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第1章 Rain of Hail

22.「殺人絵師」

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 芸術に関する都市伝説も、世の中には多い。
 絵画の目が開いた、ピアノが勝手に音楽を奏でるなどの話は怪談話として定番と言ってもいい。
 それだけ、人は「何かを創造する行為」に、敬意だけでなく恐怖を抱いているのかもしれない。

 そして、その中には、こんな噂もある。

「その作品を見たものは、呪われる」



 ***



「あ、起きた?」

 目を覚ますと、見たことのない家にいた。少し広めの、一般家庭のリビング……だと思う。
 電気はついているのにどこか薄暗く、生温く背筋を撫でつけるような空気が漂っている。

「久しぶりだね。まあ、僕とは世間話しかしてなかったけど。そろそろ自分の立場はわかった?」

 頭の上から、蒼い瞳が僕を見下ろして話しかけてくる。
 ……頭が痛い。どうやら、ショックで倒れてここに連れてこられたらしい。

「……カミーユ……」

 ソファから体を起こし、背もたれからニコニコと見下ろすそいつを睨む。……と、なぜかなんとも言えない笑みを浮かべられた。

「いいね、その顔」

 隠そうとして隠しきれない薄ら笑い。
 あ、こいつも性格最悪だ。

「正直なところ、僕は君の安全を優先させたかったんだけどね。君、ビビリなのに好奇心は旺盛だから」
「……僕、君のことそんなに信用できない」
「そんなに、じゃないでしょ?ちっとも、だよね」

 ……よく分かってるじゃないか。しかも、何でちょっと嬉しそうなんだ。

「……君も、噂になってるでしょ」
「何なら、噂の一覧書き出してるから見る?」
「フェイクとか混ざってそう……」
「君の中の僕の印象は良い方向に見積もっても、「頭のおかしい不審者」って感じかな?」
「うん、性格悪いのと、こんな状況じゃなかったらあんまり関わりたくない……も付け足しといて」
「……君もなかなかいい性格してるよね」

 よし、ちょっと不機嫌な顔にできた。八つ当たりなんかしても何の意味もないけど。

「……さすがに結構堪えたみたいだね。まあ、レニーさんもやりすぎたって言ってたけど」

 やっぱり知り合いだったのか……。いや、そうだと思ったけど。
 しかもさん付け……あのガキほんとにいくつなんだ……?

「まあ、僕が信用出来ないならレヴィくんに頼んだら?」
「……うーん、やたら細かそうだけど、そっちのがだいぶマシかな」
「あー、A4サイズのコピー用紙にびっしり印刷してるね。体裁は整えられてるしまあわかりやすくもあったけど、僕は3枚目で投げた」
「へ、へぇ……」

 論文を読んでるって思えばいけるはずだ。たぶん。
 ……というか、そこも知り合いなんだ。変人同士って、波長が合うのかな……?

「でもさ、君もこの街にそこそこ滞在してるんだし、多少は心当たりあるんじゃない?」
「……君、絵描きなんだよね。……「悪魔」と「女神」って絵、描いたことある?」
「ああ、それ?……10年くらい前だったかな、描いたの」

 サラッと肯定したよ。っていうか、この人もいくつ?
 ……信じたくない。あんなすごい絵を描く人がコレって、何かやだ。

「人間性と作品は分けて考えるべきだけど、結構そういうのができない能無しが多くてさ。ほんと困るよね。……人間性に関しても、せめて顔面と性格ぐらいは分けて考えて欲しい」
「今僕のことも能無しって言った?」
「君に限らないから安心して」
「全然安心できないよ!?後さっきから心読んでる!?」
「いや、顔に出てるし」 

 この人、人の神経を逆撫でする才能でもあるのかな。

「とりあえず、レヴィくんやレニーとは仲間なの?」
「仲間ではないかな。レヴィくんの方とは協力関係。レニーさんとは……何だろうね。たまにポーカーとかする仲」
「……ふーん」

 ちょっとどんな風にポーカーするのか気になったけど、そこを気にしてる場合じゃない。
 ……思い出してしまったからだ。

「……Sangって絵描き、「キース」の記憶にはなかったみたいだけど、僕は知ってる。ネットで有名だよ。呪われてる絵描きみたいな感じで」
「えっ、嘘。何それ?」
「熱狂的なファンの中には、自殺者も多いって噂。その絵に込められた思念のせいだとかなんとか言われてる」
「あー、はいはい。それ逆だよ」
「逆?」

 何その、「またその手の発言ね」みたいな顔。ムカつく。

「元から心に闇を抱えてるから、僕の絵が好きになるんでしょ。人生において自殺するほどの悩みがあるって可能性を視野に入れないと」

 ……そして腑に落ちてしまったのがまた……もう、何だろう。腹立たしい……
 と、彼が突然クスッと笑った。

「僕のこと嫌い?」 

 何その質問。もうこの人意味分かんない。

「はっきり言うけど、好かれる性格だと思ってたらそれこそどうかしてる」
「んっ」

 ……は?
 今の「んっ」の語尾にハートついてたように感じたの気のせいだよね。いや、頼むから誰か気のせいだって言って。

「最高……っ、すっごくゾクゾクくるよその嫌悪感……っ」

 ……気のせいじゃないよねこれ。
 待って?睨んだ時にこいつ、いいねって……あれ?

「……君、人が嫌がる顔好き?」
「むしろ喜ぶ顔のが好きさ。ただ、そういうドン引いた顔もやばい」

 やばいのはお前だよ!!!

「君の助けにもなりたいんだけどさ……ほんと、僕が一生懸命秘めてる被虐欲を何でか知らないけどくすぐってくるのもあって、冷静に話すのがちょっと難しくて……そこは、うん、ごめん」

 いい笑顔で言うな。

「で、たぶん君が僕と深く関わるのを拒んでるのは、信用云々以前に、何となく受け付けないからだと思うんだよ。どう?」
「…………生理的に無理って、こういう感情なのかな……」
「……やめて。ちょっとその言い方と侮蔑の瞳に何か変な扉みたいなの開いちゃいそう」
「もう既に全開だと思うよ!!!」

 思わず叫んでしまった。もうやだこいつ……何なんだよこいつ……

「……ちょっと傷、癒えたみたいだね」
「は?」
「さすがに目も当てられないくらい落ち込んでると思ったからさ。怒りはある程度の苦痛の発散にはむしろ重要で、そうやって感情を叫ぶことで得られるカタルシスもあるってこと」

 えーと、もしかして僕……心配されてた?

「……君、意外に優しいの?……まさかね」
「僕は優しくなんかないよ。君の鬱屈した負の感情にある種の共感を得たから、少しお節介を焼いてみただけさ。それで多少でも「救われた」と感じるかどうかは君次第だけど」

 何を言ってるのか相変わらず分かりにくいけど、でも、どこかあたたかく感じる。

「…………確かに、救われた……かも」
「……そっか」

 あれ、今の笑顔……。すごく、優しくて、まるで……、
 ……兄さん、みたいな……

「暗くなる前に帰りなよ。まあ、君の拠点が安全とも限らないけどさ」
「……泊まる。今日は疲れたし」
「ほんとに末っ子気質なんだね。……いいよ。特に何もしてあげられないけど」

 困ったように笑う表情には、やっぱり美形ならではの甘さがある。……美形とか、それだけが理由じゃなさそうだけど。

「君って、本当によくわからない」
「人間なんてそんなものさ。わかってるなんて思わない方がいいよ。……あ、わからない恐怖に怯えるのも悪くないかもね?」
「あー、うん。変態なのはよくわかった」
「……そこはわからなくてもいいんじゃないかな」
「……ありがとう」

 彼は一瞬ぽかんとして、

「どういたしまして」

 なんの嫌味も含みもなく、ごく自然にそう言った。

「君には、この街がどんなふうに見えてるの?」
「最初はカナダのモントリオール。ちなみに今は日替わり」
「……楽しそうだね、それ」
「楽しいしお得だよ。風景画も描いてるから、まあ時間のある時にでも見てよ」
「……うん」

 彼は狂人で、変態で、話していると腹が立つことの方が多い。
 ……それは変わらないし、これからも彼には苛立たされると思うけど、それでも、

 優しい人だなと、思った。



 ***



「どうしたのカミーユ、泣いてるの?」
「……ごめん、ちょっとね」

 子供のような声で、「彼」が顔を覗き込むように話しかける。

「今日は寝たら?あの子の行く末をあなたが案じても、何にもならないわよ」
「知ってるけどさ……」

 ノエル・フランセルは、心配そうに彼の右肩に手を置いた。

「キミたち、分かっていないね。カミーユはこの苦しみの中でこそ、いいアイデアを引き出せるのに」
「確かに描きたいけど、ちょっと今はキツイよ……」

 ハナノサワは、相変わらず愉快そうに語りかけている。

「そうよ、描きなさい。カミーユ」
「……そうだよね。君ならそう言うと思った」

 そして、エレーヌがいつものように背後から抱き締める。

「……ねぇ、君は、ロバートくんの味方になってあげるの?」

 カミーユは顔を覆ったまま、壁際にいる男に声をかけた。

「…………早く寝ろ。健康を害するぞ」
「僕には健康も何もないよ」
「37歳なら、そろそろ脳の衰えも心配しておけ」
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「うーん。どちらにせよ、ほとんど幽霊だけどね」
「この場所で生や死など、あってないようなものだがな」
「……僕、ロバートくんのこと気に入っちゃってさ、彼……このまま逃げた方が幸せだと思うんだけど、どう思う?」
「…………その幸福には、反吐が出るな」
「……そう言うと思った」

 ワタシは、彼ら「罪人」を赦さない。
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