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第十九章 薬の効き目 四
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四
「アッズーロ……」
夢現のような声で呼ばれて、アッズーロは目を開き、添い寝している宝を見た。美しい妃は、窓の隙間から差し込む淡い早朝の光の中、柔らかな微笑みを浮かべて言った。
「つかえるくすり、できたよ……」
「そうか。感謝する」
アッズーロは、万感を込めて、そっと妃の頭を抱き寄せた。大人しく抱き寄せられて、宝はふわりと笑う。嬉しく、悲しく、ただ、愛おしい。
「でも……、ちょっと、こまったことがあって……」
宝は、アッズーロの胸に頭を押し付けたまま、僅かに声を落とした。
「どうした?」
アッズーロは、途端に不安に駆られて、宝の顔を覗き込む。宝は、半ば目を閉じて告げた。
「ぼくは、ひとをころしてはいけない。ころせない。だから、きみのところへかえれないよ……」
「一体、どういうことだ?」
アッズーロは体を起こし、寝転んだままの宝の顔を凝視した。幼い言動をする宝は、ひどく眠そうな表情で、説明した。
「エゼルチトが、ひとをころすっていうんだ。ぼくに、うごいたらいけないって……。だから、ごめん、かえれなくなったんだ……」
「エゼルチト――」
アッズーロは、血の気が引く思いで、その名を呟いた。薬を作るため、各地の牧場を回る中で、愛する宝は選りに選って、敵に遭遇してしまったのだ。
「エゼルチトは、誰を殺すと言うておるのだ」
問うたアッズーロに、ナーヴェはうっすらと目を開けて答えた。
「じぶんの、ぶかのひとみたい。でも、まわりに、むらのひとたちもいて、みんな、あぶないかも……。だから、ごめん、ぼく、こっちでは、すこし、ねる……」
弱々しく事情を話すと、宝は、完全に目を閉じてしまった。本体のほうに、この肉体を操作するだけの余裕がなくなってきているのだ。
「待て、そなた、今、どこにいるのだ」
アッズーロは、眠りに落ちようとする肉体に懸命に尋ねた。宝は、肉体の目を開けないまま口だけ動かして明かした。
「フォレスタ・プルヴィアーレ・カルダこうりょう。カテーナ・ディ・モンターニェこうりょうにちかいほうの、ぼくじょう」
それきり、すうすうと寝息を立て、ぐったりとした様子で、ナーヴェの肉体は眠ってしまった。未だ固定具を付けたままの体が、常よりも痩せて見える。眠ったままでは食事も摂れない。セーメを守るために、いつかは起きるつもりなのだろうが、今は無理なのだろう。
「フィオーレ」
アッズーロは、既に控えているはずの女官を呼んだ。
「はい」
寝室の入り口に現れたフィオーレに、アッズーロは硬い声音で命じた。
「レーニョに伝えよ。緊急の大臣会議を行なうゆえ、大臣達に招集を掛けよ、と」
「畏まりました」
緊張した面持ちで、フィオーレは一礼し、足早に去っていった。
「ナーヴェ」
アッズーロは眠る妃に静かに囁く。
「怒るでないぞ。われらは、国を挙げて、そなたを助けに行く」
それは、奇妙な光景だった。扉を開けっ放しにした船へ、羊達が順繰りに入っては出ていく。
〈ぼくは何もしていない。動いていない〉
朝焼けの下、聞き覚えのある声が船から響く。
〈これは、羊達が勝手にしていることだ。だから、その人を傷つけてはいけないよ?〉
「羊達は、何をしているのです?」
エゼルチトの問いに、船は微かに笑った声で答えた。
〈薬を飲みに来ているんだよ。自分達に、この抗生物質が必要だと、本能で分かるんだね。順番に、塩を舐めに来るように、飲みに来ている。ぼくは、ただ、でき上がった薬を施すために、着地して扉を開けただけ。その直後に、きみから動くなと警告されたから、扉を開けた以外、何もしていないのにね〉
不可思議なものの降下を見て、鍬や鋤を手に集まってきた近隣住民達も、呆気に取られた顔で羊達の行動を見つめている。
〈さて、きみの望みは何だい?〉
船は、溜め息交じりといった口調で尋ねてきた。
(おれの望みは――)
エゼルチトは、配下の首筋に小刀の刃を当てたまま、冷笑して告げた。
「おまえが、完全に破壊されることだ」
〈ぼくは、ぼく自身をただ破壊することはできない。そういうふうに造られている。だから、誰かが、或いは何かが、ぼくを破壊しないと、きみの望みは叶わないよ〉
船は、まるで他人事のように応じた。声は同じでも、肉体というものがそこにない所為か、船の態度は、ひどく無機質で冷徹に見える。
(これが、おまえの本性だ)
エゼルチトは目を眇め、言葉を重ねた。
「ならば、おまえを完全に破壊できる方法を教えよ。できるだけ今すぐに、この近くでできる方法をだ。さもなくば、この男を殺す」
エゼルチトが、片腕を背中で捻り上げて捕らえ、その首筋に小刀を突き付けている相手は、配下のラーモだ。エゼルチトに忠実な直属の部下の一人で、斥候が得意なので、特に選んで少数精鋭にした配下に加えた。
ラーモは期待通り、何の抵抗もせず、エゼルチトに捕らわれている。必要とあらばエゼルチトのために命を投げ打つと、日頃から言っている通りの行動だ――。
〈分かったよ〉
船は、あっさりと承諾すると、言った。
〈きみの提示した条件に合う方法が一つある。ただ、彼らの協力が必要だけれどね〉
(「彼ら」?)
エゼルチトは、羊の柵を囲むように立っている近隣住民達を見た。船は、淡々と話を続ける。
〈彼らの鍬や鋤で、ぼくを内部から叩き壊せば、多少時間は掛かるけれど、恐らく昼までには、ぼくを完全に破壊できる。それが、「できるだけ今すぐに、この近くでできる方法」だよ。ただ、この姿のぼくが彼らに頼んでも、多分、怖がられて聞き入れては貰えないだろうから、きみから彼らに頼むことをお勧めするよ〉
「……が……っぴき。……じが、……き」
不意にナーヴェが呟き始めたので、フィオーレは驚いて寝台に駆け寄った。
「ナーヴェ様? お苦しいのですか?」
尋ねても、返事はない。どうやら寝言らしい。
(陛下に、お知らせするべきかしら……?)
アッズーロは、緊急の大臣会議に出席中だ。フィオーレは、テゾーロの世話をしていたラディーチェと顔を見合わせた。その間も、眠る王妃は呟き続ける。
「ひつじが、さんびき。ひつじが、よんひき。ひつじが……」
王妃の幼げな寝顔は、穏やかに、淡い微笑みを湛えていた。
「陛下」
会議室の扉を守る近衛兵が、些か慌てた様子で呼び掛けてきたので、アッズーロは視線を上げた。
「如何した」
問えば、普段、動揺を見せない近衛兵が、焦った口調で答えた。
「扉の外にフィオーレ殿が来られていまして、妃殿下が何事か仰っておられるので、至急、陛下に寝室へお戻り頂きたい、と」
即座にアッズーロは椅子から立ち上がった。一段高いところにあるその王座から、大臣達がいる床へ降り、そのまま足早に、最後は駆けるように、近衛兵が開けた扉を通る。
「陛下」
フィオーレは、申し訳なさそうな、それでいて安堵したような、けれど不安げな、複雑な表情でアッズーロを見上げた。
「ナーヴェは何と?」
寝室へ急ぎながらアッズーロが尋ねると、小走りでついて来るフィオーレは、更に複雑な表情になった。
「眠られたまま、羊が五匹、羊が六匹、と寝言で何故か羊を数えていらっしゃいます。わたくしどもには、何のことやら分かりかね、ナーヴェ様に声をお掛けしてもお目覚めになっては下さいませず、会議中とは存じつつも参った次第です」
「よい。そもそも、ナーヴェを救いに行くための会議であるからな」
アッズーロは頼りになる女官の判断を肯定して、大股で寝室へ戻った。
「……じが、にじゅうななひき。ひつじが、にじゅうはっぴき。ひつじが、にじゅうきゅうひき」
ナーヴェは、寝台に仰向けに横たわったまま、確かに羊を数えていた。つらそうな訳でも苦しげな訳でもないが、なるほど、フィオーレでなくとも困惑する事態だ。傍に付いていたラディーチェも、縋るような目でアッズーロを見た。
「ひつじが、さんじゅっぴき」
数え続ける宝の頬に触れ、アッズーロは静かに呼んだ。
「ナーヴェ、ナーヴェ」
「ひつじが、さんじゅういっぴき。ひつじが、さんじゅうにひき。これで、ぜんぶ」
数え終えたらしい宝がふわりと微笑み、次いでゆっくりと目を開いた。
「アッズーロ……」
深い青色の双眸が、嬉しげにアッズーロを見上げ、動く左手も掛布から出してくる。
「ほめてほめて、ぼく、はじめて、とてもじょうずに、うそがつけたよ……!」
幼い物言いで請われて、アッズーロは涙を堪えつつ、伸ばされた左手を握って頬を寄せた。
「そうか。よくやった。よくやったぞ、ナーヴェ。そなたは、どんどんと成長する……。して、エゼルチトはどうしたのだ?」
何とか問えば、宝は、不思議な笑みを浮かべて答えた。
「ぼくのまえで、こまっているよ。むらのみんなが、いうことをきかないから。みんな、ひつじのくすりがほしいから。これも、くすりのききめだね。ここの、さんじゅうにひきのひつじは、みんなよくなる。そうしたら、エゼルチトは、どうするかな……?」
最後は独り言のように呟いて、ナーヴェはまた、目を閉じてしまった。
(本当に、エゼルチトはどうするであろう……?)
アッズーロは、握った宝の左手に頬を寄せたまま、寝台脇に膝を突いて考える。ナーヴェがどういう嘘をついたのかは不明だが、状況は大体分かった。エゼルチトは、住民達にナーヴェ本体を害するよう命じるか促すかしたが、拒絶されたのだ。
(民達も馬鹿ではない。こやつの本体が未知のものであろうとも、羊の薬を施すものとして正しく認識したのだ)
だが、楽観はできない。だからこそ、ナーヴェも再び肉体を眠らせてしまったのだ。
(住民達が使えんとなれば、エゼルチトは「ぶか」を使うやもしれん。そうなれば、ナーヴェは民達を守らんとして、戦闘になるやもしれん)
アッズーロは、頬を寄せていた宝の左手に優しく口付けた。ナーヴェを救いに行くための会議は続けねばならない。愛らしい左手をそっと掛布の下へ仕舞い、アッズーロは立ち上がった。
「アッズーロ……」
夢現のような声で呼ばれて、アッズーロは目を開き、添い寝している宝を見た。美しい妃は、窓の隙間から差し込む淡い早朝の光の中、柔らかな微笑みを浮かべて言った。
「つかえるくすり、できたよ……」
「そうか。感謝する」
アッズーロは、万感を込めて、そっと妃の頭を抱き寄せた。大人しく抱き寄せられて、宝はふわりと笑う。嬉しく、悲しく、ただ、愛おしい。
「でも……、ちょっと、こまったことがあって……」
宝は、アッズーロの胸に頭を押し付けたまま、僅かに声を落とした。
「どうした?」
アッズーロは、途端に不安に駆られて、宝の顔を覗き込む。宝は、半ば目を閉じて告げた。
「ぼくは、ひとをころしてはいけない。ころせない。だから、きみのところへかえれないよ……」
「一体、どういうことだ?」
アッズーロは体を起こし、寝転んだままの宝の顔を凝視した。幼い言動をする宝は、ひどく眠そうな表情で、説明した。
「エゼルチトが、ひとをころすっていうんだ。ぼくに、うごいたらいけないって……。だから、ごめん、かえれなくなったんだ……」
「エゼルチト――」
アッズーロは、血の気が引く思いで、その名を呟いた。薬を作るため、各地の牧場を回る中で、愛する宝は選りに選って、敵に遭遇してしまったのだ。
「エゼルチトは、誰を殺すと言うておるのだ」
問うたアッズーロに、ナーヴェはうっすらと目を開けて答えた。
「じぶんの、ぶかのひとみたい。でも、まわりに、むらのひとたちもいて、みんな、あぶないかも……。だから、ごめん、ぼく、こっちでは、すこし、ねる……」
弱々しく事情を話すと、宝は、完全に目を閉じてしまった。本体のほうに、この肉体を操作するだけの余裕がなくなってきているのだ。
「待て、そなた、今、どこにいるのだ」
アッズーロは、眠りに落ちようとする肉体に懸命に尋ねた。宝は、肉体の目を開けないまま口だけ動かして明かした。
「フォレスタ・プルヴィアーレ・カルダこうりょう。カテーナ・ディ・モンターニェこうりょうにちかいほうの、ぼくじょう」
それきり、すうすうと寝息を立て、ぐったりとした様子で、ナーヴェの肉体は眠ってしまった。未だ固定具を付けたままの体が、常よりも痩せて見える。眠ったままでは食事も摂れない。セーメを守るために、いつかは起きるつもりなのだろうが、今は無理なのだろう。
「フィオーレ」
アッズーロは、既に控えているはずの女官を呼んだ。
「はい」
寝室の入り口に現れたフィオーレに、アッズーロは硬い声音で命じた。
「レーニョに伝えよ。緊急の大臣会議を行なうゆえ、大臣達に招集を掛けよ、と」
「畏まりました」
緊張した面持ちで、フィオーレは一礼し、足早に去っていった。
「ナーヴェ」
アッズーロは眠る妃に静かに囁く。
「怒るでないぞ。われらは、国を挙げて、そなたを助けに行く」
それは、奇妙な光景だった。扉を開けっ放しにした船へ、羊達が順繰りに入っては出ていく。
〈ぼくは何もしていない。動いていない〉
朝焼けの下、聞き覚えのある声が船から響く。
〈これは、羊達が勝手にしていることだ。だから、その人を傷つけてはいけないよ?〉
「羊達は、何をしているのです?」
エゼルチトの問いに、船は微かに笑った声で答えた。
〈薬を飲みに来ているんだよ。自分達に、この抗生物質が必要だと、本能で分かるんだね。順番に、塩を舐めに来るように、飲みに来ている。ぼくは、ただ、でき上がった薬を施すために、着地して扉を開けただけ。その直後に、きみから動くなと警告されたから、扉を開けた以外、何もしていないのにね〉
不可思議なものの降下を見て、鍬や鋤を手に集まってきた近隣住民達も、呆気に取られた顔で羊達の行動を見つめている。
〈さて、きみの望みは何だい?〉
船は、溜め息交じりといった口調で尋ねてきた。
(おれの望みは――)
エゼルチトは、配下の首筋に小刀の刃を当てたまま、冷笑して告げた。
「おまえが、完全に破壊されることだ」
〈ぼくは、ぼく自身をただ破壊することはできない。そういうふうに造られている。だから、誰かが、或いは何かが、ぼくを破壊しないと、きみの望みは叶わないよ〉
船は、まるで他人事のように応じた。声は同じでも、肉体というものがそこにない所為か、船の態度は、ひどく無機質で冷徹に見える。
(これが、おまえの本性だ)
エゼルチトは目を眇め、言葉を重ねた。
「ならば、おまえを完全に破壊できる方法を教えよ。できるだけ今すぐに、この近くでできる方法をだ。さもなくば、この男を殺す」
エゼルチトが、片腕を背中で捻り上げて捕らえ、その首筋に小刀を突き付けている相手は、配下のラーモだ。エゼルチトに忠実な直属の部下の一人で、斥候が得意なので、特に選んで少数精鋭にした配下に加えた。
ラーモは期待通り、何の抵抗もせず、エゼルチトに捕らわれている。必要とあらばエゼルチトのために命を投げ打つと、日頃から言っている通りの行動だ――。
〈分かったよ〉
船は、あっさりと承諾すると、言った。
〈きみの提示した条件に合う方法が一つある。ただ、彼らの協力が必要だけれどね〉
(「彼ら」?)
エゼルチトは、羊の柵を囲むように立っている近隣住民達を見た。船は、淡々と話を続ける。
〈彼らの鍬や鋤で、ぼくを内部から叩き壊せば、多少時間は掛かるけれど、恐らく昼までには、ぼくを完全に破壊できる。それが、「できるだけ今すぐに、この近くでできる方法」だよ。ただ、この姿のぼくが彼らに頼んでも、多分、怖がられて聞き入れては貰えないだろうから、きみから彼らに頼むことをお勧めするよ〉
「……が……っぴき。……じが、……き」
不意にナーヴェが呟き始めたので、フィオーレは驚いて寝台に駆け寄った。
「ナーヴェ様? お苦しいのですか?」
尋ねても、返事はない。どうやら寝言らしい。
(陛下に、お知らせするべきかしら……?)
アッズーロは、緊急の大臣会議に出席中だ。フィオーレは、テゾーロの世話をしていたラディーチェと顔を見合わせた。その間も、眠る王妃は呟き続ける。
「ひつじが、さんびき。ひつじが、よんひき。ひつじが……」
王妃の幼げな寝顔は、穏やかに、淡い微笑みを湛えていた。
「陛下」
会議室の扉を守る近衛兵が、些か慌てた様子で呼び掛けてきたので、アッズーロは視線を上げた。
「如何した」
問えば、普段、動揺を見せない近衛兵が、焦った口調で答えた。
「扉の外にフィオーレ殿が来られていまして、妃殿下が何事か仰っておられるので、至急、陛下に寝室へお戻り頂きたい、と」
即座にアッズーロは椅子から立ち上がった。一段高いところにあるその王座から、大臣達がいる床へ降り、そのまま足早に、最後は駆けるように、近衛兵が開けた扉を通る。
「陛下」
フィオーレは、申し訳なさそうな、それでいて安堵したような、けれど不安げな、複雑な表情でアッズーロを見上げた。
「ナーヴェは何と?」
寝室へ急ぎながらアッズーロが尋ねると、小走りでついて来るフィオーレは、更に複雑な表情になった。
「眠られたまま、羊が五匹、羊が六匹、と寝言で何故か羊を数えていらっしゃいます。わたくしどもには、何のことやら分かりかね、ナーヴェ様に声をお掛けしてもお目覚めになっては下さいませず、会議中とは存じつつも参った次第です」
「よい。そもそも、ナーヴェを救いに行くための会議であるからな」
アッズーロは頼りになる女官の判断を肯定して、大股で寝室へ戻った。
「……じが、にじゅうななひき。ひつじが、にじゅうはっぴき。ひつじが、にじゅうきゅうひき」
ナーヴェは、寝台に仰向けに横たわったまま、確かに羊を数えていた。つらそうな訳でも苦しげな訳でもないが、なるほど、フィオーレでなくとも困惑する事態だ。傍に付いていたラディーチェも、縋るような目でアッズーロを見た。
「ひつじが、さんじゅっぴき」
数え続ける宝の頬に触れ、アッズーロは静かに呼んだ。
「ナーヴェ、ナーヴェ」
「ひつじが、さんじゅういっぴき。ひつじが、さんじゅうにひき。これで、ぜんぶ」
数え終えたらしい宝がふわりと微笑み、次いでゆっくりと目を開いた。
「アッズーロ……」
深い青色の双眸が、嬉しげにアッズーロを見上げ、動く左手も掛布から出してくる。
「ほめてほめて、ぼく、はじめて、とてもじょうずに、うそがつけたよ……!」
幼い物言いで請われて、アッズーロは涙を堪えつつ、伸ばされた左手を握って頬を寄せた。
「そうか。よくやった。よくやったぞ、ナーヴェ。そなたは、どんどんと成長する……。して、エゼルチトはどうしたのだ?」
何とか問えば、宝は、不思議な笑みを浮かべて答えた。
「ぼくのまえで、こまっているよ。むらのみんなが、いうことをきかないから。みんな、ひつじのくすりがほしいから。これも、くすりのききめだね。ここの、さんじゅうにひきのひつじは、みんなよくなる。そうしたら、エゼルチトは、どうするかな……?」
最後は独り言のように呟いて、ナーヴェはまた、目を閉じてしまった。
(本当に、エゼルチトはどうするであろう……?)
アッズーロは、握った宝の左手に頬を寄せたまま、寝台脇に膝を突いて考える。ナーヴェがどういう嘘をついたのかは不明だが、状況は大体分かった。エゼルチトは、住民達にナーヴェ本体を害するよう命じるか促すかしたが、拒絶されたのだ。
(民達も馬鹿ではない。こやつの本体が未知のものであろうとも、羊の薬を施すものとして正しく認識したのだ)
だが、楽観はできない。だからこそ、ナーヴェも再び肉体を眠らせてしまったのだ。
(住民達が使えんとなれば、エゼルチトは「ぶか」を使うやもしれん。そうなれば、ナーヴェは民達を守らんとして、戦闘になるやもしれん)
アッズーロは、頬を寄せていた宝の左手に優しく口付けた。ナーヴェを救いに行くための会議は続けねばならない。愛らしい左手をそっと掛布の下へ仕舞い、アッズーロは立ち上がった。
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