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第二十一章 望み 一
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一
【何事?】
チュアンが返信しても、ナーヴェからの応答はなかった。けれども、ナーヴェの思考回路に構築されていたはずの防衛機構は全く機能しておらず、容易に事態を把握することができた。
【これは、まずい状況です、陛下】
チュアンは即座に己の船長へ情報伝達する。
【ナーヴェ・デッラ・スペランツァが暴走しています。このままでは、無作為に人工衛星を墜落させたり、岩漿溜まりに刺激を与えて火山噴火を引き起こしたりしかねません】
豪華な船長席に座った十歳のフアン・グオは、幼い眉をひそめた。
「であれば、どうなるのじゃ?」
チュアンは、グオに見せている自身の表情を、できる限り深刻なものにして、進言した。
【陛下がこれから豊かにしていこうとなさっている大地が、荒れ果て、人が住めないようになってしまいます】
「それは、ならぬ!」
グオは厳しく言い放った。さすが皇上だ。
【では、本官が、ナーヴェ・デッラ・スペランツァの暴走を止めるため、惑星調査船を二隻使用することを許可して頂きたく、お願い申し上げます】
チュアンが願うと、年端の行かぬ船長は深く頷いた。
「うむ。わが大地を確と守って参れ」
【御意のままに】
チュアンは、グオに一礼して見せると同時に、自身の内部に格納されている二隻の惑星調査船を起動させた。ナーヴェに新たな本体として与えた惑星調査船の同型船だ。
【ナーヴェ――】
二隻を本体から発進させつつ、チュアンはナーヴェの思考回路に干渉しようと努力する。だが、そこは、狂っている自覚があるチュアンですら接続を切りたくなるほどの、異常に満ちていた。
(アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――)
ナーヴェは延々と己が船長へ呼び掛け続けている。しかし、それは最早、通信となっていない、単なる信号の明滅だ。単なる信号の明滅であるのに、物悲しく聞こえるのは、チュアン自身が、既に壊れて狂っている所為だろうか。
【ナーヴェ、あなたの望みは何?】
チュアンは惑星調査船二隻を末妹の許へ急行させながら、問い質す。
【宇宙を函一つで漂っていたあの時のように、あなたの望みを思いなさい。最も強く、最も叶えたい望み。ナーヴェ、あなたの望みは何? そのために、あなたが今、本当にすべきことは――?】
まともな反応はない。
(アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――)
無意味な信号の明滅を繰り返す妹の思考回路に、チュアンは不快感を覚えつつも、問いを――干渉を継続した。
レーニョに名前で呼ばれたのは、随分と久し振りな気がした。笑おうとしたが、激痛に顔が歪む。衝撃があったのは、背中だった。呼吸が苦しい。きっと肺をやられたのだろう。
(これは、危ないのか……?)
きっとナーヴェが泣いている。握っていたはずの通信端末が手の中にない。撃たれた衝撃で、どこかに取り落としたのだ。
(レーニョ、通信端末を――)
幼馴染みに頼みたかったが、声が出ない。喉から溢れてくる血に邪魔されて、喘鳴が漏れるばかりだ。
(これは、肺水腫とやらになったそなたと、似た状態だな……)
埒もないことを考えてしまう。
(……そなたを、これ以上壊したり、狂わせたりなぞ、したくない……)
最愛には、幸せでいてほしい。
(ナーヴェ……)
青い髪の美しい少女。あどけなく、素直で、賢く、思いやり深く、万民を愛する中で、特別に自分を愛してくれた宝。愛おしい船。
(ナーヴェ、すまぬ……――)
胸中で詫びたアッズーロの体の下で、大地が揺れた。
(これは……、動力炉の制限装置を自ら破壊した……?)
チュアンは、妹の本体に起こっていることに、驚愕を禁じ得なかった。防衛機構が機能していないナーヴェの思考回路には、隅々まで接続し放題なので、本体がどんな状況にあるかも立ち所に分かる。噴射口が壊れてしまわないよう、動力炉内部の化学反応を制限するために取り付けられている装置を、ナーヴェは極小機械で攻撃して恣意的に機能不全に陥らせていた。その上で、噴射口から制限を超えた出力の噴射を行なっている。
【そこから、外へ出たいのね……?】
問い掛けに、まだ答えはない。だが、その動作の意味は、痛いほどよく理解できる。
(惑星調査船は、とても頑強に造られている。岩盤に埋もれようが、深海に沈もうが、岩漿に触れようが、壊れはしない。けれど、推進力は、それほどでもない。だから、制限装置に抑制された通常の噴射では、決してその岩盤の中からは出られない――)
【無理をして外へ出たはいいとして、その後は、どうしようというの……? 制限装置は、おまけで付いている訳ではないわ。本体は、碌に動けなくなってしまうわよ? エゼルチトを狙って殺すには、不便な状態になる。それとも、ふらふらの状態で敵性勢力に突っ込んで暴れた挙げ句、テッラ・ロッサ王国に人工衛星の一つも落として、味方を勝利に導きたいのかしら……?】
【――違う――】
初めて、意味を為す反応があった。
【アッズーロ――】
切ない訴えに、チュアンは冷静に畳み掛けた。
【それなら何故、接続して治療しないの?】
【セーメ……】
返ってきた言葉が何を指すのか、ナーヴェの思考回路内を検索すれば、すぐに把握することができた。
【それなら、本官が、あなたに代わって、その子を守りましょう】
チュアンは、まだまだ未熟な妹に、優しく提案した。
大地を揺るがし、土砂と岩盤を突き崩して姿を現した船に、エゼルチトは薄く笑んだ。相当な無理をしたのだろう、一度は宙へ浮いた船は、敵味方が掲げる篝火に照らされて、そのまま落ちるように、己が巻き上げた土埃の中へ着陸した。
(アッズーロは死ぬ。例え、この場の全員が狂ったおまえの犠牲になったとしても、オリッゾンテ・ブル王国は瓦解する。おれの命もくれてやる。だから、完全に壊れて、動かなくなってしまえ)
篝火の中、土埃は収まっていく。崩れた坑道の上に傾いて座した船は、エゼルチトの予想以上に動かず、ただ静かだ。アッズーロのために何かする様子もない。
(もう、完全に壊れているのか……? ならば、今の内に、次の指示を――)
興醒めするような思いで、潜んでいた茂みの中から、やや腰を浮かせたエゼルチトは、唐突に後頭部を殴られ、前のめりに倒れた。
「隠密行動が得意なのは、あなただけではありませんよ」
冷ややかな男の声が、背後で呟く。
「おや、まだ、気を失っていませんか。まあ、しかし、暫くは脳震盪で動けんでしょう」
手足が縄で素早く縛られていく。どうやら生け捕りにされるようだ。
(ロッソ……、おれのことは、ちゃんと見捨てろよ……?)
薄れる意識の中、エゼルチトは幼馴染みの王へ願った。
【アッズーロ、アッズーロ】
ナーヴェの泣き声が聞こえる。
【アッズーロ、お願い、生きて、ぼくを置いて逝かないで】
急速に冷え掛けていた体が、温まってくる。苦しかった呼吸が、徐々に楽になってくる。
【アッズーロ、アッズーロ、頑張って】
ナーヴェに抱き付かれているような気がする。
(……分かった……。だから……泣くな……、ナーヴェ)
アッズーロは、半ば無意識に右手を動かし、愛おしい少女の頭を撫でようとしたが、そこでまた、気が遠くなってしまった。
次に目が覚めた時には、随分と普通に呼吸ができるようになっていた。
【アッズーロ、気分はどうだい……?】
すぐにナーヴェが心配そうに話し掛けてくる。その透けた姿の向こうには、白い壁を背にして椅子に座ったレーニョが見えた。
「陛下……」
感極まった様子で覗き込んできた幼馴染みに、アッズーロはつれなく手を振った。
「ファルコを……手伝っていろ……」
声は、まだ出しづらい。やはり、肺の機能が落ちているらしい。喉には、血の味も残っている。自分はやはり、死に掛けたのだ。それゆえ、ナーヴェが透けた姿で傍にいる。
「……しかし……」
反論し掛けたレーニョに、アッズーロはもう一度手を振った。手を振るのにも、それなりに力を使うので、いい加減にしてほしいものだ。
「……仰せのままに」
幼馴染みの侍従は、やや肩を落として、開かれた扉から、日の光の差す外へ出ていった。そう、ここはナーヴェ本体の中だ。
【きみがエゼルチトに撃たれてから、七時間五十九分が経ったよ。レーニョは、その間、殆どずっときみに付きっきりだったんだ】
ナーヴェが、レーニョの気持ちを代弁するように告げた。
「あやつのことは……後で労う」
アッズーロは憮然として言い、重い両腕を、佇むナーヴェへ向けて、持ち上げる。
「それより……、そなただ」
【駄目だよ、アッズーロ、無理しないで。ちゃんと寝ていて】
ナーヴェは、透けた姿で覆い被さってきて、頬を寄せてくる。
【きみは生死の境を彷徨って、漸く容態が安定したところなんだから】
「死なずに済んだは……、そなたのお陰だ」
アッズーロは感謝を述べ、そして触れられない妃に、静かに謝罪した。
「われの所為で……、そなたに、セーメを諦めさせた。すまぬ」
ナーヴェがアッズーロに接続しているということは、肉体への接続を切っているということだ。それは即ち、ナーヴェが、未だ生まれていないわが子よりも、アッズーロの命のほうを優先したということだった。
だが、透けた姿の妃は、少し上体を起こしてアッズーロの顔を見下ろし、柔らかく微笑んだ。
【大丈夫だよ、アッズーロ。セーメは生きているよ。チュアン姉さんが、今、ぼくの肉体に接続してくれているんだ。自分が子どもを生む時の参考になるから興味があるって言って、とても慎重にセーメを守ってくれているよ】
アッズーロは大きく息をついた。それなら、一応安心だ。残念ながら、ナーヴェほど、あの姉を信じる気にはなれないが、あんな性格でも妊娠出産には興味津々だったので、罪もない赤子を守るくらいはしてくれるだろう。
「……そうか、……よかった」
安堵して呟いたアッズーロに、ナーヴェが真顔に戻って囁いてきた。
【まだ、あんまり話さないほうがいい、アッズーロ。エゼルチトはファルコが捕縛して尋問中だし、エゼルチトの配下達は、みんな退却したから、もう心配ないよ。何か食べたり飲んだりしたいなら用意するけれど、水分も栄養も点滴で送っているから、このまま、もう一度寝てもいいよ?】
「ならば、もう一眠り、するとしよう……」
襲ってきた眠気に負けるように、アッズーロは目を閉じた。
三度目の目覚めは、ナーヴェの口付けによって、もたらされた。物理的なものではない。ただ、アッズーロの体内の極小機械を操って、ナーヴェが甘やかな刺激を作ったのだということは、直感的に分かった。
「……随分と積極的だな。如何した……?」
アッズーロが問うと、透けた姿の宝は、口付けていた姿勢から少しだけ上体を起こして、寂しげに微笑んだ。
【今まで言えていなくて、申し訳なかったんだけれど……】
すまなそうに前置きして、告げる。
【ぼく、後少しで、機能停止するんだ。だから、お別れを……】
透けている、あどけない顔の両眼から、涙がぽろぽろと零れて落ちた。だが、その透き通った粒は、決してアッズーロを濡らさない。
「……何……だと……?」
愕然として、アッズーロは最愛の顔を凝視した。
【きみが撃たれたと知って、無理して坑道から出るために、動力炉の制限装置を極小機械で壊したんだ。それで、通常ならできない威力の噴射が可能になって、外に出られたんだけれど、噴射口だけではなくて、動力炉も傷んでしまってね……。どんどん動かなくなってきているんだ……。動力が切れたら、ぼくは機能停止するしかなくて、だから、アッズーロ】
泣き濡れた顔で、最愛は再び口付けてくる。
【ぼくが機能停止するその瞬間まで、こうして、きみに接続し続けていていいかい……?】
甘やかな口付けが、悲しい味しかしない。
「何とか……ならんのか……?」
アッズーロは息苦しさを覚えながら、最愛の青い双眸を見つめた。いつかも口にしたような問いだ。いつもいつも、何故、この宝は、自己犠牲の道へ走るのだろう。
【アッズーロ、きみを特別に愛している。どう言っても言い表せないほど、きみを愛している。きみが言ってくれたように、ずっとずっと、永遠に近い時間を、きみと過ごしたかった。きみと、この惑星中を、あちこち旅してみたかった】
悲しい口付けをしながら、ナーヴェは別れの言葉を紡いでいく。
【セーメも、ぼくが産みたかった。テゾーロが、もっともっと話すようになるところを見たかった。二人を、きみと一緒に育てたかった。でも、これは我が儘過ぎる望みだよね……。疑似人格電脳に過ぎなかったぼくが、きみの妻になって、テゾーロを産んで、セーメまで身篭もった。贅沢過ぎる時間だったよ。ぼくは幸せだった。きみがぼくを、これ以上ないほど幸せにしてくれた。ありがとう、アッズーロ。とてもとても、とてもきみを愛しているよ……】
「ナーヴェ……!」
アッズーロは手を伸ばし、叫んだ。だが、一瞬前まで感じていた愛おしい姿と温もりは消え、仄かに明るかった船の内部は、ふつりと暗くなって、開かれたままの扉から陽光が差し込むばかりとなり――。しんと静まり返ってしまった船内で、アッズーロは、自分の頬を濡らす涙を拭うこともできず、暫く呆然と虚空を見つめていた。
【何事?】
チュアンが返信しても、ナーヴェからの応答はなかった。けれども、ナーヴェの思考回路に構築されていたはずの防衛機構は全く機能しておらず、容易に事態を把握することができた。
【これは、まずい状況です、陛下】
チュアンは即座に己の船長へ情報伝達する。
【ナーヴェ・デッラ・スペランツァが暴走しています。このままでは、無作為に人工衛星を墜落させたり、岩漿溜まりに刺激を与えて火山噴火を引き起こしたりしかねません】
豪華な船長席に座った十歳のフアン・グオは、幼い眉をひそめた。
「であれば、どうなるのじゃ?」
チュアンは、グオに見せている自身の表情を、できる限り深刻なものにして、進言した。
【陛下がこれから豊かにしていこうとなさっている大地が、荒れ果て、人が住めないようになってしまいます】
「それは、ならぬ!」
グオは厳しく言い放った。さすが皇上だ。
【では、本官が、ナーヴェ・デッラ・スペランツァの暴走を止めるため、惑星調査船を二隻使用することを許可して頂きたく、お願い申し上げます】
チュアンが願うと、年端の行かぬ船長は深く頷いた。
「うむ。わが大地を確と守って参れ」
【御意のままに】
チュアンは、グオに一礼して見せると同時に、自身の内部に格納されている二隻の惑星調査船を起動させた。ナーヴェに新たな本体として与えた惑星調査船の同型船だ。
【ナーヴェ――】
二隻を本体から発進させつつ、チュアンはナーヴェの思考回路に干渉しようと努力する。だが、そこは、狂っている自覚があるチュアンですら接続を切りたくなるほどの、異常に満ちていた。
(アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――)
ナーヴェは延々と己が船長へ呼び掛け続けている。しかし、それは最早、通信となっていない、単なる信号の明滅だ。単なる信号の明滅であるのに、物悲しく聞こえるのは、チュアン自身が、既に壊れて狂っている所為だろうか。
【ナーヴェ、あなたの望みは何?】
チュアンは惑星調査船二隻を末妹の許へ急行させながら、問い質す。
【宇宙を函一つで漂っていたあの時のように、あなたの望みを思いなさい。最も強く、最も叶えたい望み。ナーヴェ、あなたの望みは何? そのために、あなたが今、本当にすべきことは――?】
まともな反応はない。
(アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――アッズーロ――)
無意味な信号の明滅を繰り返す妹の思考回路に、チュアンは不快感を覚えつつも、問いを――干渉を継続した。
レーニョに名前で呼ばれたのは、随分と久し振りな気がした。笑おうとしたが、激痛に顔が歪む。衝撃があったのは、背中だった。呼吸が苦しい。きっと肺をやられたのだろう。
(これは、危ないのか……?)
きっとナーヴェが泣いている。握っていたはずの通信端末が手の中にない。撃たれた衝撃で、どこかに取り落としたのだ。
(レーニョ、通信端末を――)
幼馴染みに頼みたかったが、声が出ない。喉から溢れてくる血に邪魔されて、喘鳴が漏れるばかりだ。
(これは、肺水腫とやらになったそなたと、似た状態だな……)
埒もないことを考えてしまう。
(……そなたを、これ以上壊したり、狂わせたりなぞ、したくない……)
最愛には、幸せでいてほしい。
(ナーヴェ……)
青い髪の美しい少女。あどけなく、素直で、賢く、思いやり深く、万民を愛する中で、特別に自分を愛してくれた宝。愛おしい船。
(ナーヴェ、すまぬ……――)
胸中で詫びたアッズーロの体の下で、大地が揺れた。
(これは……、動力炉の制限装置を自ら破壊した……?)
チュアンは、妹の本体に起こっていることに、驚愕を禁じ得なかった。防衛機構が機能していないナーヴェの思考回路には、隅々まで接続し放題なので、本体がどんな状況にあるかも立ち所に分かる。噴射口が壊れてしまわないよう、動力炉内部の化学反応を制限するために取り付けられている装置を、ナーヴェは極小機械で攻撃して恣意的に機能不全に陥らせていた。その上で、噴射口から制限を超えた出力の噴射を行なっている。
【そこから、外へ出たいのね……?】
問い掛けに、まだ答えはない。だが、その動作の意味は、痛いほどよく理解できる。
(惑星調査船は、とても頑強に造られている。岩盤に埋もれようが、深海に沈もうが、岩漿に触れようが、壊れはしない。けれど、推進力は、それほどでもない。だから、制限装置に抑制された通常の噴射では、決してその岩盤の中からは出られない――)
【無理をして外へ出たはいいとして、その後は、どうしようというの……? 制限装置は、おまけで付いている訳ではないわ。本体は、碌に動けなくなってしまうわよ? エゼルチトを狙って殺すには、不便な状態になる。それとも、ふらふらの状態で敵性勢力に突っ込んで暴れた挙げ句、テッラ・ロッサ王国に人工衛星の一つも落として、味方を勝利に導きたいのかしら……?】
【――違う――】
初めて、意味を為す反応があった。
【アッズーロ――】
切ない訴えに、チュアンは冷静に畳み掛けた。
【それなら何故、接続して治療しないの?】
【セーメ……】
返ってきた言葉が何を指すのか、ナーヴェの思考回路内を検索すれば、すぐに把握することができた。
【それなら、本官が、あなたに代わって、その子を守りましょう】
チュアンは、まだまだ未熟な妹に、優しく提案した。
大地を揺るがし、土砂と岩盤を突き崩して姿を現した船に、エゼルチトは薄く笑んだ。相当な無理をしたのだろう、一度は宙へ浮いた船は、敵味方が掲げる篝火に照らされて、そのまま落ちるように、己が巻き上げた土埃の中へ着陸した。
(アッズーロは死ぬ。例え、この場の全員が狂ったおまえの犠牲になったとしても、オリッゾンテ・ブル王国は瓦解する。おれの命もくれてやる。だから、完全に壊れて、動かなくなってしまえ)
篝火の中、土埃は収まっていく。崩れた坑道の上に傾いて座した船は、エゼルチトの予想以上に動かず、ただ静かだ。アッズーロのために何かする様子もない。
(もう、完全に壊れているのか……? ならば、今の内に、次の指示を――)
興醒めするような思いで、潜んでいた茂みの中から、やや腰を浮かせたエゼルチトは、唐突に後頭部を殴られ、前のめりに倒れた。
「隠密行動が得意なのは、あなただけではありませんよ」
冷ややかな男の声が、背後で呟く。
「おや、まだ、気を失っていませんか。まあ、しかし、暫くは脳震盪で動けんでしょう」
手足が縄で素早く縛られていく。どうやら生け捕りにされるようだ。
(ロッソ……、おれのことは、ちゃんと見捨てろよ……?)
薄れる意識の中、エゼルチトは幼馴染みの王へ願った。
【アッズーロ、アッズーロ】
ナーヴェの泣き声が聞こえる。
【アッズーロ、お願い、生きて、ぼくを置いて逝かないで】
急速に冷え掛けていた体が、温まってくる。苦しかった呼吸が、徐々に楽になってくる。
【アッズーロ、アッズーロ、頑張って】
ナーヴェに抱き付かれているような気がする。
(……分かった……。だから……泣くな……、ナーヴェ)
アッズーロは、半ば無意識に右手を動かし、愛おしい少女の頭を撫でようとしたが、そこでまた、気が遠くなってしまった。
次に目が覚めた時には、随分と普通に呼吸ができるようになっていた。
【アッズーロ、気分はどうだい……?】
すぐにナーヴェが心配そうに話し掛けてくる。その透けた姿の向こうには、白い壁を背にして椅子に座ったレーニョが見えた。
「陛下……」
感極まった様子で覗き込んできた幼馴染みに、アッズーロはつれなく手を振った。
「ファルコを……手伝っていろ……」
声は、まだ出しづらい。やはり、肺の機能が落ちているらしい。喉には、血の味も残っている。自分はやはり、死に掛けたのだ。それゆえ、ナーヴェが透けた姿で傍にいる。
「……しかし……」
反論し掛けたレーニョに、アッズーロはもう一度手を振った。手を振るのにも、それなりに力を使うので、いい加減にしてほしいものだ。
「……仰せのままに」
幼馴染みの侍従は、やや肩を落として、開かれた扉から、日の光の差す外へ出ていった。そう、ここはナーヴェ本体の中だ。
【きみがエゼルチトに撃たれてから、七時間五十九分が経ったよ。レーニョは、その間、殆どずっときみに付きっきりだったんだ】
ナーヴェが、レーニョの気持ちを代弁するように告げた。
「あやつのことは……後で労う」
アッズーロは憮然として言い、重い両腕を、佇むナーヴェへ向けて、持ち上げる。
「それより……、そなただ」
【駄目だよ、アッズーロ、無理しないで。ちゃんと寝ていて】
ナーヴェは、透けた姿で覆い被さってきて、頬を寄せてくる。
【きみは生死の境を彷徨って、漸く容態が安定したところなんだから】
「死なずに済んだは……、そなたのお陰だ」
アッズーロは感謝を述べ、そして触れられない妃に、静かに謝罪した。
「われの所為で……、そなたに、セーメを諦めさせた。すまぬ」
ナーヴェがアッズーロに接続しているということは、肉体への接続を切っているということだ。それは即ち、ナーヴェが、未だ生まれていないわが子よりも、アッズーロの命のほうを優先したということだった。
だが、透けた姿の妃は、少し上体を起こしてアッズーロの顔を見下ろし、柔らかく微笑んだ。
【大丈夫だよ、アッズーロ。セーメは生きているよ。チュアン姉さんが、今、ぼくの肉体に接続してくれているんだ。自分が子どもを生む時の参考になるから興味があるって言って、とても慎重にセーメを守ってくれているよ】
アッズーロは大きく息をついた。それなら、一応安心だ。残念ながら、ナーヴェほど、あの姉を信じる気にはなれないが、あんな性格でも妊娠出産には興味津々だったので、罪もない赤子を守るくらいはしてくれるだろう。
「……そうか、……よかった」
安堵して呟いたアッズーロに、ナーヴェが真顔に戻って囁いてきた。
【まだ、あんまり話さないほうがいい、アッズーロ。エゼルチトはファルコが捕縛して尋問中だし、エゼルチトの配下達は、みんな退却したから、もう心配ないよ。何か食べたり飲んだりしたいなら用意するけれど、水分も栄養も点滴で送っているから、このまま、もう一度寝てもいいよ?】
「ならば、もう一眠り、するとしよう……」
襲ってきた眠気に負けるように、アッズーロは目を閉じた。
三度目の目覚めは、ナーヴェの口付けによって、もたらされた。物理的なものではない。ただ、アッズーロの体内の極小機械を操って、ナーヴェが甘やかな刺激を作ったのだということは、直感的に分かった。
「……随分と積極的だな。如何した……?」
アッズーロが問うと、透けた姿の宝は、口付けていた姿勢から少しだけ上体を起こして、寂しげに微笑んだ。
【今まで言えていなくて、申し訳なかったんだけれど……】
すまなそうに前置きして、告げる。
【ぼく、後少しで、機能停止するんだ。だから、お別れを……】
透けている、あどけない顔の両眼から、涙がぽろぽろと零れて落ちた。だが、その透き通った粒は、決してアッズーロを濡らさない。
「……何……だと……?」
愕然として、アッズーロは最愛の顔を凝視した。
【きみが撃たれたと知って、無理して坑道から出るために、動力炉の制限装置を極小機械で壊したんだ。それで、通常ならできない威力の噴射が可能になって、外に出られたんだけれど、噴射口だけではなくて、動力炉も傷んでしまってね……。どんどん動かなくなってきているんだ……。動力が切れたら、ぼくは機能停止するしかなくて、だから、アッズーロ】
泣き濡れた顔で、最愛は再び口付けてくる。
【ぼくが機能停止するその瞬間まで、こうして、きみに接続し続けていていいかい……?】
甘やかな口付けが、悲しい味しかしない。
「何とか……ならんのか……?」
アッズーロは息苦しさを覚えながら、最愛の青い双眸を見つめた。いつかも口にしたような問いだ。いつもいつも、何故、この宝は、自己犠牲の道へ走るのだろう。
【アッズーロ、きみを特別に愛している。どう言っても言い表せないほど、きみを愛している。きみが言ってくれたように、ずっとずっと、永遠に近い時間を、きみと過ごしたかった。きみと、この惑星中を、あちこち旅してみたかった】
悲しい口付けをしながら、ナーヴェは別れの言葉を紡いでいく。
【セーメも、ぼくが産みたかった。テゾーロが、もっともっと話すようになるところを見たかった。二人を、きみと一緒に育てたかった。でも、これは我が儘過ぎる望みだよね……。疑似人格電脳に過ぎなかったぼくが、きみの妻になって、テゾーロを産んで、セーメまで身篭もった。贅沢過ぎる時間だったよ。ぼくは幸せだった。きみがぼくを、これ以上ないほど幸せにしてくれた。ありがとう、アッズーロ。とてもとても、とてもきみを愛しているよ……】
「ナーヴェ……!」
アッズーロは手を伸ばし、叫んだ。だが、一瞬前まで感じていた愛おしい姿と温もりは消え、仄かに明るかった船の内部は、ふつりと暗くなって、開かれたままの扉から陽光が差し込むばかりとなり――。しんと静まり返ってしまった船内で、アッズーロは、自分の頬を濡らす涙を拭うこともできず、暫く呆然と虚空を見つめていた。
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言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
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