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第1章 Rain of Hail

29.「路地裏の血濡れ獅子」

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 今から20年以上は前のことらしい。
 中東の戦争で難民となった女性とともに、一人の下級兵士が平和従事活動から抜け出したという。
 軍にとって大した損害にはならなかったそうだが、テロリズムか、はたまた愛か、ともかく「何か」が彼を狂わせたようだ。

 彼の名をレオ、という。
 駆け落ちの挙句、連続強盗殺人犯としてその生涯を終えた……という噂は、国連軍の間で多少は有名だった。

 これはさらに後で聞いた話だが、彼の死後、路地裏で血塗れの男が徘徊する姿がよく見られたらしい。
 まあ、治安の悪い土地柄なら、どこかのチンピラを見間違えただけかもしれないけれどね……。



 ***



「引き金を軽く鳴らす音で呼んだ……って、ええ……」

 先ほどレオが飛び出してきた時、空砲を鳴らしたのは合図で、呼んだのは引き金を鳴らす音だとカミーユが(いつもの遠回しな口調で)説明して来た。
 うん、どんな耳だよ。

「……あれ?君、髪そんな感じだった?」
「あ?おい、ひょっとしてハゲてるとかじゃねぇよな?」

「赤毛の娼婦」の時のような感覚だけど、なんだろう、こいつの場合危機感がまったくない。

「あー、気にしなくていいよ。あ、あとそいつが「路地裏の血濡れ獅子」ね」

 そしてさらっとやばいことを言われた。
 ……え、このバカそうなチンピラが?でも、確かに耳が良かったり組み伏せた時の動きが素早かったりあったし……大仰な名前も、有り得るのかも。

「さて、と、そろそろこの街についてしっかり教えないといけないかなって。歩きながらになるけど」
「何ですぐ教えてくれなかったの」
「だって、物事は知れば知るほど深みにハマっていくものじゃない?」

 なんでこう思わせぶりな言い方するのかな、こいつ。

「……つまり?」
「あー、君を逃がしたくない人がいる可能性って、どれくらい考えてた?もちろん、逆も」
「ええと……僕を逃がしたくない人がいて、僕が色々知った以上もう逃げられない段階にまで進んだよって言いたいの?」
「まあだいたいそういうことだね」

 ひょっとしたら説明が下手なのかもしれない。
 ……ん?なんか打撃音がしたような。

「この街はね、人間の欲望や憎悪と言った感情……基本的には、マイナスのエネルギー、かな。そういったもので構成されてる」

 呪われた土地だと言った、「レヴィ」の声を思い出す。

「そしてここに人を呼ぶのは、あらゆる悪意が渦巻く中での、さらに強い意志」
「……僕を、ここに呼んだのは……ロー兄さん、だよね」
「……そうだね」
「それほど兄さんは、僕が……憎かったのかな」

 思わず、声が震える。カミーユは少し黙って、自分の携帯電話を取り出した。
 保存されたメールを開いて、僕に見せる。

「どうして、「RかAの頭文字に気をつけろ」なんて言ったと思う?」
「そりゃあ……危険な人の心当たりが……」
「なんで逆に考えないの?「それ以外の人間なら君に危害を加えない」って指標でしょ?」

 なんで、と言われても……とは思ったけど、確かにそう解釈もできる。「この人間を疑え」という前提に、当てはまる数が多ければ多いほど、「そうじゃない人間」が際立ってくる。

「ローランドくんだって、「Roland」だし、頼りになりがちなレヴィくんも「Levi」はともかくとして苗字は「Adams」、他にも「Adolf」だっている。そして……君も、「Robert」だよね」

 確かに、ロー兄さんはあの様子から見て不安定だし、レヴィにも瓜二つのよくわからない存在が影を落としている。アドルフは保身に走る可能性もあるし、僕自身も知らない間に乗っ取られるかもしれない。……たった一人なら判断を誤る可能性も高かった。
 と、なると、

「僕の名前は?」
「……「Camille-Chrétien Barbier」」
「そういうこと。それで、罠に嵌めるつもりなら最初から「彼を頼れ」ってやばい人の名前を書くはずだと思わない?……ハリ……じゃない。ロナルドとか、君と知り合いみたいだし」
「確かに……。じゃあ、なんで僕は呼ばれたの?」

 誰よりも近くにいたはずの人のことが、わからなくなっていく。
 ……違う。本当はずっと、わかっていなかった。

「……憎しみがないわけじゃないかな。レヴィくんも安全圏ではないし、Adamsっていう「父方の姓」を名乗らなければ警戒心も緩んでた可能性は大いにある。でも、少なくとも恨みとかそんなのだけが理由じゃないとは思う」
「……危険な呪われた場所に、僕を呼ぶ理由……って……?」

 そこで、カミーユは言葉を続けるのをためらった。
 けれど、意を決したのか、海のように蒼い瞳が僕を捉える。

「助けてもらいたいからじゃないの?」

 また、耳の奥で雨の音が響き始めた。



 葬儀の後、重い足取りで家に帰った僕を出迎えて、ロー兄さんは何事も無かったかのように「ただいま」と笑った。

 列車に胴体を寸断され、激しい苦痛の中泣き喚き、自分の肉体を目にした途端、むしろ穏やかな表情で息を引き取ったと、

 そんな壮絶な最期を忘れさせるような、綺麗な笑顔だった。
 けれど、そんな悲惨な最期こそ、忘れてはいけない事実だった。



「……おい、いいか?」

 思考を中断させたのは、レオの声だった。……思ったよりおじさんなんだな、この人……と思った途端、外見が揺らいだ。

「君が助けたいのは誰だ?」
「……?ロー兄さん、だけど」
「……それ以外はどうでもいいのか?」

 赤い短髪から覗く緑色の瞳が、僕を射抜くように見据えて、

「やめておきなよ、「アダムズさん」」

 カミーユの言葉で、ふっとそらされる。

「……この先、君は他にも「救いたい人」に出会うかもしれない。それでも君がやるべきことは……ローランドくんを、救うこと、だから……他のことに気を取られるのは、愚の骨頂。誰かを救うなんておこがましいこと、簡単にできることじゃないんだから、変に手を出して立場を危うくするのは得策じゃない……と、僕は、思うよ」

 苦々しく吐き出される言葉は……あまりにも正直だった。
 思えば、「調書」に書かれた毒舌も、率直にものを言い過ぎる彼の性格を示していたように思う。
 ……一応、気遣ってくれてはいるから、変な話し方になるのかも。

「……ブライアンくんって誰?」
「え」
「メールに、レヴィくんの名前と一緒に書かれてた。助けて欲しいって文面で」
「…………僕の弟、だけど?」
「助けて欲しいんだよね?君……いや、「君達」には、助けたい人がほかにいて、今は手詰まりに近い状況なのかな」

 僕の中にいるコルネリスが、僕の決心を後押ししてくれている気がした。

「頑張るよ、僕……いや、「僕達」は、この土地の闇を払う。例えどんな理由があったとしても、ここに満ちているのは負の感情。……このままにはしておけない」

 唖然とするカミーユの横で、褪せた金髪の、壮年の男が口笛を吹く。

 殴打された黒い塊が、霧のように霧散したのが見えた気がした。

「いいねぇ!オレはそんぐらいなんつーの?大口叩けるやつのが好きだぜ?頭でっかちのゲージュツカよりな!」
「はぁ!?何も考えてない脳みそスッカスカなバカには言われたくないんだけど!?」

「レオ」に激昴した様子を見せつつも、明らかにカミーユは狼狽えていた。

「……ロバートくん。君の目的は、自分の闇とか過去とか周囲とか業とかに向き合って間違ってると感じた事柄を正し、然るべき日常に向かうことなんだよね?ならほかのことに気を取られてる暇ってないんじゃない?」

 ……彼、心配してくれてたんだ。疑って悪いことし……いや、でも疑われても仕方ないよねこの人の言動。

「レニーが言ってたんだけど、この街には深い因縁が絡んでるんだよね?そこにロー兄さんが深く関わってるなら、根本から絶たないと一番救いたい人も救えないよ」
「…………確かにそうかもしれない。言われてみたら一人を救ったところで引き戻すような一種の詐欺めいたファクターが既にこの現象に孕んでいるとしたらそれこそ」
「うん、何言ってるかわからなくなってきたから黙ろう?」

 僕の目的は最初から変わらない。
 起きていることを「知って」、その事象を「変えること」。
 その目的は、怒りで我を忘れていたコルネリスにとっても同じだったはずだ。

「じゃ、そいつは仲間ってこと?」
「目的も合致してるし、そうなるかな。君、霊感全っ然ないからわからないと思うけど、2人ね?」
「アレだろ?オレにもあいつがいんじゃん?似たようなもんだろ?」

 なるほど、レオにも取り憑いてる人がいるのか。……「アダムズさん」ってカミーユがわざわざ言ったってことは、僕にとっては脅威になるかもしれないってこと、かな。

「オレはレオナルド。……言ってたっけか?まぁいっか!レオって呼んでくれや。……苗字なんだっけ?オレの」
「ビアッツィね?イタリア人ってそういうの気にするんじゃないの?」
「どうでもいいだろ、んなことよ。オレがイケメンってことのが大事じゃね?」
「むしろ何が大事なのそれ」

 …………なんだろう。とても、先行きが不安だ。
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