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第三章 母の面影 二
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二
結局、無理して食べた晩餐は吐いてしまった。胃の中にあるのは、少しずつ飲んでいる林檎果汁だけだ。寝台から暗い天井を見上げて、ナーヴェは溜め息をついた。レーニョとポンテは、今夜も廊下に座り込んでいる。最早、「大丈夫」と言うのも、無理になってきた。
(こんなところ、あんまりきみに見られたくないんだけれど……)
恐らく、アッズーロの性格上、「一週間後」ではないだろう――。
案の定、いつもより早く、床板が開いた。灯りが広がり、油皿を持った人影が出てくる。
「当たりだな。あやつの情報は、なかなか正しいと見える」
低い声で愉快そうに言いながら、アッズーロは机に油皿を置いて、寝台に歩み寄ってきた。
「やあ、三日振り」
何とか上体を起こしたナーヴェを、しげしげと見つめ、アッズーロは寝台に腰掛けた。
「驚かんのだな。つまらん」
「お忍びで来た目的は、それ……?」
苦笑したナーヴェに、アッズーロは鼻を鳴らした。
「たわけ。そのような目的でこのようなところまで来るか」
「なら、やっぱり目的は、双方の間諜の力量を測るため、だね……?」
「よく分かっておるではないか」
満足げにアッズーロは笑う。
「この領へ、われが忍びで一週間後に来るという情報は、正確に伝わっておった。パルーデの情報網はまずまずだ」
「きみは、その一つ上を行った訳だね……」
一週間後ではなく、今、アッズーロはここにいる。
「情報を垂れ流す時、そこに真実と虚偽を混ぜるは常道だ」
「そうだね。ぼくにはできないことだけれど……」
ナーヴェは寂しく言った。
「どういうことだ?」
訝しむアッズーロに、ナーヴェは目を伏せて告げた。
「ぼくには、今のところ『嘘をつく』という機能がないからね……」
「『今のところ』?」
「ぼくには学習機能があるから、もしかしたら、その内できるようになるかもしれない……」
息が切れて、声が細くなってしまう。眩暈がする――。
「おい」
素早く立ち上がったアッズーロが、ふらつく上体を支えてくれた。
「ごめん。あんまり、丈夫でなくて……」
「よい。休め」
アッズーロは、そっとナーヴェの上体を寝かせると、掛布を掛け直してくれた。ナーヴェは、閉じそうになる目を懸命に開いて、アッズーロを見上げた。
「そろそろ、パルーデが来るから……」
二人の鉢合わせは、さすがにまずいだろう。しかし、アッズーロはまた寝台に腰掛けてしまった。
「丁度よい。文句の一つも言うてやらんとな」
「駄目だよ。ぼくが、そう約束したんだから……」
ナーヴェは細い声で諫めたが、アッズーロは頑なだった。
「そなたを壊してよいとは、言うておらん。王の宝を害することは、何人にも許さん」
「ぼくはまだ、壊れては――」
「壊れかけておるではないか!」
アッズーロは、急に声を荒げると、枕の両脇に左右の手をついて、ナーヴェの顔を見下ろした。その端正な顔が、怒りに満ちている。
「目の下に隈を作って、頬をこけさせて、体も――」
アッズーロの右手が、乱暴に掛布を剥ぎ、ナーヴェが纏った胸開きの長衣の上から、浮いた肋骨をなぞった。それが、駄目だった。
「っ……」
二夜連続でパルーデに嬲られた体が、反応してしまった。一瞬閉じてしまった目をナーヴェが開くと、見下ろしてくる青空色の双眸が、冷たい怒りを湛えていた。
「――随分と調教されたようだな、あの女に」
「アッズーロ、こんなことは、大したことではないよ。だから――」
「ならば、これも大したことではなかろう!」
アッズーロは不意に、身を屈めて、ナーヴェの首筋に唇をつけた。
「っ……、アッズーロ、何を……」
ナーヴェの問いを無視して、アッズーロは首筋から鎖骨、鎖骨から開いた胸元へと、唇を動かしていく。パルーデと同じように、ナーヴェの肉体を味わっていく。与えられる刺激と熱に、思考回路の命令を無視して、肉体が反応してしまう――。
軋む音がして、また床板が開いた。灯火が増え、人影が出てくる。ナーヴェは目の端でその姿を確認した。パルーデだ。
「これはこれは……、不審な物音がするので、誰かと思えば、陛下ではありませぬか」
面白そうに言い、パルーデは油皿を掲げて、アッズーロとナーヴェを眺める。
アッズーロはゆっくりと身を起こし、寝台の上に座って、パルーデを見返した。
「これは、どういうことだ?」
冷ややかに問うたアッズーロに、パルーデは笑みを深くした。
「『これは』とは、どのことにございますか?」
「王の宝が、壊れかけておる」
「それは、申し訳ありませぬ。何分、初めて扱う者ゆえ、加減が分かりませず」
「では学べ。今夜は無理だ。王の宝は二つとない者。壊させる訳にはいかん」
「約束を反故にする、という訳では、ございませぬな?」
「約束は、守る。そうでなければ、王なぞ名乗れん」
「――畏まりました」
パルーデは嫣然と一礼して、床下の通路へ戻る。その背へ、アッズーロは告げた。
「われも、時には感情で動く。加減を知らぬは、いつか命取りになるやもしれんぞ……?」
「――承りましてございます」
パルーデは笑みを含ませた声で答え、床板の下へ姿を消した。
灯火が減り、薄暗さを増した部屋で、アッズーロはナーヴェを見下ろした。
「すまん。もう何もせん。だから、しっかりと休め」
「うん。でも……」
ナーヴェは、視線で部屋の扉を示す。
「レーニョとポンテが、そこにいて、随分と心配させてしまっているから……」
「よい。われが言う」
アッズーロは寝台から下り、扉へ歩み寄る。鍵が掛かっていることすら、情報として掴んでいるらしい。アッズーロは、扉を開けようとはせず、内側から言った。
「レーニョ、ポンテ、御苦労だった。われは二、三日滞在する予定ゆえ、安心して部屋へ戻って休め。ナーヴェのことは、われに任せよ」
「御意のままに」
レーニョの声は少しばかり湿っていた。
「畏まりました」
ポンテの声は穏やかだった。
寝台へ戻ってきたアッズーロを見上げ、ナーヴェは微笑んで問うた。
「もう一つ、頼んでいいかな……?」
「許す。申せ」
「隣で寝てくれると、嬉しい。寝台は、これ一つしかないけれど、ぼくはもう動けないし、きみだけ、寝ずに起きていられると、落ち着かないから……」
請うたナーヴェに、アッズーロは文句を口にした。
「王城では、われが政務に精励しておる間も、ぐうぐう寝ておった癖に」
「ごめん」
ナーヴェは素直に謝り、ついでに教える。
「ここの鼠さん達は、みんなお行儀がいいから、ぐっすり眠れるよ」
「そなた、『ふざける』ことができんと言うておった癖に、今、確実にふざけておるであろう?」
アッズーロの指摘にナーヴェは小首を傾げた。
「そう……なのかな……?」
「今、どういう気持ちか分析してみよ」
命じられて、ナーヴェは瞬時に思考回路で解析し、結果を伝えた。
「きみの反応を楽しむ気持ち、だね」
「それを『ふざける』と言うのだ、このたわけ」
「そうなんだ……」
自らの学習成果に納得したナーヴェに、アッズーロはまた鼻を鳴らすと、爪先の開いた靴を脱ぎ、掛布をめくって隣へ身を横たえてきた。
「狭いな」
「ごめん」
「それ以上、痩せるなよ」
「努力するよ……」
ナーヴェは、アッズーロの肩に頭を寄せて、目を閉じる。アッズーロの匂いを感じるのも、三日振りだ。
(こういう感覚は、「懐かしい」と言うのかな……)
思考回路の片隅で分析しながら、ナーヴェは肉体を眠らせた。
(こやつ、食の好みだけでなく、ふざけ方まで、母上に似ているな……)
アッズーロは、さっさと眠りに落ちた宝に、溜め息をついた。母グランディナーレは、彼女が飼っていた鼠に餌をやろうとして指を噛まれた息子を、憐れむどころか、いつまでもからかい続けたものだ。すぐに薬を用意して、気遣い続けた父チェーロとは、正反対の性格だった。
(さて、明日から、どうするか……)
アッズーロは、自らが持ち込んだ油皿の灯火が微かに照らす天井を見つめ、考える。この様子では、パルーデが連夜、王の宝を慰み者にしているという情報も正しかったようだ。
(「嫌なことがあれば、すぐに言え」と言うておいたのに……)
最初の夜に報告に来ただけで、昨夜、ナーヴェはアッズーロに接続しなかった。ゆえに、アッズーロは業を煮やし、行動に出たのだ。
また床板が動いた。出てきたのは、パルーデよりかなり華奢な人影。油皿も持っていない。
「陛下、パルーデは自室に戻り、従僕の一人サーレと同衾しております。他には特に何かする様子はありません」
少女の声が告げた。
「そうか。では、おまえも休め」
「御意のままに」
少女は答えて、すぐに床下へ姿を消した。
(全く、パルーデめ。従僕は全て情人か。「行儀」のよい「鼠」達だろうが何だろうが、虫唾が走るわ)
アッズーロは、険しく眉をひそめ、自らの肩に頭を寄せて眠るナーヴェを見遣った。
静かな寝息を立てて、安堵した表情で王の宝は眠っている。その顔が、三日前に比べ、目に見えてやつれている。
(馬鹿者め)
触れた体も、骨が浮いていて痛々しかった。
(そもそも痩せておったのに。われがせっせと食わせて、せっかく少し太らせたものを、パルーデめ)
ナーヴェをパルーデに触らせることには嫌悪感しかないが、約束であれば拒否できない。
(とにかく、可及的速やかに、草木紙生産を軌道に乗せるしかない)
そうすれば、ナーヴェを王城に戻らせることができる。
(レーニョに命じて、あらゆる手を講じさせ、作業を急がせる)
アッズーロは決意すると、目を閉じた。慌ただしい一日だった。途中からは、木材を運ぶ荷馬車の荷台に潜んできたので、体もあちこち痛い。
(しかし、このようなもの、そなたの苦痛に比べれば、な……)
少し身動きすると、頬に、ナーヴェの髪が触れた。髪は、相変わらず滑らかで、柔らかい。
(そなたは、王の宝、われの宝だ――)
アッズーロは、胸中でそっと呟いた。
「こんな遅くにどうしたの……?」
暗闇の中から問われて、ルーチェはびくりと体を強張らせた。
「ソ、ソニャーレ、まだ起きてたの……?」
相部屋のソニャーレは、主に城の清掃を担当している従僕だ。胡桃色の髪に白い肌、空色の瞳をしているので、ピーシェやサーレ同様、パルーデの部屋へ呼ばれることもある少女だ。ルーチェはまだパルーデの部屋へ呼ばれたことはないが、この任務が長引けば、いずれはそういうこともあるだろう。とりあえず、ルーチェは無難な答えを選んだ。
「ちょ、ちょっと冷えたから、お手洗いへ」
客間や主人の部屋に手洗いはあるが、さすがに使用人部屋にはない。夜中だろうが、厨房の向こうにある便所まで行かねばならない。
「だったら、油皿持っていけばいいのに」
ソニャーレに指摘されて、ルーチェは自分の寝台に上がりながら、言い訳した。
「灯りを点けたら、ソニャーレを起こしちゃうと思ったから。月明かりがない訳じゃないし……」
「結局、物音で目が覚めたわ」
ソニャーレは冷ややかに言うと、静かになった。どうやら、追及は終わりらしい。
「ご、ごめんね。おやすみ」
ルーチェは、掛布を被って、目を閉じた。暫く通路や廊下にいたので、本当に体が冷えてしまっていた。
結局、無理して食べた晩餐は吐いてしまった。胃の中にあるのは、少しずつ飲んでいる林檎果汁だけだ。寝台から暗い天井を見上げて、ナーヴェは溜め息をついた。レーニョとポンテは、今夜も廊下に座り込んでいる。最早、「大丈夫」と言うのも、無理になってきた。
(こんなところ、あんまりきみに見られたくないんだけれど……)
恐らく、アッズーロの性格上、「一週間後」ではないだろう――。
案の定、いつもより早く、床板が開いた。灯りが広がり、油皿を持った人影が出てくる。
「当たりだな。あやつの情報は、なかなか正しいと見える」
低い声で愉快そうに言いながら、アッズーロは机に油皿を置いて、寝台に歩み寄ってきた。
「やあ、三日振り」
何とか上体を起こしたナーヴェを、しげしげと見つめ、アッズーロは寝台に腰掛けた。
「驚かんのだな。つまらん」
「お忍びで来た目的は、それ……?」
苦笑したナーヴェに、アッズーロは鼻を鳴らした。
「たわけ。そのような目的でこのようなところまで来るか」
「なら、やっぱり目的は、双方の間諜の力量を測るため、だね……?」
「よく分かっておるではないか」
満足げにアッズーロは笑う。
「この領へ、われが忍びで一週間後に来るという情報は、正確に伝わっておった。パルーデの情報網はまずまずだ」
「きみは、その一つ上を行った訳だね……」
一週間後ではなく、今、アッズーロはここにいる。
「情報を垂れ流す時、そこに真実と虚偽を混ぜるは常道だ」
「そうだね。ぼくにはできないことだけれど……」
ナーヴェは寂しく言った。
「どういうことだ?」
訝しむアッズーロに、ナーヴェは目を伏せて告げた。
「ぼくには、今のところ『嘘をつく』という機能がないからね……」
「『今のところ』?」
「ぼくには学習機能があるから、もしかしたら、その内できるようになるかもしれない……」
息が切れて、声が細くなってしまう。眩暈がする――。
「おい」
素早く立ち上がったアッズーロが、ふらつく上体を支えてくれた。
「ごめん。あんまり、丈夫でなくて……」
「よい。休め」
アッズーロは、そっとナーヴェの上体を寝かせると、掛布を掛け直してくれた。ナーヴェは、閉じそうになる目を懸命に開いて、アッズーロを見上げた。
「そろそろ、パルーデが来るから……」
二人の鉢合わせは、さすがにまずいだろう。しかし、アッズーロはまた寝台に腰掛けてしまった。
「丁度よい。文句の一つも言うてやらんとな」
「駄目だよ。ぼくが、そう約束したんだから……」
ナーヴェは細い声で諫めたが、アッズーロは頑なだった。
「そなたを壊してよいとは、言うておらん。王の宝を害することは、何人にも許さん」
「ぼくはまだ、壊れては――」
「壊れかけておるではないか!」
アッズーロは、急に声を荒げると、枕の両脇に左右の手をついて、ナーヴェの顔を見下ろした。その端正な顔が、怒りに満ちている。
「目の下に隈を作って、頬をこけさせて、体も――」
アッズーロの右手が、乱暴に掛布を剥ぎ、ナーヴェが纏った胸開きの長衣の上から、浮いた肋骨をなぞった。それが、駄目だった。
「っ……」
二夜連続でパルーデに嬲られた体が、反応してしまった。一瞬閉じてしまった目をナーヴェが開くと、見下ろしてくる青空色の双眸が、冷たい怒りを湛えていた。
「――随分と調教されたようだな、あの女に」
「アッズーロ、こんなことは、大したことではないよ。だから――」
「ならば、これも大したことではなかろう!」
アッズーロは不意に、身を屈めて、ナーヴェの首筋に唇をつけた。
「っ……、アッズーロ、何を……」
ナーヴェの問いを無視して、アッズーロは首筋から鎖骨、鎖骨から開いた胸元へと、唇を動かしていく。パルーデと同じように、ナーヴェの肉体を味わっていく。与えられる刺激と熱に、思考回路の命令を無視して、肉体が反応してしまう――。
軋む音がして、また床板が開いた。灯火が増え、人影が出てくる。ナーヴェは目の端でその姿を確認した。パルーデだ。
「これはこれは……、不審な物音がするので、誰かと思えば、陛下ではありませぬか」
面白そうに言い、パルーデは油皿を掲げて、アッズーロとナーヴェを眺める。
アッズーロはゆっくりと身を起こし、寝台の上に座って、パルーデを見返した。
「これは、どういうことだ?」
冷ややかに問うたアッズーロに、パルーデは笑みを深くした。
「『これは』とは、どのことにございますか?」
「王の宝が、壊れかけておる」
「それは、申し訳ありませぬ。何分、初めて扱う者ゆえ、加減が分かりませず」
「では学べ。今夜は無理だ。王の宝は二つとない者。壊させる訳にはいかん」
「約束を反故にする、という訳では、ございませぬな?」
「約束は、守る。そうでなければ、王なぞ名乗れん」
「――畏まりました」
パルーデは嫣然と一礼して、床下の通路へ戻る。その背へ、アッズーロは告げた。
「われも、時には感情で動く。加減を知らぬは、いつか命取りになるやもしれんぞ……?」
「――承りましてございます」
パルーデは笑みを含ませた声で答え、床板の下へ姿を消した。
灯火が減り、薄暗さを増した部屋で、アッズーロはナーヴェを見下ろした。
「すまん。もう何もせん。だから、しっかりと休め」
「うん。でも……」
ナーヴェは、視線で部屋の扉を示す。
「レーニョとポンテが、そこにいて、随分と心配させてしまっているから……」
「よい。われが言う」
アッズーロは寝台から下り、扉へ歩み寄る。鍵が掛かっていることすら、情報として掴んでいるらしい。アッズーロは、扉を開けようとはせず、内側から言った。
「レーニョ、ポンテ、御苦労だった。われは二、三日滞在する予定ゆえ、安心して部屋へ戻って休め。ナーヴェのことは、われに任せよ」
「御意のままに」
レーニョの声は少しばかり湿っていた。
「畏まりました」
ポンテの声は穏やかだった。
寝台へ戻ってきたアッズーロを見上げ、ナーヴェは微笑んで問うた。
「もう一つ、頼んでいいかな……?」
「許す。申せ」
「隣で寝てくれると、嬉しい。寝台は、これ一つしかないけれど、ぼくはもう動けないし、きみだけ、寝ずに起きていられると、落ち着かないから……」
請うたナーヴェに、アッズーロは文句を口にした。
「王城では、われが政務に精励しておる間も、ぐうぐう寝ておった癖に」
「ごめん」
ナーヴェは素直に謝り、ついでに教える。
「ここの鼠さん達は、みんなお行儀がいいから、ぐっすり眠れるよ」
「そなた、『ふざける』ことができんと言うておった癖に、今、確実にふざけておるであろう?」
アッズーロの指摘にナーヴェは小首を傾げた。
「そう……なのかな……?」
「今、どういう気持ちか分析してみよ」
命じられて、ナーヴェは瞬時に思考回路で解析し、結果を伝えた。
「きみの反応を楽しむ気持ち、だね」
「それを『ふざける』と言うのだ、このたわけ」
「そうなんだ……」
自らの学習成果に納得したナーヴェに、アッズーロはまた鼻を鳴らすと、爪先の開いた靴を脱ぎ、掛布をめくって隣へ身を横たえてきた。
「狭いな」
「ごめん」
「それ以上、痩せるなよ」
「努力するよ……」
ナーヴェは、アッズーロの肩に頭を寄せて、目を閉じる。アッズーロの匂いを感じるのも、三日振りだ。
(こういう感覚は、「懐かしい」と言うのかな……)
思考回路の片隅で分析しながら、ナーヴェは肉体を眠らせた。
(こやつ、食の好みだけでなく、ふざけ方まで、母上に似ているな……)
アッズーロは、さっさと眠りに落ちた宝に、溜め息をついた。母グランディナーレは、彼女が飼っていた鼠に餌をやろうとして指を噛まれた息子を、憐れむどころか、いつまでもからかい続けたものだ。すぐに薬を用意して、気遣い続けた父チェーロとは、正反対の性格だった。
(さて、明日から、どうするか……)
アッズーロは、自らが持ち込んだ油皿の灯火が微かに照らす天井を見つめ、考える。この様子では、パルーデが連夜、王の宝を慰み者にしているという情報も正しかったようだ。
(「嫌なことがあれば、すぐに言え」と言うておいたのに……)
最初の夜に報告に来ただけで、昨夜、ナーヴェはアッズーロに接続しなかった。ゆえに、アッズーロは業を煮やし、行動に出たのだ。
また床板が動いた。出てきたのは、パルーデよりかなり華奢な人影。油皿も持っていない。
「陛下、パルーデは自室に戻り、従僕の一人サーレと同衾しております。他には特に何かする様子はありません」
少女の声が告げた。
「そうか。では、おまえも休め」
「御意のままに」
少女は答えて、すぐに床下へ姿を消した。
(全く、パルーデめ。従僕は全て情人か。「行儀」のよい「鼠」達だろうが何だろうが、虫唾が走るわ)
アッズーロは、険しく眉をひそめ、自らの肩に頭を寄せて眠るナーヴェを見遣った。
静かな寝息を立てて、安堵した表情で王の宝は眠っている。その顔が、三日前に比べ、目に見えてやつれている。
(馬鹿者め)
触れた体も、骨が浮いていて痛々しかった。
(そもそも痩せておったのに。われがせっせと食わせて、せっかく少し太らせたものを、パルーデめ)
ナーヴェをパルーデに触らせることには嫌悪感しかないが、約束であれば拒否できない。
(とにかく、可及的速やかに、草木紙生産を軌道に乗せるしかない)
そうすれば、ナーヴェを王城に戻らせることができる。
(レーニョに命じて、あらゆる手を講じさせ、作業を急がせる)
アッズーロは決意すると、目を閉じた。慌ただしい一日だった。途中からは、木材を運ぶ荷馬車の荷台に潜んできたので、体もあちこち痛い。
(しかし、このようなもの、そなたの苦痛に比べれば、な……)
少し身動きすると、頬に、ナーヴェの髪が触れた。髪は、相変わらず滑らかで、柔らかい。
(そなたは、王の宝、われの宝だ――)
アッズーロは、胸中でそっと呟いた。
「こんな遅くにどうしたの……?」
暗闇の中から問われて、ルーチェはびくりと体を強張らせた。
「ソ、ソニャーレ、まだ起きてたの……?」
相部屋のソニャーレは、主に城の清掃を担当している従僕だ。胡桃色の髪に白い肌、空色の瞳をしているので、ピーシェやサーレ同様、パルーデの部屋へ呼ばれることもある少女だ。ルーチェはまだパルーデの部屋へ呼ばれたことはないが、この任務が長引けば、いずれはそういうこともあるだろう。とりあえず、ルーチェは無難な答えを選んだ。
「ちょ、ちょっと冷えたから、お手洗いへ」
客間や主人の部屋に手洗いはあるが、さすがに使用人部屋にはない。夜中だろうが、厨房の向こうにある便所まで行かねばならない。
「だったら、油皿持っていけばいいのに」
ソニャーレに指摘されて、ルーチェは自分の寝台に上がりながら、言い訳した。
「灯りを点けたら、ソニャーレを起こしちゃうと思ったから。月明かりがない訳じゃないし……」
「結局、物音で目が覚めたわ」
ソニャーレは冷ややかに言うと、静かになった。どうやら、追及は終わりらしい。
「ご、ごめんね。おやすみ」
ルーチェは、掛布を被って、目を閉じた。暫く通路や廊下にいたので、本当に体が冷えてしまっていた。
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