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第2章 Pray for Visit

15.「キース・サリンジャー」

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「ポール!!」

 床に倒れたポールに走り寄る。ポールは軽く呻くと、重そうに身体を持ち上げた。
 顔や首元に亀裂が走っていて、ボロボロと破片のようなものがこぼれ落ちている。

「……芸に携わる者は、肉体を補えることも多いんだったか」

 金髪の青年は茶色い瞳をポールの方に向け、歩み寄った。

「だけど……君の場合は表面だけみたいだな。憑依先を探そうとは思わなかったのか?」
「憑、依……?」

 苦しそうに荒い息をつき、ポールはゆっくりと顔を上げる。
 亀裂の走った「表面」は次第に回復していくけれど、なかなか元の姿には戻らない。

「……あなたは誰?」

 あたしが聞くと、青年は「申し訳ない、名乗り忘れた」と姿勢を正し、こちらの方を見た。

「僕はキース。一応、今はキース・サリンジャーと呼んでくれ」 
「……一応……?」
「少し事情があってね。本名を明かせないんだ」

 それだけ言うと、キースは起き上がれないポールの方に向き直り、すっと膝を折る。

「オリーヴ、マノン以外にもう一人、この空間に迷い込んだ人間が見つかった」
「……それを、どうして……ぼくに……?」

 ポールの問いには答えず、キースは続ける。

「彼は他の生者ふたりと違い、半死半生の状態で現れた。……なんでも、自殺を図ったらしい。殺した兄の声に呼ばれたと主張している」
「……え……?」

 殺した兄の声に、呼ばれた。
 それって……まさか……。あの「記憶」と関係があるの……?

「おいで、と言われたのだとか」

 キースの言葉に、ポールはヒュッと息を漏らした。

「そんな……嘘だろう……?」

 目を大きく見開き、固まっている。

「……まあ……もし君が故意に導いたとしても、殺された君には復讐の権利がある……という考え方もある。それに、罪状を判断する権限は僕に与えられていない」
「……ぼくはそんなつもりじゃ……。……ヴァンサン……どうして……」 

 ポールはかたかたと小刻みに震えながら、消え入りそうな声で呟く。キースに反論している、というよりはひたすらショックを受けているようで……見ていられなくなって、二人の間に立ち塞がった。
 どうしてかは私にも分からない。……だけど、どうしても放っておけなかった。

「やめなよ。こんなに苦しそうなのに、まだ追い詰めるの?」

 キースは茶色い瞳を一瞬だけ私の方に向け……気まずそうに伏せる。

「人は、人を騙すものだ。……どれほど信じたくても、僕は疑わなくてはいけない。それが秩序を守るということだから」

 彼には彼なりの立場がある。……それは、わかる。仕方の無いことだ。
 だけど……私だって目の前で震えているポールを見捨てたくない。

「ポール、大丈夫?」

 私がポールに手を差し伸べるのをしり目に、キースはすっくと立ち上がり、しっかりとした口調で語り続ける。

「ともかくだ。疑わしくとも僕が罰することはできないし、逆に信じて放免するわけにもいかない。……その代わり、真実が明らかになるまで君達を守るよ。それが、僕の贖罪にもなるからね」

 ポールは差し出された手を呆然と見つめ、やがて、握ってふらふらと立ち上がった。
 胸にはまだ、大きな穴が空いている。その奥には黒々とした闇が広がっているようにも見えたし、何もない空洞のようにも見えた。

「ヴァンサンは……?」

 言外に込められた意味を察してか、キースは静かに頷く。

「傷の具合からして、長く放置すれば危ないだろうけれど……ここは時間が止まっている。まだ手遅れではないよ」
「……会うのは……厳しいかい?」
「残念だけど、それは許可できないな」
「そっかぁ……」

 ポールは項垂うなだれつつも、口角を持ち上げる。

「じゃあ、仕方ないね」

 私には、それが……あまりにも痛々しい笑顔に見えた。

「……さっきの襲撃で、少し『持っていかれた』かもしれない。どうしても『自分』を保てなさそうなら、憑依する器を探した方がいい。……相手に許可を取ることも忘れずに」

 キースの忠告に、ポールは「うん」と力なく頷く。
 ……かなり堪えてるみたいだけど、大丈夫かな……。

「ところで、さっきの影は……?」

 私が尋ねると、キースは難しそうな顔で腕を組む。

「正体や原因、被害についてはまだ調査中だ。ただ、ずいぶんと暴れ回っているのは事実らしい」
「そ、そうなんだ……」

 不安ではあるけれど、私にできることは限られている。とにかく、今は脱出方法を探さないと。
 ……と、気になったことがひとつある。

「マノンは? 無事?」
「彼女の方は、レニー達と行動を共にしているよ。安心してくれ」
「良かった……」

 レニー「達」ってことは、レオナルドもそこにいるのかな。
 戦力としては、むしろそっちの方が強そうかも。

「とにかく、レヴィの元に行こう。君の携帯電話も彼が保管しているから」

 キースの提案に、私は大きく頷いた。
 ロデリックと連絡がつけば、大きな突破口になるかもしれない。それなりに希望が見えてきたような気がして、ほっと胸を撫で下ろす。

「行こう、ポール」

 突っ立っているポールに手を差し出す。
 ポールは一瞬躊躇ためらったけど、やがて、「そうだね」と微笑んで私の手を握った。

 途端、指先がぼろりと崩れ、掴めなくなる。

「……あれ……?」

 ポールが呆然と呟いたのも束の間、消えたはずの指先は、何事も無かったかのように形を取り戻した。

「不安だろうね。肉体がないって」

 キースの声が響く。

「不安や恐怖、疑心は、容易く人を変える。……僕がそうだった」

 それだけ告げて、キースは先導するように歩き始めた。

「……ぼくは……」

 誰に宛てるでもない声が、虚空こくうに消えていく。
 立ち尽くすポールの姿が、記憶の中の誰かと重なった。

「死にたくなかった、だけなんだ……」
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