37 / 45
女神と海の至宝
第十一章 刹那の煌めき
しおりを挟む
一晩中雨を降らせた嵐は一晩で去った。港や街には暴風で吹き飛ばされたものを片付ける船人たちの姿が見える。風はまだ僅かに残り雲は足早に去っていき、地平線の向こうから一千年前と変らない朝陽が上り、港に停泊する船を照らす。
その港を見下ろす丘の上に銀糸の長い髪を風に吹かれながら、街を眺めている少女の姿があった。表情はない。金の瞳も街を見ているようでいて、何も映してはいないのかもしれない。
「街は変ってしまった。あの人もいない。でも船は変らず海に出ている」
抑揚のない声で少女は言う。
記憶の中の街は、今見下ろしている街より一回り小さかっただろうか。建物の高さも低かった。けれど街に住む人々は交易による富を領主より分け与えられ、その恩恵に感謝し日々を暮らしていた。
「やぁ、朝早くから散歩かい?嵐が過ぎた次の日の風は気持ちいい。俺も好きだよ」
背後からかけられた声に少女は緩慢に振り返る。異国の服装から街の者ではないと一見して分かる。しかし男からは海の匂いがした。海に愛されている。愛しい人と同じ匂い。
「俺の名前はディアーノ・ハーバル・イエニ。貴女の名前を聞いても?」
「私の名は、ゼシル……。精霊の女王、ゼシル……」
「崇高なる精霊の女王。私に貴女に跪き、その手に触れるお許しを」
そう言って、ディアーノはゼシルの手をとりその甲に口付けを落とした。
嵐が過ぎ去り、別宅へ戻る途中にディアーノが立ち寄った丘だった。
イエニでも嵐が過ぎ去った朝は。あたりの淀んだ空気を吹き飛ばすような風が気持ちよくて、ディアーノは周囲が止めるのを構わず王宮を出て、海辺を散策した。
そして何故か根拠もないのに、ディアーノはまた会える気がしていた。
(やはり昨日、ギルバート将軍が騎士たちに探させていたのは彼女だったか。嵐の中を出歩いていたはずなのに全く濡れていない。それに、これは人ではない)
なんと美しいのだろう。人に在らざる存在が、こうして目の前に立っている奇跡に全身が喜びに満ちている。
近くに停めていた馬車にゼシルを乗せて、別宅へ戻る。ギルバートの本宅を出た時間は同じだったのに、だいぶ遅くなったディアーノを出迎えたザムールの反応に、ディアーノは気分を良くした。
ザムールだけではない。屋敷で出迎えた者たちが皆ゼシルの美しさに釘付けになっている。無理もない。人知を超えた美しさを前にしたら、人は無力だ。
ただ、ザムールだけはゼシルの美しさを良く思わず、ゼシルを部屋に通すなりディアーノに苦言を零した。銀の髪に金の瞳。人離れした宝石のような美しさ。
「ディアーノ王子、あの方は……」
「俺の大事な客人だ」
「お言葉ですが、あの方はもしやギルバート将軍の」
「おや?将軍は今回の領地見回りに女性は同伴していないそうじゃないか」
「……国家間の問題になりますよ?」
「私が外遊で見初めた女性をイエニに連れ帰ってもなんら問題ない」
表向きは、だ。ディアーノもゼシルがギルバートが見初めた女性であると分かって言っているのが更に性質が悪い。たった一人の女性を手に入れるためだけに、国の利が脅かされるのは愚の骨頂だ。ディアーノが天秤をかけれないわけがない。
しかし、ザムールが部屋に入って、更に困惑することになった。
こちらをチラリとも見ず、ゼシルはソファに座ったまま冷ややかに言う。
「ディアーノは私をどこかに連れ去る気なのね。私を奪おうとした者たちのように」
「精霊の女王たる貴女を連れ去るなど。私が願うのは貴女の愛をほんの僅かでも得られたならばと乞うばかりです」
「人は愚かで愛しい存在。けれど、私をモノとして見ているのは不快だわ」
言葉通りに不機嫌そうにゼシルの瞳が細められた。そんな些細な仕草1つでさえ、現実離れした幻想的な印象を見ている者に抱かせる。
「人は愚か故に人知を超えた存在たる貴女をもてあましているのです。そして、その美しさから逃れる術を持たない。我が国へ来ていただけませんか?貴女を私の妃としてお迎えしたい」
さすがにディアーノの妃になってほしいという言葉を聞いて、ザムールは驚きを隠せない。
まだ数回しか会ったことのないだろう相手を妃として迎えたいとプロポーズしたこともだが、
精霊の女王?ディアーノ様は何を仰っているんだ?
けれど妙に納得している自分もどこかにいる。人に許された域を超えた美しさ。人に在らざる存在であれば、ゼシルのこの美しさも理解できるような気がする。
とても危険な美しさだ。一度魅入ってしまったらもう逃れられない、本人も、そして周囲さえも滅びの道を辿ってしまいかねない。
ディアーノを止めなければとザムールが口を開こうとして、しかし部屋の扉をノックする音に阻まれる。
そして入って来た従者が早口にザムールにそっと耳打ちして、その眉間に皺が寄った。次から次にと問題が立て続けに起こる。
「王子、ギルバート将軍がいらっしゃったそうです」
「ギルバート将軍は耳がはやい」
プロポーズをして返事を待っている最中だというのに。
けれど決して無視できる相手ではないため、ディアーノはチラとゼシルの様子を一度確認してから席を立った。ギルバートが来たというのにゼシルが動く気配はない。
「これはこれはギルバート将軍。昨夜はお世話になりました。私たちもまだ此方に戻ったばかりなのですよ。如何されましたか?」
玄関の広間に立つギルバートの背後にはグレンの他に数人の騎士たちが控えていた。そして開いたままの玄関の外には連れてきたのだろう騎士たちが隊列を組んでいるのが見える。
自分の領地内だというのに、さながらこれから賊の拠点を襲撃するかのような雰囲気に、ディアーノが連れている警護兵たちはもちろん、屋敷の使用人たちも只ならない気配にザワついていた。
「王子、こちらに私の探し人がいるようだ」
ギルバートの声は静かだが、有無を言わせない口調にザムールが毅然と前に出る。いくら外遊に寄らせてもらっているとはいえ、国と国は対等な関係を結んでいる。過ぎた非礼は許されない。
「ギルバート将軍、たしかに此方の屋敷は貴方様が保有する別宅でありましょうが、現在は我らが正式に借り受けております。その間はイエニの所有と変わりない。いくら貴方様でも王子が泊まられているこの屋敷で無礼は許されません」
「分かっている。探し人を返していただければすぐに帰る」
「それはまるで私たちが隠しているような言い方に聞こえますね」
冷ややかにディアーノは言った。隠し事はお互い様だ。ギルバートはラグナへ内密に女性を伴い、そしてディアーノたちはゼシルがギルバートと関係していると気づいていて黙っている。ギルバートがハッキリ言葉にして言わない以上、取り合う必要はない。
しかしふと視界に入ったソレに気を取られる。
ギルバートの足元に座っている見慣れぬ柄の猫。
たまたま玄関口から入ってきただけなら迷い猫と片付けただろうが、猫は一匹ではなかった。
「猫?」
ラグナ中の猫が集まっているのではと思えるくらいの数の猫が、周りの窓という窓から、こちらを覗いていたのだ。そして一匹が中に入ると他の猫もまた一匹、また一匹と部屋に入ってくる。しかしすぐにまた違う猫が窓から顔を見せる。
部屋中に猫が溢れかえり、縦に裂けた瞳孔が人間たちを監視する。
異変に気付いたのはディアーノだけではなく、ザムールや護衛兵たちも只ならない異常に、目を見開き周囲を見渡していた。
そこへ、凛とした涼やかな声が通った。決して大きくはないのに、ハッキリ聞き取れる。というよりは、耳ではなく頭に直接聞こえたのかもしれない。
「迎えがきたようね」
「ゼシル」
ディアーノが席を立ったときも、ゼシルに部屋からでる気配は無かったのに。見られてしまってはどうしようもない。ディアーノは内心舌打ちした。
けれど、探し人を見つけたはずのギルバートは僅かに目を見開き、怪訝な眼差しをゼシルに向けた。
「お前は誰だ?アイカではないな?」
「人如きに、精霊の女王たる私がお前呼ばわりされる筋合いはないわ。せっかくこの私が大人しくついていこうとしているのに、私を拒むというの?」
階段中腹まで降りてきたゼシルをアイカと呼んだギルバートに、ゼシルは極上の笑みを浮かべる。その瞬間、ゼシルの足先から突如、パキパキと独特の凝結音を立てて氷の刃が立ち上がり、一直線にギルバートを襲った。
「………貴方、人の身でありながら女神の加護を受けているのね。とても大切に想われているのね。私が操れるのは水。女神のダイヤには敵わない」
襲おうとした氷の刃が、ギルバートの周りを一瞬で覆った透明な結晶の前に無残にも砕け散る。同じ無色透明な結晶。しかし結晶の輝きは比にならなかった。
それ自体が光を放っているかの様なダイヤモンドの巨大な結晶が、意思を持ってギルバートを護る。
ややあってそれは夢幻の如く淡い光に包まれ消えていき、ゼシルの氷もまたあっという間に溶けて水に変わった。
あまりにも一瞬の出来事過ぎて、この場にいる誰もが息を飲み、悲鳴すら声を発することができなかった。
「アイカは無事なのだろうな?」
「女神を害する精霊はいないわ」
「では返してもらいたい」
「もちろんよ。女神が私の願いを叶えてくれたのなら」
そう言ってギルバートのそばを通り抜けようとしたゼシルに
「どこへ?」
「私を迎えに来てくれたのでしょう?ギルバート」
ギルバートの眼差しは瞳を細めたままだったが、後ろに控えていたグレンが何も言わずゼシルを追って、玄関前に留めてある馬車の扉を開く。ギルバートの足元にいた猫もゼシルについて行ってしまう。
それにギルバートは小さく息をつくとディアーノに振り向き
「ディアーノ王子、彼女を保護して下さり大変助かりました。このお礼は後ほど改めて」
返事を待たず、さっと着ていたコートを翻し屋敷を後にすると、周り取り囲んでいた猫たちもまた、何事も無かったかのように窓から立ち去っていった。
「……王子、言っても無駄だとは思いますが、おやめになられた方がいい。アレは人が手を出していい存在ではありません」
残された中で最初に声を発したのはザムールだった。
氷の刃が人を襲い、ダイヤの結晶が刃からギルバートを護る。今見たものが俄かには信じられない。だが、見たのは自分だけではなく、ギルバートたちが帰っても続く沈黙がそれを証明していた。
「だが手に入れる価値は計り知れない。俺は彼女を諦めるつもりはない。幸いなことにギルバート将軍の相手とゼシルは違うみたいだ。ならば問題はない」
楽しそうに笑うディアーノは子供のソレだった。
その港を見下ろす丘の上に銀糸の長い髪を風に吹かれながら、街を眺めている少女の姿があった。表情はない。金の瞳も街を見ているようでいて、何も映してはいないのかもしれない。
「街は変ってしまった。あの人もいない。でも船は変らず海に出ている」
抑揚のない声で少女は言う。
記憶の中の街は、今見下ろしている街より一回り小さかっただろうか。建物の高さも低かった。けれど街に住む人々は交易による富を領主より分け与えられ、その恩恵に感謝し日々を暮らしていた。
「やぁ、朝早くから散歩かい?嵐が過ぎた次の日の風は気持ちいい。俺も好きだよ」
背後からかけられた声に少女は緩慢に振り返る。異国の服装から街の者ではないと一見して分かる。しかし男からは海の匂いがした。海に愛されている。愛しい人と同じ匂い。
「俺の名前はディアーノ・ハーバル・イエニ。貴女の名前を聞いても?」
「私の名は、ゼシル……。精霊の女王、ゼシル……」
「崇高なる精霊の女王。私に貴女に跪き、その手に触れるお許しを」
そう言って、ディアーノはゼシルの手をとりその甲に口付けを落とした。
嵐が過ぎ去り、別宅へ戻る途中にディアーノが立ち寄った丘だった。
イエニでも嵐が過ぎ去った朝は。あたりの淀んだ空気を吹き飛ばすような風が気持ちよくて、ディアーノは周囲が止めるのを構わず王宮を出て、海辺を散策した。
そして何故か根拠もないのに、ディアーノはまた会える気がしていた。
(やはり昨日、ギルバート将軍が騎士たちに探させていたのは彼女だったか。嵐の中を出歩いていたはずなのに全く濡れていない。それに、これは人ではない)
なんと美しいのだろう。人に在らざる存在が、こうして目の前に立っている奇跡に全身が喜びに満ちている。
近くに停めていた馬車にゼシルを乗せて、別宅へ戻る。ギルバートの本宅を出た時間は同じだったのに、だいぶ遅くなったディアーノを出迎えたザムールの反応に、ディアーノは気分を良くした。
ザムールだけではない。屋敷で出迎えた者たちが皆ゼシルの美しさに釘付けになっている。無理もない。人知を超えた美しさを前にしたら、人は無力だ。
ただ、ザムールだけはゼシルの美しさを良く思わず、ゼシルを部屋に通すなりディアーノに苦言を零した。銀の髪に金の瞳。人離れした宝石のような美しさ。
「ディアーノ王子、あの方は……」
「俺の大事な客人だ」
「お言葉ですが、あの方はもしやギルバート将軍の」
「おや?将軍は今回の領地見回りに女性は同伴していないそうじゃないか」
「……国家間の問題になりますよ?」
「私が外遊で見初めた女性をイエニに連れ帰ってもなんら問題ない」
表向きは、だ。ディアーノもゼシルがギルバートが見初めた女性であると分かって言っているのが更に性質が悪い。たった一人の女性を手に入れるためだけに、国の利が脅かされるのは愚の骨頂だ。ディアーノが天秤をかけれないわけがない。
しかし、ザムールが部屋に入って、更に困惑することになった。
こちらをチラリとも見ず、ゼシルはソファに座ったまま冷ややかに言う。
「ディアーノは私をどこかに連れ去る気なのね。私を奪おうとした者たちのように」
「精霊の女王たる貴女を連れ去るなど。私が願うのは貴女の愛をほんの僅かでも得られたならばと乞うばかりです」
「人は愚かで愛しい存在。けれど、私をモノとして見ているのは不快だわ」
言葉通りに不機嫌そうにゼシルの瞳が細められた。そんな些細な仕草1つでさえ、現実離れした幻想的な印象を見ている者に抱かせる。
「人は愚か故に人知を超えた存在たる貴女をもてあましているのです。そして、その美しさから逃れる術を持たない。我が国へ来ていただけませんか?貴女を私の妃としてお迎えしたい」
さすがにディアーノの妃になってほしいという言葉を聞いて、ザムールは驚きを隠せない。
まだ数回しか会ったことのないだろう相手を妃として迎えたいとプロポーズしたこともだが、
精霊の女王?ディアーノ様は何を仰っているんだ?
けれど妙に納得している自分もどこかにいる。人に許された域を超えた美しさ。人に在らざる存在であれば、ゼシルのこの美しさも理解できるような気がする。
とても危険な美しさだ。一度魅入ってしまったらもう逃れられない、本人も、そして周囲さえも滅びの道を辿ってしまいかねない。
ディアーノを止めなければとザムールが口を開こうとして、しかし部屋の扉をノックする音に阻まれる。
そして入って来た従者が早口にザムールにそっと耳打ちして、その眉間に皺が寄った。次から次にと問題が立て続けに起こる。
「王子、ギルバート将軍がいらっしゃったそうです」
「ギルバート将軍は耳がはやい」
プロポーズをして返事を待っている最中だというのに。
けれど決して無視できる相手ではないため、ディアーノはチラとゼシルの様子を一度確認してから席を立った。ギルバートが来たというのにゼシルが動く気配はない。
「これはこれはギルバート将軍。昨夜はお世話になりました。私たちもまだ此方に戻ったばかりなのですよ。如何されましたか?」
玄関の広間に立つギルバートの背後にはグレンの他に数人の騎士たちが控えていた。そして開いたままの玄関の外には連れてきたのだろう騎士たちが隊列を組んでいるのが見える。
自分の領地内だというのに、さながらこれから賊の拠点を襲撃するかのような雰囲気に、ディアーノが連れている警護兵たちはもちろん、屋敷の使用人たちも只ならない気配にザワついていた。
「王子、こちらに私の探し人がいるようだ」
ギルバートの声は静かだが、有無を言わせない口調にザムールが毅然と前に出る。いくら外遊に寄らせてもらっているとはいえ、国と国は対等な関係を結んでいる。過ぎた非礼は許されない。
「ギルバート将軍、たしかに此方の屋敷は貴方様が保有する別宅でありましょうが、現在は我らが正式に借り受けております。その間はイエニの所有と変わりない。いくら貴方様でも王子が泊まられているこの屋敷で無礼は許されません」
「分かっている。探し人を返していただければすぐに帰る」
「それはまるで私たちが隠しているような言い方に聞こえますね」
冷ややかにディアーノは言った。隠し事はお互い様だ。ギルバートはラグナへ内密に女性を伴い、そしてディアーノたちはゼシルがギルバートと関係していると気づいていて黙っている。ギルバートがハッキリ言葉にして言わない以上、取り合う必要はない。
しかしふと視界に入ったソレに気を取られる。
ギルバートの足元に座っている見慣れぬ柄の猫。
たまたま玄関口から入ってきただけなら迷い猫と片付けただろうが、猫は一匹ではなかった。
「猫?」
ラグナ中の猫が集まっているのではと思えるくらいの数の猫が、周りの窓という窓から、こちらを覗いていたのだ。そして一匹が中に入ると他の猫もまた一匹、また一匹と部屋に入ってくる。しかしすぐにまた違う猫が窓から顔を見せる。
部屋中に猫が溢れかえり、縦に裂けた瞳孔が人間たちを監視する。
異変に気付いたのはディアーノだけではなく、ザムールや護衛兵たちも只ならない異常に、目を見開き周囲を見渡していた。
そこへ、凛とした涼やかな声が通った。決して大きくはないのに、ハッキリ聞き取れる。というよりは、耳ではなく頭に直接聞こえたのかもしれない。
「迎えがきたようね」
「ゼシル」
ディアーノが席を立ったときも、ゼシルに部屋からでる気配は無かったのに。見られてしまってはどうしようもない。ディアーノは内心舌打ちした。
けれど、探し人を見つけたはずのギルバートは僅かに目を見開き、怪訝な眼差しをゼシルに向けた。
「お前は誰だ?アイカではないな?」
「人如きに、精霊の女王たる私がお前呼ばわりされる筋合いはないわ。せっかくこの私が大人しくついていこうとしているのに、私を拒むというの?」
階段中腹まで降りてきたゼシルをアイカと呼んだギルバートに、ゼシルは極上の笑みを浮かべる。その瞬間、ゼシルの足先から突如、パキパキと独特の凝結音を立てて氷の刃が立ち上がり、一直線にギルバートを襲った。
「………貴方、人の身でありながら女神の加護を受けているのね。とても大切に想われているのね。私が操れるのは水。女神のダイヤには敵わない」
襲おうとした氷の刃が、ギルバートの周りを一瞬で覆った透明な結晶の前に無残にも砕け散る。同じ無色透明な結晶。しかし結晶の輝きは比にならなかった。
それ自体が光を放っているかの様なダイヤモンドの巨大な結晶が、意思を持ってギルバートを護る。
ややあってそれは夢幻の如く淡い光に包まれ消えていき、ゼシルの氷もまたあっという間に溶けて水に変わった。
あまりにも一瞬の出来事過ぎて、この場にいる誰もが息を飲み、悲鳴すら声を発することができなかった。
「アイカは無事なのだろうな?」
「女神を害する精霊はいないわ」
「では返してもらいたい」
「もちろんよ。女神が私の願いを叶えてくれたのなら」
そう言ってギルバートのそばを通り抜けようとしたゼシルに
「どこへ?」
「私を迎えに来てくれたのでしょう?ギルバート」
ギルバートの眼差しは瞳を細めたままだったが、後ろに控えていたグレンが何も言わずゼシルを追って、玄関前に留めてある馬車の扉を開く。ギルバートの足元にいた猫もゼシルについて行ってしまう。
それにギルバートは小さく息をつくとディアーノに振り向き
「ディアーノ王子、彼女を保護して下さり大変助かりました。このお礼は後ほど改めて」
返事を待たず、さっと着ていたコートを翻し屋敷を後にすると、周り取り囲んでいた猫たちもまた、何事も無かったかのように窓から立ち去っていった。
「……王子、言っても無駄だとは思いますが、おやめになられた方がいい。アレは人が手を出していい存在ではありません」
残された中で最初に声を発したのはザムールだった。
氷の刃が人を襲い、ダイヤの結晶が刃からギルバートを護る。今見たものが俄かには信じられない。だが、見たのは自分だけではなく、ギルバートたちが帰っても続く沈黙がそれを証明していた。
「だが手に入れる価値は計り知れない。俺は彼女を諦めるつもりはない。幸いなことにギルバート将軍の相手とゼシルは違うみたいだ。ならば問題はない」
楽しそうに笑うディアーノは子供のソレだった。
0
お気に入りに追加
2,125
あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

【完結】僻地の修道院に入りたいので、断罪の場にしれーっと混ざってみました。
櫻野くるみ
恋愛
王太子による独裁で、貴族が息を潜めながら生きているある日。
夜会で王太子が勝手な言いがかりだけで3人の令嬢達に断罪を始めた。
ひっそりと空気になっていたテレサだったが、ふと気付く。
あれ?これって修道院に入れるチャンスなんじゃ?
子爵令嬢のテレサは、神父をしている初恋の相手の元へ行ける絶好の機会だととっさに考え、しれーっと断罪の列に加わり叫んだ。
「わたくしが代表して修道院へ参ります!」
野次馬から急に現れたテレサに、その場の全員が思った。
この娘、誰!?
王太子による恐怖政治の中、地味に生きてきた子爵令嬢のテレサが、初恋の元伯爵令息に会いたい一心で断罪劇に飛び込むお話。
主人公は猫を被っているだけでお転婆です。
完結しました。
小説家になろう様にも投稿しています。

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる