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第2章 Pray for Visit

13.「死者の呼び声」

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 暗闇の中を漂っているような感覚の中、「誰か」の記憶が見える。
 意識が流れ込み、「あたし」が遠くなっていく……



 ***



 また、電話が鳴り響いている。
 取ることができないまま、時間だけが流れていく。

 重い腰を上げ、ウィッグを手に取って鏡へと向かう。
 棚からピアスを2~3個選び、身につける。

 電話の音は既に止んだ。
 メール以外で連絡してくる人間とはほとんど関わらないし、問題ないだろう。

「ああ、ヴィンセント。今、いいかい?」

 鬱陶うっとうしくなって部屋を出ると、大家に声をかけられた。

「なんでしょう」

 時間は腐るほどあるので、話を聞くことにした。
 フリーランスのエンジニアをやっていると、余暇よかはある程度できやすい。

「実は知り合いがメタルバンドを始めたらしくてね」
「……はぁ」
「どうだい、興味は?」
「いえ……音楽は、あまり聴きませんので……」

 私の外見が「そういう音楽」を好むように見えるのだろうが……生憎と、あまり大きな音は好きじゃない。

「それは意外だな……。分かった、妙なことを聞いて悪かったね」
「大丈夫です。……では、私はこれで」

 会話を切り上げ、買い物へ。
 部屋に戻ると、電話がまた鳴り響いていた。

「……」

 非通知設定と、モニターには表示されている。
 恐る恐る手に取ろうとして……やめた。
 それでも電話は止むことなく、鳴り続ける。

「……ッ」

 嫌な汗が滲む。
 ただのいたずら電話だ。そう言い聞かせ、無視をし続ける。

 電話は鳴り続ける。いつも、こんなに続くものだっただろうか……?

「……。……どちら様ですか?」

 ついに根負けし、電話に出た。

『……良かった』

 聞き覚えのある声だった。

『出てくれないかと思った』

 そんなはずはない。有り得ない。
 どうして、「そいつ」の声が聞こえるんだ。

「ど、うして……」
『頼みがあってね。ここは暗くて、居心地が良くないんだ』

 平然と、「そいつ」は語り続ける。

『出して、くれないかい?』

 電話先にいたのは、私が殺したはずの相手だった。



 ***

  

 これ……誰の記憶だろう……?
 流れ込んできた意識が遠ざかっていく。
 大きく深呼吸をすると、指先に感覚が宿ったのを感じる。

 私はオリーヴ・サンダース。ケンブリッジ在住の29歳。……よしよし、ちゃんと覚えてる。

「……あれ……きみだけかい?」 

 目の前にいたのはポールだった。
 どうやら、マノンとレニー、レオナルドはどこかに行ってしまったらしい。

「そうみたいだね……」
「大丈夫かい?」
「ん、なんとか」

 そういえば、さっき、ポールの記憶らしきものも見えたんだっけ……。
 どうしよう。黙っておいた方がいいのかな。

「……ポールは、死者なんだよね」
「うん? ……ああ、まあ、そうだね」
「じゃあ……「彼」も、ポールみたいにどこかにいるのかな」

 私の言葉に、ポールは気まずそうに黙り込む。
 やがて、ためらいがちに話し出した。

「ぼくは……あらゆる亡者の自我に呑まれそうになりながら、それでも必死に『ぼく』を保った。……けど……」

 薄い緑の視線が、ちらりと私を見る。

「ふつうの死者は、そんなこと、できないと思う。よっぽどの執着心がない限り……もしくは呪われでもしない限り、こんなところにはいないよ」
「……。……そっか……」

「敗者の街」は、何も死者全てがいる空間じゃない。言ってしまえば、魂たちの空間。
 ……じゃあ、「彼」はこんなところにいない方が幸せなはず。そんなこと、ちょっと考えればわかるはずなのに……それでも、私は会いたかった。

「……酷いよね、私」
「えっ、何がだい?」
「会いたいって気持ちで、ここに引き寄せられちゃったはずなのに……あんなに会いたかったのに、私……忘れちゃったんだ……」

 ぽろぽろと涙が溢れる。ポールはおろおろと私を見つめて、何か、必死に言葉を選んでいるように見えた。

「えっと……きみのせい、とは……限らないんじゃ、ないかな……」
「……え?」
「なんだろう。例えばきみを見初めた『誰か』が恋人のことを忘れていて欲しくて、重点的にその人の記憶を消した、とか」

 しどろもどろになりながらも、ポールは私を慰める。

「例えばの話だよ? きみには恋人がいたし、死んでからもその人のことを忘れられなかった。……だから、入り込む隙間が欲しい『誰か』がいないとは限らない。きみは魅力的な女性だからね」
「……そっか」

 それが正しいとは限らない。
 本当は、私自身が彼の記憶を負担に思っていたのかもしれない。……それでも……

「ありがと、ポール」

「色んな可能性がある」って事実に、ちょっとだけ、気が楽になった気がした。
 ポールもほっとした様子で、穏やかに微笑む。

「なんなら、ぼくと新しい恋をしてみないかい?」
「……えー、そんなに早く切り替えられない」
「うん、だろうね。きみの恋人は幸せ者だ」
  
 その言葉に、胸がじわりと温かくなる。
 まあ、ポールは色男と呼ばれるくらいだし、きっと、女性なら誰にでも似たようなことを言うんだろうけどね。

「……ところで……あなた、ほんとに女性なの?」
「えっ、違うよ」
「んん? だって、男じゃないって言ってたよね?」
「ああ……。実はね、んだ。生まれつき、生殖機能が備わってないんだよ」
「そ、そうだったんだ……」

 ちょっと、複雑な事情を聞いてしまった気がする。
 ポールは苦笑しつつも、「気にしないでくれ」と言った。

「そうだね。……だからこそ……何か、後の世に残せるものが欲しかったのかもしれない」

 その声音には、確かな切なさが滲んでいた。
 ……もしかすると、それこそがポールをポールたらしめる執着心なのかもしれない。

「……。じゃあ……また、誰か探そっか」
「そうだね。今度は穴にはまらないよう、気をつけて」

 これから先、何が起こるのかは分からない。
 だけど……なんとなく、どうにかなりそうな気はしてきた。

「……彼が電話に出てくれたら、何か、変わるのかな」

 ……ふと、ポールが小声で呟く。

「えっ?」
「いや、こっちの話だよ」

 静かに笑って、ポールは歩き出した。

 ……電話、って……。

 流れ込んだ「誰か」の記憶が、脳裏によぎる。
 ……まさか、ね。
 嫌な予感を飲み込み、私も歩き出す。

 いつまでも鳴り続ける電話の音が、なかなか耳から離れなかった。
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