群瞬歌

山上風下

文字の大きさ
上 下
5 / 8
第五章 現実

現実

しおりを挟む
 ツーリングから二週間ほど経過し、五月に入った。今日はとある理由で、部活の朝練が無い。いつもより遅い時間に目を覚まし、余裕を持って家を出た。
「おはよう、蒼っち。今日は朝練ないねんな」
 信号待ちしていた蒼っちに、後ろから声をかけた。
「おはよう! そっちこそ、朝練ないんだね。男子も女子もないなんて珍しいね」
「先週の練習試合で先輩が惨敗して、監督がブチ切れてな。当分朝練に参加するのは三年生だけや。俺ら下級生がおったら、コートで練習できる時間が減るからな」
「なるほどねー。男子は監督が厳しいから、大変だね」
 朝練が無いと、コートで練習できる時間が減るので苦しい。だが、睡眠時間が二時間ほど増えるので、正直に言うと嬉しい。
「そういえば、バイトはどう? ツーリングで話し合って決めたことはやれてる?」
「話してた時は簡単に感じたけど、いざやってみると上手くいかへんもんやな。しかも、すぐに結果が出るもんじゃないから、このやり方で良いのか不安やし」
「だよね。みんな同じこと言ってるよ。今日の夜に四月の売り上げが張り出されるはずだから、見ておくよ。ちょうど、今日はシフト入ってるし」
「おお、もうそんな時期か」
 【山風】は休憩室の壁に、先月の売り上げが張り出されている。また、机の上に置いてあるノートには過去三年間の月別売り上げが記載されている。そのノートに書かれている過去の売り上げと今年の売り上げを見比べれば、俺たちの取り組みに効果があったのか分かるはずだ。
「売り上げ、上がってると良いけどな……」
「見てみんことには、何とも言えへんな。
てか、学校の方から、何か聞こえへん?」
よく聞くと、大人数の男女が何かを叫んでいるようだ。その声は学校に近づくにつれて、だんだん大きくなる。
「この声は、応援団の練習だよ。今日から本格的に練習がスタートするって聞いたから」
「応援団って、朝練まであるんか?」
「放課後は部活やバイトがあるから、朝練がメインらしいよ。放課後も練習できる日は、可能な限りやるらしいけど、部活とバイトが優先なんだって」
 応援団の応援合戦は、種目の一つなので得点が付く。しかも、他の種目よりも配点が大きいので、どの団も可能な限り練習するようだ。
「確か、京、本田、川崎が応援団に入ってるんやんな?」
「そうだよ、三人とも今日の朝練には参加してるんじゃないかな」
「部活もバイトも大変やのに、よくやるな……」
「まゆゆは『桜が入らないから、俺も入らない』って言ってたよ。ホントに二人とも仲が良いんだね」
 元気に話す蒼っちの方を見ると、低い声で髪を少しいじり、斜め上を向いていた。多分、守友のモノマネだろう。
「あかん、蒼っちがやる守友のモノマネ、俺ツボや」
 下駄箱で周りに大勢の人がいるにも関わらず、全力で守友のモノマネをする蒼っちに我慢できず、笑ってしまった。ちょっとギザな感じが絶妙に似ている。
「似てるでしょ? 最近練習してたんだ」
「めちゃくちゃ似てる。今度、本人の前でやってや」
「絶対怒るから嫌だよ」
「いや、別に怒んなねえよ? 似てないし」
「げ、まゆゆ」
 下駄箱の裏から、守友が不気味な笑顔を浮かべ、急に現れた。どうやら今の一連の流れを聞かれていたらしい。
「あっ! 私、部室に忘れ物してた! じゃあこれにて、ドロン!」
 そう言うと、靴を履き替え、部室ではなく、教室の方に走って行った。
「逃げても、俺と同じクラスなんだから意味ないのに……」
「守友にしては早く着いてんな」
「朝練の起床時間が染みついててな。勝手に目が覚めるんだよ」
「俺も一緒やわ。まあ、遅刻しないし健康的やからエエねんけどさ」
「なあ、授業が始まるまで時間あるし、応援団の練習でも見に行こうぜ。青団は中庭で練習してるから、教室に行く途中の窓から覗けるし」
「ああ、ええよ」
 守友に誘われ、廊下の窓から応援団の練習を見てみると、京たちがジャージを着て練習している。
「京と川崎が大声出す場面はよく見るけど、本田が大声出すのはあんま見ないから、何か新鮮やな」
「本田ちゃんは明るいけど、大声出すキャラじゃないもんな」
「何で応援団入ったんやろな? 友達に誘われたとか言うてたけど」
「色々あるみたいだぜ。本人に聞いてみ」
「何や、意味ありげな言い方して。何かあるんか?」
「いや、俺も本人から聞いた訳じゃなくて、噂で聞いただけ。だから、本人に聞いてみろって」
「うーん。分かった」
 少し気になるが、守友が頑なに教えてくれないので諦めた。後で本田に直接聞いてみよう。
「なあ、桜見てみろよ、あれ」
 守友が指差す方向を見てみると、少し髪の長い男と川崎が楽しそうに会話していた。
「あいつって、サッカー部の八幡やっけ? なんか楽しそうに話してるな」
「絶対に狙ってるぞ、あれは」
「何を? 命? お金?」
「いや、八幡が川崎ちゃんを女として、狙ってるってこと」
「川崎を? 女として?」
 守友の言っていることが理解できず、一瞬思考が停止した。
「言っておくけど、川崎は人気あるぞ。性格いいし、ノリも良い。顔も黙ってたらに美人だしな」
「何か慣れすぎて、分からへん」
「桜は慣れた女の子を異性として、全く見れなくなるからな」
「せやな、その代わり慣れるまでクソ時間かかるけど。
って、俺のことはどうでもよくてやな。あいつら付き合うんか?」
「傍から見ればお似合いだけど、川崎ちゃんは八幡の好意にまっっっったく気付いてないから、何とも言えないな。でも、彼女は頼まれたら断れない性格だし、強く言い寄られたらOKするんじゃないか」
 川崎が男と付き合っている姿何て想像できない。しかし、告白されて断り切れず、付き合ってしまう姿は容易に想像できる。
「しかも、噂によれば体育祭の終わった後に、みんなの前で告白する計画らしいぞ」
「ええ、恥ずかしっ。じゃなくて、そんな場面で告白されたら、川崎じゃなくても絶対に断れへんで」
「断れないように、みんなの前で告白するんだろ、きっと」
「その告白シーン、絶対に見たくないわ」
《キーンコーンカーンコーン》
 一限目開始のチャイムがなった。よく見ると、中庭にも廊下にも人がいない。どうやら、話に夢中になりすぎて、授業が始まったようだ。
「やばい、授業始まる。走るぞ、桜!」
 慌ててリュックを背負い、全力で廊下を走った。


 (やっと昼ごはんの時間か。腹減ったな)
 四限目の授業が終わり、昼休みに入った。今日は母が朝からパートに出ていたので、弁当が無い。なので、食堂で昼ご飯を食べるつもりだ。
「ごめん、今日は弁当無いから食堂でいいか?」
 俺はいつも、京と、京と同じバスケ部の岡本、そしてテニス部の杉山と昼ご飯を食べている。
「ああ、良いよ。行こうか」
 岡本は弁当を持っているが、俺に合わせてくれるようだ。
「あっ、でも京は応援団のメンバーで食べるんやっけ?」
 杉山はカバンから財布を取り出し、京の方を向いた。
「ああ、何か少しでもチームワークを高めたいとか何とかで、先輩に誘われとるわ。めんどくさいけど、断んのもあれやし、行くわ」
 京は少し不機嫌な顔をしながら、弁当を持って教室を後にした。
「なあ、桜なら知ってるんじゃないか?」
「確かに桜は京とも本田さんとも仲いいから、知ってそうやな」
 岡本と杉山が何やらこそこそ話している。
「何の話や?」
「あのさ、本田さんと京って付き合ってんの?」
「え?」
 予想にもしていなかった話に、言葉が出なかった。
「付き合ってるって、あの二人が?」
「やっぱり、桜も知らんのか。何か噂になってるであの二人。同じクラスになってから、よく二人だけで話すとこ見かけたし」
 それはバイトの話だろう、と思ったが、説明するのが面倒なので黙って話を聞いていた。
「それに本田ちゃんって、怒ったりしたら手が付けられんくなるけど、京の話は素直に聞くやん」
 それは、好意とは違う感情が関係していると思ったが、説明するのが面倒なので黙って話を聞いていた。
「そんで、決定的なのが応援団」
「応援団?」
「最初、京に応援団入る気あるのか聞いたら、無いって答えてん。でも、そう答えた二週間後に急に入るって言い出してん」
「元々ああいう派手なこと好きやし、気が変わっただけちゃうん」
「いや、急に入るって言い出したのは、本田さんが入るって聞いた後なんだよ。つまり京は本田さんと一緒に過ごしたいから、応援団に入ったとみた!」
「こじつけっぽいけどな、それ……」
「クラスのみんなが言うてるで。お似合いの二人やし、みんな応援してる」
「うーん、俺は違うと思うけどな」
「桜は鈍感やからな。気付いてないだけちゃうの」
 確かに、俺は恋愛ごとに関してはサッパリだ。俺が気付いていないだけで、二人が両思いで付き合おうとしていても、何らおかしくない。本田が京の言うことを素直に聞くのは、尊敬に近い感情があるからと、守友は言っていた。しかし、『好きだから』という理由の方がしっくりくる。
「確かに、言われてみればお似合いやし、両思いなんかも……」
「そうそう、お前が鈍感だから、気付いてないだけ。これから三人で遊ぶときがあったら、気を使えよ」
「そうするわ」
 二人が両思いだと考えると、強い疎外感を感じた。しかし、それ以上に全く気を使えていなかった自分が恥ずかしくなった。
「おい、このまま話し続けてたら、食堂が閉まっちゃうぞ」
「ホンマやな、早くいこか」
 リュックから財布を取り出し、食堂に向かった。


「じゃあ、今日の練習は終わり。寄り道せずに、事故に気を付けて帰るように」
『ありがとうございました!』
 監督に部員全員でお辞儀して、今日の部活が終わった。《始まりと終わりの挨拶は、全力で行う》、これがうちの部活の伝統だ。最初はめんどくさいと思っていたが、今では身が引き締まる気がして、気に入っている。
「今日はちょっと用事あるから、先に帰るわ!」
 守友はそう言い放つと、着替えを済ませ、走って更衣室を後にした。
(守友の他に帰る方向が同じやつおらんし、今日は一人で帰るか)
 先輩や友達に挨拶を済ませ、駐輪場に向かう。
「あれ? 今日は一人で帰るんか?」
 自転車の鍵を探していると、本田が話しかけてきた。
「守友は用事が有るらしくて、先に帰ったわ」
「松葉以外で一緒に帰る友達おらんのか……。可哀想そうやから、一緒に帰ったるわ」
「テニス部に帰り道が一緒のやつおらんだけや。友達は普通におるわ」
「はいはい、分かったから、早く帰ろうや」
 いじられるのはムカつくが、一人で帰るのも寂しいので、言い返さずに本田と帰ることにした。
「おーい、双葉ちゃん! もう帰るの?」
 正門を出ると、後ろから本田の名前を呼ぶ女性の声が聞こえた。声の方を見てみると、同じクラスの女の子、佐藤だった。佐藤の他にも何人か女の子がいるが、違うクラスの子なので名前があやふやだ。
「もうすぐ男子バスケ部の練習が終わるらしいよ? 待たないで良いの?」
「いや、ちょっと用事あるし帰るわ。また明日ね」
「そっかー、用事があるなら仕方ないね。じゃあ、明日!」
 佐藤とはあまり話ことがないが、一応同じクラスなので会釈だけしておいた。こういった、顔と名前だけ知っている相手への挨拶は、なぜか緊張する。
「先に言うとくけど、私と天津は好き同士でもないし、付き合ってもないからな」
 俺が聞こうとしていた内容を本田の方から話し始めた。驚いて本田の方を見てみると、少し不機嫌な顔をしながら、自転車を漕いでいる。
「何も言うてないやんけ」
「顔見たら分かんねん。どーせクラスのやつから何か聞いたんやろ?」
「聞いたけど、半信半疑やったし」
「半分は信じてたんやろ? 噂話何か信じんなや、私たちが付き合ってるように見えたんか?」
「そうは見えんかったけど、俺はそういう系に疎いし。それに何だかんだお似合いやなって」
「はあ?」
 本田がここ最近で一番怖い顔で睨みつけてくる。どうにか機嫌を取らないとまずい。
「そ、そういえば、本田は何で応援団に入ったんや? 自分から進んで入るとは思えへんけど」
「その応援団のせいで変な噂話が出てるんや」
 どうやら応援団の話題は地雷だったようだ。さっきよりも機嫌が悪くなっているのが分かる。
「そ、それはどういう?」
「応援団に入る前から『付き合ってるの?』って聞かれることはちょいちょいあった。二人だけでよく話をしてたからな」
「バイトの相談やろ?」
「そうや。そん時は否定したら信じてくれたし、大して噂話にもならんかった。でも、応援団に二人して入ってから、否定しても信じてくれへんくなって、付き合ってるっていう噂話が一気に広まった」
「二人で応援団に入っただけで? そんなんで付き合ってるって噂が広まるか?」
 岡本と杉山から話は聞いている。しかし、話の腰を折らないように、知らないふりをしておこう。
「京は最初、めんどいから応援団には入らんつもりやって言うてたらしいねん。でも、急に意見変えて絶対に入るって言い出したらしい」
「別にただ気が変わっただけやろ?」
「理由は知らん。やけど、そう言い出したのは私が入るって言うた後や」
「そうか、それを聞いたみんなは、本田がおるから入ったって思ったんか」
「しかも、クラスの子らはどうしても天津に入ってほしくて、色々説得しててんて。誰が言うても絶対に聞かんかったのに、急に入るって言い出したら、そりゃあ何かあると疑うわ」
「京が入った本当の理由は知ってんの?」
「知ってる」
「なら、それをみんなに言うたらええやん」
「嫌や、絶対に言わへん。というか、言われへん」
「何やそれ。てか、お前が応援団に入った理由も聞けてないぞ」
「私はみんなに誘われたからや。まあ、みんなが私を誘った理由は『私がおったら、天津が入ってくれるかもしれへんから』っていう理由らしいけどな」
「色々大変やな、お前ら」
 と言いつつも、いつも強気な本田が弱っている姿は、あまり見られないので内心楽しんでいた。
「おし、気分転換に【山風】行くか」
「何でや」
「今日は売り上げが張り出される日やろ? この一か月に意味があったのか気になるやん。それに、今日は久しぶりに宗谷さんがシフト入れてたし」
「そうか。じゃあ、ここでお別れやな。俺の家、この交差点を左やし」
「何帰ろうとしてんねん。今日のバイトは山羽と宗谷さんだけやぞ。女の子だけで帰らせるんか?」
「ええ……」
 言い返そうとしたが、今日の不機嫌な本田を相手に下手なことはできない。おとなしく付いて行くのが正解だ。まあ、宗谷先輩にも久しぶりに会いたいし、行って損はないだろう。


 【山風】に着き、売り上げが張り出されている休憩室に入った。本田と二人で休憩室に張り出された四月の売り上げと、ノートに記載された過去三年間の売り上げを見比べた。
「あんまり変わらんな。何なら、去年よりもちょっとだけ売り上げ下がっとるし」
 本田が険しい顔でノートを見ながら、つぶやいた。
「まあ、まだ一カ月やからな。そんな簡単に売り上げなんて上がらんて」
「でも、七月までに結果を出さなあかんねんで? そんな呑気にしてる暇ないって」
 本田の目が少し潤んでいる。まだ行動し始めて一カ月目だ。売り上げが劇的に上がっている、なんてことはありえないと分かっている。しかし、長い時間をかけて考え、話し合い、頑張った。心のどこかで少なからず期待していたのだろう、俺も本田も気落ちしてしまった。
「来月も売り上げが変わらんかったら、もう一回みんなで話し合おうや。とりあえず今はみんなで決めたことを継続していこう」
「う、うん、そうやな。今はみんなで決めたことを継続していくしかないもんな」
「しかも、ノートをよく見たら、一年前の四月が良すぎるだけで、今年が悪いわけじゃないみたいやで」
 ここまで弱気になっている本田は初めて見る。まさか、この俺が本田を慰める日が来るなんて、考えもしなかった。
「あれ? 双葉姉さんと桜っちじゃん。二人とも何しに来たの?」
 蒼っちがバイトを終えて上がってきた。
「売り上げが気になって見に来たんや」
 蒼っちには弱気な姿を見せたくないのだろう、急に元気な声を出して笑顔で返事をしている。
「ん? 何で守友がおんねん」
 さっきまで一緒に部活をしていた守友が、蒼っちの後ろからバイトの制服を着て現れた。
「部活の終わり際に蒼ちゃんから、今日は人手が足りてないって連絡をもらってさ。部活終わって急いで行けば、片付けだけでも手伝えるだろうと思って急いで来たんだ」
「団体でも入ったんか?」
「いや、今日来るはずのパートさんが急に来れなくなったらしい。まあ、子供が熱出したって言ってたから仕方ない」
 パートさんは長いこと働いているだけあって、大学生よりも仕事ができる。しかし、全員結婚して家族がいるので、今日のように家庭の事情で急に来られなくなることがたまにある。
「宗谷さんは? まだ上がってこないんか?」
 本田は宗谷先輩と会うのを楽しみにしていたので、ソワソワしている。
「もうちょっとだけ残るって言ってたよ。でもすぐに上がってくると思うけど、もうお客さんは全員帰ったし」
「お客さんはもうおらんねんな。なら、私と宮は店長と女将さんに挨拶してくるから、あんたらは着替えときや」
「分かった。着替えて上で待ってるね」
 二人で階段を降り、社員さんに挨拶をしてからフロントへ向かった。
「「お疲れ様です」」
「あれ、本田ちゃんと宮くんやん。何しにきたんや?」
 女将さんが今日の売り上げを紙に写しながら、俺たちの方に顔を向けた。
「売り上げが気になって見に来ました」
「あー、そうか。あんまり変わらんかったやろ?」
「はい……」
 本田がまた暗い顔で少し下を向いている。
「売り上げは変わらんけど、お客さんからの評判はええねんで」
 俺たちの声を聞いて、店長が奥の靴箱から顔を出した。
「そうやで。ここのバイトの子たちは高校生とは思えないってよく言われるねんから」
 女将さんが笑顔で話を続けた。
「ホンマですか?」
「私たちがそんな嘘つかんこと、よく知ってるやろ?」
 店長と女将さんの話を聞いて、本田の表情が一気に明るくなった。
「お疲れ様です。ってあれ? 宮くんと本田ちゃんじゃん。どうしたの?」
「宗谷さん、お疲れ様です。売り上げが気になったので見に来ました」
 本田が嬉しそうに、宗谷先輩に近づく。
「そういえば、今日売り上げが張り出されるんだったね」
 久しぶりに宗谷先輩に会うことができた。選考テストに合格し、大学代表として留学することが決まったと川崎から聞いている。もちろん、氷室先輩も。
「留学生に選ばれたから、すぐに出発するんですよね。いつからあっちに行くんですか?」
 本田が尊敬のまなざしを向けている。
「二日後に出発だね。お土産、ものすごいの買って来るから期待しててね」
「はい!」
 本田の表情が更に明るくなった。さっきまで半泣きだったくせに。
「じゃあ、もう帰ろっか。最後に店長と女将さんに挨拶するから待っててね」
「「はい」」
「店長、女将さん今日は上がらせていただきます。また、出発の前日に氷室を連れて、挨拶に来ますので」
「そうか、楽しみにしとるわ。当分会えんくなるのは寂しいけど、勉強ならしゃーないな」
「健康だけには気を付けてや。死んだら元も子もないんだから」
 店長と女将さんは、まるで我が子の巣立ちを見送るような、寂しい表情をしている。考えてみれば、氷室先輩と宗谷先輩はここで働き始めてて五年目だ。自分の子供のように感じるのも無理はない。
「別に数カ月離れるだけなんで、大袈裟ですよ。冬はしっかり働くので期待しといてください」
 挨拶を済ませ、二階の休憩室に上がると守友と蒼っちの声が聞こえる。二人とも着替え終わっているようだ。
「じゃあ、着替えてくるね」
「宮たちと適当に喋って待ってるんで、焦らんで大丈夫ですよ」
 宗谷先輩は更衣室に、俺と本田は休憩室に向かう。
「あっ、二人とも帰ってきた。宗谷さんは?」
「宗谷先輩は更衣室で着替えてるわ。守友と蒼っちは何の話しとったん? ずいぶん盛り上がってたみたいやけど」
「売り上げの話だよ。見てよこれ! 全然効果ないんだもん」
「だ・か・ら、まだ一か月目なんだから、仕方ないだろ。こういう地道なことは結果が出るまで時間がかかるんだからさ!」
 守友が大声で蒼っちに言い聞かせる。
「えー、今月には売り上げが百倍ぐらいになってると思ってたのになぁ」
「蒼っちは楽観的過ぎや、来月も変わらんかった時はまた話し合おうや」
「まゆゆと桜っちが悲観的なんだよ。双葉姉さんはどう思う?」
「私も効果が現れるまで時間が必要やと思うで。気長に待ちながら頑張ろうや」
 ついさっき売り上げを見て、半べそかいていた人間の言葉には思えない。突っ込んでやりたいが、後が怖いのでやめた。
「売り上げは変わらないけど、お客さんからの評判は良いみたいだぞ」
「え? Goo◯le m◯pの評価、上がってたん?」
 守友の言葉を聞いて、本田の目が輝いた。
「いや、そういうわけじゃない」
「なーんや」
「じゃあ、何で評判が良いなんて分かるの? まゆゆ」
「店長や社員さんに言われたんだよ。最近、俺たちバイトを褒めるお客さんが増えたってさ」
「ふ、ふーん。まあ、あんだけ頑張ってるからね」
 蒼っちは嬉しさをこらえきれずにニヤニヤしている。よく見ると、蒼っちに隠れて本田の口元も少し緩んでいる。そういう俺も守友の話を聞いて、自然と笑顔になっていた。
「どうしたのみんな、ニヤニヤして。何か面白いことでもあったの?」
 宗谷先が着替え終わり、更衣室から出てきた。事情を知らない先輩からすれば、全員が静かににやついているこの光景は不気味に見えただろう。
「聞いてくださいよ、宗谷さん! 私たちのことを褒めてくれるお客さんが増えたんだって!」
「おお、それはよかったね。蒼ちゃんたちは優秀なんだから当たり前だと思うけど」
 宗谷先輩の言葉を聞いて、蒼っちの顔がさらに緩んでいる。
「宗谷先輩、蒼ちゃんはすぐに調子に乗るんで、あんまり甘やかさんでください」
「いいじゃん、調子に乗っても」
「ホントにあんたたちは仲がいいね。じゃあ、今日はもう帰ろうか」
 店を出て駐輪場に向かう。外はすっかり暗くなっており、スマホのライトを付けながら自転車の鍵を開けた。
「暗くて危ないし、俺と桜で送りますよ」
「家の方向違うから大変でしょ? 暗いって言っても十時前だし大丈夫だよ、ありがとね」
「そうそう、宗谷さんの言う通り心配しなくても大丈夫。そもそも、私たち三人の家はすぐそこじゃん」
「まあ、そうだけどさ」
「私たちは三人でガールズトークを楽しみたいねん。ってことで、また明日な」
 強引に話を終わらせ、本田は蒼っちと宗谷先輩を連れて、帰って行った。
「まあ、あんだけ言ってるし大丈夫だろ。俺たちも帰ろうぜ」
「そうやな、帰ろか」
 忘れずにライトを付け、自転車を漕いだ。
「本田ちゃんが応援団に入った理由、聞いたか?」
「聞いたで。京を入れるために誘われたらしいな」
「本田ちゃんは人気者だから、みんな普通に入ってほしい気持ちはあったと思うよ。でも、京を勧誘するために誘ったっていう事実があったのは確かだな」
「京と本田が噂になってることも知ってんの?」
「ああ、クラスの友達に本当かどうか聞かれたし」
「他のクラスにも広まってるんか」
「二人とも目立つし、バスケ部のエース同士が付き合ったらビッグカップルっぽいだろ?」
「ふっ、確かにそうだな」
 あの二人が大物カップル扱いされている姿を想像して、思わず笑ってしまった。
「このままやとホンマに付き合うことになるんちゃう」
「あの二人はそんな気持ち一切ないだろうけどな。でも、周りのやつらは二人が恥ずかしがって、素直になれてないだけと思ってるんだと。一部では体育祭終わりに、告白する場を用意しようと考えてるやつもいるって話だ」
「何それ、気持ちわるっ。人の恋愛に首突っ込んで何が楽しいねん」
「さあ、少女漫画やテラス◯ウス感覚で楽しんでるんだろ。少なくとも周りのやつらは善意百パーセントみたいだな」
 少女漫画は好きだが、現実の、しかも他人の恋愛を見て楽しむ感覚が理解できない。
「その話のついでに聞いたんだけどさ、サッカー部の八幡っているだろ?」
「ああ、お前の見立てでは川崎を狙ってるっていう、あのサッカー部のイケメンか。そういえばあいつもみんなの前で告白するつもりだとか言うてたな」
「その話本当みたいだ。体育祭終わりのどっかで告白するんだってさ」
「体育祭終わりにってすごいな。ギャラリーも多いやろうし、何より断られたらめっちゃはずない?」
「絶対に成功すると思ってんだろ。本田ちゃんと京が付き合う流れで、自分も告白して付き合うつもりなんだとさ」
「京が最初から素直に入っとけば、本田は勧誘されず、こんな厄介ごとに巻き込まれんかったやろうにな」
「いや、本田ちゃんは勧誘されなくても入ってたぞ。そんで応援団の練習中に京と仲いい姿を見られて、噂になって、今と同じ状況になってたはずだ」
「何で本田が勧誘されずに入るんや? あいつ、別に応援団とかそういうの好きじゃないやろ」
「そもそも本田ちゃんが人に勧誘されただけで、入ると思うか?」
「思わない」
「だろ? 強引に勧誘していたとしても、彼女の性格上入りたくないなら絶対に入らない」
「何なら、強引な勧誘は逆効果やろうしな」
 守友の話にハッとする。じゃあ、何で本田は応援団に入ったんだ?
「だから、勧誘されたっていう理由は後付けだ。本当に入った理由は別にある」
 相変わらずこいつの考察力は気持ち悪い。人の細かいところまで理解しすぎだ。
「で、その理由は? そんだけ言うなら何か知ってるんやろ?」
「その理由は……、じゃあ俺こっちだから、また明日な」
「言わんのかい!」
「ちょっとは自分で考えろ」
「モヤモヤすんなぁ。じゃあまた明日な」
 守友に手を振り交差点を左に曲がった。本田の本当に入った理由というのは気になるが、また今度守友にお願いしてみよう。あいつの性格を考えると、教えてくれないだろうが。
「ただいまー」
返事がない、家族は寝ているようだ。みんなを起こさないように、ゆっくりと歩きながら自分の部屋に入った。
(来月は体育祭、その次の月には【山風】の経営権が決まるのか。この三カ月はゆっくりできそうにないな)
 これからの日々を想像しただけで疲れる。とりあえず今日はもう眠いので、早くシャワーを浴びよう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

大好きな背中

詩織
恋愛
4年付き合ってた彼氏に振られて、同僚に合コンに誘われた。 あまり合コンなんか参加したことないから何話したらいいのか… 同じように困ってる男性が1人いた

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

最愛の彼

詩織
恋愛
部長の愛人がバレてた。 彼の言うとおりに従ってるうちに私の中で気持ちが揺れ動く

乗り換え ~結婚したい明子の打算~

G3M
恋愛
 吉田明子は職場の後輩の四谷正敏に自分のアパートへの荷物運びを頼む。アパートの部屋で二人は肉体関係を持つ。その後、残業のたびに明子は正敏を情事に誘うようになる。ある日、明子は正敏に結婚してほしいと頼みむのだが断られてしまう。それから明子がとった解決策 は……。 <登場人物> 四谷正敏・・・・主人公、工場勤務の会社員 吉田明子・・・・正敏の職場の先輩 山本達也・・・・明子の同期 松本・・・・・・正敏と明子の上司、課長 山川・・・・・・正敏と明子の上司

待て。さわるんじゃない。

志野まつこ
恋愛
【NL1話完結】「ワンコ系年下男子に壁ドン。ときめきませんか」そう言った5歳年下の後輩男子。 何を言っても華麗にスルーされ、思わず「Don’t touch me.」とか「stay」とか小学生レベルの英語で身を守ろうとしたがやっぱり一蹴された。さすがは期待の若手営業担当者。 年下とは思えない弁論と説得力で口説いてくる年下ワンコ系猛禽類と、お局クラスのお姉さんの書類倉庫での攻防。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【完結80万pt感謝】不貞をしても婚約破棄されたくない美男子たちはどうするべきなのか?

宇水涼麻
恋愛
高位貴族令息である三人の美男子たちは学園内で一人の男爵令嬢に侍っている。 そんな彼らが卒業式の前日に家に戻ると父親から衝撃的な話をされた。 婚約者から婚約を破棄され、第一後継者から降ろされるというのだ。 彼らは慌てて学園へ戻り、学生寮の食堂内で各々の婚約者を探す。 婚約者を前に彼らはどうするのだろうか? 短編になる予定です。 たくさんのご感想をいただきましてありがとうございます! 【ネタバレ】マークをつけ忘れているものがあります。 ご感想をお読みになる時にはお気をつけください。すみません。

処理中です...