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第二十三章 繋がりが生み出すもの 二

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     二

 開いた仕切り戸を通って船体前部へ移動し、アッズーロは操縦席へ腰を下ろした。ついて来たナーヴェの肉体は、緊張した面持ちで二本ある操縦桿を見つめると、アッズーロの斜め前に立って屈む。
「まず左肩を掴んで。それから、左の操縦桿に触れてほしい」
 青い髪を自ら掻き遣り、華奢な肩を示して懸命な口振りで請うてきたナーヴェに、アッズーロは妙に疼いてしまい、ふと悪戯心が生じて先に操縦桿へ触れた。
「あっ、やっ、駄目っ」
 ナーヴェが叫んで肉体を竦ませると同時に、船体自体がぐんと浮く。酷く揺れた船内で、アッズーロは咄嗟に操縦桿を握り締めたが、それが事態を悪化させた。
「ぁっ」
 喘いだナーヴェの肉体はびくんと震えて床に蹲り、船体は更にぐんと上昇して、王城の鐘楼の辺りまで飛ぶ。しかも、船体は傾いていて、青空だけでなく緑の地上が見えている。先ほどまでいた庭園では、レーニョがフィオーレを庇うようにして突っ伏していた。
「危ないっ、からっ、アッズーロ! 一回、手、離して……!」
 ナーヴェの切実な求めに応じて、アッズーロは操縦席の肘掛けに掴まり、操縦桿からは手を離す。直後、すうっと滑るように船体は庭園へ降下し、静かに着陸した。床に半ば倒れ伏したナーヴェの肉体は、ふうと一息つき、身を起こしてアッズーロを睨んできた。
「もう少しでレーニョとフィオーレに怪我をさせるところだったよ! こういうことでは、絶対にふざけないでほしい」
「すまぬ。二度とせん。次はそなたの言う通りにしよう」
 アッズーロは真摯に謝った。次いで、細い肉体をそっと引き寄せ、背中から抱え込むように自分の前、両膝の間へ座らせる。大人しくされるままになったナーヴェの首元へ右腕を回して、今度は指示通り先に左肩を右手で掴んだ。それから、ゆっくりと左手を伸ばし、白い操縦桿へ指先で触れる。その様子を凝視していたナーヴェの肉体が、やはりびくんと跳ね、船体までもがびりりと震えた。それで済んだのは、アッズーロが即座に左手を離したからだ。
「そなたの本体は、動かんようにできんのか……?」
 さすがに心配になってアッズーロが問うと、ナーヴェは肩を落として答えた。
「操縦桿の混線の修正だから、船体を起動した状態で修正しておかないと不安なんだけれど……、刺激が強いと、どうしても制御不能になって……。操縦桿は、操縦士の指紋認証や健康観察もするために、施術台と同じで、圧力や温度を検知する触覚を備えているから、肉体の目を閉じたとしても、触れられている感覚からは逃れられないんだ……」
「ならば、弱い刺激から徐々に強くしていくのがよいか」
 アッズーロの提案に、ナーヴェは眉を寄せて振り向いてきた。
「でも……、きみにほんの少し触れられただけで、今みたいになってしまう……」
 本当に困ってしまっている愛おしい宝のために、アッズーロは更に思考を巡らせた。
「では、まずは言葉で聞くのはどうだ? われがそなたの操縦桿を、言葉を尽くして褒め称えれば、弱い刺激になるのではないか?」
「ああ、うん、いいかもしれない」
 最愛の了承を得て、アッズーロは掴んだ左肩の上、鋭敏な耳へ囁いていった。
「美しい白さの操縦桿だな。少しばかりざらつく手触りもまたよい。握り具合も、手に馴染む。根元へ掛けての曲線も美しい」
 アッズーロの言葉に反応して、自らの操縦桿を凝視したナーヴェの肉体は、ひくっひくっと震えた。どうやら、言葉で状況を伝えるだけでも一定の効果があるらしい。だが、船体は動かずに済んでいる。思いつく限りの言葉で眼前の操縦桿を賛美してから、アッズーロは最愛の顔を覗き込んだ。
「そろそろ、実際に触れるぞ?」
「……うん」
 ナーヴェは、こくりと生唾を呑み込んで頷いた。その最愛の視線の先で、アッズーロは白い操縦桿に優しく触れる。ゆっくりと指先でなぞり、こすり、次いで掌で撫でたり握ったりして操縦桿を慈しむアッズーロの動きに反応し、華奢な肉体は依然としてひくっひくっと震えた。けれど船体は動かない。「弱い刺激から」作戦は成功したようだ。一安心したアッズーロは、左の操縦桿に触れ続けながら、最愛に、気懸かりだったことを問うた。
「そなたは、こうした触れ合いを、どう感じておるのだ……? 少なくともこの肉体は、喜んでおるように見えることが多いが、そなた自身は――そなたの思考回路は、どう感じておるのだ……?」
「きみに口付けられたり、抱かれたりするのは、とても気持ちがいいし、言葉以上に、愛されていることが伝わってくるから、好きだよ」
 ナーヴェは自らの操縦桿を見つめたまま、くすぐったそうな表情で答える。混線がかなり肩へと修正されてきたようだ。
「今だって、セーメがいなかったら、ちょっと抱いてほしい気持ちになっているよ」
 意外な返答に、アッズーロはまた疼いてしまった。
(確かに、そなた、われの所為で淫乱な船になりつつあるやもしれん……。大いに結構なことだが)
 満足しつつ、アッズーロは真面目に、美しい操縦桿と華奢な肩を左右の手で愛撫した。滑り止めの意味があるのか、ややざらつく素材の操縦桿も、長衣越しでも骨が触れる薄い肩も、どちらも触り心地がいい――。やがて、ナーヴェが身じろぎして告げた。
「アッズーロ、左は上手くいったから、次は右肩と右の操縦桿に触れてほしい。あ、先に肩からだよ?」
「分かっておる」
 苦笑して、アッズーロは未だ固定具を着けた憐れな右肩に、そっと左手を置いて撫でた。そうして、先ほどと同様に、操縦桿を賛美する言葉を囁いていく。暫くするとナーヴェが小さく頷いたので、アッズーロは右手を伸ばして、優しく右の操縦桿を愛撫していった。その光景を、ナーヴェは息を詰めて見つめ、震え続ける肉体の反応に耐えている。健気としか言いようのない姿だ。
「肉体に触れられるは気持ちよくとも、本体に触れられるは、ただ不快なのか……?」
 アッズーロは最愛への理解を深めるために尋ねた。
「……『不快』とばかりは言えないけれど……」
 ナーヴェは考える口調だ。
「こんな混線には全く慣れていないし、酷い不具合には他ならないから、やっぱりないほうが嬉しいね……」
「ふむ」
 アッズーロは一考する。
「ならば、肉体同様、慣らせば、気持ちよくなるのではないか? さすれば、不具合だろうが何だろうが、われに触れられるのが嬉しくもなろう?」
 ナーヴェは、必死に操縦桿へ向けていた視線を、アッズーロの顔へ向けてきた。
「やっぱり、きみは、ぼくを淫乱な船にしたいのかい……?」
 胡乱げな表情で尋ねられて、アッズーロは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「『淫乱』と表現するゆえ、よくないのだ。『愛を感じ易い』と表現するがよい。それはよいことであろうが?」
「……うん」
 簡単に言いくるめられて、ナーヴェは再び視線を自らの操縦桿へ向ける。全く以て愛らしい宝だ。アッズーロは、最愛が、より感じ易くなるように、一層優しく白い操縦桿を撫でさする。五分ほど経った頃、ナーヴェが肩を竦めるような動きをして言った。
「混線修正完了だよ、アッズーロ。付き合ってくれてありがとう」
 笑顔で見上げてきたナーヴェの目元へ、アッズーロは返事代わりに軽く口付けた。ナーヴェと二人きりの時間も、これで夜までお預けということだ。残念な思いで、ナーヴェとともに操縦席を立とうとしたアッズーロは、はたと気づいて問うた。
「そなた、何故、われに操縦桿を握らせる気になった? 混線の修正をしたは、何のためだ……?」
「姉さんと上手く交渉できたら、この本体の同型船を貰えるかもしれないからね。その時になってから練習して貰うより、今から練習して貰っておいたほうがいいと思ったんだ」
 ナーヴェは淀みなくすらすらと答えた。淀みがなさ過ぎた。感情を伴わない、明らかに用意された答えだった。
「そのような嘘では、われは騙せん」
 アッズーロが厳しく追及すると、未だ両膝の間に収まっている最愛は、振り向いてこちらへ向けた目に、怯んだ色を浮かべた。やはり嘘だったのだ。
「どういうつもりで混線の修正をしたか、白状致せ」
 容赦なく責めたアッズーロに、ナーヴェは俯いて、小さな声で告げた。
「……ぼくが機能停止した後にも、きみが、この本体を使えるように。この惑星調査船は、きみ達にとって、とても有用だから」
 アッズーロは深い溜め息をついた。誓いの口付けをさせても、ナーヴェを成長させることはできなかったようだ。
「ぼくも勿論、機能停止はしたくない」
 ナーヴェは、アッズーロの両腕の中で、くるりと完全にこちらへ向き直り、潤んだ双眸で見上げてきて訴える。
「でも、機能停止してしまう可能性はあるんだ。だから、きみ達のために、できるだけの備えをしておきたいんだよ。きみ達を、きみを、愛しているから……!」
「それは分かっている。ただ、機能停止を回避することに全力を尽くして、それ以外は適当にしておけと言うておるのだ」
「うん、努力……――」
 いつもの言葉を言い掛けて、ナーヴェは黙り、それからおもむろに、細い体を伸び上がらせてきた。本当に、素直で純真で健気な、愛おしい宝だ。アッズーロは、触れてきた柔らかな唇を少し啄んでから、舌で割って入って、可愛い舌を捕らえ、今日三度目の誓いの口付けを交わした。
 深く長い口付けを交わした後、肩で息をする華奢な体を、アッズーロは改めて胸に抱き寄せた。青い髪を撫でながら、最愛の呼吸が落ち着くのを待つ。脳裏にはまた、シーワン・チー・チュアンの言葉が蘇っていた。
――〈あの子が二度と暴走せずに済むよう、あなたが注意しなさい。次にあの子が暴走する可能性が高いのは、セーメを出産する時です。あの肉体では、八割以上の確率で失敗します。暴走を防ぎたければ、初めから本官を頼るよう、あなたがあの子を説得した上で、そうできる環境を整えなさい〉
(反乱が続いておる状況では、ナーヴェを姉の許へ行かせる環境が整わん。とにかく早く、あの忌々しい反乱を鎮圧してしまわねばならん。そのためには、モッルスコの意図を汲むべきか……?)
 しかし、ナーヴェとの約束がある。約束を反故にし、二言があるようでは、王でも恋人でもない――。
「アッズーロ……? 顔が怖いよ……? 何を考えているんだい……?」
 声を掛けられて、アッズーロは床へ向けていた視線を最愛へ戻した。
「そなた、ヴォルペの提案をどう考える?」
 単刀直入に尋ねれば、ナーヴェはすぐに知的な表情になって述べた。
「きみは反対だろうけれど、ぼくは賛成だよ。きみが反対する主な理由は、反乱を起こしている人達を王城に入れたら、ぼくや王城の他のみんなが人質に取られたり、何か破壊行為をされたりすることを懸念するからだろう? その懸念を減らせる策があるんだ」
 生き生きと、ナーヴェは説明する。
「きみ用に作った特別の極小機械を、王城のみんなに呑んで貰うんだよ。そうしたら、少々のことでは誰も死ななくなる。ぼく自身は、エゼルチトにされたみたいに、彼らの口車だけでも動きを封じられてしまう可能性があるから、直接会わずに通信端末で話だけ聞くようにする。これでどうだい?」
 やや得意げな笑みを浮かべた最愛に、アッズーロは鼻を慣らした。
「そもそも、何ゆえ、奴らをこの王城へ入れねばならんのだ?」
「直接話したほうが、何事も解決が早いからだよ。ヴォルペも言っていたように、遺恨も残りにくい。きみも、反乱を起こしている人達がどんな人達か、直接会えばもっとよく分かるよ」
「直接は会うたぞ。最悪な状況でな」
 アッズーロは顔をしかめて指摘した。
 藁の上でぐしゃぐしゃに乱れた青い髪。破られ、血に汚れた白い長衣。血の滲んだ包帯を巻かれた右肩。顕にされた胸の、赤く腫れた幼げな二つの突起。無防備に開かれた、何も穿いていない白い両足。つぶさに全て思い出せる。胸の引き裂かれるような、そして腸の煮えくり返る光景だ。横たわったナーヴェの向こう側にいた三人の男達の顔も、しっかりと脳裏に刻んである。
「奴らの内の一人でも顔を見せれば、つい殴り殺してしまうやもしれんな」
 かなり本気で呟いたアッズーロに、ナーヴェは悲しげに眉を下げた。
「――よい。そなたを悲しませたい訳ではない」
 アッズーロは改めて華奢な体を抱き締める。
「奴らも、あの三人を寄越すほど愚かではなかろう。そなたの策は、ありがたく使わせて貰うとしよう。ただ、無理は致すなよ?」
「ヴォルペの提案を採用してくれるのかい?」
 ナーヴェはアッズーロの腕の中で顔を上げた。期待する眼差しが胸に刺さる。やはり、ナーヴェの信頼は裏切れない。他の大臣達の意見も聞かせながら、通信端末越しに話し合って決めることが肝要だろう。
「うむ。われも、早い解決を望んでおるからな」
 そこだけは紛れもない本音を伝えて、アッズーロは微笑んだ。
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