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第1章 悪の怪人は異能力者の夢を見るか?

第8話 先輩方

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 バイト先のファミレスから伊豆箱根鉄道を使ってまっすぐ向かって、事務所に着いたのは十五時の約五分前だった。
 うだるような暑さから逃げるように、さっさと手すりの錆びた外階段を上って中に入るが、昨日のようにりこが出てくることはなく、そのまま会議室に向かう。
 ドアの向こう側からは、すでに数人の気配がする。
 もともと事務所に常駐しているのかもしれないが、牙人が最後の一人のようだ。

「失礼します」
 挨拶をしつつ扉を開ける。
「お、来たか。いきなり呼んですまねぇな」
「ほんとですよ。いろいろあったせいで疲れてるんだけどなー」
 有悟に棒読みで不満を垂れる。
「まーまー、そう言わずにぃ」
 人懐っこい笑顔の千春に宥められ、空いていたパイプ椅子に腰掛けた。
 正面に栞、右隣が千春で、右斜め前では渉が目を伏せて座っている。
 栞はなぜかたい焼きをほおばっていた。あんこの甘いにおいがする。
 視線で疑問を伝えると、
「食べるか?」
 と言われた。
「遠慮しとくよ」
「そうか」
 手元に残っていた尻尾が、ぱくりと口に消える。
 有悟が座っているのはリーダーらしくドアと向かい合う形の席で、りこはその後ろにセーラー服姿で静かに佇んでいた。

「いやー、ごめんね? けど、ちょっと急ぎのお仕事なんだよねぇ」
「はあ」
 隣の千春から、何だか不穏なワードが飛び出してきた。
 “Blood”にいた頃も幾度となく聞いた単語だ。
 この単語が出た時は、決まってヒーロー全身タイツの群れと戦わされたり、新兵器開発のためにジャングルに放り込まれたり、博士のイカレた実験に付き合わされたり……とにかくろくなことがなかった。
 今思うと、よくあの会社を続けたものだ。
 ……まあ、勝手にやめることもできなかったわけだが。

「うし、全員揃ったとこで今回の仕事について軽く説明……を、浅沼よろしく」
「承りました」
 有悟にしれっと丸投げされたりこは、表情一つ変えることなく返事をして、タブレットを片手に部屋の奥にあるホワイトボードの前に立った。

「今回はからの命令になります。端的に言うと、野良の能力者の確保です」
 りこはホワイトボードの下にあったペンのふたをキュポンと取ると、小柄な体で目いっぱい背伸びをし、少しプルプルとしながら上の方に「野良の能力者」と書いた。
 もちろんその間も、冷淡な雰囲気を崩すことはない。牙人はなんとなくプロの風格を感じた。

「ターゲットの異能力は、念動力またはそれに連なるものと思われます。出力は、現在確認できている範囲ではバスケットボールを浮遊させる程度です」
 先程の文字の下に、セーラー服の襟とツインテールを揺らしながら「念動力」と書きこむ。
 丸いマグネットで、その横にまだ幼さの残る少年の顔写真が貼られた。
 顔立ちは整っている方で、写真越しでも目が輝いて見える。ポジティブそうな顔、というのが第一印象だ。
 あまり仲良くなれそうにないタイプだな、と牙人はぼんやりと思った。

「名前は新城英司しんじょうえいじ。十五歳の男性です。修善寺にある高等学校の生徒で、今のところ目立った事件は起こしていません」
 しゃべりながら、りこは様々な情報をホワイトボードに記入していく。
 家族構成や交友関係、学校での生活態度など……。
「——主要な情報は以上です」
 しばらくしてりこはそう結んで、ペンのふたをキュポンときれいにはめた。
「すごいな。ストーカー並みの情報量だ」
「そのたとえはもう少しどうにかならなかったのか……」
 栞に呆れ顔で言われる。
 心外だ。的確な比喩表現だと思ったのだが。
「すべて“局”の情報網が可能にしているものです」
「さすが国家機関なだけあるな」
 昨日有悟の提案を断っていたら、こんなのを相手にしていたのかと思うとぞっとする。

「それにしても、浅沼さんはしっかりしてるなあ。今何歳なんだ? ……てか、児童労働じゃないのかこれ?」
 そういえば、まだ子供であろうりこは、なんでここにいるのだろう。
 昨日はハイスピードで進んでいく展開の中でそんなことを思う暇もなかったが、考えてみると不思議だ。
 素朴な疑問を口にすると、栞と千春は何やら顔を見合わせて苦笑した。
 まるで、「またか」とでも言わんばかりに……。
 すました顔のりこを横目に、栞が口を開く。

「りこさんは成人してるぞ」

「え」
 一瞬、鼓膜を揺らした言葉の意味が理解できなかった。
 数秒の後に、脳が情報処理を再開し、ゆっくりと意味を嚙み砕く。
 飲み込めたところで、牙人は改めて「は?」と声を上げた。
「そーそー、わたしたちも最初は中学生くらいだと思ったけどねー。なんならりこさんの方が年上!」
「まじか」
「まじだ」
「まじまじ!」
 驚きを隠せずに確認すると、笑いながらそう返された。
 この場合、若作り、という言葉を使うのが正しいのかはわからないが、正しかったとしてもそのレベルの話ではないように思う。
 見た目は子供、中身は大人。
 ……最近、とある探偵漫画をやたらと思い出すのはなぜだろう。
 しかし、そうなると至極当然の疑問が浮かび、牙人はりこの方に視線をやった。

「——じゃあなんでセーラー服?」

「趣味です」
 真顔だった。
「……趣味?」
「趣味です」
「……」
 それはもう、真顔だった。
「……まあ、そういうものだと思ってくれ」
「ああ、そうする」
 こういうのは、気にしたら負けだろう。
 とんでもない童顔と若さを保っていて、趣味がコスプレ。そんな人も存在する。
 世の中こんなもんだと割り切って生きていた方が、何かと楽でいい。
 悪の秘密結社で働く中で、牙人はそんな諦めに近い考えを持っていた。
 第一、冷静に考えてみれば、能力者や悪の組織なんてものに比べればそのくらい……。
「……」
 やはり驚きはしっかり大きかった。

「……では、説明は終了しましたので、あとは隊長。よろしくお願いします」
 りこはそんな牙人の様子に笑うでも起こるでもなく、何ごともなかったかのように淡々と有悟へと仕事を引き渡す。
「任された。んじゃあ、今回のメンバーだが、とりあえず狼谷。お前は決定だ」
「え、俺?」
 呆けていた牙人は、まさか自分が呼ばれるとは思っていなかったのもあり、気の抜けたような声を出した。
「おう。お前の研修にちょうどいいしな。難しい仕事ってわけでもねえし」
「はあ」
「ちゃんと給料も出る」
「喜んで」
 そう言われてはやる気しか湧いてこない。
 即答した牙人に満足げにうなずくと、有悟は視線をずらした。
「で、もう一人は……寺崎、頼めるか?」
「了解です」
「ま、お前が連れてきたヤツだしな。教育係として頑張ってくれや」
 という感じで、初仕事のパートナーはどうやら栞に決定したようだ。
「じゃ、そういうことで、解散だ。仕事はなる早でなー」
「うす」
「はい」

「よろしくな、
 体を栞の方に向け、芝居がかった様子で告げる。
 「ああ、よろしく頼む」
 対して、クールにそう返した栞。
 その後、栞が髪を手でいじりながら「先輩か……」とぼそっと呟いていたのが聞こえたのは、指摘しないでおこうと思った。
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