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「白い魔人と黒き少女の出会い」編
62話 「戦いの衝動」
しおりを挟む(おっ、ちゃんと追ってきているな)
背後にガンプドルフが追ってくる気配を感じる。
特に加減なく普通に移動しているのについてこられるのだから、相手の実力は間違いなく上級レベルにある。
今はそれが少しだけ嬉しい。
「ひぃ、ひぃいいい!」
「暴れるなよ。落ちたら死ぬぞ」
現在、左手にサナ、右手にイタ嬢を抱いている状態である。
サナは大切に抱っこしているが、イタ嬢は担いでいる状態に近いので少し不安定だ。
武人ではなさそうなので、四階の屋根から落ちたら大怪我は間違いない。死ぬ可能性もある。
「こんな場所を走るなんて非常識ですわ!」
「たかが屋根の上だ。跳ぶぞ」
「と、跳ぶ!? う、うひゃぁあぁああああ―――っ!」
アンシュラオンが屋根の端から跳躍。
そのまま一気に領主城の壁を越え、第一城壁内部にまで飛び降りて駆けていく。
相当な高さ、相当な距離を一足で飛び越えたが、衝撃はすべて足腰で吸収しているので抱いている二人は無傷だ。
(攻撃はしてこないか)
背後から追いかけてくるガンプドルフは、特に攻撃を仕掛ける様子はない。
イタ嬢に当たる可能性を考慮して、というよりは、単純にこちらの様子をうかがっているようだ。
ひと気のない森の中央付近にまで走り、そこで止まる。
「このあたりでいいかな」
そこでサナとイタ嬢を降ろす。
サナは相変わらずの無表情だが、イタ嬢はかなり消耗していて声も出ないらしい。
よほど心労がたたったのだろう。がっくりとうな垂れて、地面に膝をついていた。
改めて見るとパジャマの下半分は破れているので、この現場を目撃されれば誤解を招きそうな光景ではある。
が、今はイタ嬢にかまっている暇はない。
「そろそろ出てきなよ」
声をかけると、木の陰からガンプドルフが現れる。
「規格外の移動速度だな。しかも二人を抱えながらか」
「こんなのは空気みたいなものだよ。怪我をしないように気を遣うから、そういった面倒さはあるけどね」
「ここが目的地か?」
「そういうわけじゃないけど、悪くない場所だね」
「………」
ガンプドルフは波動円を展開。周囲三百メートルの気配を探知。
結果、周囲には誰もいないことがわかった。
こうして常に警戒を怠らないのは優れた武人の証明である。
「やっぱりやるね。それだけ伸ばせれば一級品だ」
「君には劣るな。千メートル以上も軽々と伸ばせる武人は初めて見た」
「そう? 姉ちゃんなんて軽く五千メートルはいけるけどね」
「それは…たいしたご婦人だ」
正直、冗談だと思いたい。そんな存在は聞いたこともない。
もしいたとすれば本物の化け物である。
「ここには我々以外は誰もいないようだ。待ち伏せではないらしい」
「そんなせこい真似はしないさ。ここなら落ち着いて話せると思ってね」
「では、君の名前を訊いてもいいかな」
「正義の白仮面」
「少女を人質に取るのが正義か?」
「悪を滅するのが正義だよ。犠牲を払ってもね」
「そういう考え方もあるが、私は好きではないな」
「力無き正義は悪より悪質さ。まあ、おっさんと善悪を語る意味はなかったね。オレは気兼ねなくオレの正義だけを貫くことにするよ」
「なぜここまで私を【誘導】したのか、その真意を訊きたいものだな。君の正義を見せつけるためではないのだろう?」
アンシュラオンは意図的にガンプドルフを誘導した。
もし本気で逃げようと思えば、二人を抱えたままでも簡単に逃げ切れただろう。肉体能力ではアンシュラオンのほうが上なのは、すでに対峙した時に理解していたからだ。
こうして二人が一緒にいるのは、アンシュラオンがそう望んだからにほかならない。
アンシュラオンとて余計な面倒は嫌っていたはずである。そうであるのならば、突然心変わりしたのはなぜなのか。
その理由は簡単。
ガンプドルフに興味を抱いたからだ。
「不思議に思ってさ。それだけ強いのに、どうしてあんな領主におべっかを使うの?」
「それが政治というものだよ、少年」
「そうかな? オレはずっと疑問に思っていたんだ。それが政治なのかどうかってね。政治ってのは優れた人間が行うべきだ。愚鈍な不純物は必要ない」
「それは領主のことか?」
「それ以外にいるの? まあ、この子もそうだけどね」
「ひぅっ!」
アンシュラオンが再びイタ嬢の頭を握る。
「こんなやつらがいるから周りが迷惑する。さっさと処分したほうがいい」
「待て。その子には手を出さないでくれ」
「ラブスレイブにして売ろうと思ったんだけど…あんたが買う? ロリコンなの?」
「そう思ってくれてもかまわない。いくら欲しい? 一億か、二億か? 損害分に加えて慰謝料も払おう」
「こんなやつにしてはいい値段だ。領主への手土産になるからかな? 恩を売れるからね。価値があるなら連れてきてよかったよ」
「そこまで読んで動いていたのか。どこまで知っているのだ?」
「何も知らないよ。ただ、あの会話を聞いていれば最低限の事情は察することができる。西側の人間なら入植か魔獣狩りか、そうでないとしても領主と何かしらのやり取りがある間柄なんでしょ? それだけわかれば交渉には十分だよ」
「たしかに領主とは多少の関わりがあるが、それで君は何を望むのだ?」
「オレ個人の目的は最初に言った通りだ。この子を取り戻すのが目的。次に制裁を加えること。それだけかな」
「すでに君は目的のものを手に入れた。領主にだって損害は出た。それで納得はしてくれないのか?」
「領主が損害だと思わなければ意味がないよ。スレイブを殺したって、あいつは痛くない。だからこいつを奪った。オレと同じように大切なものを奪われた痛みを教えないとね。つまりは教育ってやつさ」
「少年、それだけの力を持つのだ。大人になってはくれないか。人が生きるうえで妥協は必要だ。相手に譲るときも人生にはある。おべっかを使っても相手を動かせるようにならねば、争いはなくならない」
「心理学くらい知っているよ。自尊心を満足させてやれば、人の心だってそれなりに操れる。でも、オレはもう世辞や媚を売って生きるのは嫌なんだ。うんざりしたし飽きたからね。これからは好きに生きる。誰の指図も受けない」
「大人のような口ぶりだな。本当に少年か?」
「それなりに厳しい経験をしているからね」
「では、そうと知りながら、あえて騒動を起こしたのか?」
「そのつもりはないけど、それならそれでもいいと思った。殺したくはないけど、殺してもいいと思った。落とし前に犠牲は付き物だ」
「マフィアのようなことを言う」
「大事でしょ? 落とし前は」
「領主は強引なやり方だったようだ。不快にさせたなら謝ろう」
「あんたに謝られてもね。でも、あんたにしかできないことがあるよ」
アンシュラオンは笑う。
ここは、そのために用意した舞台だ。
「あんた、強いね。オレと【戦おう】よ」
「それなりに自信はあるつもりだ。が、無益な私闘はしない」
「こいつが賞品なら無益じゃないよね?」
ずいっとイタ嬢を持ち上げる。
「いたたたた! 首が、首が伸びますわ!!」
「お前は【物】だ。おとなしくしていろ」
サナともども二人を戦気で覆い、強烈な戦気壁を形成。外界と遮断する。
そこにさらに命気を注入。
「ごぼごぼごぼっ、なんですのこれは! お、溺れるぅ!」
命気は肺に入り込んでも問題はなく、酸素もたっぷり含まれているのでその状態で呼吸が可能だ。
もともと【羊水】とも呼ばれる気質なので、健康にこそなれ害にはならない。摂取しすぎた場合の検証はしていないが、アンシュラオンが長年毎日のように使っていても問題ないので、それも大丈夫だろう。
命気を入れたのは、戦気壁に触れると危険なので緩衝材の役目をさせるためでもあるし、命気の中に入れば回復効果で死ぬことはないと思ってのことだ。
せっかくの人質が死んでは意味がない。生きているからこそ価値がある。
「あんな出来損ないの魔獣だけじゃ物足りなかったんだ。まだ身体が中途半端に熱くて、雑魚じゃ満足できないんだよ」
「やはり魔獣の狩場での痕跡は君の仕業のようだな」
「へぇ、そんなことまで知っているんだ。侮れないな」
「わかるさ。君から出る波動が私に教えてくれる。…どうしても戦うのか?」
「あんたを波動円で感じた時から面白そうだと思っていたんだよ。こっちの世界での基準を知りたいしね。少し相手をしてもらうよ」
アンシュラオンの身体は、まだ少し疼いていた。
久々の戦いによって覚醒した闘争本能が、酒を飲んで少し酔ったときのような心地よさを与えてくれる。
本来ならば、これから身体が温まってもっと楽しい気分になっていくのだ。だが、デアンカ・ギースはその前に死んでしまった。
物足りない。
まだまだ足りない。
サナを取り戻して少しは落ち着いたが、領主が煽ったおかげで血に飢えた一面が顔を覗かせてしまった。
今のアンシュラオンには、ガンプドルフがデザートのように思えてならない。食後の軽い楽しみであり、火照った身体を冷やしてくれる甘い存在に。
「闘争本能を満たすためか。純粋な武人しての欲求だな」
「あんたに恨みはないよ。ただ、このまま帰ってもつまらない。ムカついたまま気持ちを晴らさないでおくのは健康のためにもよくないからね。おっさんだってオレに興味があるでしょう?」
「一人の武人の前に私は軍人だ。責務のほうが大切だよ。理性を学ばねば武人は獣のままだ。それでは人の社会は成り立たない。我慢が必要なこともある」
「どうやら仮面を被っているのはおっさんのほうみたいだね。武人は武人以外にはなれない。血がオレたちに呼びかけるからね。で、やるの? やらないの?」
「…どうあっても退いてはくれないのか?」
「領主の土下座は? 誠意ある謝罪は?」
「彼の性格を考えると、それは難しそうだ」
「なら、娘の身体で支払ってもらうしかないね。イタ嬢は遠くの地で売り飛ばすよ」
「いいだろう、君と戦おう。それしか選択肢はないようだ」
「言っておくけど、やる気のない戦いをしたらイタ嬢は殺すよ」
「まったく、その綺麗な声で悪魔のような台詞を言うものだ。怖ろしいよ。だが、私が君を満足させたら解放してもらうぞ」
「約束は守るさ。オレは領主とは違うからね」
「そう願うよ」
ガンプドルフは、腰の『ロングソード』を抜いた。
それなりの業物ではあるが魔剣ではなく、予備として持っている程度のものだ。
(あの剣を抜かない? 何かありそうだな)
アンシュラオンは、その段階で黄金の剣が怪しいことに気づく。
装飾も普通のものとは違うので明らかに特殊装備だ。それをいきなり使わないのならば何かしら理由がある証拠だろう。
(使えないのか制限があるのか、それとも『奥の手』か。それはそれで楽しみだな。今回は『情報公開』を使わないでおこう。今後のためにもね)
スキルは便利であるが頼りすぎるのも危険だ。
突然使えない日が来るかもしれないし、通じない相手もいるかもしれない。そういうときのために日頃から慣れておく必要がある。
ガンプドルフは、そういった練習台に選ばれたのだ。
(火怨山では戦うことが日常だった。今にして思えば武人としては最高の環境だったんだな。闘争本能を満たしながら修練もできる。そりゃ強くなるわけだよ。だが、ここは平穏すぎる。たまには刺激も欲しくなるよ)
そんな極めて自分勝手な都合であるが、こうして対峙するとワクワクしてくる。
領主城で倒した相手など敵の範疇に入らない。あんなものは遊びでしかない。
しかし、目の前の相手は本物の武人だ。
身内以外の初めての武人。その意味でも楽しめそうである。
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