王の宝~元亜光速宇宙移民船の疑似人格電脳は人として生きる夢を見るか~

広海智

文字の大きさ
上 下
91 / 105

第二十二章 願いは一つ 二

しおりを挟む
     二

「ヴォルペ、どうした、早いな」
 財務担当大臣オーロ伯モッルスコは、最年少大臣の姿を見て、片眉を上げた。
「モッルスコ様こそ、お早いですね」
 山林担当大臣ヴォルペは、小柄な体を曲げて、ぺこりと頭を下げる。癖のある黄褐色の髪が、差し始めた朝日の中、ふわりと揺れた。このヴォルペや農産担当大臣ズッケロ、その双子の弟の畜産担当大臣ゾッコロ、工業担当大臣チェラーミカ伯ディアマンテ、水産担当大臣プリトは、アッズーロの御代になってから任じられた大臣達だ。皆、有能で誠実で、どこから見つけてきた人材かと、当初は驚いたものだった。
「わしがおらねば、何一つ進まんからな」
 モッルスコは、誇りと疲れが相半ばした愚痴を零して、王城の一階にある自身の大臣室へと向かった。軍を運用するにも、反乱民によって市街が荒らされた侯領を支援するにも、住処を離れて難民となった人々を救済するにも、何をするにも金が要る。財務担当大臣を仰せ付かっている自分に、休む暇はない――。
「お忙しくても、一日に一度は帰宅なさるという噂は、本当なのですね」
 ヴォルペは、とことこと同じ方向へ歩きながら、親しげに話し掛けてきた。十二人の大臣達は皆、王城の一階に大臣室を与えられているので、王城側面の同じ通用口を使うことになる。
「妻との約束だからな。違える訳にはいかん」
 モッルスコは、淡々と答えた。自分が財務担当大臣に任じられたのは、先々々代王ザッフィロの御代のこと。当時、結婚したばかりだった妻に、たった一つ約束させられたことが、どれほど忙しくとも、王城近くに構えたわが家に一日一度は帰るということだった。以来、先々代王マーレの御代にも、先王チェーロの御代にも、ずっと守り続けてきた約束を、アッズーロの御代となっても守っている。
(これほど忙しい思いをさせられたことも、そうはなかったが)
 そもそも、チェーロからアッズーロへ代替わりした際に、自分は大臣を外されるものと思っていた。十二人中では最高齢であり、決して媚びへつらうことをしない自分を、しかし、あの青年は財務担当大臣に留め置いた。
(お陰で、未だ、妻とゆっくり過ごすこと叶わん……)
 密やかに嘆息したモッルスコに、傍らを歩くヴォルペが心配そうな表情になった。
「お疲れが溜まっていらっしゃいますか……?」
「いや」
 モッルスコは憮然として答える。
「あの王の顔を思い浮かべれば、疲れなど吹き飛ぶわ。どうせ今も、ナーヴェ様にべたべたとくっ付いておられよう。わしが妻とこうして引き離されておるというに」
 未だ少女のような最年少大臣は、分かり易い苦笑を浮かべた。
「まあ、大怪我を負っていらっしゃるのですし……、ジョールノの報告に拠れば、ナーヴェ様も一時期、死の淵を彷徨われたとか。ともに死地を乗り越えられて、お二人の愛は、更に深まっておられることでしょう」
 モッルスコは鼻を鳴らした。さもありなん、だ。だがそれでも、あの王と王の宝は、決して政務を疎かにはしない。
(であれば、こちらも手は抜けん――)
「寝室からつやつやとした顔で出てきたあの王の前に、裁可待ちの財務書類を山と積み上げてやるのが、近頃の、わしの楽しみの一つだ」
 言い放って、モッルスコはヴォルペを従え、広い庭園を通用口へと急いだ。財務担当大臣室では、徹夜した配下の官僚達が、今か今かと自分を待っていることだろう。
 青々とした庭木の向こうに、鎮座した惑星調査船の美しい姿が見えた。篝火の灯りだけで見た昨夜は、はっきりとは分からなかったが、損傷などは特にないようだ。モッルスコは微笑み、ヴォルペとともに通用口を入った。


「ぼくも、エゼルチトの尋問に立ち会ったら駄目かな……?」
 伴侶から控えめに強請られ、アッズーロは憮然として、朝粥を掬った匙を止めた。
「そなた、身重なのだぞ? 地下牢なぞ、体に悪い」
「何故、体に悪いんだい?」
 宝は、怪訝そうに訊いてきた。
「悪いに決まっておろう。あのような窓もない、じめじめとした地下なぞ。その上、益体もない者どもが捕まっておるのだぞ?」
 アッズーロは言い聞かせたが、最愛は匙を持ったまま肩を竦めた。
「窓がないのは、王太子だったきみが反対したからだよ。捕虜の脱出を容易にしてしまうってね。チェーロは、ぼくの進言を入れて、捕虜のみんなの人権を侵害し過ぎないように、地下牢を改装したのに」
 アッズーロは記憶を手繰った。言われてみれば、そんなこともあった。
「父上が、急に地下牢の改装なぞ始めて、何をとち狂うたかと思うていたが、そなたの差し金だったか」
「まるで、悪いことをしたみたいに言わないでほしいんだけれど」
 眉をひそめて、ナーヴェは反論してくる。
「それに、『益体もない者ども』と言っても、今はエゼルチトとラーモしかいないはずだよね? なら、問題はないよ。ぼくはどっちとも話したいと思っているから」
「大いに問題があろう」
 アッズーロは憤慨した。そもそも、ナーヴェの本体がミニエラ・ディ・カルボーネ鉱山の坑道に閉じ込められたのは、エゼルチト及びラーモと接触してしまった所為だ。博愛主義の宝は、益体もない者の口車によって、簡単に行動不能にさせられてしまう。
「そなたは奴らと口を利くな。また訳の分からん人質の取られ方をして、どこぞに閉じ込められては敵わん」
 最愛は、目に見えて、しゅんと落ち込んだ。反省は充分にしているらしい。抗弁どころか、目を伏せて話もしなくなった宝の様子に、アッズーロは少しばかり胸が痛んだ。
「……奴らに姿を見せず、黙って遠くから、尋問の遣り取りを聞くだけならば、問題はなかろう」
 つい譲歩してしまったアッズーロに、ナーヴェは目を上げ、顔を輝かせた。
「いいのかい……?」
「王に二言はない」
「ありがとう、愛しているよ、アッズーロ」
 礼を述べた最愛に、アッズーロは逆に顔をしかめた。どうも昨夜辺りから、ナーヴェは「愛している」を頻繁に使い過ぎる。ともすれば、今までの、たまにしか言わなかった「愛している」より軽く聞こえるのが、気に食わない。
「そなた、愛を告げる言葉はそう多用するものではない。慎みがなかろう」
「――きみは、とても頻繁に口にするのに……?」
 最愛に不審そうに見つめられて、アッズーロは溜め息をついた。
「われは、そなたを成長させるため、敢えて頻繁に口にしておるのだ。そなたには、そうした必要性がなかろう」
「――ぼくも、できればきみを成長させたいけれど……」
 ナーヴェはぶつぶつと呟く。
「まあ、確かに、『愛している』と言うことで、きみを成長させることはできなさそうだね。分かったよ。とにかく、尋問への立ち会いを許してくれてありがとう」
 素直に了承して、ナーヴェは再び粥を口に運び始めた。
(少々、言い方がまずかったか……)
 アッズーロも止めていた匙を動かしつつ、考える。ナーヴェが以前よりもアッズーロへの愛を表明し出したことは、歓迎すべきことのはずだ。アッズーロは粥を食べる合間に付け加えた。
「……ただ、言いたくなった時には、我慢せず言うがよい。われは、そなたの全てを受け入れるゆえ」
 ナーヴェは持ち上げた匙を止め、困惑した面持ちで尋ねてきた。
「ぼくは、言いたくなった時にしか、『愛している』とは言っていないんだけれど、結局、どうすればいいんだい……?」
 アッズーロは一瞬悩んでから、厳かに告げた。
「そなたが『愛している』と言うた時の、われの表情を見て学ぶがよい。それが言うべき時であったかどうかを、な。そうした積み重ねこそが、そなたの成長に繋がろう。愛を告げる言葉は、一方的に言うものではなく、相手を喜ばせてこそだからな」
 最愛は、はっとした表情になった。
「そうだね……。心は、きみとぼくの間にある。愛の言葉は、自分の気持ちだけで一方的に言ってはいけないんだね……。確かに、きみの愛の言葉は、いつもぼくを幸せにしてくれる。とても勉強になったよ」
 まだまだ純真な宝に真剣に感謝されて、アッズーロは少々後ろめたさを感じながら粥を平らげた。控えているフィオーレとミエーレが、憐れむような眼差しをナーヴェに注いでいる。麦を羊乳で炊いて乾酪をまぶし、阿利襪果実の塩漬けを添えた粥は、優しい味で胃の腑に収まった。


「まずはエゼルチトの尋問を行なう。それから大臣会議だ。招集を掛けずとも、どうせその辺りに全員おろう。心積もりだけさせておけ。特に羊の薬の配布状況については細かく確認する旨、予め伝えておくがよい。会議が長引かん限りは、会議の後に昼食だ。ただ、その前にナーヴェの本体で混線の修正をする。午後は会議がどうなるか次第だが、一度ティンブロとも話しておいたほうがよかろう。そちらも心積もりをさせておけ」
 アッズーロは、朝食後、来室したレーニョに、すらすらと一日の予定を告げた。
(きみはまだ安静にしていなければいけない身で、本当に忙しいのに、ぼくの混線の修正まで……)
 ナーヴェは申し訳ない思いで青年王を見つめる。すると、レーニョのほうに視線を向けていた王が、ふと振り向いた。
「そのような憂い顔を致すな。そなたのために時間を割くは、わが喜びだ。テゾーロのためにもセーメのためにも、微笑んでおるがよい」
 呼応するように、ミエーレにあやされていたテゾーロが揺り篭から笑い声を立てた。ラディーチェが朝一番に来て授乳してくれたので、機嫌がいいようだ。
「……うん。ありがとう、努力するよ」
 ナーヴェは無理に微笑んで頷いた。
「地下はここより冷える。上着を羽織って参れ」
 アッズーロは、フィオーレに歯を磨かれるナーヴェに命じる。
「座っておく椅子も必要であろう。フィオーレはナーヴェを支え、ミエーレは椅子を一脚持って、ともに参れ」
「仰せのままに」
「畏まりました」
 それぞれ一礼した女官達の間で、ナーヴェは目を瞬いた。
(仲夏の月だから、寒いというほどではないし、椅子も、まだ妊娠初期だから大丈夫なのに……)
 ナーヴェの口を濯ぎ終わったフィオーレは手桶と楊枝、木杯の片付けをミエーレに頼み、自らは衣装箱の中から適当な上着を探し始める。自由になったナーヴェは、寝台に腰掛けたまま、青年王を見つめた。
「アッズーロ、きみも椅子が必要だよ」
「そうだな。レーニョに持っていかせよう」
 己の寝台に腰掛け、自分で歯を磨いた青年は、ミエーレに後片付けを任せて、ナーヴェの仕度完了を待っている。
「レーニョ、そこの椅子を持って参れ」
「椅子は二脚ともミエーレ殿に頼みます。わたくしは、陛下を支えます」
 有能な侍従は淡々と王に応じ、いつも食事を取る卓に備えられたアッズーロとナーヴェの椅子を、寝室の入り口まで移動させた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

召喚先は、誰も居ない森でした

みん
恋愛
事故に巻き込まれて行方不明になった母を探す茉白。そんな茉白を側で支えてくれていた留学生のフィンもまた、居なくなってしまい、寂しいながらも毎日を過ごしていた。そんなある日、バイト帰りに名前を呼ばれたかと思った次の瞬間、眩しい程の光に包まれて── 次に目を開けた時、茉白は森の中に居た。そして、そこには誰も居らず── その先で、茉白が見たモノは── 最初はシリアス展開が続きます。 ❋多視点のお話もあります ❋独自設定有り ❋気を付けてはいますが、誤字脱字があると思います。気付いた時に訂正していきます。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

追放聖女の再就職 〜長年仕えた王家からニセモノと追い出されたわたしですが頑張りますね、魔王さま!〜

三崎ちさ
恋愛
メリアは王宮に勤める聖女、だった。 「真なる聖女はこの世に一人、エミリーのみ! お前はニセモノだ!」 ある日突然いきりたった王子から国外追放、そして婚約破棄もオマケのように言い渡される。 「困ったわ、追放されても生きてはいけるけど、どうやってお金を稼ごうかしら」 メリアには病気の両親がいる。王宮で聖女として働いていたのも両親の治療費のためだった。国の外には魔物がウロウロ、しかし聖女として活躍してきたメリアには魔物は大した脅威ではない。ただ心配なことは『お金の稼ぎ方』だけである。 そんな中、メリアはひょんなことから封印されていたはずの魔族と出会い、魔王のもとで働くことになる。 「頑張りますね、魔王さま!」 「……」(かわいい……) 一方、メリアを独断で追放した王子は父の激昂を招いていた。 「メリアを魔族と引き合わせるわけにはいかん!」 国王はメリアと魔族について、何か秘密があるようで……? 即オチ真面目魔王さまと両親のためにお金を稼ぎたい!ニセモノ疑惑聖女のラブコメです。 ※小説家になろうさんにも掲載

処理中です...