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2章
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口の中で、ほどける繊細な食感。
焼き菓子の甘さと風味を、リアは思い存分味わっていた。
「ふぁあ~美味しい!!!!」
リアは、感嘆の声をあげた後、隣に座っている修道士に詰め寄った。
「普通の焼き菓子じゃないみたい。ベルゼ。何ですか。コレ?」
騒ぐリアの唇に人差し指をあてて黙らせると、ベルゼは低く囁いた。
「沈黙のうちに、いつも留まるように」
あわててリアは、何度もうなずいたが、長くは持たない。
「ベルゼ。これはどうやって作るんですか? サブレやビスキュイとも違う」
本人は、声を抑えているつもりなのだが、ついつい早口でまくし立ててしまう。
沈黙の戒律よりも、好奇心のほうがリアの中では大きい。
「よく、ここで味が分かりますね」
ベルゼは、低い穏やかな声で言う。物心つく前から、女子修道院の中で育ったリアの知っている数少ない男性の声だ。
「大丈夫です。ベルゼの僧衣から、いい匂いがしてますから」
医務室は、干した薬草のせいで独特の臭いが漂っている。
長く薬草を煎じていると臭いが衣服に移るものだ。
それにもかかわらず、ベルゼの黒い修道服は涼やかな香りがする。
祈祷用の香炉とも違う。ベルゼだけの香りとしか言いようがない。
「それに神は、愛の言葉、他者の徳を高める言葉、尊敬の言葉が溢れるのは、構わないとおっしゃっているでしょ?」
リアは、隣り合って座るベルゼの顔を覗き込んだ。
戒律の厳しい神聖修道会において、修道士は漆黒の外衣を頭から深くかぶって顔を隠している。
修道士の顔を覗くなど許されることではないのに、いつもリアはベルゼの顔を見たがった。
人前でなければ、ベルゼもそれを許している。
外衣から、癖のない白金髪がこぼれた。
ベルゼの長い髪は、国家に認められた医学者の証だ。修道士でありながら、断髪が許されていない。
白金色の髪に縁どられたベルゼの顔は、息を呑むほど綺麗だった。
「リアは、子供のくせに屁理屈が多い」
「でも、あたしはベルゼのすばらしい料理の腕に感動しているんです」
リアが急いで言うと、ベルゼの暗い双眸が柔らかく細められる。
「料理というほどのものではありません」
「でも、普通の焼き菓子より、もっと食感が軽かったわ」
「卵の白身だけを使って焼く猫の舌という焼き菓子です」
「あたしにも作れる?」
「神経痛の薬草を調合するよりも簡単にできますよ」
「それなら、あたしにもできるわ!」
「今度、教えてあげますから、静かになさい」
慌ててリアは、口を押えた。
「ごめんなさい。黙ります」
「怒ったのではありませんよ」
そう言ってベルゼは、リアの頬についた焼き菓子の欠片を取ってくれた。
「修道士と修道女が、意味なく2人きりでいることは、あまり褒められたことではありませんから」
「だって、ベルゼは聴聞司祭です。告解の時には、修道女と2人きりになるんだから同じことだわ」
ベルゼの言葉に納得できずに、リアはつい声をあげてしまった。
「そう言うリアは、告解には来ませんね」
告解は罪を聴聞司祭への告白を通して、神からの赦しと和解を得るための儀礼である。
ベルゼは、神聖修道会から管轄下にある女子修道院に、聴聞司祭として週末だけ遣わされていた。
「だって、告解室には仕切りがあって暗いから……ベルゼの顔が見えません」
「罪の告白をする場所ですからね」
「じゃあ、ここで告白します! 医務室でお菓子を食べました」
「それは、わたしも同罪です。弟子に食べさせたですから」
「あたしのこと、弟子だと思ってくれるの?」
医学者であり、神学者でもあるベルゼには、大勢の弟子がいる。自分もその一人だと思うのは、身の程知らずだと、リアは思っていた。
「さあ、どうしましょうか。リアは物覚えもよくて、頭はいいのですが、バカですからね」
感情の起伏のない顔で、そう言われると、なんだか、いきなり突き放されたような気分になる。
「ひどいわ。そんな言い方しなくったって」
ふてくされて言うと、ベルゼは、焼き菓子をリアの口に押し込んできた。まるで、親鳥が雛に餌を与えているようだ。
「わたしは、ひどいですか? こんなに大切にしているのに」
そう言われるだけで、リアは急に嬉しくなる。
ほおばった焼き菓子が、いっそう甘く感じた。
こんなリアの単純なところが、バカだと言われるのかもしれない。
ベルゼは指先で、リアの口元を拭いながら言った。
「リアは、いつまでも子供ですね」
そうやって甘やかされるのが、心地いい。ふわふわした羽毛に包まれているような気分になる。
リアは、ベルゼに身を摺り寄せる。修道士に対して礼儀を欠いた態度だ。それでも子供のころからの習慣は、なかなか変えられない。
「いや、もう子供ではありませんね。結婚が決まったとか」
ベルゼが結婚と言ったとたん、焼き菓子の甘味が消えた。舌先がこわばる。
「……あ、あたしは、修道女です」
「終生誓願を立てるには、まだ年齢が足りなかったのでは」
「もう、とっくに成人しています」
終生誓願とは、貞潔、清貧、従順の誓いで、いわば神との結婚だ。成人を過ぎた年齢で行われる。
「では、アルジャントゥイユ伯爵と聖教皇庁との間で、根回しがあったのかもしれません」
「根回し?」
「リアの終生誓願は正式なものではなかったから、還俗が可能だということです」
「そんなの嫌です!!」
リアは、ベルゼに向かって訴えた。
「あたしは、ここがいいんです。ベルゼと一緒にいたいんです」
泣きそうになるのを我慢すると、つい唇を噛んでしまう。リアの子供の頃からのクセだ。
そんなリアの唇にベルゼの指先が触れる。
顔を上げると、彼の物憂げな暗い眼が、いっそう優しくなった。
焼き菓子の甘さと風味を、リアは思い存分味わっていた。
「ふぁあ~美味しい!!!!」
リアは、感嘆の声をあげた後、隣に座っている修道士に詰め寄った。
「普通の焼き菓子じゃないみたい。ベルゼ。何ですか。コレ?」
騒ぐリアの唇に人差し指をあてて黙らせると、ベルゼは低く囁いた。
「沈黙のうちに、いつも留まるように」
あわててリアは、何度もうなずいたが、長くは持たない。
「ベルゼ。これはどうやって作るんですか? サブレやビスキュイとも違う」
本人は、声を抑えているつもりなのだが、ついつい早口でまくし立ててしまう。
沈黙の戒律よりも、好奇心のほうがリアの中では大きい。
「よく、ここで味が分かりますね」
ベルゼは、低い穏やかな声で言う。物心つく前から、女子修道院の中で育ったリアの知っている数少ない男性の声だ。
「大丈夫です。ベルゼの僧衣から、いい匂いがしてますから」
医務室は、干した薬草のせいで独特の臭いが漂っている。
長く薬草を煎じていると臭いが衣服に移るものだ。
それにもかかわらず、ベルゼの黒い修道服は涼やかな香りがする。
祈祷用の香炉とも違う。ベルゼだけの香りとしか言いようがない。
「それに神は、愛の言葉、他者の徳を高める言葉、尊敬の言葉が溢れるのは、構わないとおっしゃっているでしょ?」
リアは、隣り合って座るベルゼの顔を覗き込んだ。
戒律の厳しい神聖修道会において、修道士は漆黒の外衣を頭から深くかぶって顔を隠している。
修道士の顔を覗くなど許されることではないのに、いつもリアはベルゼの顔を見たがった。
人前でなければ、ベルゼもそれを許している。
外衣から、癖のない白金髪がこぼれた。
ベルゼの長い髪は、国家に認められた医学者の証だ。修道士でありながら、断髪が許されていない。
白金色の髪に縁どられたベルゼの顔は、息を呑むほど綺麗だった。
「リアは、子供のくせに屁理屈が多い」
「でも、あたしはベルゼのすばらしい料理の腕に感動しているんです」
リアが急いで言うと、ベルゼの暗い双眸が柔らかく細められる。
「料理というほどのものではありません」
「でも、普通の焼き菓子より、もっと食感が軽かったわ」
「卵の白身だけを使って焼く猫の舌という焼き菓子です」
「あたしにも作れる?」
「神経痛の薬草を調合するよりも簡単にできますよ」
「それなら、あたしにもできるわ!」
「今度、教えてあげますから、静かになさい」
慌ててリアは、口を押えた。
「ごめんなさい。黙ります」
「怒ったのではありませんよ」
そう言ってベルゼは、リアの頬についた焼き菓子の欠片を取ってくれた。
「修道士と修道女が、意味なく2人きりでいることは、あまり褒められたことではありませんから」
「だって、ベルゼは聴聞司祭です。告解の時には、修道女と2人きりになるんだから同じことだわ」
ベルゼの言葉に納得できずに、リアはつい声をあげてしまった。
「そう言うリアは、告解には来ませんね」
告解は罪を聴聞司祭への告白を通して、神からの赦しと和解を得るための儀礼である。
ベルゼは、神聖修道会から管轄下にある女子修道院に、聴聞司祭として週末だけ遣わされていた。
「だって、告解室には仕切りがあって暗いから……ベルゼの顔が見えません」
「罪の告白をする場所ですからね」
「じゃあ、ここで告白します! 医務室でお菓子を食べました」
「それは、わたしも同罪です。弟子に食べさせたですから」
「あたしのこと、弟子だと思ってくれるの?」
医学者であり、神学者でもあるベルゼには、大勢の弟子がいる。自分もその一人だと思うのは、身の程知らずだと、リアは思っていた。
「さあ、どうしましょうか。リアは物覚えもよくて、頭はいいのですが、バカですからね」
感情の起伏のない顔で、そう言われると、なんだか、いきなり突き放されたような気分になる。
「ひどいわ。そんな言い方しなくったって」
ふてくされて言うと、ベルゼは、焼き菓子をリアの口に押し込んできた。まるで、親鳥が雛に餌を与えているようだ。
「わたしは、ひどいですか? こんなに大切にしているのに」
そう言われるだけで、リアは急に嬉しくなる。
ほおばった焼き菓子が、いっそう甘く感じた。
こんなリアの単純なところが、バカだと言われるのかもしれない。
ベルゼは指先で、リアの口元を拭いながら言った。
「リアは、いつまでも子供ですね」
そうやって甘やかされるのが、心地いい。ふわふわした羽毛に包まれているような気分になる。
リアは、ベルゼに身を摺り寄せる。修道士に対して礼儀を欠いた態度だ。それでも子供のころからの習慣は、なかなか変えられない。
「いや、もう子供ではありませんね。結婚が決まったとか」
ベルゼが結婚と言ったとたん、焼き菓子の甘味が消えた。舌先がこわばる。
「……あ、あたしは、修道女です」
「終生誓願を立てるには、まだ年齢が足りなかったのでは」
「もう、とっくに成人しています」
終生誓願とは、貞潔、清貧、従順の誓いで、いわば神との結婚だ。成人を過ぎた年齢で行われる。
「では、アルジャントゥイユ伯爵と聖教皇庁との間で、根回しがあったのかもしれません」
「根回し?」
「リアの終生誓願は正式なものではなかったから、還俗が可能だということです」
「そんなの嫌です!!」
リアは、ベルゼに向かって訴えた。
「あたしは、ここがいいんです。ベルゼと一緒にいたいんです」
泣きそうになるのを我慢すると、つい唇を噛んでしまう。リアの子供の頃からのクセだ。
そんなリアの唇にベルゼの指先が触れる。
顔を上げると、彼の物憂げな暗い眼が、いっそう優しくなった。
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