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「海賊たちの凱歌」編

145話 「信じる覚悟」

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 アンシュラオンは、ハピ・ヤックでゆったりとした時間を過ごしていた。

 朝から昼間にかけてはサナと修練をし、あまり強い魔獣はいないものの、たまに周辺の魔獣を狩ってはハローワークで換金する。

 それだけでも滞在費は稼げてしまうし、普通に生きていれば使いきれないほどの貯金もあるため、あくせくと生き急ぐ必要はない。

 夕方になれば、いつもロリコンとの待ち合わせに使っている『海宋かいそう食堂』に向かう。


(この道も慣れたもんだな)


 そんなことを思いつつ、サナとホロロと一緒に下り坂を歩いていくと、大きな湖が見えてきた。

 ハピ・ヤック名物の『塩湖』だ。

 かつてはここまで海水が流れ込んでいた地形だったが、度重なる地殻変動によって生まれた湖のようだ。

 北の山脈からも地下水が流れ込み、海が近くて比較的雨が降ることも多いため、塩湖が枯れることはない。

 海宋食堂はこの塩湖に併設された食堂で、テラス席は湖の上にあるので観光客には非常に人気がある。


「…じー、ばしゃばしゃ」

「はは、楽しいか?」

「…こくり」


 サナは夢中になって蟹や海老に似た生物を捕まえようと水に手を入れていた。

 その姿は潮干狩りに来た子供そのものだ。無邪気に遊んでいる。

 それを見て、またじんわりと心が熱くなるのを感じた。


(サナを通じて心の中に熱い感情が流れてくるようだ。もしかしたら、オレ自身が一番こんな生活を求めていたのかもしれないな)


 前世も今もスローライフとは無縁な人生だった。ただただ闘争だけが存在し、心が休まることはひと時もなかった。

 激動と無為な時間を交互に繰り返し、心が完全に死んでいたのである。

 それがサナたちの存在ですべて満たされる。


「こうして一緒にいると、オレたちって家族みたいだね」

「っ…ご主人様……それは…ぽっ。今晩もがんばらせていただきます!」

「ホロロさんは、今の生活は幸せ?」

「もちろんでございます。私はご主人様たちと出会えて本当に幸せなのです。このような幸福感を味わえるなんて今でも夢のようです」

「オレもなんだか夢を見ている気分さ。少しゆっくりしすぎている気もするけど、こういう人生もいいよね」


 穏やかな気持ちで眺める湖には、いくつもの小船が出ていた。

 その中の一つがこちらに近寄ってくる。

 船の上には釣竿を持ったロリコンがいた。


「ロリコン、魚は釣れた?」

「まあ、ぼちぼちだ。こんなもんかな?」

「やっぱりロリコンか。小さな魚ばかりだ」

「そこは関係ないだろう」

「またまた。狙ってるくせに。逆にこれを狙って釣るのは難しくないか?」

「さすがに魚は大きいほうがいいって。食べるには小さいから、普通に店で魚を注文したほうが早いな」


 食堂では自分で釣った魚を調理してもらうサービスがあり、釣竿や小船もセットで借りることができる。

 ハピ・クジュネに行かずとも新鮮な魚を味わえるように、人工的に魚を放流して養殖しているようだ。


「毎日釣りをしているけど飽きないの?」

「ほかにやることもないしな。そろそろハピ・クジュネに行くか?」

「んー、もう少しゆっくりしてもいいかな。このあたりは平和すぎて怖くなるけど、サナにとってはいい体験になっているっぽいしね」

「そうだな。このあたりは大都市にはない穏やかさがあっていいよな。それだけ金があるんだ。牧場でも経営して暮らすか?」

「それもいいね。憧れるよ」


 その後、ロリ子とアロロとも合流し、テラス席に座って夕食を取りながら落ちていく夕焼けを見つめる。


(幸せだな。火怨山の生活も嫌いじゃなかったけど、こういうのも満たされるよ)


 従順な女性と日々愛し合い、可能性の塊であるサナを育てる喜びを知る。まさにリア充の結婚生活そのものだ。

 思わずうたた寝をしたくなるこんな平和な日が、いつまでも続けばよいと思う。

 がしかし、現実はそこまで甘くはない。

 目に見えないところでは、いつだって厳しく冷たい世界が広がっているのだ。


「アンシュラオン殿、ここにいらしたか! 捜しましたぞ!」

「あれ? 警備隊のおっちゃんか。そんなに慌ててどうしたの?」


 食堂の帰り道、ホテルの前で警備隊長と遭遇。

 彼は門にいた兵たちの上司であり、あれから何度かハピ・ヤックの詰所に訪れたので仲良くなったのだ。酒やツマミの差し入れをすることもあり、今ではもう顔なじみであった。

 相手が敬語なのは、アンシュラオンがホワイトハンターであることが伝わっているからだ。隣接した施設なので情報がすぐに洩れてしまうらしい。(セキュリティがザルすぎる)


「実は緊急の連絡が入りまして、『例の件』でまもなく大きな動きがあるようなのです」

「そうなんだ。進展があってよかったね」

「それはよかったのですが、アンシュラオン殿にも来てほしいとのことでして、詰所に来てもらえますか?」

「オレも?」

「はい。以前お会いした三人組…スー様より指名が来ております。扱い的には協力要請となりますが、どうされますか?」

「たしかにあの三人とは一度会ったけど、名前を教えたかな?」

「ともかく一度来ていただけると助かります」

「わかった。ロリコン、ちょっと行ってくるね」

「おう、俺たちはもう部屋に戻ってるぞ」

「私はお供いたします」


 ロリコンたちと別れ、アンシュラオンとサナとホロロの三人が、警備隊の詰所に赴く。

 そこでは慌しく武装の準備を整えている警備兵たちがいた。

 いつもは使わない大きな銃も倉庫から引っ張り出しているようだ。


「ハピ・ヤックの警備隊も出動するの? 街の防備が手薄にならない?」

「いえ、我々は参加せずに街の防備をさらに強化します。連中の関係者が内部にいるかもしれませんので検問を厳しくするのです」

「それならパトロール隊だけでやるの? ほかの隊も合流するのかな?」

「そこまではわかりませんが、ここで待機しろとの命令です。もうすぐ追加の指令が来ると思いますので、しばしお待ちください」


(慌しいな。でも、緊急の出動ならこんなものか)


 気分的には、免許の更新に警察署に行ってぼけっとしていたら、なんだか奥のほうで防弾チョッキを着た大量の警官が動いているのを見た気分だ。

 つまりは他人事である。

 多少ながら関心はあったものの、今のアンシュラオンにとって盗賊は少しムカつく程度の迷惑な存在にすぎない。

 がしかし『彼女』が来た瞬間に、それは自分の問題へと変わる。


「アンシュラオン様! よかった! やっぱりおられたのですね!」

「―――え!?」

「小百合です! あなたの妻の小百合ですよ!」


 突然飛び込んできた小百合が、アンシュラオンに抱きつく。

 さすがにこれは予想していなかったので、驚いて身動き一つ取れなかった。


「さ、小百合さん!? 本当に小百合さんなの? あっ、このおっぱいは小百合さんだ!」

「アンシュラオン様…! 会いたかったです! でも、こんなことをしている場合じゃないんです! 早く助けてください!」

「ちょ、ちょっと落ち着いて! 何があったの!?」

「ううっ…マキさんが…マキさんが! 独りで残って…」

「マキ…さん? え? マキさんもいるの!?」

「そうなんです! 早くしないと大変なんです!」

「わかったから順を追って説明して!! まずは座ろう。ね?」

「…はい」


 小百合をなだめてソファーに座らせ、お茶を淹れてもらう。

 温かくて甘い紅茶を飲んで安堵したのか、今までのことを落ち着いた様子で語ってくれた。

 まだ驚きは隠せないものの、だいたいの状況は理解する。


「マキさんがそんなことに…。まさかオレを追ってくるなんて…」

「勝手に追ってきて助けを求めるなんて、本当に恥ずかしいことだとは思います。でも、アンシュラオン様しか頼れる人がいないのです!」

「…わかっているよ。全部オレのせいだ。もっと早く責任を取っておけばよかったんだ。本当にごめんね。オレにもまだ覚悟が足りなくてさ。今度はちゃんと守るからね」

「アンシュラオン様…! よかった…! やっぱりアンシュラオン様はアンシュラオン様です!!」


 小百合が涙を流しながら、さらに強く抱きつく。


(小百合さんがこんなに心を乱すなんて…。そりゃそうだ。どんなに明るくて綺麗でも一般人の女性だからな。こんなことがあれば心細いに決まっている。しかし、あのマキさんがあえて捕まるような相手か。やはり普通の盗賊じゃなかったんだな。だが、術具屋のおっちゃん程度ならまだしもオレの嫁に手を出すとは許せん)


 この瞬間、ア・バンドたちはアンシュラオンの敵となった。

 どこで因果が廻っているかわからない。最悪の男を敵に回してしまったものである。


「大丈夫だよ。あとはオレに任せておいて。で、その盗賊のアジトってのはどこ?」

「それは私から話そう」

「あっ、あの時のおっさん」


 シンテツが詰所に入ってきた。

 かなり急いでやってきたようで、身体中から汗が噴き出ている。


「あんたも来たんだ。相変わらずの仏頂面だね」

「わざわざお前の妻を運んでやったのだ。感謝してもらおう」

「恩着せがましいやつだな。どさくさに紛れて、おっぱいとか触らなかっただろうね?」

「お前も相変わらず態度が悪い男だな」

「小百合さんから事情は聞いたけど、そっちはどういう状況?」

「今、スー様がハピ・クジュネの第三海軍を動かす準備をしておられる。精鋭部隊を投入して、ア・バンド〈非罪者〉の連中を一気に殲滅する予定だ」

「ア・バンド…盗賊の名称か。あんたたちが逃げ戻ってくるということは、それなりに強い相手なんだな」

「危険な連中だ。できる限り万全の準備をしなくてはいかん。明後日…いや、明日の夜には間に合わせる」


 マキと別れたのは深夜だ。

 痕跡を消すためと、スーサンが海兵部隊と接触するために迂回したので時間を使ってしまい、この段階ですでに十八時間以上は経過している。


「二十四時間後か。それじゃ遅い。マキさんがもたない。オレは今すぐにでも行くよ」

「駄目だ。数の力で一気に叩いて完全に殺しきる。そうしないと連中はまた増えていくからな。これでも急がせているのだ」

「オレには関係ないね。あんたらの事情よりマキさんのほうが大事だ。小百合さん、場所はわかる?」

「行く時はクルマに乗せられていて…帰りは暗い中でおぶってもらっていたので詳細な場所までは…」

「そっか…それなら仕方ないね。おっさんは知っているんでしょ?」

「当然だ。ここは我々の支配域だからな。だが、準備が整うまでは教えられん」

「こっちに協力を頼むなら、そっちも協力するのが筋じゃない?」

「勘違いするな。我々だけでも対処は可能だ。そのうえでお前が協力すれば、さらに楽になるだけのことだ」

「小百合さんの話だと、そっちは女性の救出を諦めているように聞こえたけど?」

「こういった作戦に犠牲は付き物だ。駆除を優先する。それが次なる犠牲者を生まないための最良の判断だ」

「悪いけどオレは女性の味方なんだ。あんたたちより女性のほうを優先するよ。オレの手駒を総動員させれば、アジトを見つけるのはそう難しくない。自力で探すさ」

「待て。いくらホワイトハンターだからといって連中を甘く見るな」

「オレのほうも単独でかまわない。あんたらが合わせるのは勝手だけど、こっちはこっちの都合でやるよ」

「本当に勝手な男だな」

「サナ、行くよ。マキさんが心配だ」

「…こくり」

「待て」

「小百合さんたちに手を出したんだ。ちゃんと全員殺すから安心して―――」

「自分の妻を信じないのか?」

「…どういう意味?」

「あの女は三日もたせると言った。それを信じてほしいともな」

「だから待てって? 詭弁だね。それで間に合わなくて後悔したくはないんだ。助けは早ければ早いほうがいいに決まっている」

「どうしても譲らないのか?」

「当然さ。オレはもう失うわけにはいかないんだよ」

「………」


 アンシュラオンの言葉には、サナを奪われた時以上の強い意思が宿っていた。

 シンテツもそれを感じ取ったのか、しばらく思案する。


「…確認しておくが、お前はやつらを倒せるのか?」

「相手の情報がわからないのが怖いけど、マキさんと同レベルの武人が百人いたとしても問題はないよ。それ以上でも大丈夫だ」

「デアンカ・ギースすら倒した男…すでに力は証明されているか。だが、詳細な地図と女が囚われている施設の場所がわからなければ、お前とて手間取るはずだ。その間に何が起こるかわからんぞ」

「そりゃ場所はわかっていたほうが楽だけど、簡単に教えるつもりはないんでしょ?」

「我々の威信がかかっているからな。少なくともスー様が制圧部隊の指揮をする必要がある。功績が欲しいのだ」

「そっちもいろいろと訳ありってことか。で、妥協点は?」

「最低限の兵を準備する時間が欲しい。だいぶ質が下がってしまうが、最短で招集すれば日が明ける前には突入できるはずだ。これが精一杯の譲歩だ」

「うーむ…八時間ってところか」

「アンシュラオン様、マキさんを信じましょう」

「小百合さんまで…」

「マキさんも相当な覚悟を背負ってここまで来たのです。ただ助けられるだけじゃ気持ちに整理がつかないと思います。たしかにアンシュラオン様の強さには遠く及ばないのかもしれません。でも、彼女は単なる追っかけの女として会いに来たのではありません。アンシュラオン様の【助け】になるために来たのです」

「助け…? マキさんがオレの?」

「そうです。アンシュラオン様の【祖国復興】のために身を捧げるつもりでやってきたのです!」

「!?」

「ただの女でもなく、単なる妻でもなく、一緒に戦う戦友としてやってきました! その心意気を信じてあげてください!」

「………」


 アンシュラオンが目を見開いて驚愕している。

 端から見れば、小百合の言葉に心を揺れ動かされているように見えるだろう。

 がしかし、内情はやはりこうだ。


(嘘だろう!? あれを鵜呑みにしちゃったのぉおおお!? 信じている様子だったけど、それが原因なのか!?)


 嘘をついた当人からすれば、ちょっとしたその場のでまかせにすぎない。

 それがマキの人生を大きく変えたとなれば、さすがに罪悪感を抱くものだ。


「誇りや信念こそがマキさんの魅力か。それを失ったらマキさんじゃないってのは理解できるけど…」

「私たちがアンシュラオン様を信じるように、アンシュラオン様もマキさんを信じてあげてくれませんか? 人を信じるって【怖い】ですよね。私も苦手ですから気持ちはわかります」

「怖い…? そうか…怖いのか、オレは」


(これに姉ちゃんは関係ない。オレの『前世』の問題だ)


 マキの命がかかっているので当然ではあるが、この感情はもっと前からあるものだ。

 いくつも失ってきた。信じては壊れてきた。

 だから二度と失わないように入念に準備をして、絶対に失わないように守ってきた。その過剰な防衛本能が今のアンシュラオンをかたちづくっている。


「わかった…信じるよ。それがオレなりのマキさんへの責任の取り方だ。おっさん、夜明け前がリミットだ。それ以上かかったら単独でも乗り込む」

「了解した。鳩の用意だ! スー様に伝令を飛ばせ!」

「ありがとうございます。どうかマキさんを…助けて…ください……ね」

「小百合さん!」


 小百合が意識を失ってソファーに倒れ込む。

 慌てて調べるが、ただの疲労と寝不足のようだ。


「小百合さん、がんばったね」

「お二人とも素敵な御方のようですね。さすがご主人様が愛された女性たちです」

「オレとサナは盗賊のアジトに行ってくるよ。ホロロさんに彼女を任せてもいいかな?」

「かしこまりました。すべてお任せください」

「えーと、おっさんは…」

「シンテツだ」

「疲れているだろうけど案内を頼むよ」

「これしきのことは問題ない」


(マキさん、オレも君を信じるよ。本当は怖いけど…もし何かあってもオレが責任を取る。だからそれまで耐えてくれ)


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