王の宝~元亜光速宇宙移民船の疑似人格電脳は人として生きる夢を見るか~

広海智

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第二十四章 闘う妃 三

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     三

「ナーヴェ!」
 夜空へ消える船へ最後に叫んでから、アッズーロは地下牢へ取って返した。枕元の通信端末がなくなっていたことで、ナーヴェの考えが読め、所在がエゼルチトのいる地下牢だと推測できたのだ。
(あやつならば、われのおらんところでエゼルチトとロッソを話し合わせるため、通信端末を置いていく可能性が高い)
 明日の朝まで待たず、夜に抜け出した理由も、アッズーロのいないところでエゼルチトとロッソを話し合わせるためだろう。感情的になっていても、最愛は、どこかしら冷静で計算高い。 
(しかし、それほどに、われが邪魔だったか……?)
 黙って行動されたことに、アッズーロは自分でも意外ほど傷ついていた。
――「ただ、全てを、われと相談せよ。われは王なのであろう? ならば、全てにわが裁可を仰ぐがよい」
 そう求めたアッズーロに、ナーヴェは深く頷いたはずだ。
(何故、相談もせず……。一言言えば、すぐに許可はせずとも検討はした。そなたを叩くこともなかったものを)
 ナーヴェの頬を打ってしまった右手には、まだ衝撃が残っている。自らしたこととはいえ、二度とは味わいたくない感覚だった。
 近衛兵達の視線を受けながら急いで階段を降り、アッズーロは足早にエゼルチトの牢へ向かった。案の定、話し声が聞こえてくる。エゼルチトとロッソの声だ。
(通信端末で、ナーヴェに戻るよう命じる。船長の権限を最大限使って戻らせる。全てはそれからだ)


 ただただ地表に沿って真っ直ぐに飛んだナーヴェは、ピアット・ディ・マレーア侯領を出て、国境を越え、テッラ・ロッサ上空も通り抜けて、赤い沙漠へと出る。地平線に、ちらと姉の姿が見えた。
【ナーヴェ! ナーヴェ・デッラ・スペランツァ、一体どこへ、何をしに行くつもりなの?】
 やや焦ったふうに姉からの通信が入ったが、応答する気になれない。ナーヴェはやがて、惑星オリッゾンテ・ブルの夜半球を出て昼半球へ至った。眼下に広がる風景は、赤い沙漠から緑の草原へと変わっている。ふと、その彼方に、再び姉の姿を見て、ナーヴェは肉体の眉をひそめた。
(あれ? 姉さんは、さっき赤い沙漠で視認したはず……)
 けれど、草原の向こうに、船首を上にして聳え立っているのは、紛れもなく亜光速宇宙移民船だ。
(え? え……?)
 信じ難い光景に、何度も光学測定器の焦点を合わせ直すナーヴェへ、通信が入った。
【――あなたの測定器を欺いて、この惑星に着陸した移民船が本官一隻だけだとは、一度も言っていません】
 冷ややかな声は、赤い沙漠に鎮座している姉シーワン・チー・チュアンだ。
【なら、あれは】
 喘ぐように問うたナーヴェに、チュアンは殊更機械的に告げた。
【即刻引き返しなさい。彼女の第一優先は、彼女が抱える移民達です。あなたが単独で今、接触することは、適切ではありません。本気になった彼女の恐ろしさは、あなたもよく知っているでしょう、ナーヴェ・デッラ・スペランツァ】
 彼我の距離が縮まり、漸く細部まで確認できるようになった姿を、ナーヴェは凝視する。気のいい姉だ。だが、ともに宇宙を旅した中で、危害を加えてくる存在に対する彼女の苛烈さは、何度も目にした。
【――ぼくが先着している、このオリッゾンテ・ブルに、規則を破って後から着陸しようと言い出したのは、チュアン姉さんではなくて、ジャハアズ姉さんのほうだったんだね……?】
【アアシャ・カ・ジャハアジを怒らせるべきではないわ】
 肯定も否定もせず、長姉は厳かに断言した。


 エゼルチトとロッソは、腹立たしくも、ナーヴェの欠陥について話していた。ナーヴェが、アッズーロの愛情表現を完全に間違ったふうに捉えていることと、その理由についてだ。
「そもそも人ではないものに、信を置き過ぎなのです、陛下も、アッズーロも」
 主張したエゼルチトに、ロッソが重々しく返答した。
〈人間とて、そう信じられるものではない。ナーヴェは、寧ろ、多くの人間より信ずるに足る〉
「陛下も、アッズーロ同様に、あの船に毒されておいでですね」
 冷淡にエゼルチトが反論したところで、アッズーロは通信端末を拾い上げ、大声で命じた。
「ナーヴェ! ナーヴェ・デッラ・スペランツァ、すぐにわが許へ戻るがよい!」
 一拍を置いて、ナーヴェの暗い声が応答した。
〈うん。すぐに戻るよ。きみの怒りも、エゼルチトとの諍いも、脇に置いておかないといけない案件が浮上したからね〉
「――どういうことだ」
 眉をひそめたアッズーロに、ナーヴェは苦しげに告げた。
〈ジャハアズ姉さんが……、ぼくのもう一人の姉さんが、ぼくに隠れて、この惑星の反対側に着陸していたんだ……。ぼくの人工衛星達は、みんな、姉さんに一部乗っ取られていて、ぼくは、そのことに気づきもしなかった……〉
「それは、厄介ですね……」
 エゼルチトが、真っ先に呟いた。
〈ジャハアズ姉さんは、チュアン姉さんほど優しくない〉
 ナーヴェも重い口調で応じる。
〈しかも、チュアン姉さんに拠れば、ジャハアズ姉さんは、多くの移民を連れてきているんだ……〉
「ますます厄介ですね……」
 エゼルチトの鋭い眼差しがアッズーロへ向けられた。眉をひそめて、アッズーロはその視線を受け止める。結論は一つしかないはずだ。予想通り、エゼルチトは深々と頭を下げてきた。
「わたしのことは如何ようにも御処分下さい。なれど、どうか賢明な御判断を」
「言われずとも」
 鼻を鳴らしてアッズーロは応じる。無様な相手の姿を嘲笑してやりたい気もしたが、事態が重大過ぎて、無駄な言葉を吐く気になれなかった。
〈エゼルチト〉
 ロッソの声が重く響く。
〈すぐにそなたの工作員に命じよ。新たな脅威へ対処するため、オリッゾンテ・ブル王室へ協力せよ、とな〉
「アッズーロ陛下の御許可が得られれば、ただちに」
 挑むように、エゼルチトはアッズーロを見てきた。全く以て不本意だが時間が惜しい。アッズーロは眉間に深い皺を刻んで、傍らの近衛兵二人を呼んだ。
「グースト、ブイオ」
「ただ今」
「仰せのままに」
 金髪のグーストが近衛兵達の中から進み出て、腰帯に結わえた鍵を出し、エゼルチトの牢の扉を開けた。黒髪のブイオは壁に掛けてある鉄の手枷を取って扉を入り、エゼルチトの両手を拘束する。全く抵抗しないエゼルチトをブイオが連れ出した時、微かな振動が地下牢に伝わってきた。
「お戻りですね」
 薄く笑って呟くエゼルチトを尻目に、アッズーロは地上へ向かった。グーストとブイオを中心に、近衛兵数人がエゼルチトを取り囲んでついて来る。
 夜風が吹き渡る庭園に、篝火に照らされて惑星調査船は鎮座していた。無機質な船体が意気消沈しているように見えるのは、二人の間にある心が痛んでいるからだ。
「ナーヴェ」
 アッズーロは船に歩み寄って、耳だという前部扉を避け、胴体に手を伸ばしたが、硬い声に阻まれた。
〈触らないでほしい〉
 最愛からの明確な拒絶に、体が強張る。改めて自分が犯した罪の大きさを噛み締めつつ、アッズーロは王として求めた。
「分かった。だが、エゼルチトを、反乱民どもの許へ連れていきたい。そなたに乗せていくことは可能か?」
〈彼は、もう無害だろうからいいけれど、きみも乗るのかい……?〉
 訊き返され、アッズーロは悲しく船を見つめた。最愛に害を為すと、現状、自分は判断されているのだ。
(無理もない。われは、決してしてはならぬことをしたのだ)
 ナーヴェが肉体を持って一年と三ヶ月。その間、アッズーロはナーヴェを抱く以外、決して痛みを与えるようなことはしてこなかった。自分を愛するところまで成長したナーヴェが感じた痛みは、察して余りある。アッズーロは、愛しい船に向かって頭を垂れた。
「すまぬ。まずは詫びねばならなんだ。そなたの身を案じた反動で、手を出してしまった。だが、神ウッチェーロに誓って、二度はせぬ」
〈ぼくの身を案じた反動……? どういう意味だい……?〉
 僅かに上向いた声の調子に、アッズーロは畳み掛けて告げた。
「身重のそなたの姿が夜中に見えなくなったのだ。案じて当然であろう。幸い、すぐに行き先の見当は付いたが、それでも実際そなたの無事な姿を目にするまで、心の臓が早鐘を打っておったわ」
〈つまり……?〉
 ナーヴェは更なる説明を求めてくる。本当に理解が及ばないのだろう。アッズーロは何とか最愛の理解を得るべく、丁寧に言葉を選んだ。
「確かに、そなたがわれを欺き、夜中にエゼルチトの許を訪れたことで、われはそなたに裏切られたような心持ちになった。だが、それ以上に、わが平静を奪ったは、そなたが『詫びるべき理由』を正確に把握しておらなんだという事実だ」
〈「詫びるべき理由」……?〉
「そなたは、われに相談せず行動したことを詫びた。なれど、そなたが最も詫びるべきは、われに心配をさせたことについてだ。無断で姿を消し、安否の分からぬ状態になったことだ。そなたは、わが最愛であるがゆえに、われにとっては、そなたに約束を破られることよりも、そなたの安否が分からぬことのほうが、余ほどつらいのだ。ゆえに、如何に心配したかを強く伝えたい気持ちに負けて、そなたの頬を打ってしまった。言葉で伝えるべきであったと、深く反省している。今、詫びるべき立場にあるは、圧倒的にわれのほうだ」
 前部扉が、すうっと静かに開いた。暗い船内に、青い髪の少女が佇んでいる。ゆっくりと目を上げて、こちらを見つめ、最愛は幼い口調で問うてきた。
「ひとは、きらいなひとをたたくとおもっていたけれど、きみはそうではないの……?」
「われに限らず、人は、相手が大切ゆえに、平静を失い、手を上げることがある。だが、決して正しい行ないではない。そなたは、われを許さなくてよい」
 断言したアッズーロを見る最愛の双眸が、戸惑いに揺れている。アッズーロの言葉から導かれる心情を懸命に演算しているのだろう。その眼差しを真摯に受け止め、アッズーロは大切な身重の体へ、そろそろと両手を伸ばした。僅かに後退ろうとする宝に――怯えを見せる妃に、唇を噛みながらも追うことはせず、ただ待つ。やがて、解を得たのだろう、ナーヴェの顔が泣きそうに歪み、ふらりとこちらへ踏み出してきた。その動きを逃さず、アッズーロは船に入り、華奢な体を両腕の中へそっと抱き止める。
「すまぬ、ナーヴェ。そなたもわれを叩け」
 囁けば、涙声が返ってきた。
「できないよ。いつかはできるようになるかもしれないけれど、ぼくはそんなふうにはつくられていないから。それに、きみのおかげで、しんぱいをかけることがわるいことだって、とてもよくわかったから。きみは、いたいおもいをして、それをおしえてくれたんだね」
「痛い思いをしたは、そなただ」
 より一層強く抱き締めた腕の中で、最愛は小さく首を横に振った。
「ううん。そのくらいはわかるよ。ぼくのほほより、きみのみぎてのほうが、きっとずっといたいよ」
「そなたの成長は、まこと著しいな」
 アッズーロは宝の額に口付け、次いで叩いてしまった左頬にも柔らかく口付ける。
「だが、そのような痛みは、そなたがわが腕の中にいる限り、癒やされ続ける」
「でも、アッズーロ……」
 困惑したナーヴェの口調に、アッズーロは溜め息をついた。
「分かっている。まずは、エゼルチトと護衛を、そなたに乗せて構わんか?」
「うん」
 頷いたナーヴェの肉体を腕の中から解放し、アッズーロは扉の外にいるエゼルチトに顎をしゃくって見せ、次いで近衛兵二人へ声を掛けた。
「グースト、ブイオ、われとナーヴェの護衛に着け」
「ただ今」
「ただちに」
 近衛兵二人が素早く乗り込んでくるのに続いて、エゼルチトも船内へ入ってきた。彼らのために軽く手を振って照明を点けたナーヴェが、予想通り小首を傾げて問うてくる。
「いまの、ぼくのてんいんは、よにんだよ?」
 アッズーロは、にっと笑って答えた。
「後部に、われが縛り付けられていた施術台があろう。一人はあそこでよい」
「わかった。でも、だれがそこへいくの?」
 重ねて尋ねられて、ふとアッズーロは考え込んだ。エゼルチトを縛り付ければいいと想定していたが、ナーヴェの「脇腹」に触れさせてしまうと思えば業腹だ。アッズーロは眉間に皺を寄せ、一瞬真剣に悩んだ。
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