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女神と宝石
第十四章 女神の気持ち
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グレンは自分が何を見ているのか、まるで目を開けながら夢でも見ているような心地だった。
騎士団の会議のあと、そのまま招かれたグランディ邸。
テーブルに置かれた大皿の中に満たされた水、その上にアイカは手を広げ瞳を閉じると、その手のひらの真ん中が小さく光はじめ、結晶が生まれそして成長し大きくなっていくのだ。
「ちょっとは上手くなったかしら」
念じるのをやめたアイカの手の平の上に、透明な結晶がぽとりと落ちる。それをアイカは目の前に持ち上げ、左右交互に斜めにして確めている。
「これは?」
「水晶よ。原料は水素とケイ素」
「ガラスではなく?」
「ガラスは石英とか石灰が材料で、水晶とは硬さが全く違うわね。結晶の形も違うし」
はい、と無邪気な笑顔で水晶を渡されたギルバートは、目の前にもってきて、アイカと同じように結晶を見てから、グレンの方へと手渡す。上司に手渡されたら受け取らないわけにはいかない。
恐る恐る受け取り、二人と同じくグレンも結晶を確かめた。
宝飾品としてまだ何も加工が施されていない水晶。
ふとグレンの脳裏を横切ったのは、ギルバートに鑑定を頼まれたダイヤモンドの原石だった。アイカが出所だということまでは判明している。まさかと、自分が思い当たった考えに冷や汗がでた。
(あのダイヤの原石もアイカが作り出したというのか?)
ありえないと何度も自分の考えを否定し、けれど手の中にはアイカが作り出したばかりの水晶がある。
「これは何の真似でしょうか……」
「見ただろう?アイカは本物の女神だ。あの夜会の日、屋敷の奥にある池で出会った。だから身元をいくら調べても決して分からない」
「女神が住む池……、つまり……人ではないと……?」
「そうだな」
困惑しているグレンをギルバートは苦笑して、アイカの方は恐々と見ている。ギルバートの話をグレンが信じてくれるのか疑っているのだろう。
「信じるか?」
「信じるもなにも、すでに私は雪解けの川に飛び込んだのに、この家の噴水に出るという珍事を経験しておりますからね。本物の女神でというのも頷けます。だだ、女神という存在は御伽噺の中だけの存在と思っておりましたので驚いております……」
賊に囲まれ飛び込んだ冷たい水が流れる川が、突然巨大な口をあけ自分達を飲み込み、次に水から出たら遠く離れた噴水の中だった。広場での歌もそうだ。知らない歌に誰とも知れず音を重ね始め、最後にはアイカの歌声に合わせて大合奏になった。
これがアイカの秘密。
「花祭りの夜に賊に襲われて川に飛び込んだのに、ウチの噴水に出ただろう?」
「あれもアイカですか?この水晶を作り出したように、女神の使って逃げたということでしょうか?」
と、グレンが訊ねると、ギルバートではなく、胸の前で両手を振ってアイカが説明する。
「ううん。あれは私じゃなくて、川の精霊さんたちが助けてくれたの。安全なところに逃してくれるっていうから信じたんだけど、まさか噴水に出るとは思わなくて……」
「……まぁ、おかげで助かったのは事実だ」
誰がどう見ても絶体絶命の状況だったのだ。それを噴水に運ばれたからと憤る気はない。
そう言うと女神を抱き寄せてギルバートは満足そうに微笑み、その腕の中でアイカは少し驚き戸惑ったような表情を浮かべている。
(この人は<女神>を本気で娶ろうと考えているのか)
どんな貴族であろうと、身分の低い平民であろうと、ギルバートが望めば手に入らないものはない。しかし相手が<女神>ならば、こうもギルバートが翻弄され、そしてどうにかして女神の愛を得ようと焦る気持ちが理解できる気がした。
▼▼▼
賊に襲われた花祭りの日を境にアイカの生活は一変した。
賊に女であることをバレてしまい、危険だからと騎士団にはしばらく戻れないとギルバートに言われてしまい、グレンからもスリを妨害したアイカに狙いをつけているようだから危ないと首を横に振られている。
騎士団からグランディ邸に再び戻ったアイカを待っていたのは再び動きにくドレスと増えた警護の数。グランディ家の敷地内であればどこへでも行けるけれど、外へは行けない。
(ギルバートもあの賊の件で毎日お仕事で帰ってくるのは遅いものね)
グランディ家には使用人をはじめメイドや庭師など、沢山の人はいても、騎士団にいた時のように自分に気さくに話しかけてくれる者はいない。ギルバートが招いたアイカを大事なお客様として、どこか一歩引いた位置にいて、甲斐甲斐しくお世話をしてくれる。
そして視線を少し横に向ければ庭を散策している自分達を警護の者たちが木の陰からこちらの様子を覗っているのが分かる。彼らがギルバートに命じられて自分を守ってくれているのは知っていた。
(スリに襲われたとき、こっそり警護してくれていた人が助けてくれたのは勿論感謝しているわ)
けれど、どうしても見張られているような窮屈感を感じてしまう。
「いつになったら騎士団にもどれるのかな、ココ」
ため息混じりに膝の上にいるココに話しかける。
「まだ戻りたいの?もう騎士ごっこは十分楽しんだんじゃ?」
「だってここは私が好きなファンタジーの世界よ?騎士団に戻れないとしても、もっと外の世界のことを色々知りたいわ!」
数人の庭師たちがいつも手入れをしてくれているグランディ邸の庭は、冬以外は色とりどりの花が咲き乱れ目を楽しませてくれる。花は好き。でも街の人々がが行き交う通りや祭りはもっと楽しかった。
騎士団でみんなで笑って食べる料理は、質素であっても、グランディ家で出されるコース料理に負けず劣らず美味しかった。
(はぁ……。外に出たい……いつまでこんな生活が続くのかな……)
何もすることがない部屋にいるよりは、外をココと散策していた方が気が晴れる。
「ねぇ。ずっと思っていたんだけれど、ココは私以外の人ともこうやって話せるの?ギルバートやグレンとか」
「話せるけど必要がない限り人間と話すつもりはないよ。本来猫は人間とは話さないものだからね」
「そうなんだ。私とお話しするだけじゃつまらなかったりしない?他に猫のお友達ができたのなら遊びに行ってもいいのよ?」
「アイカといてつまらない筈がないよ。猫の友達ができたら、アイカにも必ず紹介するから楽しみにしてて」
「ふふ、それは楽しみね」
猫の友達をココに紹介されている光景を想像したら、とたんに頬がほころぶ。
不意に足を止めたココがこちらを見上げる。
「つまらないなら外に出てみる?また川の精霊たちにお願いすれば外に連れて行ってくれると思うよ」
普通に門から出ようとすれば警護の者たちに危険だからと止められてしまうだろう。けれどココの言う通り川の精霊たちに頼めば、花祭りのときのように自分をこの閉じられた庭から街へ連出してくれるかもしれない。
しかし、すぐに今頃必死に賊を捕らえようとしているだろうギルバートの姿が思い浮かび、アイカは、ううん、と首を横に振った。
「外に出たいのはやまやまだけど、そんなことをしたら私を守ってくれてる警護の人たちに迷惑がかかるし、すぐにギルバートに連絡がいって彼も心配するから……」
急に自分がいなくなれば警護の者たちは慌てて自分を探すだろうし、ギルバートにも余計な迷惑がかかってしまう。自分のワガママで足手まといになってはいけない。
(自分がつまらないからって、そんなことしちゃダメよね……)
「だったらさ、外の風景を見せてもらうっていうのは?街の風景とか違う国とか。それだったらここに居ながら外が見れる」
「それだわココ!ナイスアイディアよ!」
それなら誰にも迷惑をかけずに外に出れたような気分になれるだろう。
ココを抱いて川から水が引かれているらしい庭の小川に走る。庭の景観用に引かれた小さな小川にドレスの裾が濡れてしまわないよう気をつけながら、指先を小川の水につけてそっと祈る。
(小川の精霊さん。どうか私にギルバートの姿を見せてください)
すると波間に自分の顔が映っていた川がゆらりと揺らぎ、次に騎士団の奥にあるギルバートの自室だろう部屋の中の光景が映る。
光景が川に映るだけで声は聞こえなかった。しかし、数人の者たちに囲まれながら、ギルバートは真面目な顔で指示をしている。
(やっぱりかっこいいな)
普段、自分には決して見せてくれない将軍としてのもう一つの顔。
しばらく音声のない光景を見ていて、ふと自分がやましいことをしているような気持ちになって、小川につけていた指を離した。
(何してるんだろう私……。こっそり隠れて見てるなんて、まるで盗み見しているみたい……)
ほんの少しだけでもギルバートの姿を見ることができただけで十分だと自分に言い聞かす。
いくらギルバートに会いたいからとこんな盗み見紛いのことをしてはいけない。
見るなら別のものにしておこう。
「アイカはギルバートのことが好きなの?」
隣でギルバートが映った小川を一緒に見ていただろうココに問われる。
その質問に一瞬驚いて、けれど周りにはココしかいない。
「……好きよ」
たぶん初めて自分の気持ちを言葉にしたかもしれない。隣に座るココをそっと抱き寄せて、柔らかな毛並みをなでる。
優しくて、かっこいいギルバート。出逢った時こそわけも分からず囁かれる愛に戸惑ったけれど、どんな時もアイカを一番に考えてくれて、逞しい腕と優しい笑顔で抱きしめてくれた。
騎士になりたいアイカの願いも叶えてくれた。
わざわざ顔を隠し身分を伏せてまで、アイカを花祭りにも連れて行ってくれた。
(好きじゃなかったら、何度も肌を合わせたりなんてしないわ。その口付けを瞳を閉じて受け止めなんかしない。今頃逃げ出して池の中に逃げてる。私は、ギルバートのことが好き)
もう何度心の中で唱えただろう。
その姿を思い浮べるだけで胸が温かな気持ちになる。
「でも、ギルバートはこの国の王様になるみたいなんだよね……」
「王様になると、アイカと何か関係が?それって両想いってことだろ?」
「王様にはね、いつも綺麗なお姫様や王妃様が傍にいるの。女神といっても、力も上手く使えない半人前の私がギルバートの傍にいていいのかなって………」
騎士団の騎士たちだけでなく街の人々にも慕われているギルバートは、きっと素晴らしい王になるだろう。そのとき、グレンが素性の知れないアイカを疑ったように、いずれ王に立つギルバートの傍に自分がいては、ギルバートの迷惑になったりしないだろうか。
いきなり女神だと言ってもすぐに信じる者は少ないだろう。胡散臭い女がギルバートの傍にいる。大多数はきっと怪しみ、アイカがギルバートの傍にいるのを快く思わない。
「両想いなのによく分からないな。好きなら好きって伝えないと誰かに取られちゃうよ。また気持ちがすれ違ってもいいの?」
「ココの言う通りよね」
ココが何を言わんとしているのか察して、アイカは小さく苦笑した。
騎士団にしばらく戻れないことと、警備の数を増やすことをギルバートから話された時、
『私が狙われて危ないのなら、しばらく池の中に隠れていようか?』
アイカは何気なく思いついたままに言っていた。
池の中の洞窟には人間は来れない。そうすればアイカに警護兵を多くつける必要はなくなるし、ギルバートに余計な心配や手間をかける必要もなくなるだろう。
賊が捕まるまで、ほんの少しの間だけ、池で大人しくしていればいいのだ。
しかし、池に戻るとアイカが言った瞬間、ギルバートはぎょっとしたように目を見開き、アイカの両肩を掴んで引き止めた。
『だめだっ!池に戻るのだけは!』
『きゃっ!』
強く肩を掴まれて痛みにアイカは表情を苦痛に歪ませた。
その表情にギルバートはハッと我に戻り、力を緩める。
『すまない、驚かせるつもりはなかった……。だが、わざわざアイカが池に戻る必要はない。賊などすぐに捕らえてみせる。だからアイカは心配することはないんだよ』
強く掴んでしまった肩を撫でながら、アイカの『池に戻る』という提案を否定するようにギルバートは顔を横に振って抱き寄せる。
けれど、アイカの何気ない一言がギルバートを酷く動揺させてしまったのは、無理に平静を保とうとしている様子からすぐに察することが出来た。
ギルバートがこんなに焦った顔を見せたのは、出会って間もない頃に、ココが屋敷の壺を割ってしまい、勢いで屋敷を飛び出してしまったアイカを探しに来たとき以来だ。
(私がもう池の中から戻ってこないか不安なんだわ)
初めて逢った満月の夜に、ギルバートを振りきって池の中に逃げてしまったことが、余計にギルバートを不安にさせてしまっているのかもしれない。
だからアイカが池に一度だけでいいから戻りたいと何度言っても、話をのらりくらりとはぐらかしていたのだと察せられた。
好きだと伝えられたらなら、ギルバートはアイカを信じてくれるかもしれない。しかし、ギルバートの身分や王になるという未来に、伝えるのを躊躇ってしまう。
(いつかこの気持ちをギルバートに伝えられる日がくるのかな。それとも伝えられないままで終わっちゃうのかな)
そう考えるとアイカの小さな胸が締め付けられた。
騎士団の会議のあと、そのまま招かれたグランディ邸。
テーブルに置かれた大皿の中に満たされた水、その上にアイカは手を広げ瞳を閉じると、その手のひらの真ん中が小さく光はじめ、結晶が生まれそして成長し大きくなっていくのだ。
「ちょっとは上手くなったかしら」
念じるのをやめたアイカの手の平の上に、透明な結晶がぽとりと落ちる。それをアイカは目の前に持ち上げ、左右交互に斜めにして確めている。
「これは?」
「水晶よ。原料は水素とケイ素」
「ガラスではなく?」
「ガラスは石英とか石灰が材料で、水晶とは硬さが全く違うわね。結晶の形も違うし」
はい、と無邪気な笑顔で水晶を渡されたギルバートは、目の前にもってきて、アイカと同じように結晶を見てから、グレンの方へと手渡す。上司に手渡されたら受け取らないわけにはいかない。
恐る恐る受け取り、二人と同じくグレンも結晶を確かめた。
宝飾品としてまだ何も加工が施されていない水晶。
ふとグレンの脳裏を横切ったのは、ギルバートに鑑定を頼まれたダイヤモンドの原石だった。アイカが出所だということまでは判明している。まさかと、自分が思い当たった考えに冷や汗がでた。
(あのダイヤの原石もアイカが作り出したというのか?)
ありえないと何度も自分の考えを否定し、けれど手の中にはアイカが作り出したばかりの水晶がある。
「これは何の真似でしょうか……」
「見ただろう?アイカは本物の女神だ。あの夜会の日、屋敷の奥にある池で出会った。だから身元をいくら調べても決して分からない」
「女神が住む池……、つまり……人ではないと……?」
「そうだな」
困惑しているグレンをギルバートは苦笑して、アイカの方は恐々と見ている。ギルバートの話をグレンが信じてくれるのか疑っているのだろう。
「信じるか?」
「信じるもなにも、すでに私は雪解けの川に飛び込んだのに、この家の噴水に出るという珍事を経験しておりますからね。本物の女神でというのも頷けます。だだ、女神という存在は御伽噺の中だけの存在と思っておりましたので驚いております……」
賊に囲まれ飛び込んだ冷たい水が流れる川が、突然巨大な口をあけ自分達を飲み込み、次に水から出たら遠く離れた噴水の中だった。広場での歌もそうだ。知らない歌に誰とも知れず音を重ね始め、最後にはアイカの歌声に合わせて大合奏になった。
これがアイカの秘密。
「花祭りの夜に賊に襲われて川に飛び込んだのに、ウチの噴水に出ただろう?」
「あれもアイカですか?この水晶を作り出したように、女神の使って逃げたということでしょうか?」
と、グレンが訊ねると、ギルバートではなく、胸の前で両手を振ってアイカが説明する。
「ううん。あれは私じゃなくて、川の精霊さんたちが助けてくれたの。安全なところに逃してくれるっていうから信じたんだけど、まさか噴水に出るとは思わなくて……」
「……まぁ、おかげで助かったのは事実だ」
誰がどう見ても絶体絶命の状況だったのだ。それを噴水に運ばれたからと憤る気はない。
そう言うと女神を抱き寄せてギルバートは満足そうに微笑み、その腕の中でアイカは少し驚き戸惑ったような表情を浮かべている。
(この人は<女神>を本気で娶ろうと考えているのか)
どんな貴族であろうと、身分の低い平民であろうと、ギルバートが望めば手に入らないものはない。しかし相手が<女神>ならば、こうもギルバートが翻弄され、そしてどうにかして女神の愛を得ようと焦る気持ちが理解できる気がした。
▼▼▼
賊に襲われた花祭りの日を境にアイカの生活は一変した。
賊に女であることをバレてしまい、危険だからと騎士団にはしばらく戻れないとギルバートに言われてしまい、グレンからもスリを妨害したアイカに狙いをつけているようだから危ないと首を横に振られている。
騎士団からグランディ邸に再び戻ったアイカを待っていたのは再び動きにくドレスと増えた警護の数。グランディ家の敷地内であればどこへでも行けるけれど、外へは行けない。
(ギルバートもあの賊の件で毎日お仕事で帰ってくるのは遅いものね)
グランディ家には使用人をはじめメイドや庭師など、沢山の人はいても、騎士団にいた時のように自分に気さくに話しかけてくれる者はいない。ギルバートが招いたアイカを大事なお客様として、どこか一歩引いた位置にいて、甲斐甲斐しくお世話をしてくれる。
そして視線を少し横に向ければ庭を散策している自分達を警護の者たちが木の陰からこちらの様子を覗っているのが分かる。彼らがギルバートに命じられて自分を守ってくれているのは知っていた。
(スリに襲われたとき、こっそり警護してくれていた人が助けてくれたのは勿論感謝しているわ)
けれど、どうしても見張られているような窮屈感を感じてしまう。
「いつになったら騎士団にもどれるのかな、ココ」
ため息混じりに膝の上にいるココに話しかける。
「まだ戻りたいの?もう騎士ごっこは十分楽しんだんじゃ?」
「だってここは私が好きなファンタジーの世界よ?騎士団に戻れないとしても、もっと外の世界のことを色々知りたいわ!」
数人の庭師たちがいつも手入れをしてくれているグランディ邸の庭は、冬以外は色とりどりの花が咲き乱れ目を楽しませてくれる。花は好き。でも街の人々がが行き交う通りや祭りはもっと楽しかった。
騎士団でみんなで笑って食べる料理は、質素であっても、グランディ家で出されるコース料理に負けず劣らず美味しかった。
(はぁ……。外に出たい……いつまでこんな生活が続くのかな……)
何もすることがない部屋にいるよりは、外をココと散策していた方が気が晴れる。
「ねぇ。ずっと思っていたんだけれど、ココは私以外の人ともこうやって話せるの?ギルバートやグレンとか」
「話せるけど必要がない限り人間と話すつもりはないよ。本来猫は人間とは話さないものだからね」
「そうなんだ。私とお話しするだけじゃつまらなかったりしない?他に猫のお友達ができたのなら遊びに行ってもいいのよ?」
「アイカといてつまらない筈がないよ。猫の友達ができたら、アイカにも必ず紹介するから楽しみにしてて」
「ふふ、それは楽しみね」
猫の友達をココに紹介されている光景を想像したら、とたんに頬がほころぶ。
不意に足を止めたココがこちらを見上げる。
「つまらないなら外に出てみる?また川の精霊たちにお願いすれば外に連れて行ってくれると思うよ」
普通に門から出ようとすれば警護の者たちに危険だからと止められてしまうだろう。けれどココの言う通り川の精霊たちに頼めば、花祭りのときのように自分をこの閉じられた庭から街へ連出してくれるかもしれない。
しかし、すぐに今頃必死に賊を捕らえようとしているだろうギルバートの姿が思い浮かび、アイカは、ううん、と首を横に振った。
「外に出たいのはやまやまだけど、そんなことをしたら私を守ってくれてる警護の人たちに迷惑がかかるし、すぐにギルバートに連絡がいって彼も心配するから……」
急に自分がいなくなれば警護の者たちは慌てて自分を探すだろうし、ギルバートにも余計な迷惑がかかってしまう。自分のワガママで足手まといになってはいけない。
(自分がつまらないからって、そんなことしちゃダメよね……)
「だったらさ、外の風景を見せてもらうっていうのは?街の風景とか違う国とか。それだったらここに居ながら外が見れる」
「それだわココ!ナイスアイディアよ!」
それなら誰にも迷惑をかけずに外に出れたような気分になれるだろう。
ココを抱いて川から水が引かれているらしい庭の小川に走る。庭の景観用に引かれた小さな小川にドレスの裾が濡れてしまわないよう気をつけながら、指先を小川の水につけてそっと祈る。
(小川の精霊さん。どうか私にギルバートの姿を見せてください)
すると波間に自分の顔が映っていた川がゆらりと揺らぎ、次に騎士団の奥にあるギルバートの自室だろう部屋の中の光景が映る。
光景が川に映るだけで声は聞こえなかった。しかし、数人の者たちに囲まれながら、ギルバートは真面目な顔で指示をしている。
(やっぱりかっこいいな)
普段、自分には決して見せてくれない将軍としてのもう一つの顔。
しばらく音声のない光景を見ていて、ふと自分がやましいことをしているような気持ちになって、小川につけていた指を離した。
(何してるんだろう私……。こっそり隠れて見てるなんて、まるで盗み見しているみたい……)
ほんの少しだけでもギルバートの姿を見ることができただけで十分だと自分に言い聞かす。
いくらギルバートに会いたいからとこんな盗み見紛いのことをしてはいけない。
見るなら別のものにしておこう。
「アイカはギルバートのことが好きなの?」
隣でギルバートが映った小川を一緒に見ていただろうココに問われる。
その質問に一瞬驚いて、けれど周りにはココしかいない。
「……好きよ」
たぶん初めて自分の気持ちを言葉にしたかもしれない。隣に座るココをそっと抱き寄せて、柔らかな毛並みをなでる。
優しくて、かっこいいギルバート。出逢った時こそわけも分からず囁かれる愛に戸惑ったけれど、どんな時もアイカを一番に考えてくれて、逞しい腕と優しい笑顔で抱きしめてくれた。
騎士になりたいアイカの願いも叶えてくれた。
わざわざ顔を隠し身分を伏せてまで、アイカを花祭りにも連れて行ってくれた。
(好きじゃなかったら、何度も肌を合わせたりなんてしないわ。その口付けを瞳を閉じて受け止めなんかしない。今頃逃げ出して池の中に逃げてる。私は、ギルバートのことが好き)
もう何度心の中で唱えただろう。
その姿を思い浮べるだけで胸が温かな気持ちになる。
「でも、ギルバートはこの国の王様になるみたいなんだよね……」
「王様になると、アイカと何か関係が?それって両想いってことだろ?」
「王様にはね、いつも綺麗なお姫様や王妃様が傍にいるの。女神といっても、力も上手く使えない半人前の私がギルバートの傍にいていいのかなって………」
騎士団の騎士たちだけでなく街の人々にも慕われているギルバートは、きっと素晴らしい王になるだろう。そのとき、グレンが素性の知れないアイカを疑ったように、いずれ王に立つギルバートの傍に自分がいては、ギルバートの迷惑になったりしないだろうか。
いきなり女神だと言ってもすぐに信じる者は少ないだろう。胡散臭い女がギルバートの傍にいる。大多数はきっと怪しみ、アイカがギルバートの傍にいるのを快く思わない。
「両想いなのによく分からないな。好きなら好きって伝えないと誰かに取られちゃうよ。また気持ちがすれ違ってもいいの?」
「ココの言う通りよね」
ココが何を言わんとしているのか察して、アイカは小さく苦笑した。
騎士団にしばらく戻れないことと、警備の数を増やすことをギルバートから話された時、
『私が狙われて危ないのなら、しばらく池の中に隠れていようか?』
アイカは何気なく思いついたままに言っていた。
池の中の洞窟には人間は来れない。そうすればアイカに警護兵を多くつける必要はなくなるし、ギルバートに余計な心配や手間をかける必要もなくなるだろう。
賊が捕まるまで、ほんの少しの間だけ、池で大人しくしていればいいのだ。
しかし、池に戻るとアイカが言った瞬間、ギルバートはぎょっとしたように目を見開き、アイカの両肩を掴んで引き止めた。
『だめだっ!池に戻るのだけは!』
『きゃっ!』
強く肩を掴まれて痛みにアイカは表情を苦痛に歪ませた。
その表情にギルバートはハッと我に戻り、力を緩める。
『すまない、驚かせるつもりはなかった……。だが、わざわざアイカが池に戻る必要はない。賊などすぐに捕らえてみせる。だからアイカは心配することはないんだよ』
強く掴んでしまった肩を撫でながら、アイカの『池に戻る』という提案を否定するようにギルバートは顔を横に振って抱き寄せる。
けれど、アイカの何気ない一言がギルバートを酷く動揺させてしまったのは、無理に平静を保とうとしている様子からすぐに察することが出来た。
ギルバートがこんなに焦った顔を見せたのは、出会って間もない頃に、ココが屋敷の壺を割ってしまい、勢いで屋敷を飛び出してしまったアイカを探しに来たとき以来だ。
(私がもう池の中から戻ってこないか不安なんだわ)
初めて逢った満月の夜に、ギルバートを振りきって池の中に逃げてしまったことが、余計にギルバートを不安にさせてしまっているのかもしれない。
だからアイカが池に一度だけでいいから戻りたいと何度言っても、話をのらりくらりとはぐらかしていたのだと察せられた。
好きだと伝えられたらなら、ギルバートはアイカを信じてくれるかもしれない。しかし、ギルバートの身分や王になるという未来に、伝えるのを躊躇ってしまう。
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完結しました。
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