71 / 105
第十八章 分かり合うために 二
しおりを挟む
二
昼食を終えた頃、寝室にラディーチェが現れた。
「ありがとう、ラディーチェ」
ナーヴェが卓に着いたまま、笑顔で迎える。
「午前中は何とか頑張ったんだけれど、ぼくはもう暫くお乳が出ないから、お世話になるよ」
「精一杯務めさせて頂きます」
ラディーチェは、恐縮した面持ちで頭を下げた。かなりの時間ナーヴェと過ごしてきたはずだが、フィオーレやミエーレと比べて、全く接し方が熟れていない。アッズーロは内心で眉をひそめた。
(ナーヴェは、それこそ、相手によって態度を変えるなぞ、殆どせん。漸く最近、われを特別扱いし始めたばかりだ。況してや、ラディーチェにだけつらく当たるなぞ、する訳がない。となれば、やはり、テゾーロの懐き方の問題か……)
生真面目なラディーチェは、テゾーロが「母上」「父上」と呼び始める前に「ラディ」と呼んだことを、後ろめたく思っているのだろう。
(それもあってビアンコを個人的にナーヴェに会わせたのだが、あやつめ、己の妻には、何の働きかけもしておらんのか……)
全く腹立たしい限りだ。或いは、多忙の余り、ナーヴェとの面会以降、まだ妻とは会っていないのかもしれない。何はともあれ、これではナーヴェも気詰まりだろう。懸念するアッズーロの耳に、テゾーロのぐずる声が聞こえた。
「ああ、テゾーロもお腹が空いたみたいだね」
ナーヴェが微笑んで席を立ち、ラディーチェを導くように揺り篭へ向かう。アッズーロは慌てて自らも立ち上がり、ナーヴェの傍らへ寄り添った。未だ右肩に固定具を付けている妃は、何をするにも不自由そうで危なっかしく、気が気ではない。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ?」
ナーヴェは苦笑しつつ揺り篭の傍らに立つと、左手でわが子の頬に触れた。
「テゾーロ、ラディーチェが来てくれたよ」
テゾーロは無邪気にナーヴェの指を握る。その様子を見つめるナーヴェの横顔が、寂しげだ。
「腹が空いたとは限らんだろう」
アッズーロは思わず口を挟んだ。
「単に構ってほしいだけやもしれん」
「ううん。赤ん坊のこの泣き方は、お腹が空いたという意味で……」
真面目に説明するナーヴェを半ば強引に寝台に乗せて胡座を掻かせ、アッズーロは揺り篭からわが子を抱き上げた。
「とにかく、まずはそなたがあやしてみよ。乳については致し方ないが、それ以外は遠慮せず母としての役目を果たすがよい」
真顔で命じて、アッズーロはナーヴェの膝にテゾーロを座らせた。ぐずっていたテゾーロは、元気に動いて、ナーヴェの長衣を掴む。ナーヴェは、左手でわが子を支えながら、困った顔をした。
「ごめん、テゾーロ。母上はもう今はお乳が出ないんだよ……」
だが、言葉の分からない幼子は、ナーヴェの長衣を引っ張って、身を捩り、ひたすらに求める動きをする。求めているのは、ナーヴェの言う通り、やはり乳なのだろう。
「ラディーチェ、頼むよ」
ナーヴェが、顔を上げてラディーチェを呼んだ。
「はい、ただ今」
素早く寝台に近づいたラディーチェが、ナーヴェの膝からテゾーロを抱き取ろうとする。だが、テゾーロはナーヴェの長衣をしっかりと掴んで離さず――。
「……ああ、ああえ……!」
テゾーロが発した声に、その場の全員が耳を聳てた。一瞬、しんとした寝室に、またテゾーロの声が響く。
「あぁ、ああうえ……!」
アッズーロはナーヴェの顔を凝視し、告げた。
「今、確かに『母上』と言うたぞ」
ナーヴェは、アッズーロをまじまじと見返してから、息子に視線を戻す。テゾーロは、ラディーチェの両手に半ば抱えられながらも、ナーヴェの長衣を離さず、三度目、更にはっきりと言った。
「ああうえ……!」
「ナーヴェ様……」
ラディーチェが、感極まった声を出して、そっとテゾーロの体から手を離した。ナーヴェは、再びわが子の体を左手で支えて抱え――。テゾーロの顔を見下ろすその双眸から、はらはらと涙が落ちた。透明な美しい涙は、幼子の額や頬に落ちて、円らな両目を瞬かせる。アッズーロは無言で妃の傍らに座り、その華奢な体をテゾーロごと抱き寄せて、感動を分かち合った――。
沙漠の彼方に日が沈み、夜の静寂が訪れた寝室で、ロッソの目は報告書の上を滑っていた。ロッソに無断で軍に国境を越えさせたエゼルチトの申し開きの言葉が、脳裏を巡って文字が頭に入ってこない。ロッソは溜め息をついて、報告書を机の上に置き、開けた窓の外の宵闇を見つめた。
――「陛下とて、あの王の宝の危険性は理解なさっておられたはず。それゆえ、一度はオリッゾンテ・ブルと戦争状態に陥ることをお覚悟の上で、処刑なさったのでしょう?」
エゼルチトが言ったことは、全て的を射ていた。
――「わたしは、直接かの宝と会ってのち、その思いを共有致しました。かの宝を擁したオリッゾンテ・ブルは、ゆくゆくはわが国の大きな脅威となります。あの沙漠の彼方の船も、いつ宝と手を組んでもおかしくはない。そうなる前に、かの宝は破壊されるべきなのです。こちらが急な動きを見せれば、必ずあの宝が前線に出てきます。此度は、あの宝の予想外の強さに撤退を余儀なくされましたが、持久戦に持ち込めば、勝機はあります。どうか、陛下、われらが国の安寧のために、かの宝の破壊を、改めてわたしにお命じ下さい!」
普段冷静なエゼルチトの必死の訴えは、ロッソの心に深く刺さった。だが、国境付近で軍事演習をするだけだったはずの軍を、独断で動かし、オリッゾンテ・ブルへ侵攻させた罪は重い。例え、交戦した相手が、実質、あの王の宝だけだったとしても。エゼルチトが、ロッソの気の置けない幼馴染みだったとしてもだ。ロッソは王として、オンダ伯エゼルチトを幽閉塔へ入れるよう、近衛隊長ジェネラーレに命じたのだった――。
ロッソが物思いに沈んでいると、控えめに扉を叩く音がした。
「陛下」
密やかに呼び掛けてきたのは、末妹シンティラーレの声。
「ソニャーレが参っております」
待っていた報せだ。
「入れ」
ロッソは短く促した。
音もなく扉を開け、末妹シンティラーレと間諜ソニャーレは滑るように入ってくる。相変わらず、仲がいいようだ。
「して、オリッゾンテ・ブルの状況はどうであった」
急かしたロッソの前に跪き、ソニャーレは報告を始めた。
「エゼルチト将軍麾下のわが軍撤退後、宝は反乱軍に捕らえられ、数人の男達から辱めを受けたようにございます」
ソニャーレの声が硬い。大恩あるナーヴェの悲劇を伝えるのに、感情を押し殺して何とかという様子だ。シンティラーレは初めて聞く話なのか、大きな目を瞠って、顔を強張らせた。この末妹にとっても、オリッゾンテ・ブルの王の宝は、既に大切な存在なのだろう。
「その後、かの惑星調査船なる乗り物を用いて、アッズーロ陛下御自らと、ジョールノ殿が、宝を救出した由にございます」
ソニャーレは、シンティラーレを安心させるかのように口調を和らげて述べていく。
「宝は不調とのことですが、カルドの鳩によれば、原因は妊娠とのことです」
「まさか――」
シンティラーレが息を呑んで呟く。陵辱の結果だと考えたのだ。しかし、すぐにソニャーレが告げた。
「アッズーロ陛下は、自らの子であると明言しているそうにございます。かの宝であれば、誰の子であるということも、はきと分かるのではないかと推察されます」
(成るほどな……)
ロッソも安堵して薄く笑った。さもありなんだ。
(ならば、あやつもナーヴェも、心折れてはおらんだろう)
第二子のためにも、王国を安定させようと奔走するはずだ。
(まあ、あやつが、ナーヴェには奔走させんようにするであろうが)
胸中でアッズーロを揶揄して、ロッソは笑みを納めた。一呼吸置いたソニャーレは、更に報告を続ける。
「反乱軍は、オリッゾンテ・ブル軍を退けたことで勢いに乗り、勢力を拡大している模様ですが、カルドの情報によれば、アッズーロ陛下も連日大臣会議を開き、対策を講じている様子です。表立っては、わが国へ再び訪問団を派遣するとの由。用件は、わが軍の国境侵犯についてでございましょう。また、レ・ゾーネ・ウーミデ侯領にて蔓延していた羊の病について、調査を始めたとのことでございます。反乱の原因の一つと目しているのでしょう。恐らく、反乱軍に対しても、既に間諜を放っているものと思われます。ただ、懸念されるのは、レ・ゾーネ・ウーミデ侯の動きです」
ソニャーレは、かつての潜入先の主人について、難しい表情で語る。
「侯がエゼルチト将軍に、レ・ゾーネ・ウーミデ侯領の通過を許可した証拠は未だ掴めておりません。ですが、レ・ゾーネ・ウーミデ侯領側の国境警備は極めて手薄であったことが分かっております。両者の間に、暗黙の了解なり、合図なりがあった可能性は高いと推測致します。レ・ゾーネ・ウーミデ侯領には伝手を残してきておりますので、可能な限り、証拠固めを進めて参ります」
「うむ」
ロッソは頷いて、指示を下した。
「では、引き続きレ・ゾーネ・ウーミデ侯の意図及び動静を探るとともに、反乱軍の動向も可能な限り調べよ。カルドとも連携するがよい」
「仰せのままに」
頭を垂れて肯うと、ソニャーレは入ってきた時同様、滑るように退室した。
「兄上」
替わって、シンティラーレが話し掛けてくる。憂いに満ちた表情だ。
「エゼルチト将軍を、どうなさるおつもりですか……?」
「それはこれから、そなたらと協議して決めることとなろう。奴の尋問も進めつつ、だがな」
眉を寄せ、ロッソは答えた。尋問には、ロッソ自身も参加する予定だ。
「……分かりました」
末妹は、硬い面持ちで了解した。しかし、ロッソを見つめたその青い双眸には、気遣う色が浮かんでいる。どうやら、かなり心配されているようだ。
「――懸念には及ばん」
ロッソは低い声で告げた。
「奴が幼馴染みであろうと、おれは王としての判断を誤ったりなどせん」
「分かっております」
王宮の薬師を務め、毒薬も管理する末妹は、凜とした返事を響かせると、一礼した。
「では、わたくしもこれにて退出させて頂きます。おやすみなさいませ、兄上」
「うむ」
応じたロッソをもう一度だけ見つめてから、シンティラーレは静かに退室していった。
(「懸念には及ばん」か……)
末っ子の前で、精一杯の虚勢を張ってしまったかもしれない。
(おれに、そなたを裁くことなどできるのか……?)
エゼルチトは、少年の頃からの同志だ。エゼルチトとロッソの願望は、ずっと同じだった。自分達は、同じ方向を見て歩んできた。少なくとも、ついこの間までは。
(まさか、そなたと道を違える時が来ようとはな……)
ロッソは深い溜め息をつくと、ゆっくりと扉へ向かった。
(尋問ではなく、まずは、充分に話をしておかねばな……)
廊下へ出たロッソは、控えていた近衛兵達を引き連れて、幽閉塔へ繋がる通路に赴く。尋問するよりもまず、一度腹を割って話しておかねば、後悔ばかりが残ってしまうだろう。
(何故、おれとそなたの考えが違ってしまったか、互いに理解しておく必要があろう、なあ、エゼルチトよ)
黙々と歩いて幽閉塔を登り、ロッソは、エゼルチトが監禁されている部屋の前に立った。
昼食を終えた頃、寝室にラディーチェが現れた。
「ありがとう、ラディーチェ」
ナーヴェが卓に着いたまま、笑顔で迎える。
「午前中は何とか頑張ったんだけれど、ぼくはもう暫くお乳が出ないから、お世話になるよ」
「精一杯務めさせて頂きます」
ラディーチェは、恐縮した面持ちで頭を下げた。かなりの時間ナーヴェと過ごしてきたはずだが、フィオーレやミエーレと比べて、全く接し方が熟れていない。アッズーロは内心で眉をひそめた。
(ナーヴェは、それこそ、相手によって態度を変えるなぞ、殆どせん。漸く最近、われを特別扱いし始めたばかりだ。況してや、ラディーチェにだけつらく当たるなぞ、する訳がない。となれば、やはり、テゾーロの懐き方の問題か……)
生真面目なラディーチェは、テゾーロが「母上」「父上」と呼び始める前に「ラディ」と呼んだことを、後ろめたく思っているのだろう。
(それもあってビアンコを個人的にナーヴェに会わせたのだが、あやつめ、己の妻には、何の働きかけもしておらんのか……)
全く腹立たしい限りだ。或いは、多忙の余り、ナーヴェとの面会以降、まだ妻とは会っていないのかもしれない。何はともあれ、これではナーヴェも気詰まりだろう。懸念するアッズーロの耳に、テゾーロのぐずる声が聞こえた。
「ああ、テゾーロもお腹が空いたみたいだね」
ナーヴェが微笑んで席を立ち、ラディーチェを導くように揺り篭へ向かう。アッズーロは慌てて自らも立ち上がり、ナーヴェの傍らへ寄り添った。未だ右肩に固定具を付けている妃は、何をするにも不自由そうで危なっかしく、気が気ではない。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ?」
ナーヴェは苦笑しつつ揺り篭の傍らに立つと、左手でわが子の頬に触れた。
「テゾーロ、ラディーチェが来てくれたよ」
テゾーロは無邪気にナーヴェの指を握る。その様子を見つめるナーヴェの横顔が、寂しげだ。
「腹が空いたとは限らんだろう」
アッズーロは思わず口を挟んだ。
「単に構ってほしいだけやもしれん」
「ううん。赤ん坊のこの泣き方は、お腹が空いたという意味で……」
真面目に説明するナーヴェを半ば強引に寝台に乗せて胡座を掻かせ、アッズーロは揺り篭からわが子を抱き上げた。
「とにかく、まずはそなたがあやしてみよ。乳については致し方ないが、それ以外は遠慮せず母としての役目を果たすがよい」
真顔で命じて、アッズーロはナーヴェの膝にテゾーロを座らせた。ぐずっていたテゾーロは、元気に動いて、ナーヴェの長衣を掴む。ナーヴェは、左手でわが子を支えながら、困った顔をした。
「ごめん、テゾーロ。母上はもう今はお乳が出ないんだよ……」
だが、言葉の分からない幼子は、ナーヴェの長衣を引っ張って、身を捩り、ひたすらに求める動きをする。求めているのは、ナーヴェの言う通り、やはり乳なのだろう。
「ラディーチェ、頼むよ」
ナーヴェが、顔を上げてラディーチェを呼んだ。
「はい、ただ今」
素早く寝台に近づいたラディーチェが、ナーヴェの膝からテゾーロを抱き取ろうとする。だが、テゾーロはナーヴェの長衣をしっかりと掴んで離さず――。
「……ああ、ああえ……!」
テゾーロが発した声に、その場の全員が耳を聳てた。一瞬、しんとした寝室に、またテゾーロの声が響く。
「あぁ、ああうえ……!」
アッズーロはナーヴェの顔を凝視し、告げた。
「今、確かに『母上』と言うたぞ」
ナーヴェは、アッズーロをまじまじと見返してから、息子に視線を戻す。テゾーロは、ラディーチェの両手に半ば抱えられながらも、ナーヴェの長衣を離さず、三度目、更にはっきりと言った。
「ああうえ……!」
「ナーヴェ様……」
ラディーチェが、感極まった声を出して、そっとテゾーロの体から手を離した。ナーヴェは、再びわが子の体を左手で支えて抱え――。テゾーロの顔を見下ろすその双眸から、はらはらと涙が落ちた。透明な美しい涙は、幼子の額や頬に落ちて、円らな両目を瞬かせる。アッズーロは無言で妃の傍らに座り、その華奢な体をテゾーロごと抱き寄せて、感動を分かち合った――。
沙漠の彼方に日が沈み、夜の静寂が訪れた寝室で、ロッソの目は報告書の上を滑っていた。ロッソに無断で軍に国境を越えさせたエゼルチトの申し開きの言葉が、脳裏を巡って文字が頭に入ってこない。ロッソは溜め息をついて、報告書を机の上に置き、開けた窓の外の宵闇を見つめた。
――「陛下とて、あの王の宝の危険性は理解なさっておられたはず。それゆえ、一度はオリッゾンテ・ブルと戦争状態に陥ることをお覚悟の上で、処刑なさったのでしょう?」
エゼルチトが言ったことは、全て的を射ていた。
――「わたしは、直接かの宝と会ってのち、その思いを共有致しました。かの宝を擁したオリッゾンテ・ブルは、ゆくゆくはわが国の大きな脅威となります。あの沙漠の彼方の船も、いつ宝と手を組んでもおかしくはない。そうなる前に、かの宝は破壊されるべきなのです。こちらが急な動きを見せれば、必ずあの宝が前線に出てきます。此度は、あの宝の予想外の強さに撤退を余儀なくされましたが、持久戦に持ち込めば、勝機はあります。どうか、陛下、われらが国の安寧のために、かの宝の破壊を、改めてわたしにお命じ下さい!」
普段冷静なエゼルチトの必死の訴えは、ロッソの心に深く刺さった。だが、国境付近で軍事演習をするだけだったはずの軍を、独断で動かし、オリッゾンテ・ブルへ侵攻させた罪は重い。例え、交戦した相手が、実質、あの王の宝だけだったとしても。エゼルチトが、ロッソの気の置けない幼馴染みだったとしてもだ。ロッソは王として、オンダ伯エゼルチトを幽閉塔へ入れるよう、近衛隊長ジェネラーレに命じたのだった――。
ロッソが物思いに沈んでいると、控えめに扉を叩く音がした。
「陛下」
密やかに呼び掛けてきたのは、末妹シンティラーレの声。
「ソニャーレが参っております」
待っていた報せだ。
「入れ」
ロッソは短く促した。
音もなく扉を開け、末妹シンティラーレと間諜ソニャーレは滑るように入ってくる。相変わらず、仲がいいようだ。
「して、オリッゾンテ・ブルの状況はどうであった」
急かしたロッソの前に跪き、ソニャーレは報告を始めた。
「エゼルチト将軍麾下のわが軍撤退後、宝は反乱軍に捕らえられ、数人の男達から辱めを受けたようにございます」
ソニャーレの声が硬い。大恩あるナーヴェの悲劇を伝えるのに、感情を押し殺して何とかという様子だ。シンティラーレは初めて聞く話なのか、大きな目を瞠って、顔を強張らせた。この末妹にとっても、オリッゾンテ・ブルの王の宝は、既に大切な存在なのだろう。
「その後、かの惑星調査船なる乗り物を用いて、アッズーロ陛下御自らと、ジョールノ殿が、宝を救出した由にございます」
ソニャーレは、シンティラーレを安心させるかのように口調を和らげて述べていく。
「宝は不調とのことですが、カルドの鳩によれば、原因は妊娠とのことです」
「まさか――」
シンティラーレが息を呑んで呟く。陵辱の結果だと考えたのだ。しかし、すぐにソニャーレが告げた。
「アッズーロ陛下は、自らの子であると明言しているそうにございます。かの宝であれば、誰の子であるということも、はきと分かるのではないかと推察されます」
(成るほどな……)
ロッソも安堵して薄く笑った。さもありなんだ。
(ならば、あやつもナーヴェも、心折れてはおらんだろう)
第二子のためにも、王国を安定させようと奔走するはずだ。
(まあ、あやつが、ナーヴェには奔走させんようにするであろうが)
胸中でアッズーロを揶揄して、ロッソは笑みを納めた。一呼吸置いたソニャーレは、更に報告を続ける。
「反乱軍は、オリッゾンテ・ブル軍を退けたことで勢いに乗り、勢力を拡大している模様ですが、カルドの情報によれば、アッズーロ陛下も連日大臣会議を開き、対策を講じている様子です。表立っては、わが国へ再び訪問団を派遣するとの由。用件は、わが軍の国境侵犯についてでございましょう。また、レ・ゾーネ・ウーミデ侯領にて蔓延していた羊の病について、調査を始めたとのことでございます。反乱の原因の一つと目しているのでしょう。恐らく、反乱軍に対しても、既に間諜を放っているものと思われます。ただ、懸念されるのは、レ・ゾーネ・ウーミデ侯の動きです」
ソニャーレは、かつての潜入先の主人について、難しい表情で語る。
「侯がエゼルチト将軍に、レ・ゾーネ・ウーミデ侯領の通過を許可した証拠は未だ掴めておりません。ですが、レ・ゾーネ・ウーミデ侯領側の国境警備は極めて手薄であったことが分かっております。両者の間に、暗黙の了解なり、合図なりがあった可能性は高いと推測致します。レ・ゾーネ・ウーミデ侯領には伝手を残してきておりますので、可能な限り、証拠固めを進めて参ります」
「うむ」
ロッソは頷いて、指示を下した。
「では、引き続きレ・ゾーネ・ウーミデ侯の意図及び動静を探るとともに、反乱軍の動向も可能な限り調べよ。カルドとも連携するがよい」
「仰せのままに」
頭を垂れて肯うと、ソニャーレは入ってきた時同様、滑るように退室した。
「兄上」
替わって、シンティラーレが話し掛けてくる。憂いに満ちた表情だ。
「エゼルチト将軍を、どうなさるおつもりですか……?」
「それはこれから、そなたらと協議して決めることとなろう。奴の尋問も進めつつ、だがな」
眉を寄せ、ロッソは答えた。尋問には、ロッソ自身も参加する予定だ。
「……分かりました」
末妹は、硬い面持ちで了解した。しかし、ロッソを見つめたその青い双眸には、気遣う色が浮かんでいる。どうやら、かなり心配されているようだ。
「――懸念には及ばん」
ロッソは低い声で告げた。
「奴が幼馴染みであろうと、おれは王としての判断を誤ったりなどせん」
「分かっております」
王宮の薬師を務め、毒薬も管理する末妹は、凜とした返事を響かせると、一礼した。
「では、わたくしもこれにて退出させて頂きます。おやすみなさいませ、兄上」
「うむ」
応じたロッソをもう一度だけ見つめてから、シンティラーレは静かに退室していった。
(「懸念には及ばん」か……)
末っ子の前で、精一杯の虚勢を張ってしまったかもしれない。
(おれに、そなたを裁くことなどできるのか……?)
エゼルチトは、少年の頃からの同志だ。エゼルチトとロッソの願望は、ずっと同じだった。自分達は、同じ方向を見て歩んできた。少なくとも、ついこの間までは。
(まさか、そなたと道を違える時が来ようとはな……)
ロッソは深い溜め息をつくと、ゆっくりと扉へ向かった。
(尋問ではなく、まずは、充分に話をしておかねばな……)
廊下へ出たロッソは、控えていた近衛兵達を引き連れて、幽閉塔へ繋がる通路に赴く。尋問するよりもまず、一度腹を割って話しておかねば、後悔ばかりが残ってしまうだろう。
(何故、おれとそなたの考えが違ってしまったか、互いに理解しておく必要があろう、なあ、エゼルチトよ)
黙々と歩いて幽閉塔を登り、ロッソは、エゼルチトが監禁されている部屋の前に立った。
0
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
王女、騎士と結婚させられイかされまくる
ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。
性描写激しめですが、甘々の溺愛です。
※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
忌むべき番
藍田ひびき
恋愛
「メルヴィ・ハハリ。お前との婚姻は無効とし、国外追放に処す。その忌まわしい姿を、二度と俺に見せるな」
メルヴィはザブァヒワ皇国の皇太子ヴァルラムの番だと告げられ、強引に彼の後宮へ入れられた。しかしヴァルラムは他の妃のもとへ通うばかり。さらに、真の番が見つかったからとメルヴィへ追放を言い渡す。
彼は知らなかった。それこそがメルヴィの望みだということを――。
※ 8/4 誤字修正しました。
※ なろうにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる