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彼のトラウマ

84話

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「幼いころに両親を亡くしたリョウは、一時期、ドイツの修道院に預けられていたのです」
「修道院!?」
「そう、修道院です。ユウイさんの国では、珍しいかもしれませんね」
 なんだろう。この違和感。
 “ユウイさん”と呼ばれることに慣れていないせいなのか、何か、変な気がする。

「リョウの家系は、代々、敬虔なカトリック教徒でしたので、いずれ聖職者になる予定だったのです」
「そんな……両親を亡くしたばかりで……」
「今の時代には、そぐわないでしょうね。けれど、古い家系では、そんなふうに親が子供の将来を決めてしまうことも、多々あるのですよ」
 織部くんから、両親の話を聞いたことがないのは、そのせいだったのかもしれない。
 厳しいおじい様がいるのだとしか、聞いたことがなかったから……。

「ただ、問題はそれだけでは収まらなかった。彼が預けられた当時の修道院では……幼い男の子を…… もてあそぶという習慣が、一部であったようで……」
「あそぶ……?」
「性的に……という意味です。彼は、修道士の慰み者に……」
「ちょ、ちょっと、待ってください!」
 神父の話に思わず、身を乗り出したはずみで、テーブルの上のものに手が触れた。
 かしゃんと音をたてて、華奢なカップがテーブルにぶつかる。
「す、すいません……わ、わたし……」
 お茶が手にかかったが、熱さを感じるだけの余裕もなかった。

「かまいません。そのままで」
 突然、神父がわたしの手をつかんだ。
「な、何を……!」
 剛毛の生えた大きな手が、まるで凶器のように思えて私は震え上がった。
 いきなり神父は、わたしの指を自分の唇に挟んだ。
 ぎょっとして手を引っ込めようとしたが、男の力のほうがはるかに強い。
「やっ!!!」
 湿った舌の感触と、生暖かい口の中の柔らかさ。
 傷口をぬめっとした舌が伝う。織部くんではないその感触に、わたしは総毛だった。
 混乱と恐怖で、頭の中が真っ白になってしまう。
 ちゅぱっと、妙に生々しい音をたてて解放された。体が硬直して動かない。
「すいません。つい、子供たちにしているのと同じように」
 神父は、唾液で濡れたわたしの指をハンカチで拭く。

「あ、あの……どうして、その話をわたしに?!」
 こんな形で、聞いてしまってはいけない。
 織部くんが直接、話すことならともかく、第三者の口から聞くべきことではないはずだ。
「本人の承諾もなしに、勝手に伺うべき話ではありません」
「ええ、もちろん。そうでしょう。けれども、わたくしは、あなたに伝えなければなりません。彼の過去のトラウマを」
「どうしてですか! 今は、まだ、織部くん自身が言いたくないのであれば、そのままにしておくべきです!」
「リョウは、繰り返しているはずです。かつての自分が受けたのと同じ傷を、あなたにも」
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