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第3章 Hatred at the Moment

27. 愛憎

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 キースが言っていた通り、失われた腕はなかなか形を取り戻さない。
 マノンは非現実な光景を目の当たりにしたからか、さっきから押し黙ったままだ。

 ……と、レニーが扉を開けて入ってくる。

「大体のことはエリザベスから聞いたぜ。大変だったな」

 こんな状況ですら、レニーはにしし、と笑い、余裕たっぷりに佇んでいる。
 それが、なんだか頼もしかった。

「……ヴァンサンは?」
「気を失ったままだよ。起きたら言えって、兄弟に伝えてあるぜ」
「そっか……」

 これからどうなるのか、何をすればいいのか。
 分からないことだらけだけど、とにかく前に進むしかない。

 ヴァンサンを救いたかった、と、ポールは語った。
 ……私の、ヴァンサンに対しての憎しみがなくなったわけじゃない。

 それでも……私はポールを愛していたのに、彼の望まないやり方を選んでしまった。
 どこかでわかっていたはずなのに、ポールがどんな人かって、完璧でなくたってわかっていたはずなのに、私は「復讐」の方を選択した。

 彼を、悲しませてしまった。

 間違っていたのか、間違っていなかったか。……本当は、そんなことどうだっていい。
 少なくとも、あれは私にとって、ポールを余計に苦しめるなら意味がない行為だった。

 ……私は記者だ。その矜持を犠牲にしてまで、私は「復讐」を選んだ。
 だからこそ、彼は「僕のせいだ」と嘆いたんだろう。……ごめんね、ポール。
 それでも、まだ許せない。ヴァンサンを壊したのも、あなたを死なせたのも、結局はあの人なんでしょう……?

「ねえ、聞いてるの?」

 マノンの声に、はっと我に返る。話しかけられていたのに、ぼーっとしていたらしい。

「ご、ごめん! 全然聞いてなかった!」
「……だろうね。別に、こっちとしてはどっちでもいいし、気にしないで」
「えっ、そんなこと言われたら気になるよ!?」

 マノンはめんどくさそうに私を睨み、投げやり気味に語った。

「ぼーっと待ってても埒が明かないし、調査に行くのもありなんじゃないの……って、言ったの」

 その提案には、びっくりするしかなかった。勇気がある……というよりは、無謀なだけのようにも思える。
 そんなに積極的な人にも見えないのに……いったい、どうしたの?

「……い、いやいや! 危険でしょ!」
「でも、ここだって安全とは限らないでしょ。殺人鬼も近くにいるんだし」
「う、そ、それは……」

 って、もしかしてそれ、「ノエルみたいなやつがいる場所にいたくない! 私外に行く!」みたいなノリだったりする?
 やっぱり、めちゃくちゃ危険じゃないの……? 冷静に判断してだとは、ちょっと考えにくい。

「あ、わかった。もしかして……イライラしてる?」
「あ?」
「ごめんなさい」

 ほら、イライラしてるんじゃん……。

「誰がイライラしてるように見えんだコラ」
「むしろ、そうにしか見えないよ!? 落ち着いて!?」

 私の言葉に、マノンはチッと舌打ちをして黙り込んだ。
 き、気まずい……。っていうか、気まずいから気分転換したがってるのかもしれない……?

「れ、レニーさんに何か聞いてみようよ! 無理に出なくたって、情報収集はできるし……!」

 私が提案すると、マノンはレニーの方を見た。
 レニーはというと、古びたトランプを弄びつつ、キースの腕をまじまじと観察している。

「……ポーカーでもやろうって言われる気がするけど」
「聞いてみなきゃわかんないじゃん!! レニーさーん!!」

 私が声をかけると、レニーは「ん?」とこちらを向く。

「どうしたシニョリーナ。ポーカーでもしたくなったのかい?」

 ああ、うん、マノンの言うこともだいたい当たってた。当たってたけど、問題はここからだし!

「れ、レニーさんって、結構物知りだし、何か知らないかなーって」
「何かって?」
「え、ええっとーそうだなあー! えっとぉおおおお」

 隣でマノンのイライラが高まっているのを感じる。助けて、この人怖い。

「そ、そう! マノンがエレーヌについて知りたいって! 知ってる?」

 知ってる可能性低くない? って思ったけど、聞いちゃったものは仕方がない。
 どのエレーヌだ? って聞かれる気もするけど、私はエレーヌの姓を知らない。ぶっちゃけ、ポールの元カノだってことしか知らない。……すっごく個人的な感情だと、あんまり知りたくない気もする。

「エレーヌ・アルノーか。そういやダチだったんだっけか?」

 知ってたぁあああ! さ、さすがレニーさん、物知り! 少年らしからぬオーラは見間違いじゃなかったんだ……!

「カミーユの彼女だろ? ポーカーで勝った時に、色々聞き出してるぜ」
「……そういや、最後に付き合ってたのはカミーユだったっけ? 別れたのか別れてないのか微妙な感じだったけど」

 マノンは思い出したように言い、レニーは手癖なのかトランプを弄びつつ、眉をひそめる。
 ためらうような沈黙を隠すよう、シャッフルの音が響いた。

「お前さん、ひょっとして知らねえのかい?」
「……何が?」
「エレーヌがカミーユを殺そうとして、逆に殺されたってことだよ」

 マノンは「え」と、声にもならないような声を吐き出し、固まった。
 さっき、ノエルに殺されたって聞いたけど……何となく、納得できた。
 ロデリックの本に書いていたのは、やっぱり、エレーヌたちのことだったんだ。

「ノエルはカミーユの罪を被って死んだんだ。……アイツなりに、親友を想って命の使い道を選んだんだろ」
「……待ってよ。ノエルは殺人鬼だけど、エレーヌは普通の子だよ。そんなの……」
「真面目すぎんだよ、お前さんはよ。頭が固いとも言う。人の心がねぇ殺人鬼でも誰かに友情を感じることはあるし、平凡な人間でも何かをきっかけに狂うことがある。そんだけの話さ」

 カミーユとエレーヌ。ポールの記憶でも、少しだけ情報は出てきたはず。
「相性が良くない」と、ポールが評していたような……。

「お前さんにも心当たりがねぇかい? エレーヌがある日を境に色恋を『楽しまなくなった』、もしくは『楽しめなくなった』……そんな姿を、見てなかったか?」
「……そう、いえば……『恋ってろくでもないのね』って……」
「そうさな。ありゃ、どうしようもなかったろうよ。……お互いに愛せないくせして、愛されようと望んじまったのさ」

 マノンはしばし無言で立ち尽くし、「……そう」と呟いた。

「馬鹿だよ、あいつ。……やっぱり、馬鹿だ……」

 噛み締めた唇から、嗚咽が漏れる。

「何もかもが手に入るわけ、ないんだからさ……ちょうどいいとこで、諦めときゃ良かったのに……」

 ぼろぼろと、大粒の涙が頬を伝って落ちる。

「なんで……なんで、全部壊してまで、欲しがるんだよ……! そんなに『愛』ってのが大事!? 私にはわかんないよ……!!」

 慟哭がせきを切って溢れ出す。
 抑えきれない悔恨が、嫌でも伝わってくる。

「ほんっと、救いようのない馬鹿!! 私は……私なら、そんな馬鹿女でも、いくらでも仲良くしてやったよ。見捨てたりなんてしないよ。だからさ……話してくれたって、良かったのに……」

 マノンの哀惜に共感しながらも、私は、エレーヌの気持ちもなんとなくわかってしまった。
 エレーヌは、理屈も現実も何もかも投げ捨ててしまうほど、誰かを求めてしまった。……その感情は、同じく「恋に呪われた」ことがなければ、決してわからない。

 どんな代償を払っても、どんな瑕疵かしを引き受けても、どれほど報われる未来が見えなくても、それでも求めてしまう。……身を焦がすほどの、苦しい想い。
 まあ……「殺意」に変わってしまうのは、私にも理解できないけどね。

「……お前さんのダチも大概悪女だったが、お前さんは大事に思ってた。そういうモンだよ、人間ってのは。『正しさ』ばっかりに囚われなさんな」

 レニーはマノンの慟哭の中に「何か」を見たらしく、キースの方にも視線を投げる。

「おい、なんで僕を見たんだ?」
「ここに囚われすぎて大失敗した見本がいる。良けりゃ参考にしな」

 親指でキースの方を指しながら、レニーはにやりと笑う。

「待て。指でさすのはやめろ。それに僕は正しさ自体を間違いだとは思わない。大事なのはどう発露するかだ」
「……だ、そうだ」
「それに、正しさという基準は曖昧で、時と場合によって姿を変える。自分の視点だけで凝り固まってはならない……と、今ならわかる。必要なのは他人の正義とどう折り合いをつけるかであって」
「はいはいはい、後でキッチリ聞いてやっから、熱くなんじゃねぇよ。どうどう」

 身を乗り出すキースを手で制しつつ、レニーはやれやれとため息をつく。
 ……なんだろう。体格を見れば大人と子供なのに、レニーのほうが年上に見えてきた。……あれ? 年上なんだっけ?

 マノンはしばらく押し黙り、ぽつりとぼやく。

「エレーヌは? 本人に会いたい。なんでそんなことしたのか、なんで私に話してくれなかったのか……直接、彼女から聞きたい」
「……お前さん、エレーヌが『ここ』にいると思ってんのかい?」
「だって……人殺しまでするわがままで欲深い奴が、あっさり諦めて死んだりする? そこまでやって手に入らなかったなら、手に入るまでしつこくするはずだよ」
「確かに、話を聞いた限りじゃエレーヌは欲深くてしつこい女かもしれねぇな。……だけど、どうやら満足はしちまったらしいぜ」
「……ッ。そう、か……あの絵……」

 何かを察したように、マノンは唇を噛む。
 レニーの説明は、私にはよくわからない。……でも、それは私が、彼女らにまつわる因縁を何も知らないからだ。

「ずるい、ずるいよ……ノエルも、エレーヌもずるい。悪人のくせして……死んでなお理解されて、死んでなお欲しいもの手に入れて……ほんと、なんなんだよ……ッ」

 ……きっと、マノンは根っこがすごく真面目なんだろう。
 理不尽を認められないから、憤る。理不尽がまかり通ることを認められないから、心が荒れる。
 だけど、それと同時に、マノンはエレーヌが友人として大好きだったのだと思う。

 だから、存在するかもわからない「真実」を欲しがる。
 そこに、納得のできる「理由」を求める。
 本当は理解できていることですら、感情がいつまでも納得させてくれないから。

「……マノン」

 どうしてそこで声をかけたのかどうか、私にもよくわからない。
 でも、どうしても放っておけなかった。

「考えても仕方ないし、別の話でもしよ! 恋バナとかどう?」

 ポールの話をしたら情報交換にもなるし、結構アリかも。……なんて、思ったんだけど……

「……私……恋バナって死ぬほど嫌いなんだよね。陰口のほうがよっぽどマシ」

 ……。
 うわーん……。やっぱりこの人、怖いよぉ……。
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