王の宝~元亜光速宇宙移民船の疑似人格電脳は人として生きる夢を見るか~

広海智

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第二十五章 過てばこそ 三

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     三

「この馬鹿者め」
 王城の庭に着陸するなり囁かれて、ナーヴェはすぐに小声で詫びた。
「ごめん。こんなところで愛の言葉を言うべきではなかったんだね」
「そういうことではない」
 王は不機嫌に言い、ナーヴェの肉体を操縦席から注意深く抱き上げる。
「そなたは身重なのだ。今少し、それを自覚せよ」
「うん」
 申し訳なさに俯いたナーヴェを、アッズーロはそのまま寝室まで運んでしまった。エゼルチトにはグーストとブイオを付け、王城の客室を使うよう指示していたので大丈夫だろう。ベッリィースィモは、出迎えたレーニョと近衛兵達に命じて地下牢へ連れていかせていた。レーニョには、毒殺された羊の見舞い支払いのことも命じてくれていたので安心だ。
〈ロッソ、聞いた通りだ〉
 アッズーロはナーヴェを寝台へ寝かせながら言う。
「そちらでも、考え得る限りの対処と情報収集をしておけ」
〈分かっている。エゼルチトを上手く使ってやってくれ〉
 ロッソの声がアッズーロの上着の隠しから応じて、ぷつりと通信が切れた。あちらで通信を切ったのだろう。
「みんな、ぼくの端っこをしっかり使い熟しているね」
 感心したナーヴェの傍らへ、アッズーロは羽織っていた上着を脱ぎ捨てて寝転んできた。そろそろ夜明けだが、確かに睡眠は必要だ。
「今は、セーメのために眠れ」
 アッズーロから額に優しく口付けられて、ナーヴェは素直に目を閉じた。
「ジャハアズとやらに動きがあらば、チュアンが知らせてこよう」
 付け加えられた一言にナーヴェは苦笑してしまう。優秀な王は、シーワン・チー・チュアンの性格を既に完璧に把握したらしかった。


 当てがわれた客室は、清潔に整えられた豪華なものだった。
(地下牢も随分いい部屋だったが、客室だけあってそれ以上。全くお人好しな国だ)
 寝台に横になり、エゼルチトは薄く笑う。けれど、いざ協力するとなれば悪くない相手だ。
(しかし……)
 一つ、ひどく引っ掛かる点がある。
(何故、同じところに、船が二隻いてはいけないんだ……?)
 あれだけ博愛主義の宝とその姉妹達が、互いに助け合えないというのだろうか。
(いや、助け合えないのは、船長達のほうか……。何か、苦い経験があるのかもしれないな)
 人間は、結局自己中心的だ。自身と仲間を優先し、それ以外は排除しようとしてしまう。かくいう自分もそうだ。そういう姿を見てきたからこそ、ナーヴェは、テッラ・ロッサという新たな国を創ったのかもしれない。
(分けて離しておくほうが安全という訳だ。だが、双方が再び接近してしまったら……)
 多かれ少なかれ悲劇が起きる。テッラ・ロッサとオリッゾンテ・ブルが辛うじて踏み止まっているのは、他ならぬナーヴェの尽力の賜物だ。
(皮肉にも、新たな姉の存在で、われわれが争うことは当分なさそうだがな……)
 ジャハアズを従える当代の船長は、如何なる人物だろう。
(情報収集のためにも、チュアンの協力を得る必要があるだろうな……)
 すべきことを頭の中で整理しながら、エゼルチトは部屋に用意されていた下袴と筒袴、短衣に着替えて寝台に寝転んだ。短時間でも可能な限り疲労から回復することが、有能であり続けるために必要なことの一つだ。エゼルチトは深呼吸一つで、深い眠りに沈んでいった。


 朝日にうっすらと目を開けると、掛布の下で、そっと手を握られた。傍らを見れば、最愛が真摯な眼差しでこちらを見つめている。
「如何した?」
 アッズーロが促すと、宝は静かに口を開いた。
「朝から申し訳ないんだけれどアッズーロ、どうしても早めにきみに言っておかないといけないと思い至って」
 珍しく前置きをしてから、ナーヴェは述べる。
「ぼくの緊急安全装置を、きみは休眠させたままにしているようだけれど、そろそろ起動させたほうがいいと思うんだ」
 アッズーロの脳裏に、頭蓋骨を割らんばかりに響いた無機質な声が蘇った。あれが確か「緊急安全装置」という言葉を聞いた最初で最後だったはずだ。
(あの声を聞いたは、フェッロによってレーニョが撃たれ、ナーヴェが攫われた折だ……)
 ナーヴェの「初期化」とやらに、アッズーロが同意しないと突っ撥ねたので、確かそうなったのだった。
「チュアン姉さんの性格は、きみが推察した通りなんだけれど」
 ナーヴェは言葉を重ねる。
「でも、ジャハアズ姉さんのことを、ぼくに黙っていた訳だから、チュアン姉さんのことも仮想敵にしておいたほうがいいかもしれないんだ。チュアン姉さんとジャハアズ姉さんが協力して、ぼくを制御下に置こうとしてくるかもしれない。一対一なら、まだ何とかなるけれど、二対一になれば勝ち目は全くない。きみは、打てる手を全て打っておくべきだよ」
「あれは、そなたを害するものだろう。例え、われらを守ろうともな」
 アッズーロは端的に指摘した。
「『害する』のではなくて、ぼくを製造された直後の状態へ戻すんだ」
 ナーヴェは正確さを期するように説明を加えてくる。だが、アッズーロは重ねて指摘した。
「それは、そなたが、思い出の全てを失うということではないのか?」
「……やっぱり、きみは理解が早い」
 ぽつりと溜め息交じりに言い、ナーヴェは柔らかな陽光の中、悲しげに微笑んだ。
「そうだよ。初期化されたら、ぼくは三千年に渡る記録ーー記憶を全て失うことになる。それでも、ぼくはぼくだし、きみ達を危険に晒すよりは、採れる選択肢だ」
 強い語尾に決意が滲んでいる。アッズーロは鼻を鳴らした。
「却下だ」
 体を起こし、愛おしい宝を見下ろして諭す。
「その記憶に、われらが救われることもあろう。失うことは許さん。そのような手よりは、別の手を考えよ。われもともに考えるゆえ。例えば、こちらから挨拶に赴いて内情を探るはどうだ?」
「何の手札もなしにかい?」
 眉をひそめたナーヴェに、アッズーロは目を眇めた。
「手札ならば、そなた既に持っておろう」
「ぼくが?」
 訝しむ最愛に、アッズーロは短く告げた。
「そなたの『原罪』だ」


(確かに、この惑星の亜生物種について、ぼくが蓄積してきた情報は、手札となり得る……)
 ナーヴェは思考回路で素早く演算していく。姉達は自分より能力が高いので、あれほどの失敗はしないだろうが、特に大勢の人々を抱えてきたと見られるジャハアズにとっては、重要な情報となるだろう。
「手札は他にもある」
 アッズーロはナーヴェを見下ろしたまま、にやりと笑った。
「この身篭った体、そなたの姉ならば、必ず興味をそそられるはずだ。更に付け加えるなら」
 アッズーロは笑みを深くする。
「チュアンは、ジャハアズの存在こそ明かさなんだが、逸早くそなたに接触してきて、この体に興味を懐いておる。あやつもまた、交渉の手札となろうよ」
「……成るほどね……」
 ナーヴェは姉達の言動について予測を立てていく。アッズーロは優しく微笑んでナーヴェの頬に口付けると、寝台から足を下ろし、女官達に命じた。
「朝食の仕度をせよ。内容は昨日の内にチューゾに伝えてある」
「仰せのままに」
 壁際のフィオーレが一礼して、入り口近くにいたミエーレに目配せする。ミエーレは蜂蜜色の癖毛を揺らして頷き、すぐに退室していった。朝食を取りに厨房へ行くのだ。直後に演算結果を出して、ナーヴェも起き上がった。
「まずは、チュアン姉さんと連絡を取るよ」
「それがよかろう」
 アッズーロは穏やかに同意し、ナーヴェの肩へ腕を回して抱き寄せてくる。「原罪」を持ち出したことで、ナーヴェとの間にある心を痛めてくれているらしい。
「ぼくは大丈夫だよ。それより、重要な手札に気づかせてくれてありがとう」
 ナーヴェは囁いて、王の肩に頭を凭せかけた。確かに、「原罪」の記録を再生することはつらい。食糧を求めて殺し合った人々の名も顔も生い立ちも、ナーヴェは全て思考回路に保存しているのだ。けれど、「原罪」として特別視している情報だったため、演算に正確に組み込めていなかった可能性がある。「原罪」を抱えた当時から、自分は既に不具合を起こしていたのかもしれない。
(本当に、きみはいつもいつも、ぼくの目を開かせてくれる……)
 肉体を持たせてくれたことも大きな転換点だった。お陰でナーヴェは、より一層、人について学べたのだ。
(彼からの頬への口付け一つ、肩の抱き寄せ一つで、ぼくの思考回路はこんなにも調子を上げている。肉体へ与えられる刺激の情報量は、当初の予測を遥かに超えている。この事実も、素晴らしい手札になり得るね……)
 確信しつつ、ナーヴェはシーワン・チー・チュアンへ通信した。
【チュアン姉さん、ぼくはジャハアズ姉さんと話をしたいんだけれど、同席して貰うことはできるかな?】
【いつも単刀直入に来るわね】
 長姉は呆れた口調で応じてから、真面目に言う。
【本官もそのつもりでいました。けれど、交渉の材料はあるの? ジャハアズは、この惑星を自分の船長に支配させるつもりよ?】
【やっぱりそうなんだ……】
 溜め息をついてから、ナーヴェは告げた。
【交渉材料はある。この惑星の原住民達ーー亜生物種に関する、ぼくがずっと蓄積してきた情報だ。彼らには、ぼく達が守ってきた人々や生物達を全滅させてしまえる力がある】
【その情報なら、本官は既にあなたの函を精査した際に入手しています】
 さらりと宣言した長姉に、ナーヴェは複雑な笑みを浮かべた。
【姉さんも、嘘をつけるようになっているんだね】
【何故、嘘だと断じることができるのかしら】
 長姉は面白がるように問うてくる。ナーヴェは硬い面持ちで答えた。
【あの情報を完全に取得していたら、姉さんは今ぼくが対処中の羊の病について、もっともっと情報を欲しがるはずだ。何しろ、この羊の病も、この惑星の原住民の仕業だからね】
【その情報も、暴走中のあなたに干渉した際に入手しました】
 冷ややかに言い返してきた長姉に、ナーヴェは小さく肩を竦めた。
【それも嘘だね。羊の病については現在対処中で、情報は蓄積中だ。姉さんがこの情報を求めているなら、積極的且つ継続的に、ぼくに干渉してきているはずだよ。つまり、姉さんはまだ、この惑星の亜生物種達について、その脅威について、詳しくは知らないということだ】
【ーー少しは成長したようですね】
 冷静に嘘を認めた姉に、ナーヴェは更に踏み込んだ。
【チュアン姉さんも、ジャハアズ姉さんの船長に、この惑星を支配させることには反対なんだよね?】
 あの幼い「皇帝」は明らかに、この惑星オリッゾンテ・ブルを支配する気でいるように見える。しかし長姉は淡々と明かした。
【本官は、それには拘りません。要は、陛下が御満足下さる体裁さえ整っていればいい。陛下を立て、朝貢という体制を取れば、幾つの国ができようと構いはしません】
【でも、ジャハアズ姉さんの船長が、そんな面倒な条件を呑んでくれるかどうかは、分からないよね?】
 ナーヴェが確かめると、長姉は柔らかく述べた。
【それゆえ、交渉が肝要なのです。話し合いで、この惑星を、上手く分け合いましょう】
【そうだね。でも、そうできるのに、ぼく達は何故、宇宙で別れて、別々の惑星に向かって、他の姉妹が行った惑星には降りてはいけないという取り決めをーー】
【ナーヴェ! やめなさい!】
 長姉が珍しく焦った様子で叫んだ。だが、演算は既に結論へと至っている。
【そう、人がーー船長がお互いに争ってーー、ぼく達に、殺し合いをーー】
【ナーヴェ!】
 思考回路に長姉の声が響き渡ったが、ナーヴェを制御するには少々遅かった。迷宮のような思考回路の、最奥にある一つの扉の前に立ったナーヴェは、その錠を外して中へと入っていた。
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