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第六章 捕らわれてのち 三
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三
昨夜飲ませた発酵乳がよかったのか、夜が明けると、王の宝は幾分元気になっていた。無花果を手渡せば、律義に礼を述べて美味しそうに食べ、揺れる荷台の囲いから頭だけを出して、興味深げに、流れる景色を眺めなどする。片足は綱で荷台に繋いだままにしているが、王の宝は、約束した通り、逃げる気はないようだった。
やがて見えた次の町には、ソニャーレだけが、荷馬車から外した二頭の馬を連れて入り、幌馬車を買って戻った。荷馬車で待っていたフェッロと王の宝を幌馬車に乗り移らせ、ソニャーレは、その町を迂回して先へ進ませた。
テッラ・ロッサ王国の王都アルバに到着したのは、その日の昼過ぎだった。
多くの人々が行き交う街路を、王の宝は物珍しそうに眺める。外套を頭からすっぽり被っているとはいえ、間近で見られれば、その髪が青いことに気づかれてしまう。
「ナーヴェ様、囲いから頭を出すのは、お止め下さい」
ソニャーレが求めると、王の宝は素直に応じ、背中を囲いに凭せ掛けて座った。そうして、微笑みを浮かべて呟いた。
「こんなに近くでアルバを見るのは初めてだけれど、さすがに王都だけあって、いろいろな物を売っているね。オリッゾンテ・ブル王国の王都エテルニタにも引けを取らない品揃えで、しかも異なる物がたくさんある。こういう多様性を見ると、ぼくの『原罪』が少しは償えていると感じられるよ……」
「『原罪』……?」
不穏な言葉に、ソニャーレは眉をひそめて聞き返した。
「うん。ぼくの大昔の大失敗のこと」
自嘲気味に答えた王の宝は、ふと目を上げて、ソニャーレを見る。
「ところで、きみは、この国の出身なのかい?」
唐突な鋭い質問に、ソニャーレは思わず視線を逸らした。
「――工作員などというものは、忠誠心だけではできないものなんですよ」
「つまり、きみは純粋にこの国の人、という訳ではないんだね」
王の宝は、さらりと言い当て、次に御者台のほうを見る。
「彼は――フェッロは、この国の人なのかな?」
「それは、彼自身に訊いて下さい」
ソニャーレは逃げるように言って、荷台の反対側に座り込んだ。
「分かった」
王の宝は素直に頷き、律義に囲いから頭を出さないよう四つん這いで御者台のすぐ後ろへ行く。
「ヴルカーノ伯フェッロ、きみの父親は、確かにオリッゾンテ・ブル王国の人だった。王城にも出入りしていた鍛冶師の彼を、ぼくは記録――もとい、覚えているし、親がオリッゾンテ・ブル王国の人でなければ、きみはオリッゾンテ・ブル王国で伯爵にはなれない。でも、きみの母親は? もしかして、この国の人なのかな?」
「あなたには、関係のないことです」
低い声で答えたフェッロに、王の宝は肩を竦めた。
「関係あるよ。ぼくは、きみの所為で今ここにいるんだからね」
「それを言うなら……!」
フェッロは振り向き、怒りを湛えた翡翠色の双眸で王の宝を睨む。
「あなたが、わたしの道を阻んだのだ! あなたこそが……!」
「そうだね」
あっさりと認め、王の宝は荷台に座り直す。
「ぼくは、鉄砲が嫌いだからね……。でも、きみも、少なくとも今は、特に鉄砲が好きな訳ではないと思うんだけれど……?」
フェッロは答えない。王の宝は、笑みを湛えた口で、更に問うた。
「きみが推進したいのは鉄の生産であって、鉄砲を大量に作りたい訳ではないんだろう……?」
やはり、フェッロは答えない。幌馬車はそのまま王都の街路を進み、王宮へ到着した。
「一応、取り次ぎを頼んできます」
ソニャーレは立ち上がり、フェッロに告げる。
「わたし達が来たことは、既に間諜達によって陛下に伝えられているでしょうが、衛兵達には知られていないかもしれませんから」
「分かった。ここで待っておく」
フェッロの返事を受けて、ソニャーレは荷台から跳び下りた。実のところ、幌馬車を購入した町で、ロッソ三世直属の間諜と接触し、王の宝のことなど細かく伝えてある。
宮門を守る衛兵達に歩み寄ると、予想通り向こうから、ソニャーレを認めて声を掛けてきた。
「ソニャーレ殿ですね? 陛下が王の間でお待ちです。特別に、王宮の玄関まで馬車で来ることを許すとの仰せです。ヴルカーノ伯、及び、宝とともに参れとのことです」
「分かりました」
頷いて、ソニャーレは、王宮の塀沿いにフェッロが停めた幌馬車へ戻った。御者台に上がってフェッロに事情を告げ、荷台へ移る。フェッロは手綱を操って、幌馬車を宮門から王宮の敷地内へ入れた。そのまま、庭園内の道を王宮の玄関まで幌馬車で行く。王宮の玄関前で、近衛兵達に見つめられながら、ソニャーレは王の宝の足から綱をほどき、その華奢な体を抱えて、幌馬車から下りた。フェッロも御者台から下りて、近衛兵に馬達の手綱を預ける。近衛兵の一人が、三人を、玄関から王の間へと導いた。
工作員ソニャーレが抱えて入ってきた小柄な姿を、ロッソは王座からじっと見下ろした。白い外套で頭から全身をすっぽりと覆っているので、青い髪はまだ見えない。ともに入ってきたフェッロは、憔悴した顔をしている。逃避行が余ほどきつかったようだ。
「まずは、宝を見せよ」
ロッソは前置きも何もなく命じた。
「仰せのままに」
ソニャーレは王の宝を床へ下ろして立たせ、その外套を脱がせた。途端に、長く青い髪がさらりと現れた。体つきはすんなりと華奢で、男か女か、長衣を纏った状態では定かには分からない。肌の色は白く、顔立ちは整っていて、双眸は――吸い込まれそうな深い青色だった。
「宝よ」
ロッソは呼び掛ける。
「きさまには罪がある。知っておるか」
「記録している。覚えているよ」
高くも低くもない、不思議に響く声だった。
「百年前のことを、『覚えている』と言うか」
ロッソは薄く笑い、宝を見据える。
「ならば、述べてみよ。きさまの罪とは、何か?」
「ぼくのこの容姿と、代々青い瞳の王を承認してきたことによって、『王』には青い瞳の人しかなれないという文化を創ってしまったこと。それで、きみのお祖父さんのロッソは、第一王子で、且つ有能な人であったにも関わらず、オリッゾンテ・ブル国王になれなかった。彼は、美しい翡翠色の双眸を持っていたから」
十代後半にしか見えない宝は、「罪」の内容を正確に答えてみせた。祖父ロッソ一世から教えられた通りで、寸分たがわない。しかもその語りは、祖父がその父王から聞いたという宝の在り方と一致する。
(王の宝は、人ではない。命を持つ者ではないゆえ、寿命などない。どこにでも現れ、されど王以外には見えず、王に語りかけてくる、神の使徒――。それが、何故、万人に見える姿を持ったのか……)
宝に、歴史上初めて、このように振る舞わせているオリッゾンテ・ブルの新王アッズーロとは、如何なる者なのか。間諜が持ってきたソーニャからの情報には、更に意外なことが含まれていた。
「ふむ。確かにきさまはオリッゾンテ・ブルの宝のようだ」
ロッソは目を眇め、宝の体を――その腹を見る。
「であれば、身篭っておるは、アッズーロの子か」
「そうだよ」
宝は、そっと腹に片手を当てて認めた。その、人を真似た仕草が腹立たしい。ロッソは眉間に皺を寄せて命じた。
「近衛兵、この異形の者を幽閉塔の最上階に入れよ! 即刻、直ちにだ!」
「「御意!」」
王の間の端に控えていた近衛兵達が走り、王の宝の華奢な体を左右から捕らえて、乱暴に幽閉塔へ繋がる通路へと連れていった。
「フェッロ」
ロッソは続けざまに言う。
「そなたの母は既に幽閉塔から出してある。控えの間に待たせてあるゆえ、連れて帰るがよい。今回の任務、御苦労であった」
「――ありがたく――」
掠れた声で述べて一礼した青年は、最低限の礼儀を守りつつも、急ぎ足で王の間を辞していった。
「さて、ソニャーレ」
ロッソは残った一人に視線を移す。
「おまえの願いを聞く番だ。約束通り、王宮の秘薬をくれてやる。シンティラーレ、薬草園へ一緒に行ってやれ」
ロッソは近衛兵とともに控えていた薬師に命じて踵を返した。
「畏まりました」
暗赤色の髪を布で覆い、青い瞳、小麦色の肌をした少女は一礼し、ソニャーレへ歩み寄っていく。ロッソはその光景を尻目に、幽閉塔へ向かった。
王宮の敷地内にあり、直接通路で繋がっている幽閉塔は、地下牢とは異なり、貴人を監禁するための建物だ。閉じ込めた貴人を、近衛兵達が厳重に守り、女官が世話を焼く。その最上階の部屋へ、ロッソは階段を上がっていった。
扉の、格子が嵌まった覗き窓から室内を見ると、宝は寝台に横になって掛布を被り、眠っていた。
「図々しい奴だな」
ロッソが呟くと、扉を守っていた近衛兵二人の内一人が生真面目に告げた。
「中へお入りになってから、ずっとあの御様子です。もしかしたら、お加減があまりよくないのかもしれません」
成るほど、妊娠中であれば、そういうこともあるかもしれない。
(人ではないはずの宝が、妊娠――。本当に一体、どういうことだ……)
「開けよ」
近衛兵に指示して、扉の錠を開けさせ、ロッソは部屋の中へ入った。寝台へ歩み寄り、眠る王の宝を見下ろす。高い位置にある小窓から差し込む昼下がりの光の中、横向きに寝た宝の青い髪は、枕から零れ落ちるように敷布の上に広がっている。掛布から覗いた手は軽く握られていて、閉じた目を縁取る青い睫毛が白い頬に陰を落としている。顔立ちは整っているが、寝顔は幼い。
(これを、アッズーロは抱いたのか)
ロッソは掛布を掴み、一気に剥ぎ取って床に落とした。宝は、長衣を纏ったまま寝ていた。
「――ロッソ?」
目を覚ました宝が、青い双眸で見上げてくる。まだ妊娠したばかりなのか、すんなりした体に膨らみはない。胸すら、殆どない。起き上がろうとした華奢な肩を押さえつけ、ロッソは寝台へ上がった。
「ロッソ、駄目だ」
宝は、細い両手を上げて、ロッソの体を押しやろうとする。
「お腹の子に障る」
「これは、きさまの罪に対する罰だ」
ロッソは言い切り、宝の抵抗を捻じ伏せて、その長衣の紐を解いた。顕になったのは、痩せていて、身長の割に幼い中性的な体。ロッソはその不思議な体を、隅々まで暴いていった。けれど、細部を探れば探るほど、それは確かに温もりも柔らかさもある人の体で、妊娠していることも頷ける形をしていた。
宝は、途中から諦めたように、されるがままになっていたが、ロッソが全てを確かめ終えた時には、潤んだ青い双眸から、ただ静かに涙を流していた。憎むべき青い双眸であるのに、瑠璃のように美しい。
「子が流れた様子はないな。また来るぞ」
言い置いて、寝台から立ち上がったロッソの背に、宝が問うた。
「きみはお祖父さんにそっくりだけれど、瞳は、青いんだね。きみがぼくを深く憎むのは、その青い瞳の所為なのかな……?」
「――祖父は、おれを溺愛していた。だが、おれの目を真正面から見るたび、いつも一瞬、苦しみに堪えるような顔をした。おれは、祖父のあの顔が忘れられん」
低い声で答え、ロッソは部屋を出た。ずっと扉の外にいた近衛兵達が、やや青褪めた顔で、すぐに錠を下ろす。ロッソは無言で、王宮へ戻った。
「陛下」
通路を出たところで声を掛けてきたのは、薬師シンティラーレだった。暗赤色の髪を隠す布の陰から、青い双眸でロッソを見上げた少女。ロッソの末の妹である。
「仰せの通り、ソニャーレに狐手袋の葉を渡しました。ただ、あれは、投薬量の調節の難しい薬。わたくしもともに赴いて治療を見届けたいと思うのですが」
「好きにせよ」
手を振ったロッソに、シンティラーレは眉をひそめた。
「不機嫌でいらっしゃいますね。一晩で十人の女を侍らす方が、たった一人に手こずられましたか」
相変わらず遠慮のない言いようだ。末っ子ということで、幼い頃より少々甘やかし過ぎたかもしれない。
「予想以上に人であったゆえ、興醒めしたまでだ。行くなら早く行け」
ぶっきらぼうに応じて、ロッソは自室へ行った。自らの寝台に腰掛けると、自然に溜め息が出た。酷く疲れた。
痩せた体だった。弱々しい抵抗だった。美しい両目から止め処なく涙を流して、静かに泣いていた。
(ずっと憎んできた相手だというのに――)
罪に対する罰を与えたはずが、まるで自分が罰を下されたような罪悪感が拭えなかった。
ナーヴェは寝台に横たわったまま、そっと下腹に手を当て、極小機械で探って、安堵の吐息を漏らした。肉体を隅々まで蹂躙される間、極小機械で、何とか子どもを守り切ることができた。
(「また来る」と言っていた……。来て貰わないと話ができないけれど……)
意図に反して、目からまた涙が溢れる。
(これも、壊れた所為かな……。きみ以外に、こういうことをされるのは、何だか凄く、嫌だよ、アッズーロ……)
吐き気がする。ナーヴェは不快感に耐えながら、寝台から下り、部屋の隅にある洗面台へ行って、麺麭や発酵乳など、幾らか胃袋の中に残っていたものを吐いた。それから桶に用意されていた水で、まず口を濯ぎ、次に掬って飲み、最後に手巾を濡らして体を拭いた。その後、衣をきちんと纏い直すと、床に落とされた掛布を拾って寝台に横になり、目を閉じて、ナーヴェは肉体回復のための眠りに就いた。
昨夜飲ませた発酵乳がよかったのか、夜が明けると、王の宝は幾分元気になっていた。無花果を手渡せば、律義に礼を述べて美味しそうに食べ、揺れる荷台の囲いから頭だけを出して、興味深げに、流れる景色を眺めなどする。片足は綱で荷台に繋いだままにしているが、王の宝は、約束した通り、逃げる気はないようだった。
やがて見えた次の町には、ソニャーレだけが、荷馬車から外した二頭の馬を連れて入り、幌馬車を買って戻った。荷馬車で待っていたフェッロと王の宝を幌馬車に乗り移らせ、ソニャーレは、その町を迂回して先へ進ませた。
テッラ・ロッサ王国の王都アルバに到着したのは、その日の昼過ぎだった。
多くの人々が行き交う街路を、王の宝は物珍しそうに眺める。外套を頭からすっぽり被っているとはいえ、間近で見られれば、その髪が青いことに気づかれてしまう。
「ナーヴェ様、囲いから頭を出すのは、お止め下さい」
ソニャーレが求めると、王の宝は素直に応じ、背中を囲いに凭せ掛けて座った。そうして、微笑みを浮かべて呟いた。
「こんなに近くでアルバを見るのは初めてだけれど、さすがに王都だけあって、いろいろな物を売っているね。オリッゾンテ・ブル王国の王都エテルニタにも引けを取らない品揃えで、しかも異なる物がたくさんある。こういう多様性を見ると、ぼくの『原罪』が少しは償えていると感じられるよ……」
「『原罪』……?」
不穏な言葉に、ソニャーレは眉をひそめて聞き返した。
「うん。ぼくの大昔の大失敗のこと」
自嘲気味に答えた王の宝は、ふと目を上げて、ソニャーレを見る。
「ところで、きみは、この国の出身なのかい?」
唐突な鋭い質問に、ソニャーレは思わず視線を逸らした。
「――工作員などというものは、忠誠心だけではできないものなんですよ」
「つまり、きみは純粋にこの国の人、という訳ではないんだね」
王の宝は、さらりと言い当て、次に御者台のほうを見る。
「彼は――フェッロは、この国の人なのかな?」
「それは、彼自身に訊いて下さい」
ソニャーレは逃げるように言って、荷台の反対側に座り込んだ。
「分かった」
王の宝は素直に頷き、律義に囲いから頭を出さないよう四つん這いで御者台のすぐ後ろへ行く。
「ヴルカーノ伯フェッロ、きみの父親は、確かにオリッゾンテ・ブル王国の人だった。王城にも出入りしていた鍛冶師の彼を、ぼくは記録――もとい、覚えているし、親がオリッゾンテ・ブル王国の人でなければ、きみはオリッゾンテ・ブル王国で伯爵にはなれない。でも、きみの母親は? もしかして、この国の人なのかな?」
「あなたには、関係のないことです」
低い声で答えたフェッロに、王の宝は肩を竦めた。
「関係あるよ。ぼくは、きみの所為で今ここにいるんだからね」
「それを言うなら……!」
フェッロは振り向き、怒りを湛えた翡翠色の双眸で王の宝を睨む。
「あなたが、わたしの道を阻んだのだ! あなたこそが……!」
「そうだね」
あっさりと認め、王の宝は荷台に座り直す。
「ぼくは、鉄砲が嫌いだからね……。でも、きみも、少なくとも今は、特に鉄砲が好きな訳ではないと思うんだけれど……?」
フェッロは答えない。王の宝は、笑みを湛えた口で、更に問うた。
「きみが推進したいのは鉄の生産であって、鉄砲を大量に作りたい訳ではないんだろう……?」
やはり、フェッロは答えない。幌馬車はそのまま王都の街路を進み、王宮へ到着した。
「一応、取り次ぎを頼んできます」
ソニャーレは立ち上がり、フェッロに告げる。
「わたし達が来たことは、既に間諜達によって陛下に伝えられているでしょうが、衛兵達には知られていないかもしれませんから」
「分かった。ここで待っておく」
フェッロの返事を受けて、ソニャーレは荷台から跳び下りた。実のところ、幌馬車を購入した町で、ロッソ三世直属の間諜と接触し、王の宝のことなど細かく伝えてある。
宮門を守る衛兵達に歩み寄ると、予想通り向こうから、ソニャーレを認めて声を掛けてきた。
「ソニャーレ殿ですね? 陛下が王の間でお待ちです。特別に、王宮の玄関まで馬車で来ることを許すとの仰せです。ヴルカーノ伯、及び、宝とともに参れとのことです」
「分かりました」
頷いて、ソニャーレは、王宮の塀沿いにフェッロが停めた幌馬車へ戻った。御者台に上がってフェッロに事情を告げ、荷台へ移る。フェッロは手綱を操って、幌馬車を宮門から王宮の敷地内へ入れた。そのまま、庭園内の道を王宮の玄関まで幌馬車で行く。王宮の玄関前で、近衛兵達に見つめられながら、ソニャーレは王の宝の足から綱をほどき、その華奢な体を抱えて、幌馬車から下りた。フェッロも御者台から下りて、近衛兵に馬達の手綱を預ける。近衛兵の一人が、三人を、玄関から王の間へと導いた。
工作員ソニャーレが抱えて入ってきた小柄な姿を、ロッソは王座からじっと見下ろした。白い外套で頭から全身をすっぽりと覆っているので、青い髪はまだ見えない。ともに入ってきたフェッロは、憔悴した顔をしている。逃避行が余ほどきつかったようだ。
「まずは、宝を見せよ」
ロッソは前置きも何もなく命じた。
「仰せのままに」
ソニャーレは王の宝を床へ下ろして立たせ、その外套を脱がせた。途端に、長く青い髪がさらりと現れた。体つきはすんなりと華奢で、男か女か、長衣を纏った状態では定かには分からない。肌の色は白く、顔立ちは整っていて、双眸は――吸い込まれそうな深い青色だった。
「宝よ」
ロッソは呼び掛ける。
「きさまには罪がある。知っておるか」
「記録している。覚えているよ」
高くも低くもない、不思議に響く声だった。
「百年前のことを、『覚えている』と言うか」
ロッソは薄く笑い、宝を見据える。
「ならば、述べてみよ。きさまの罪とは、何か?」
「ぼくのこの容姿と、代々青い瞳の王を承認してきたことによって、『王』には青い瞳の人しかなれないという文化を創ってしまったこと。それで、きみのお祖父さんのロッソは、第一王子で、且つ有能な人であったにも関わらず、オリッゾンテ・ブル国王になれなかった。彼は、美しい翡翠色の双眸を持っていたから」
十代後半にしか見えない宝は、「罪」の内容を正確に答えてみせた。祖父ロッソ一世から教えられた通りで、寸分たがわない。しかもその語りは、祖父がその父王から聞いたという宝の在り方と一致する。
(王の宝は、人ではない。命を持つ者ではないゆえ、寿命などない。どこにでも現れ、されど王以外には見えず、王に語りかけてくる、神の使徒――。それが、何故、万人に見える姿を持ったのか……)
宝に、歴史上初めて、このように振る舞わせているオリッゾンテ・ブルの新王アッズーロとは、如何なる者なのか。間諜が持ってきたソーニャからの情報には、更に意外なことが含まれていた。
「ふむ。確かにきさまはオリッゾンテ・ブルの宝のようだ」
ロッソは目を眇め、宝の体を――その腹を見る。
「であれば、身篭っておるは、アッズーロの子か」
「そうだよ」
宝は、そっと腹に片手を当てて認めた。その、人を真似た仕草が腹立たしい。ロッソは眉間に皺を寄せて命じた。
「近衛兵、この異形の者を幽閉塔の最上階に入れよ! 即刻、直ちにだ!」
「「御意!」」
王の間の端に控えていた近衛兵達が走り、王の宝の華奢な体を左右から捕らえて、乱暴に幽閉塔へ繋がる通路へと連れていった。
「フェッロ」
ロッソは続けざまに言う。
「そなたの母は既に幽閉塔から出してある。控えの間に待たせてあるゆえ、連れて帰るがよい。今回の任務、御苦労であった」
「――ありがたく――」
掠れた声で述べて一礼した青年は、最低限の礼儀を守りつつも、急ぎ足で王の間を辞していった。
「さて、ソニャーレ」
ロッソは残った一人に視線を移す。
「おまえの願いを聞く番だ。約束通り、王宮の秘薬をくれてやる。シンティラーレ、薬草園へ一緒に行ってやれ」
ロッソは近衛兵とともに控えていた薬師に命じて踵を返した。
「畏まりました」
暗赤色の髪を布で覆い、青い瞳、小麦色の肌をした少女は一礼し、ソニャーレへ歩み寄っていく。ロッソはその光景を尻目に、幽閉塔へ向かった。
王宮の敷地内にあり、直接通路で繋がっている幽閉塔は、地下牢とは異なり、貴人を監禁するための建物だ。閉じ込めた貴人を、近衛兵達が厳重に守り、女官が世話を焼く。その最上階の部屋へ、ロッソは階段を上がっていった。
扉の、格子が嵌まった覗き窓から室内を見ると、宝は寝台に横になって掛布を被り、眠っていた。
「図々しい奴だな」
ロッソが呟くと、扉を守っていた近衛兵二人の内一人が生真面目に告げた。
「中へお入りになってから、ずっとあの御様子です。もしかしたら、お加減があまりよくないのかもしれません」
成るほど、妊娠中であれば、そういうこともあるかもしれない。
(人ではないはずの宝が、妊娠――。本当に一体、どういうことだ……)
「開けよ」
近衛兵に指示して、扉の錠を開けさせ、ロッソは部屋の中へ入った。寝台へ歩み寄り、眠る王の宝を見下ろす。高い位置にある小窓から差し込む昼下がりの光の中、横向きに寝た宝の青い髪は、枕から零れ落ちるように敷布の上に広がっている。掛布から覗いた手は軽く握られていて、閉じた目を縁取る青い睫毛が白い頬に陰を落としている。顔立ちは整っているが、寝顔は幼い。
(これを、アッズーロは抱いたのか)
ロッソは掛布を掴み、一気に剥ぎ取って床に落とした。宝は、長衣を纏ったまま寝ていた。
「――ロッソ?」
目を覚ました宝が、青い双眸で見上げてくる。まだ妊娠したばかりなのか、すんなりした体に膨らみはない。胸すら、殆どない。起き上がろうとした華奢な肩を押さえつけ、ロッソは寝台へ上がった。
「ロッソ、駄目だ」
宝は、細い両手を上げて、ロッソの体を押しやろうとする。
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「これは、きさまの罪に対する罰だ」
ロッソは言い切り、宝の抵抗を捻じ伏せて、その長衣の紐を解いた。顕になったのは、痩せていて、身長の割に幼い中性的な体。ロッソはその不思議な体を、隅々まで暴いていった。けれど、細部を探れば探るほど、それは確かに温もりも柔らかさもある人の体で、妊娠していることも頷ける形をしていた。
宝は、途中から諦めたように、されるがままになっていたが、ロッソが全てを確かめ終えた時には、潤んだ青い双眸から、ただ静かに涙を流していた。憎むべき青い双眸であるのに、瑠璃のように美しい。
「子が流れた様子はないな。また来るぞ」
言い置いて、寝台から立ち上がったロッソの背に、宝が問うた。
「きみはお祖父さんにそっくりだけれど、瞳は、青いんだね。きみがぼくを深く憎むのは、その青い瞳の所為なのかな……?」
「――祖父は、おれを溺愛していた。だが、おれの目を真正面から見るたび、いつも一瞬、苦しみに堪えるような顔をした。おれは、祖父のあの顔が忘れられん」
低い声で答え、ロッソは部屋を出た。ずっと扉の外にいた近衛兵達が、やや青褪めた顔で、すぐに錠を下ろす。ロッソは無言で、王宮へ戻った。
「陛下」
通路を出たところで声を掛けてきたのは、薬師シンティラーレだった。暗赤色の髪を隠す布の陰から、青い双眸でロッソを見上げた少女。ロッソの末の妹である。
「仰せの通り、ソニャーレに狐手袋の葉を渡しました。ただ、あれは、投薬量の調節の難しい薬。わたくしもともに赴いて治療を見届けたいと思うのですが」
「好きにせよ」
手を振ったロッソに、シンティラーレは眉をひそめた。
「不機嫌でいらっしゃいますね。一晩で十人の女を侍らす方が、たった一人に手こずられましたか」
相変わらず遠慮のない言いようだ。末っ子ということで、幼い頃より少々甘やかし過ぎたかもしれない。
「予想以上に人であったゆえ、興醒めしたまでだ。行くなら早く行け」
ぶっきらぼうに応じて、ロッソは自室へ行った。自らの寝台に腰掛けると、自然に溜め息が出た。酷く疲れた。
痩せた体だった。弱々しい抵抗だった。美しい両目から止め処なく涙を流して、静かに泣いていた。
(ずっと憎んできた相手だというのに――)
罪に対する罰を与えたはずが、まるで自分が罰を下されたような罪悪感が拭えなかった。
ナーヴェは寝台に横たわったまま、そっと下腹に手を当て、極小機械で探って、安堵の吐息を漏らした。肉体を隅々まで蹂躙される間、極小機械で、何とか子どもを守り切ることができた。
(「また来る」と言っていた……。来て貰わないと話ができないけれど……)
意図に反して、目からまた涙が溢れる。
(これも、壊れた所為かな……。きみ以外に、こういうことをされるのは、何だか凄く、嫌だよ、アッズーロ……)
吐き気がする。ナーヴェは不快感に耐えながら、寝台から下り、部屋の隅にある洗面台へ行って、麺麭や発酵乳など、幾らか胃袋の中に残っていたものを吐いた。それから桶に用意されていた水で、まず口を濯ぎ、次に掬って飲み、最後に手巾を濡らして体を拭いた。その後、衣をきちんと纏い直すと、床に落とされた掛布を拾って寝台に横になり、目を閉じて、ナーヴェは肉体回復のための眠りに就いた。
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国王陛下に挨拶に伺うと、そこには美しい顔立ちの王太子殿下がいた。
「エリー、どうか僕と結婚してくれ! 君こそ、僕の妻に相応しい!」
え……私、貴方の妹になるんですけど?
どこから突っ込んでいいのか分かんない。
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