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第九章 失いたくない 一

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     一

 ロッソ三世との謁見を終えた使節団一行は、王宮内の一室を与えられた。それなりに広い一室で、衝立である程度仕切られ、寝台も人数分用意されている。全員が部屋に入ったのを見届け、廊下の衛兵に会釈して扉を閉じたジョールノは、王の宝を振り向いて声を掛けた。
「さあ、もう気を抜いても大丈夫ですよ」
 途端に、王の宝は、その場に崩れるように座り込んだ。ノッテとルーチェが慌ててその体を支え、ペルソーネとバーゼも駆け寄った。
「結構頑張ったのに、ばれていたかな……?」
 自嘲気味に、王の宝は呟いた。
「左腕、そう見せ掛けただけで、完治などしていないのでしょう?」
 厳しく指摘して、ジョールノも王の宝に歩み寄り、その華奢な体を抱き上げる。
「それに、アッズーロ陛下以外にあのように触られては、吐き気もしているはずです。違いますか?」
「……きみ、結構容赦ないよね……。それに、ぼくのこと、よく調べてあるんだ……」
 淡く苦笑した宝を、ジョールノは寝台の一つに寝かせた。
「当たり前です。わたくしは、あなた様とペルソーネ様を守るためにここにいるのですから」
「全部、きみの推察通りだよ……」
 半ば目を閉じて、素直に苦しげな表情をしたナーヴェの枕元へ、ノッテが手桶を持ってきた。バーゼがナーヴェの上体を支えて起こし、その手桶へ屈ませる。ナーヴェは何度か胃液を吐いて、漸く落ち着いたようだった。
 再び横になったナーヴェの枕辺に、ペルソーネが椅子を持ってきて腰掛けた。
「あまり無茶をなさらないで下さい。あなた様に何かあれば、アッズーロ陛下に顔向けできません」
 単刀直入な小言に、王の宝は、すまなそうな顔をした。
「アッズーロに怒られるのは、ぼく一人でいいんだけれど、彼は、それでは済まさないだろうね……」
「陛下は、あなた様を溺愛なさっておいでです。御存知でしょう」
「ありがたいことに……ね」
 王の宝は複雑そうに呟いた。
「身を守り、健やかさを保つことも、王妃としての責務の一部です。自覚して下さいませ」
 ペルソーネは、ジョールノ以上に容赦がない。ジョールノは溜め息をついて、二人へ歩み寄った。
「ペルソーネ様、今夜はそのくらいに。ナーヴェ様を寝かせて差し上げて下さい。それに、あなた様もお疲れでしょう。早く休まれることをお勧めしますよ」
「――分かりましたわ」
 ペルソーネは渋々といった様子で頷き、立ち上がって、椅子を元の場所へ戻しに行った。
「ありがとう、ペルソーネ。ありがとう、ジョールノ」
 王の宝は律義に礼を述べる。その青褪めた顔を見下ろし、ジョールノは言った。
「左腕の治療で、かなりの貧血状態でしょう? 『極小機械』でしたか? それを使ったにしても、限界があるはずです。演出は必要ですが、わたくしどもにまで隠し事はなさらないで下さい。よい連携とは、互いの手の内を晒すところから始まるんです。そのために丁寧な自己紹介から始めているんですから、わたくしの意図も汲んで下さいね?」
「分かったよ……」
 王の宝は、微笑んで頷いた。
 油皿の火を一つだけ残して消し、薄暗くなった部屋の中で、ジョールノは一人だけ寝台に入らず、卓の前の椅子に腰掛けて寝ずの番を始めた。夜半にバーゼと交代する予定だ。仕事柄、短い睡眠でも耐えられるよう、体を慣らしてある。
 王の宝は、静かな寝息を立てて、穏やかに眠っている。
(確か、眠っている間に肉体を離れて、何かなさることがあるとも言っていたな……)
 親友レーニョからの情報には、王付き女官達が見聞きした情報も含まれている。
(今も、もしかしたら、何かなさっているのか……)
 馬車の中で居眠りが多かったのも、そういう理由なのかもしれない。
(この方と、レ・ゾーネ・ウーミデ侯城で一ヶ月も過ごして、凄いな、おまえ)
 パルーデに女子を愛でる嗜好があることは、ジョールノも知っている。あの物堅いレーニョにとっては、胃の痛くなる日々だっただろう。
(おまえがフェッロの弾丸から身を挺して守ったのは、この方ではなくて、てっきり、付き添っていた彼女のほうだと思っていたが、おまえは確かに、この方も守るつもりで動いたのかもしれないな)
 賢明さと無防備さを併せ持つ王の宝の傍にいると、自然に「守らなければ」という気持ちが強くなる。
(この方を守り、助けて、一ヶ月後、皆で笑っていられるように)
 自分にも、親友にも、愛する人がいる。親友はその物堅い性格の所為で、自分は相手の生真面目な性格の所為で、なかなか進展しないが、幸せな未来が欲しい。そのためにも、「星が降ってくる」という危機を、皆で乗り越えねばならない――。
(ともに、頑張ろう)
 王の宝の理想の通りに、オリッゾンテ・ブルもテッラ・ロッサも手を携えて。
(この危機を皆で乗り越えたら、今よりいい世の中になる気がするよ……)
 ジョールノは、ペルソーネの寝顔を遠く見つめながら、微笑んだ。


 惑星オリッゾンテ・ブルの夜側に配置した天文観測衛星から、光学望遠鏡で小惑星の動きを観測しながら、ナーヴェは、ふと幻覚の溜め息をついて、光学測定器で遥かな地表を見下ろした。この人工衛星は、恒星ステーラ・スプレンデンテと惑星オリッゾンテ・ブルの関係において、天体力学における円制限三体問題の五つの平衡解の内、二つ目の解の位置にある。つまり、常に惑星オリッゾンテ・ブルの夜側の定位置にあるため、丁度真下には、真夜中のオリッゾンテ・ブル王国が来ていた。天文観測衛星は、人工衛星の中で最も高度に位置するので、他の人工衛星に比べて、分解能は低いが、それでも、オリッゾンテ・ブル王城の王の執務室から灯りが漏れているかどうかくらいは、見ることができる。
(まだ灯りが点いているね……。もっと早く寝たらいいのに……)
 この後、アッズーロに接続できるだろうか。肉体の体調は芳しくないので、あまり長時間は放っておけない。「奇跡」を効果的に演出するため、ナーヴェとしても少々無理をしたのだ。即ち、馬車の中で肉体を眠らせ、その間に静止軌道上の人工衛星から小型飛翔誘導弾を時限式で発射できるように準備したのである。肉体への接続を切って小型飛翔誘導弾を発射したのでは、ナーヴェが落とした風に見えないと判断したからだ。ゆえに、時間や距離の加減が難しく、小型飛翔誘導弾で狙った岩からの破片で、左腕を計算以上に深く傷つけてしまった。
(まあ、左手を下ろした瞬間と、着弾の瞬間が上手く合ってよかったけれど)
 肉体に接続していると、時間が正確には分からなくなるので困りものだ。
(ロッソにも、ジョールノにも、左腕が完治していないこと、ばれてしまったな……)
 予め増やしておいた極小機械で最速の治療を試みたのだが、計算以上に深く傷つけてしまったので、完治させようとすると時間が掛かり過ぎ、「奇跡」に見えづらくなる恐れがあった。それで、とりあえず表面上は完治したように見えるよう皮膚を形成して、筋繊維や骨の細かい治療は後回しにしたのだ。当然痛みも残っていたので、ロッソに左腕を掴まれた際、思わず顔をしかめてしまった。
(もっと脳内麻薬を使っておけばよかった。せっかく、関節よりは治療し易い二の腕を傷つけたのに……)
 ロッソ三世は、アッズーロに負けず劣らず英明な王だ。王宮の庭園から見渡せる全ての建物には、衛兵が複数人ずつ配置されていた。弓矢や鉄砲による狙撃を警戒していたのだろう。
(堂々と行動する裏には、周到な準備がある。そうして、人を惹きつける)
 小惑星の定期観測が終了した。
(やっぱり、アッズーロに会いに行こう)
 ナーヴェは、接続を切り替えた。


【アッズーロ、まだ起きているのかい?】
 唐突に聞こえた声に、アッズーロは報告書から目を上げた。すぐ傍らに、ナーヴェが現れている。アッズーロは、首に掛けた小巾着を長衣の襟の中へ隠しながら問うた。
「ロッソ三世を上手く説得できたか?」
 宝は、やや複雑そうな表情をした。
【説得というか、納得して貰えたよ。ただ、その過程で、ちょっとね……】
「何があったのだ」
 眉をひそめたアッズーロに、宝はすまなそうに告げた。
【ロッソに、衣を脱げ、体を確かめる、と言われて、その通りにしたんだ。事後報告になってごめん】
「――奴に、そなたの体を触らせたのか」
【うん。王の間の真ん中で】
 正直な答えを聞いて、アッズーロは眩暈がした。頭を押さえながら、アッズーロは更に質した。
「よもや、近衛兵やらもその場にいたのではあるまいな?」
【みんないた。使節団のみんなも、テッラ・ロッサの近衛兵達も、記録官も、王妹達も】
 愕然としてアッズーロは椅子から立ち上がり、非常識な王妃を叱った。
「そなたは、自分の体を何だと思うておるのだ……!」
【きみのものだと思っているよ】
 端的に、ナーヴェは正解を言った。
「ならば……!」
 絶句し掛けたアッズーロに、ナーヴェは冷静に述べた。
【だから、最大限きみの利益に繋がるように行動したんだ。ぼくとしても、きみ以外に、ああやって触られるのは、嫌なんだけれど……。でも、ロッソは恐らく、医学的な知識や変装の知識を持っているね。ぼくが一年前と同一人物かどうか調べるために、髪の生え際を確認して鬘でないか調べたり、耳の形や歯の形を見て一年前と同じか判断したりしていた。妊娠や出産の形跡も、磔刑の傷跡も確認していた。傷跡をちゃんと残しておいてよかったよ】
「――われの利益、か。そなたが想定するわれは、常に、王たるわれだな……」
 呟いたアッズーロに、ナーヴェは目を瞬き、真顔で肯定した。
【当たり前だ。きみは王。チェーロに鉛毒を摂取させて退位に追いやり、即位した王だ。その責任は、重いよ】
「……――そうだな」
 アッズーロは冷水を浴びせられた気分で椅子に座り直した。ナーヴェはいつも正しい。そうして、父も含めた歴代の王達を――船長達を支え導いてきたのだろう。嘆息してから、アッズーロは改めてナーヴェを見上げた。
「……体調は大丈夫なのか?」
【実のところ、あんまりよくないんだ】
 僅かに項垂れて、ナーヴェは報告する。
【「奇跡」の演出のために、わざと怪我して極小機械で治したんだけれど、まだそれが完治していないし、出血し過ぎたから、貧血気味だし、ロッソに触られたから、吐き気もしたしね……。という訳で、できるだけ早く肉体に接続し直さないといけないんだよ。きみと話していたいのは、山々なんだけれど】
「そうか。では、早々に接続を戻すがよい。無事の帰還を待っておる」
 できる限り優しく、アッズーロは促した。
【うん。きみも、無理は禁物だよ。では、また明後日】
 ナーヴェは微かに寂しげに、姿を消した。
(「きみは王」か……)
 静かな執務室で一人、アッズーロは自嘲の笑みを浮かべ、襟の中から小巾着を出した。ナーヴェの髪を入れた小巾着だ。普段は執務机の引き出しに仕舞っているが、ナーヴェが傍にいない間は、また首に掛けている。その小巾着を弄りながら、アッズーロは油皿の灯火に目を細めた。
(われは一体、どのような答えを期待していたのだろうな……?)
 それは、幾ら期待しても、ナーヴェからは永遠に得られない答えのような気がした。


 不意に王の宝が起き上がったので、ジョールノは瞬きした。
「どうかなさいましたか?」
 小声で尋ねると、王の宝は静かに寝台から下り、ジョールノに歩み寄って来て、卓の向かいに座った。
「――また、アッズーロを傷つけてしまったよ……」
 沈んだ様子で呟き、子どものように卓に突っ伏す。背中を覆う青い髪が、幾筋か、さらさらと卓に零れていく。
「せめて、アッズーロとだけは、人として接したいのに、難しいものだね……」
「陛下と、連絡を取られたのですか?」
「うん。ぼくは肉体を眠らせると、そういうことができるんだ。緊急にアッズーロに報告すべきことができたら、いつでも言って」
「便利なものですね」
 素直に感心したジョールノに、王の宝は突っ伏したまま、少しだけ顔を横に向けて言った。
「うん。ぼくはもともと、ただひたすら便利であるように造られたから。でも、人によっては、ぼくの性格設定を、面倒だと言う人もいた。ある程度は仕方ないんだ。ぼくは、全体主義で博愛主義であるように設定されているから。その基本設定すら壊れたら、船長を――王を補佐するという、ぼくの存在意義自体が、半減してしまう」
「陛下は、そんな全体主義で博愛主義のあなた様をこそ、好ましく思っていらっしゃるのではないのですか?」
 試しにジョールノが問うてみると、王の宝は悲しげな表情をした。
「基本的にはね。ただ、近頃は物足りなく思っている節がある。さっきも、多分それで彼を傷つけたんだ。傷つけたくないのに、不具合で、上手く言葉が選べなくて……」
 再び顔を下に向けてしまった王の宝は、本当に年頃の少女であるかのように見える。今夕、二つもの「奇跡」を見せて、テッラ・ロッサの人々を震撼させた王の宝と同一人物とは思えない。ジョールノは苦笑して慰めた。
「それこそ、人と人との付き合いですよ。傷つけたくないのに、傷つけてしまう。でも、相手を思えばこそ、工夫を重ねて、また歩み寄ることができる。人とは、そういうものです。あなた様は、そうして悩んでおられる時点で、充分、人ですよ」
「――ありがとう……」
 宝は、突っ伏したまま、やや湿った声で律義に礼を述べた。
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