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そちらから婚約破棄?よろこんで!貴方なんて大嫌いだもの!

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 ルイスたちの一団が数日滞在したイングバートン家から王都への帰途についてから、リリーが屋敷に戻ったのは3日後のことである。
 それまでどうしていたのかと言えば、隣の隣の街の宿屋に身分を隠し宿泊していた。身分を隠すと言ってもカデール領は広い。なのでリチャードが納める領地内であることは変わりなく、その令嬢であるリリーが内緒で数日泊めてほしいと言われたら断れない。

 なぜ侯爵令嬢が供も連れずに一人だけで宿泊を?と主人は疑ったが、そこはリリーもしっかりしていた。金貨が入った袋を宿屋の主人に握らせれば、主は無言で袋を懐に仕舞い「かしこまりました」と共犯者になる。

「ただいま。戻ったわよ」
「リリーお嬢様!今までどこへ行ってらしたのですか!?誰か旦那様にお知らせして!」

 屋敷に戻ってきたリリーの姿を見るなり、使用人たちとメイドたちが慌てて出迎えた。あれだけ屋敷中のみなで探しても見つからなかったのに、本人はそんな使用人たち苦労など、どこ吹く風で飄々としている。

「あれほど王都からルイス王子がいらっしゃるからどこにも出かけないようにと念押ししていらっしゃったではありませんか!?もうルイス王子は王都へ帰られてしまいましたよ!?」
「いいことじゃない。会わずに済んで」

 悪びれることなくリリーが言うと、メイドはハァと大きな溜息をつく。そこへ足早に老年の執事がリリーを出迎える。

「お嬢様、旦那様がお呼びです。こちらへ」

 最初にリリーを出迎えたメイドのように声を荒げることなく、執事は落ち着いた声でリリーをグレッグがいるのだろう部屋へと案内する。

(何時間小言を言われるか分からないけど、それでもルイスに会うより断然マシだもの。数ヶ月経ったからって平気な顔で会えるものですか。お父様のお叱りも少しの間だけ我慢するわ)

 案内された部屋の前で心の中でリリーは悪態をついてから、扉を2つノックしてからドアノブを引く。グレッグのことだから自室か書斎、それかガーデンテラスの方にいるだろうとリリーは思っていたのに、屋敷の奥の部屋だった。
 
「戻りましたわ、お父様。リリーです」

 着ているドレスの両裾を指で摘み、リリーは軽くお辞儀をしてグレッグに挨拶をした。
 しかしグレッグの返事は待っても返ってこない。不審に思ってリリーはそっと部屋の中へ進む。この部屋は客室にもなっていて、奥に部屋がもう1つある。
 そちらの部屋にいるのだろうか。

「お父様?どこにいらっしゃるの?」

 しかし奥の部屋にはいって見渡してもグレッグの姿はない。しかし、何気なく振り返った先に立っていた人物に目を見開いた。

「リリー」
「ルイスっ…様……、どうしてここに?もう王都に帰ったはずでは………」

 ひゅっと息が止まりかける。とっくに衛兵たちは王都へと立ち去った。その隊列をリリーは宿屋の2階の窓からこっそり見ていた。だからもうルイスはこの屋敷にはいないと思って帰ってきたのに、王宮にいた時と変らない洗練された装いのルイスがいる。
 それはイングバートン邸にルイスがいるのではなく、リリーが王宮に戻ったかのような錯覚を思い起こさせた。

「俺が帰ったと偽装しただけだよ。衛兵たちはカデール領を出た先の街で待機している。リリーと会うまで、この屋敷に残ることをグレッグ侯爵も許してくださった」

 ゆっくりとした足取りでルイスは歩み寄ってくる。微笑むのでも怒りの眼差しでもなく、リリーを見るルイスの瞳は静かだった。
 そのルイスをリリーは悔しさでキッと睨みつける。

「また私を偽ったのですね……。どうしてわざわざカデールにまで来たんですの?また手紙で済ませれば良かったじゃないですか」

 またルイスに裏をかかれてしまった。王宮でもルイスに捕まらないようにリリーが逃げても、いつも先回りをしたルイスの腕の中に掴まってしまっていた。
 だからカデールでは護衛の衛兵たちが立ち去るのを確認してから家に戻ったのに、それすらルイスに見越されていた。

「婚約破棄したいのなら自分で直接リリーに言ってこいと父上に言われた」
「婚約破棄?いいんじゃないですの?これでお互い婚約破棄したいという意見は一致しましたわね。晴れて私たちの婚約はなかったことに出来ますわ」

 ルイスが婚約破棄について言うと、リリーは驚きながらもすぐに笑顔作った。
 その晴れ晴れとした表情のリリーに、ルイスは再会してからようやく感情らしい感情を顔に出した。ただしそれは自嘲に分類されるもので。

(よくないさ。直接会えば決心が揺らぐ。それを分かってて母上も俺に行かせようとするんだからな)

 元々、ルイスとリリーの婚約話を最初に言い出したのはエマだ。だからエマの了承を得て文面で破棄の話を進めようと考えていたのに、婚約破棄したいなら自らカデールに出向き、話をつけてこいときた。

『確かに婚約の話は私が発端です。しかし、婚約するかどうかの決断はルイス、貴方に託しました。そして貴方はリリーと婚約すると決めた。でしたら、自分の決断の尻拭いは自分でしなさい。それとも婚約破棄したくないのでしたら、素直にそうリリーに言ったらいいでしょう?』

 悔しいことに、エマの読み通りにもう決心が揺らぎ始めている。

 リリーと婚約破棄したくない。
 リリー以外のどの女性とも結婚したくない。
 リリーとずっと一緒にいたい。

(自分を王子としてではなく、1人の人間として見てくれるのも、裏表なく屈託なく笑いかけてくれるのもリリーだけだった。恋の駆け引きにもキミは通じなくて、真っ直ぐな言葉しか届かなかった)

 この先ずっと嫌われてもいいから、リリーを他の男に渡したくない。たとえ泣いてしまっても自分の腕の中に閉じ込めておきたい。

(無理矢理でも王都に連れ帰ってしまおうか)

「いや!来ないで!」

 近づいてきたルイスの顔を打とうとしたリリーの平手をルイスは簡単に捕まえ、逆に掴んだ腕を引っ張って抱きしめた。

「きゃっ!!離して!」
「駄目だ。離さない」

 見習い騎士の時ならルイスに捕まってしまえば大人しくなっていたけれど、ここは王宮ではない。そしてリリーも1人の女性として無体を強いる相手から逃れようと抵抗した。

 だが、まだ16のリリーの力はたかが知れいる。大人の暴れるリリーを逃すまいと、ルイスは腕に力を篭めるだけで抵抗を封じることができた。
 すると、力では逃れられないと察したらしいリリーは、涙目でルイスを見上げ、それまでの丁寧語から素の言葉使いでルイスを責め出した。

「嘘吐き!私が見習い騎士していること誰にも言わないって言ったのに!陛下と王妃様が知ってるって話したときも、貴方は笑っていたわ!ずっと心の中で笑っていたのね!?その程度の約束だったのでしょう!?私が好きで見習い騎士なんてやっていたわけじゃないのに!貴方に何をされてもずっと我慢していたのに!離して!私に触らないで!」
「そうだね。嘘の約束をした」
「嘘?」
「見習い騎士になれば、リリーはカデール領に戻らず、ずっと俺の傍にいてくれるだろう?騎士にするつもりなんてはじめからなかったよ」

 リリーの心には偽りは届かないと途中から気づいていたのに、偽りであっても主従の関係であれば自分の腕の中にいてくれるという甘えから抜け出せなかった。
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