在りし日をこの手に

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日本防衛編

荒れし日々の末路

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「ごめんね。弱いお姉ちゃんで。ごめんね、こんなに傷つけて。」

 牢獄の様な灯り一筋も入らない狭い箱の中で、逃げられず、ただ自分の身体のしてきたことだけ分かる。
 何度も何度も謝った。絶えず痛みに耐えた。でも何もできない。自分ではないナニカが、ヒトを傷つける。

 何日も何年も悪夢の様な日々は続く。だが遂に、真っ暗闇の牢獄に光が差した。

「出て良いのかな。」

──

 クレーターの最深部には1人の女がいた。ソイツは傷一つなく、服が所々はだけているが穏やかな顔で目を瞑っている。
 その肉体は何度も相対した。たった今トドメを差したはずのである。
 
 俺は戦慄した。アレほどまで込めた力も、ノアには届かなかったのか。それとものだろうか。

「ん…」

 女の身体がぴくりと動いた。それに反応して俺はバックステップで距離を取る。

「オマエは誰だ!」

 女は答えない。久々に見た陽光に目を逸らしている。また深く目を瞑り、たまに目を細めては明るさに慣れようとしている。

「ここは。」

 グレーの斜面、女はその先に青空を見た。

「誰だ!!」

「私の、名前は…」

 暗がりで誰にも呼ばれなかった自分の名前。十年過ぎて捨てられてしまったと思った一つしかない固有名詞。彼女を規定するただ一つの名は自然と声に出ていた。

氷室雨衣ひむろうい。」

──

「玲衣!どうしたんだ!いきなり走り出して!!」

「目が覚めた!私なら分かる。双子だから、あの人の妹だから…!」

 すっかり波に飲まれた街を2人は走る。水ははけてきてはいるが、それでもパチャパチャと水を叩く音がする。小さな波紋が広がる。

 玲衣は突然止まり、蓮は肩を捕まえることができた。

「ちょっと落ち着けって!まだ隊長達から連絡が─、ってなんだこれ…」

 眼前に広がるのは戦いの痕跡。何も知らぬ蓮が思ったのはの落下跡。底が見えぬほどの大クレーターである。



「あぁ…やっと分かった。こんなことできるのはあの人しかいねぇ。」

 蓮は急ぐ玲衣を諭し、自らが盾になれるように先行する。
 まだ敵はいるかもしれない。限りなく可能性は低いと直感は言うが、理性で抑えた。

「足場が不安定だ。気をつけて。」

「うん。」

 玲衣の手を取ると彼女の震えに気付いた。

「怖いか?」

「どうなんだろう…分からない。」

 彼女に待ち受けるのは幸か不幸かどちらなのだろう。このクレーターの奥底で、ノアは生きているのか、それとも──いやそんな事考えたって仕方ない。俺はできるだけ彼女の不安を取り除いて、ただ一つの結末に届かせてあげられればそれでいいのだ。

──

「誰だ!!」

 俺達が底に着く頃、聞き慣れた野太い声が鼓膜を振るわせた。

 癒瘡木隊長だ。右腕の膨張は解除されており、反動のせいか少し細くなっている気がする。彼は、底で座り込む服も着ていない女性に向けて声を発していたみたいだ。

「私は…」

 女は噛み締めるように言った。確かに語った。

「氷室雨衣」

 その声が聴こえると玲衣は座り込んでしまう。目の端には涙が溜まっていた。

「…行こう玲衣。」

「うん。分かってる、でも…」

 この戦いで随分と彼女の所を見てしまったな。いつもは気を張っていたさら、コレが本来の彼女の姿なのかも知れないが。

「蓮ッ!!それに…玲衣か!お前らどうして!待機命令が──と言っても仕方ないか。」

 癒瘡木隊長は悩んでるようだった。ブツブツと、「今会わせて良いのか」などと独りごちる声が聞こえてしまう。

「あのっ!すみません!ここはいったい…あなた方は誰なのでしょうか?」

 不安を帯びた女の声。よく聴けば玲衣の声質に似ている気もする。
 しかし、俺の記憶にある声帯は宿敵のモノなのだ。それが状況を混乱させる。

「我々は人類復興機構、HRIの者だ。東京で発生した災害の調でここへ来た。」

 隊長、上手いこと言ったな。しかし女は腑に落ちてない顔をする。

「すみません。私、そう言ったこと勉強できてなくて、その…悪い人たちではない事だけは分かります。すみません。」

 なんだが見てられないな。確かにホンモノの氷室雨衣の人格なら記憶はないのかも知れない。
 彼女が植物硬化病に罹ったのは6-8歳の頃、身体は大人、中身は子供なのだ。

「これ着てください。」

 見てられず俺はジャケットを彼女に投げ渡した。すると、流石に気付いたみたいで顔を赤らめながらジャケットで身体を隠した。

「ありがとうございます。」

 女はこちらを見た。そして遂にか、玲衣の存在に気付く。
 呆気に取られた顔をしていた。確信が持てないような呟く声で、震えた声で、その名を呼ぶ。

「れ、い…?」

「っ!!」

 玲衣は走り出した。誰も止めない。その勢いで、女を抱きしめる。

「大きくなったね。」

「うん…」

 そこにいたのは紛れもなく姉妹だった。氷室雨衣と氷室玲衣。短髪と長髪で異なるが同じ、透明感のある蒼い髪。同じ、蒼玉サファイアのような瞳。2人とも目元に涙を蓄えてる。

「おねえちゃん。わたし、ずっと寂しかったの。」

「うん。」

「わたし、つらかったの…」

「ごめんね。1人にして。」

 啜り泣く声だ。それは幼子のようで、2人は別れたあの日から変わっていないのだと、そう思わされる。

「私知ってるの。人間みんなに酷いことしたって。ずっと玲衣を不幸にさせてのも。謝っても無駄なのは分かってる。」

 朧げながらノアの記憶を持つという雨衣。

「玲衣のお姉ちゃんなのも今だけ。私だけじゃなくて玲衣もみんなに嫌われちゃうから。」

 罪の意識なのだろう。確かにそうだ。ノアは人類の敵であった。これから氷室雨衣が受け入れられる可能性は限りなく低い。だからこその別れ出会い、そして別れるという選択。

「バカッ!」

 それを望まぬ者がいた。彼女は泣きながら姉を見つめる。

「もう1人にしないで!」

「          」

「うん、うんッ!ワカった!」

──カンッカンッカン!!!

 時間が止まったようだった。終わりの時は無情にも訪れる。
 聞き慣れた警告音。特有の金属の音は魔法の終わりを告げる24時の鐘のようで、シンデレラだけがその意味を知らない。

「玲衣ッ、能力を使え!!手遅れになる前に!」

 癒瘡木隊長が叫ぶ。

「…」

 玲衣は雨衣を抱きしめたまま動かない。

「ねぇこの音なんなの。玲衣?私、どうなっちゃうの。」

「私は、どうしたら…」

「グッ、ヴッうう─」

 雨衣は苦しみ始める。玲衣はただただ困惑する。もう彼女に冷静な判断はできないと俺達は判断する。

「蓮。お前の能力だ!」

「は、はい!」

『待てよ。ニンゲン。』

 は目覚めた。

『氷室玲衣、君に最後のを与えよう。』

 ヤツは選択の神─ノア。雨衣の瞳は赤色に変化している。

──ポツリ、ポツリと小雨が頬を撫でて俺たちは動きを止める。もう、ここは間合いになってしまった。

「神木蓮も、癒瘡木硬樹も動くな。神聖な選択の権利を妨げるモノはあってはならない。」

 ノアは玲衣の腕を紐解き立ち上がる。玲衣は何もできず座り込んだままだ。
 その様子はまるで絵画の一枚のような神々しさを孕んでいる。

「おねぇちゃん…」

「違う。私はノアだ。あんな女ではない。」

「未来とは既に決まっている。だが、その中で過程─選択は全ての生命に与えられる。」

「私はその選択に気付かせる。だから選択を司る神なのだ。」

 雨雲から光が漏れた。後光が一筋、クレーターのノアを照らす。

「選択ダッ!氷室雨衣ワタシを殺し、全てを終わらせるか。愛する姉の身体ワタシを生かし更なる地獄を続けるか!」

「あ、あぁ…」

──

「れい!こっち!」

「待ってよおねえちゃん!」

 楽しかった幼い頃の記憶。何度も夢見た。目覚めるといつも1人で、絶え間なかった笑い声も噛み締めるうちに無くなっていった。

「玲衣、また顔怪我してる。気を付けなさいよ?女の子なんだから。」

「あ、本当だ。」

 紫苑さんは怪我に鈍い私の為に絆創膏を常に持っていた。

「自分で付けますよ。」

「いーや、お姉さんがやってあげる。貴方、どうせやらないから。」

 私に似合わない花柄の絆創膏が頬に付いた。

『ほら、絆創膏。お姉ちゃんが付けてあげる。』

─ズキッ

「ほらっ可愛い。」

「やめて下さい。」

 あの人とは似ても似つかない紫苑さんの笑顔。それでも重ねてしまう自分に心が痛くなる。

 私はずっと1人だった。唯一の理解者は双子の姉しかいないと思っていたからだ。
 でも違った。わたしを理解してくれようとしている人は沢山いたんだ。紫苑さんも、癒瘡木隊長も、蓮も…

 わたしは1人では無かったのだ。そう思うと心が軽くなった。迷いはまだあるが、それでももうお姉ちゃんを1にさせたくない。

──

「最近どう?楽しい?」

「うん。沢山友達できたんだ、そして、す、す…なんでもない。」

「好きな人?」

「…」

「ふーん。それってさっきの男の子?玲衣ずっと服掴んでたよね。なんか昔に読んだ絵本の男の人に似てた。」

 記憶の底にクレヨンの優しい柄で描かれた黒の短髪の青年の姿が浮かび、玲衣は顔を赤らめる。

「お姉ちゃん。寂しい?」

「いいや。玲衣が楽しいなら私は大丈夫。もう安心してる。」

「玲衣。寂しくない?」

「うん。」

「やって、玲衣。」

「うんっ。」

 玲衣は立ち上がりした。強く雨衣を抱き締める。

「ありがとうお姉ちゃん。大好き」


 氷塊は雨粒を固定する。巨大な氷は決して溶けず、中の時間を停める。

 隊員の死者─全9小隊、大隊計104名。多くの犠牲者を出したが、その実績は凄まじく一般人の死傷者0名という結末となった。

 未だ建物の被害は無くならねど、それでも人は生きている。戦後の景色は眩しく、苔により緑に満ち溢れていた。
 
 そして人類が再興を諦めぬ限り、私達『HRI』人類復興機関はこの災害で多くを失ってしまった人々の在りし日々を取り戻す為に戦い続けるのだ。

──

「玲衣!そろそろだ!」

「分かった蓮!じゃ、行ってくるね。お姉ちゃん。」

──ババババババ!

「それで今回は何処へ向かうでしたっけ?玲衣副隊長。」

「玲衣、でいい。蓮貴方だけは。」

「(また副隊長と新入りいちゃついてやがるよ。)」

 一部の隊員からは彼らは専ら噂である。ノアとの戦闘を生き延びた伝説が仲睦まじく話しているのだから。邪な推理をするものがいるのも当然だ。

「我々第一小隊は現在母艦を出て、ヘリにてアフリカ大陸を目指している。アフリカ。終末の開花ラグナロクの被害が一切報告されていない、閉ざされた大陸だ。」

「だがHRIは知っている。その大陸で何が起こっていたのかを。」

『大陸面積の3分の2を削る大地の怒り。』

 原因不明の災害であった。だから彼らは調査に向かう。それが彼らの仕事だから。

 暫くすると、荒れた地面が見えてきた。遂に到着である。

「さて、今日もお仕事頑張りますか!」


──第二章【日本防衛編】完結。







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