よろしくね」
「このたびはご来店、誠にありがとうございます。わたくしが打った刀をお持ちと聞きましたが?」
「うん、ハビナ・ザマで卍蛍と一緒に買ったんだ。とても素晴らしい刀だね。妹も気に入っているよ」
「それはとてもうれしゅうございます。鍛冶師として刀を評価していただけることは最高の喜びです」
そう言うわりに炬乃未の表情は少し沈んでいた。
(すごい美人なんだけど、なにか陰のある女性だな。儚いというか弱々しいというか…)
「まずは座ってよ。いろいろとお菓子もあるからさ」
「はい。失礼いたします」
「炬乃未さんは休業中なの? いつから?」
「三年前までは鍛冶をやっておりましたが、現在は事務のほうを手伝っております」
「三年前ということは、ライザックの政策が発令されてからだよね。それが嫌だったのかな?」
「…いいえ。それとは関係ないことです。きっかけになったのは事実ですが…」
「そっか…あまり深く訊くのも失礼だよね。じゃあ、この素材なんだけど、炬乃未さんはどう思う?」
「これは…面白いものをお持ちですね。魔獣のものですか?」
「四大悪獣の心臓だよ。ただ、呪われているからまだ使えないんだ。火乃呼さんなら浄化できるって聞いたけど、炬乃未さんにもそういう能力があるの?」
「ディムレガンとして一般的な炎なら扱えますが…姉ほどではありません。姉さんは特別なのです」
「姉妹は特殊な能力を持っているらしいね。姉の火乃呼さんが特殊な炎を扱えるなら、炬乃未さんは何ができるの?」
「………」
「ああ、他人の能力を安易に聞くのはご法度だった。気を悪くしたらごめんね」
「大丈夫です。私には…特に何もありません。鍛冶師としても二流です」
「どうして? こんなにすごい刀を打てるのに?」
「それは…たまたま出来たものなのです。私の実力ではありません」
「そうかな? オレが見た限りじゃ、これが偶然出来るものには見えないよ。積み重ねた修練と裂帛の気迫が伴わないと、こんなに美しいものは作れないはずだ」
「そんなことは…」
「武術も同じさ。同じような結果になっても過程は絶対に違うし、やっぱり実力通りにしかならないんだ。こんな刀が打てるんだ。君はすごい鍛冶師だと思うよ」
「…ありがとうございます」
(うーん、なかなか響かないな)
困ったように里火子を見ると、彼女も苦笑いを浮かべる。
「ごめんなさいね。炬乃未はちょっとスランプなのよ」
「三年前から?」
「もっと前ね。その刀を作ってしばらくしてからだから、十年以上も前になるわ」
炬乃未の見た目は十代後半くらいだが、ディムレガンなのですでに何十年も生きているのだろう。人間の感覚でいえば数年前なのかもしれない。
「黒千代の出来が良すぎたせいかな? そういうのってよくあるよね」
「それもありますが、それは『約束の刀』なのです」
「特別なものなの?」
「鍛冶の道は、『地層鉱物』と『魔獣鉱物』に分かれておりまして、どちらか一つに特化するか、両方を満遍なく修得するかを選べます。特化しない場合は、どちらも高いレベルのものを打つことはできません。ですからわたくしたち姉妹は、互いに違う道で一流になることを誓いました。その時に打ったのが、その二本の刀なのです」
「鉱物の話は、ハビナ・ザマ支店のお姉さんから聞いたなぁ。たしかディムレガンは魔獣鉱物のほうが得意なんだよね?」
「普通のディムレガンはそうです。ですが、わたくしは魔獣鉱物に対する適性が低く、そこにあるような素材の加工には向いていないのです」
「この子はそう言いますけどね、そこらのディムレガンの鍛冶師より数段上なんですよ。ただ、姉妹だからどうしても比べちゃうみたいでね」
「………」
「はいはい、ごめんなさい。お母さんは黙っていますよ」
炬乃未に睨まれて里火子が口に手を当てる。
おそらくは「姉と比べて」ということなのだろう。
「オレも化け物みたいな姉ちゃんがいるから、その気持ちはわかるよ」
「…おわかりになられますか?」
「そりゃもう。あんな非常識な人に勝てるわけがないよ。正直、勝負とかになったら逃げる選択肢しかないかな。比べるなんてとんでもない。…でも、君はそうは思っていないんでしょ? 心の中では対抗できると思っているんじゃない?」
「そのようなことは…才能が違いすぎます」
「もしそうなら、オレみたいに最初から比べたりはしないよ。君はきっと約束を果たそうとがんばっていたんだね。それで結果が伴わなかったから、ちょっとだけ落ち込んでしまっただけさ。そもそも普通のディムレガンが苦手な分野に挑戦しているんでしょ? 火乃呼さんのほうは地層鉱物は得意なの?」
「当人は、その刀…卍蛍が精一杯と言っておりました。姉は苦手な分野でもそれだけのものが作れるのです」
「それならば君だって魔獣鉱物で他の人よりも数段上のものが作れるんだ。何も変わらないじゃないか。むしろ君のほうが大変な道を選んでいる。そこに挑戦しようとする気持ちはすごいよ」
「そのようなことは…」
「炬乃未さん」
「は、はい?」
アンシュラオンが炬乃未の手を握る。
それによって驚いた彼女の視線が、初めてアンシュラオンと合った。
「初めて目を向けてくれたね。オレのこと、ちゃんと見てなかったでしょ?」
「っ…」
「冷たい手だね。鍛冶をやめてから君の時間も止まってしまったみたいだ」
「………」
「でも、オレにとって君は唯一の希望なんだ。見通しが立たない暗闇の中で、唯一頼るべき光なんだよ。オレが求めているのは誰でも使えるような陳腐なものじゃない。君みたいな優れた鍛冶師が気持ちを込めて打った、魂が宿った本物の力なんだ。どうかオレに力を貸してくれ」
「あ、あの…わたくしは……やはりまだ…」
「見て。この子は君の刀をこんなにも大事にしている。まだまだ子供だから完全には使いこなせないのに、いつか自分の刀になると信じて疑っていない。そうだな…言ってしまえば、妹は君のファンなんだ」
「ファン…ですか?」
「そうだよな? 大好きだろう?」
「…こくり。ぎゅっ」
サナも炬乃未の手を握る。
「改めてお礼を言いたい。妹を何度も助けてくれてありがとう」
「…こくりこくり」
「そのような…わたくしは……たまたまで…」
「大丈夫。諦めなければ乗り越えられる。君ならばやれる」
「なぜ、そう言いきれるのですか?」
「君が美しいからだ」
「っ…!?」
「アンシュラオン様、ストップです!」
「小百合さん、いいところなのに!」
「これ以上は妻としてストップをかけさせてもらいますね。ワイフストップです!」
ドクターストップならぬ、ワイフストップ。なんだかいやらしい響きに感じてしまうのは、心が腐っているからだろうか?
「あー、その…なんていうかさ、べつに口説いているわけじゃなくて、アズ・アクスに来たらこんな状況で、オレもどうしたらいいのかわからなくてね。そんなところに君が残っていると聞いて本当に嬉しかったんだ」
「いえ、お気持ちはしっかりと伝わってきました。ありがとうございます」
「少しは元気になってくれたかな? 女の子はそうやって笑っているほうが可愛いからね」
「か、可愛いなどと…そのようなことを言われたことは…ありません」
「そうなの? こんなに可愛いのに? べつにディムレガンと普通の人間は結婚してもいいんだよね?」
「もちろんよ。ただ、子供には血が強いほうの特性が出るようで、だいたいディムレガンになってしまうわね」
「そうなんだ。オレからすると尻尾があるかどうかの違いしかないけどね。尻尾があるってどんな気分なんだろう?」
「あっ…さ、触っては…いけません。あぁっ…!」
「くすぐったいの? このハートのところって可愛いよね。ぐりぐり」
「ち、違うのです…。そこは…はぁぁ……!」
「アンシュラオン様! ディムレガンの女性の尻尾は、夫にしか触らせないものなのですよ!」
「そうなの!? ごめんね。ぐりぐり」
「あはぁあぁぁあああ!」
さらに追い打ちで触ってしまう。
女性がこんな声を出すとわかれば、手が勝手に動いてしまうのは男の性である。申し訳ない!
「はぁはぁ…酷いです。誰にも触らせたことがないのに…」
炬乃未は真っ赤になった顔を手で覆うが、尻尾はいまだにブンブンと動いているので相当恥ずかしかったようだ。もしかしたら性感帯なのかもしれない。
「いやー、ごめんごめん。ついつい楽しくなってさ。ほら、顔を見せてよ」
「むぅ…」
「さっきより力が抜けてずっと可愛くなったね。いろいろ訊いてもいいかな?」
「…はい」
「お姉さんと一緒に行かなかったのはどうして?」
「わたくしが同行しなかった理由は、鍛冶師として休業していることもありますが、姉の態度にも問題があると思うからです。姉もライザック様も、もう一度よく話し合うべきだと思います」
「君はライザックの方針をどう思っているのかな?」
「ライザック様の政策に関しては、鍛冶師として思うことはありますが、何か理由があるのでしょう」
「理由…か。まあ、いくつか思い当たる節もあるけどね。まだ人間関係がよくわからないんだけど、君たちとライザックは知り合いなの?」
「成長の度合いは違うものの、幼馴染として昔は仲良くしておりました。特に姉は一時期、付き合っていたようないないような微妙な関係でしたが、ライザック様のお見合い話が出てから険悪になり、ご結婚を機に完全に袂を分かったように思えます」
「へぇ、ライザックって既婚者なんだ。じゃあ、今回のことは痴情のもつれなのかな?」
「そこまでの関係ではなかったようですが…姉は色恋沙汰には不器用ですので、態度をはっきりしなかったのも問題なのです。父も今までのことで不満が溜まっておりまして、その一件に便乗したように見受けられます」
「うーん、こうなるといろいろ大変だなぁ…。ますますややこしい話になってきたよ」
「あの、ところで…その包丁は?」
「ああ、オレが初めてアズ・アクスに興味を持つきっかけになったものだよ。まあ、どうやら廃棄物になっていたのを行商人が裏ルートで手に入れたものらしいけどね」
「見せていただけますか?」
「どうぞ」
「………」
「そうそう、このV・Fって人なんだけど―――」
「これは【姉が作ったもの】です」
「…え? 姉って…火乃呼さん?」
「はい。間違いありません。この刃の感覚は姉のものです。隠そうとはしていますが、わたくしにはわかります」
「あらま、そうだったの? 全然気づかなかったわ。だって、あの子が包丁を作ったなんて聞いたこともなかったもの」
「お母さんは鍛冶師ではないからわからないのです。それにこの微妙な癖は、妹であるわたくしにしかわからないものでしょう。どうやら炎を使わずに作ったもののようですし」
「炎って、ディムレガン特有の炎のこと?」
「その通りです。普通の火を使っています。しかし、この刃から伝わる感情は……迷い? それでも真摯で健気で……でもやはり怒って苦悩して……ああ、姉さんの気持ちが伝わってくるようです」
「すごいな。刃から感情を読み解くなんて、まるで武人同士の戦いみたいだ」
「戦い? …そうかもしれません。わたくしたちは常に火と戦い、鉱物と戦い、その闘争から何かを生み出すのです。それがディムレガンの本質なのでしょう。あの…不躾で申し訳ありませんが、この包丁を少し預かってもよろしいでしょうか?」
「かまわないよ。最近は料理にしか使っていないし、べつにそれでなくても大丈夫だからね」
「包丁本来の使い方ですね」
「だって包丁だもん」
「ふふ…そうですね」
「それじゃ、オレたちはもう行くよ。薬奉旅館というホテルに泊まっているから、何かあったら連絡してね。すぐに来るから」
「お力になれず、申し訳ございません」
「炬乃未さん、オレは君を信じるよ。誰かに期待されるのは重荷かもしれないけど、何もなかったらつまらないだろう? ここに小さなファンがいることも忘れないでほしい」
「…こくり」
「また来るよ。バイバイ」
アンシュラオンたちは見送られながら帰っていった。
残された炬乃未は、包丁をじっと見つめている。
「お母さん、姉さんも迷うことがあるのかしら?」
「当たり前でしょう。あんなムラっ気のある子だもの。毎回迷ってばかりいるわよ。そのくせ、いざ打つとなったら何も考えないのだから、たいした性格をしているわ」
「…姉さんはライザック様に応えようとしていた。なんとか力になろうとがんばっていたのは間違いないわ。私たちに隠れて、こんなものを打っていたくらいだもの」
「恥ずかしかったのね。でも、結局はちゃんと仕上げもせずに投げ出しちゃったわ。交渉だって男女関係だってそう。全部がいいかげん。その時の感情次第。流されるまま。そういうところもあの子らしいわ」
「でも、一流の鍛冶師よ」
「そうね。そこだけはすごいのよね」
「やっぱり姉さんたちは、もう一度話し合うべきだと思うの。お母さんは、さっきの彼のことをどう思った?」
「彼は信じてもいいと思うわ。気配りができるし自分に正直だし…何よりも器が大きいわ。お母さん、浮気しちゃおうかなぁ」
「お父さんが泣くわよ」
「二年も妻を放っておくほうが悪いわ」
「………」
「あら? 本気にした?」
「ううん。そっちじゃなくて…私、もう一度…打ってみようかな」
「そう。上級のほうの鍛冶場はいつでも空いているわよ。今は誰も打つ人がいないもの」
「いきなり始めたら…変じゃないかな?」
「いきなりもなにも、あなたはずっと鍛冶のことを考えているでしょう? 頭で考えていたことが、ようやく身体に伝わるだけのことよ。おかしくなんてないわ」
「…怖いの。良いものが出来ないんじゃないかって…良いものにしないといけないって思うと…自信がなくて…」
「火乃呼と半分こにするとちょうどよいのにね。でもね、炬乃未。火乃呼は火乃呼よ。あなたはあなたなの。どうしてアズ・アクスが二本の斧で出来ているか知っている? 一本じゃ完成しないからよ。小さい斧が支えてあげないと、大きな斧は立つこともできないの。あんなに立派なのに自分で立てないなんて可笑しいわよね」
「…私、小さな斧なのね」
「不満?」
「ううん。姉さんみたいに生きることはできない。同じ真似はできないもの。私は小さくても緻密に真面目にしっかりと、使う人を守るようなものを作りたい。もし私を待ってくれている人がいるのならば…また打てそうな気がするの。手…まだ温かいから」
「彼が種火をくれたのね。時間はいくらでもあるわ。がんばりなさい」
「…うん」
「だけど、お嫁に行くのはお父さんの許可が下りたらよ」
「へ? ち、違っ…なんでそんな話!?」
「ああいう本能的に女に優しくできる人は、総じて女たらしなのよ。雰囲気からしてメイドの女性もきっと妻の一人ね。あなたも気をつけないと、ころっとやられちゃうわよ。あら、もう半分はやられちゃったかしら。うふふふ」
「ち、違うんだから! そうじゃなくて…」
「はいはい、母はすべてわかっていますよ」
「も、もうっ…!」
「でも、彼ならば火乃呼をなんとかできるかもしれないわね。そんな気がするわ」
「…うん」
(アンシュラオンさん…わたくしの小さなファンの妹さん、もう少し待っていてください。この手に炎の熱が戻るまで…)
炬乃未は包丁を見つめながら、そう決意するのであった。
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