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第2章 狩って狩られて弱肉強食

第19話 焼きそばと十円玉

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 じゅう、と、油の跳ねる音がした。
 香ばしいソースの香りが、湯気に乗って蒸し暑く立ち込めている。汗が頬を伝い、牙人は前腕で顔を拭った。
「へいらっしゃい!」
「焼きそばの小を一つください」
「はいはーい! 四百円です!」
 客の呼び込み兼会計係の千春が、受け取った硬貨を箱の中へ入れる。それを見届ける前に、牙人は横の透明なパックを手に取り、トングで鉄板に横たわる焼きそばをつかんだ。パックに詰め込み、紅しょうがを添える。あふれんばかりの焼きそばを押さえつけるようにふたを閉じると、素早く輪ゴムを装着。少し隙間が空いたが、気にしない。


 八月十五日。
 喫茶セロトニンのマスターから依頼を受けた中村万事屋事務所は、牙人、栞、千春の三人を派遣。牙人たちは、焼きそばの屋台の従業員として労働に励んでいた。
 三嶋大祭りは、大社周辺の交通を規制して執り行われる、三島の一大イベント。出店の数は二百を超え、芋を洗うかのような人混みは、わいわいと賑わしい。
 客が多ければ売り上げも伸びる。三島の街を闊歩する人々は、「喫茶店による焼きそば」という物珍しい看板に、鯉のように群がってくれる。
 おかげさまで売り上げは順調。多めに用意した食材も、とうに半分を切っていた。
 栞が包丁を握り、食材をカットしていく。ヘラを振るうのは、腕をまくってバンダナを着けたマスター。千春が会計している間に、牙人は焼きそばをパックに入れて渡す。
 はじめの方こそ、慣れない作業に手間取りはしたが、三時間もやっていればさすがに慣れたものだ。

「焼きそば大を二つもらおう」
「千円になりま~す!」
「千円、というと、これが何枚だ?」
「……ありゃ? 十円玉?」
 千春の不思議そうな声を聞き、牙人は手を止めて視線を上げた。灰色の髪と紅い瞳。整った顔立ちの少年である。そんな彼は、一枚の硬貨を手に、憮然と佇んでいた。
 どこかで見た覚えがあるのだが……どこだっただろうか。
 眉を寄せて記憶を探っていると、何やら別の少年が息を切らしてばたばたと走ってきた。こちらはどこにでもいそうな黒髪黒眼だ。
「だー! 目を離した隙に消えんな!」
洋平ようへい。どこに行っていたのだ」
「そりゃこっちの台詞だ灯真とうま! ……で、何してんの?」
 洋平と呼ばれた黒髪の少年の目が、灰髪の少年——灯真の右手に輝く硬貨に向けられる。
「この者が千円を払えというのだが、千円とはいかほどだ? この銅貨では足らぬのか? 銀貨か?」
「お前どんだけ世間知らずなんだよ……。あのな、千円ってのはこっちの紙の方」
 洋平があきれた様子で財布からお札を取り出す。それを見た灯真は、それまでどこか浮世離れしていた紅い目を、くわっと見開いた。
「何!? この紙切れが銅貨の百倍の価値だと!?」
「そうだよ。……すいません俺の連れが。なんか海外のド田舎に住んでたとかで、悪気はないんで」
「何がー?」
「あ、気にしてないならいいんです」
 首を傾げた千春に苦笑いを浮かべて、洋平は千円札を渡した。
 そこで自分の仕事を思い出した牙人は、大きい方のパック二つに、いっぱいに焼きそばを詰めて差し出してやる。
「まいどありー」
 少年二人は、「ところで、『焼きそば』の『そば』とは何だ?」「知らずに買ったのかよ……」「うまそうなにおいがしたのでな」とか言いながら、人ごみに消えていった。
 二人を見送って作業に戻ろうとしたとき、栞がおずおずと告げた。
「あの……もう材料がないんだけど……」
「……え?」


 ——「完売御礼」。
 店頭に掲げられたそんな手書きの文字を見て、足を止めた数人が残念そうに去っていく。
「いやはや、まさかこんなに早く売り切れてしまうとは。見通しが甘かったですな」
 腕を組んで屋台を眺めるマスターが、感慨深げにそう呟いた。
「改めて、お手伝いありがとうございました」
「いいってことよ!」
 頭を下げたマスターに、千春が腰に手を当てて答える。太鼓の音でも聞こえてきそうな漢らしさだ。
「けど、どうするー? 暇になっちゃったね」
「でしたら、皆さんもお祭りを楽しんできてください」
「いいんですか?」
 栞の遠慮がちな問いかけに、マスターは人好きのする笑顔を浮かべながら「もちろん」とうなずく。
「若者を応援するのが、老いぼれの役目というものですよ」
「そうと決まれば冒険だー!」
 千春が、高々と拳を突き上げた。
「……って、栞さあ」
「なんだ?」
「せっかくの祭りなのに、何さその恰好は! 浴衣はどうした! 色気が足りないぞ! 萎えすぎてしわしわだよ! 少子高齢化だよ!」
「し、仕方ないだろう。野菜を切るのに浴衣では邪魔になるし……。さっきもそう言ったじゃないか」
 栞の服装は、汚れの目立たない黒いTシャツにダメージジーンズ。確かに、残念でないと言えば、嘘になる。
「まあ、これはこれで……」
 牙人の小さな呟きは、栞には届かなかった。
 対して、栞の方をつかんで揺さぶる千春は、売り子をやっていたということもあり、花の模様が入った浴衣をしっかり着用している。髪も結っていて、祭りを楽しむぞオーラがすさまじい。
「えー、いいじゃんいいじゃん。今からでもわたしの能力でさあ」
「こんな人の多いところで使うな! ……また気が向いたらな」
 千春を引きはがしながら、栞は顔を逸らしてため息をついた。
「いつ着るの? 今でしょ!」
「今じゃない! ……ちょっ、脱がそうとするな!」



 賑やかな人ごみの中、体感で三十分は歩いただろうか。
 日が沈んでも続く暑さは、今日は祭の熱気を孕んで、一段と体にまとわりついてくる。蒸し焼きになりそうだ。それでも、焼きそばの鉄板の前よりはましではあるが。
 さて、屋台がいっぱいの祭りで、これだけ歩いたのだ。牙人一人ならともかく、連れのがおとなしくしていられるはずもなく……。
「すごいことになってんな……」
 牙人の視線の向く先は、もちろん千春である。頭には猫のお面を装備。両手にはそれぞれホットドッグとチョコバナナ。左腕にぶら下がるのは、先程輪投げの景品で獲得した巨大なサメのぬいぐるみと、怪しい出店で売っていた謎の置物が入った大きな袋。帯に刺さるうちわには、大きく「祭」の文字が躍っている。
 夏祭りグッズにこれでもかと体を侵食され、それでもなお元気いっぱい。この無尽蔵なエネルギーは、どこから湧いているのだろう。ぜひとも、日本のエネルギー問題解消に役立ててほしいものだ。

「そろそろ、何か買うのはやめといたほうがいいんじゃないか?」
「あっ! あんなところに金魚すくい発見!」
「聞いちゃいないと」
 やれやれ、と栞と顔を見合わせ、ずんずんと突き進む千春を二人で追いかける。
「大将、やってる?」
「おっ、元気な嬢ちゃんだな。はいよ、一回三百円ね。」
「よし来た!」
 坊主頭のおっちゃんからお椀とポイを受け取った千春が、意気揚々と水槽の前にしゃがみ込む。
「ほっ、ほっ、ほっ」
「ちょ、嬢ちゃんうますぎない!?」
 次々と金魚を乱獲していく千春に、おっちゃんがすっとんきょうな声を上げていた。
 並ぶように横に立った栞が、前を向いたまま口を開く。
「狼谷、どうだ?」
「ん?」
「万事屋の仕事も、悪くないだろう?」
 試すようにこちらを見てくる栞に、牙人は苦笑しながら「そうだな」と答えた。
「困ってる人を助けて報酬をもらえるなら、気分のいい仕事には違いない」
 少なくとも、怪人稼業よりはよほど精神にいい。
 今更善人を気取る気もないが、牙人は別に誰かを苦しめるために組織に入ったわけではなかった。どちらかといえば——。
「なら、よかった」
「何がだ?」
「いや、なんでもないよ」
 どういう意味かと問おうとしたときだった。

「ちょいと、そこなお二人さん」

 背後から、けだるげな女の声が飛んできた。
 振り向くと、そこにいたのは紫色の布で顔の上半分を隠した、ゆったりとした服装の人物。見るからに怪しい。
 眉をひそめる二人に、女は口元に笑みを浮かべながら言った。

「占い、やってかない?」
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