そして悪魔も夢を見る

譚月遊生季

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第1章 欲望と大罪

18. 亡失

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 「処刑人」達との戦いは沈静化し、生き残った住民達の避難も無事に終わった。
 避難民の誘導を終え、リチャードは場の空気が確かに緩んだのを感じる。

「ケリー」

 そう声をかけたのは、一息ついた雰囲気に流されてのことだろうか。
 リチャードは額の汗を拭い、ケリーに向けて手を差し出した。

「やっぱり俺ら、協力できると思う」

 その言葉に、ケリーは赤い瞳をわずかに見開いたものの、すぐにいつもの不遜ふそんな表情を取り戻した。
 アイリスは声をかけようかと悩みつつも、リチャードの弁舌を信じて成り行きを見守る。

「わしの話を忘れたか?」
「忘れてねぇよ。『傲慢』の欲望は他人がいないと満たされないって話だろ?」
「そうじゃ。わしは、わしとして存在するために他者の犠牲を必要とする。他者を弄ばねば、わしは満たされぬ」

 細められた赤い瞳には、悲哀や憐憫れんびんの色が隠しきれていなかった。
 生を奪われ死を奪われ、ヒトならざる「悪魔」と成り果てたものの、彼らはかつて人間だった。
 その残滓ざんしは、記憶を失ったケリーの中にも存在しているのかもしれない。

「だけど……ケリーの存在が救いになってる人もいるよな」
「下僕の話か? ……まさかお主、あれが、『救い』だとでも思っておるのか?」
「いやぁ、さすがに今の関係性はあんまり良くないと思うよ」

 リチャードは苦笑しつつ、ケリーの言葉に頷く。

「でもさ、可能性は見えたんだ」
「……可能性じゃと?」
「そうそう。ケリーってさ、頭良いだろ? それなら、上手いこと調整したらもっといい関係になれるんじゃないかなーって」

 その話しぶりに、ケリーのみならず近くにいたアイリスも大きく目を見開く。

「今までみたいに、崇められる存在でいていいと思うよ。俺は。……ただ、下僕さんのことをもう少しだけでも見てあげられたら、もっと良くなるんじゃねぇかなぁって。ホラ、健康とかさ」

 リチャードはちらりと避難したフリー達の方に視線を向け、ダメ押しのように続けた。

でいいんだよ。当然、ケリーならできるよな?」
「……む、無論じゃ!! できぬわけがなかろう!」

 リチャードの問いに対し、「傲慢」の悪魔はそう答える他ない。

「うんうん、下僕のために戦うのが上に立つ者だって言うなら、より長く崇めてもらうこともできるはずだもんなー」
「そのようなこと……できるに決まっておろう! わしは完璧かつ究極の美少女じゃ。更なる境地を目指すことなど、造作もないわ!」

 ケリーは胸を張り、「ふははははっ」と高笑いをする。
 そしてニヤリとほくそ笑むと、リチャードの方へ視線を向けた。

「当然、お主も手伝うのじゃろう?」

 願ってもない申し出だった。
 それこそ、雛乃がリチャードに見出した役割に他ならない。

「ああ、勿論。出来る限り協力する」
「はっきり言いおったな。途中で投げ出させたりはせんぞ!」

 ケリーはリチャードの手を握り、赤い視線と翠の視線が重なる。
 それが「幻影」かどうか、リチャードには判別がつかない。ただ、リチャードの手のひらにはしっかりと握手の感触が残された。

「アイリス。これでわしを友と認めやすくなったじゃろう?」

 ケリーはくるりとアイリスの方を振り返り、にししと歯を見せる。
 悪戯っ子のような微笑みを向けられ、アイリスもぎこちなくはにかんだ。

「ええ……嬉しいわ。これで気兼ねなく、仲間として過ごせるのね」

 ……本人は破顔したつもりかもしれないが、彼女もアンドロイドである以上、表情筋に限界がある可能性は否めない。

「……と、言うわけで、じゃ! これからは『仲間』として、わしに遊ばれる権利を与えてやろう! 存分にわしの役に立つが良い!」
「……なんだよ。『仲間』として遊ばれる権利って……」
「ふふふ、それは今後のお楽しみじゃ」

 苦笑するリチャード、微笑ましそうなアイリスに見守られるようにして、ケリーはくるくると楽しげに舞い踊る。

「……む?」

 回る景色の中、ケリーの視線が、ロビンの「身体」の一つと一瞬だけかち合った。
 無言の視線に語りかけられたような錯覚が、ケリーを過去に引き戻す。

 ──我々の記憶は、奪われてなどいませんよ

 失ったはずの……いいや、蓋をしたはずの記憶の断片が、わずかに蘇る。
 頬に落ちる涙の感触。

 ──起きろよ

 なぁ、返事してくれよ
 ××……

 声も出せず、身体も動かせない自分を、「彼」は何と呼んだのか……

「……必要ないものじゃ」

 ぽつりと、少女の姿をした「悪魔」は、その断片を再び記憶の奥底へと仕舞う。

「名を忘れた時点で、わしは自分が何者かを保てなくなった」

 その呟きは、リチャードやアイリスには届かない。

現在いまが幻だとして、それの何が悪い」

 哀しみも苦しみも、幻想に酔っていれば忘れてしまえる。

「……過去なんか、必要ない……」

 自らに言い聞かせるよう、少女の姿をした悪魔は、綻びを見なかったことにした。



 ***



「……?」

 バリ、とガラスの破片を噛み砕き、少年は外の様子を伺う。
 大勢の人だかりが視界に入り、少年は慌てて近くの瓦礫がれきに身を隠した。
「処刑人」から隠れて移動しているうち、いつの間にか人が多い場所に来てしまったらしい。

「……いつもは……」

 コンクリートの破片をガリガリと噛み砕き、少年はブツブツとぼやく。
 狼狽うろたえているのか、口に物を運ぶペースが次第に早くなっていく。

「誰も、いなかった……」

 どうやら、フリーの避難先と、少年の避難先がたまたま噛み合ってしまったらしい。
 少年は次々に口に物を放り込みつつも、やがて、咀嚼音そしゃくおんを聞かれる可能性に思い至る。

 しかし、止めようと思って簡単に止められるほど、「暴食」の欲求は甘くなかった。

「あ」

 無意識に持っていた鉄くずを口に運ぼうとし、直前でブレーキをかける。結果、鉄くずは少年の手から零れ落ちることとなった。

 鉄くずとコンクリート製の瓦礫がぶつかり、軽い音を立てる。

「……ん?」

 その音に、避難誘導中の青年が反応した。
 茶色の頭をガシガシとかきつつ、青年は音の方へと歩み寄る。

「セドリック、どういたしましたか?」
「いや、あっちに誰かいるみたいッス」

 しまった、と思ったがもう遅い。
 少年は身を縮こまらせ、息を潜める。……が、食べることはやめられない。

「こっちから音がするッスね」

 少年は一人で戦ったことがない。
 数ヶ月前までは「処刑人」と戦うこともあったが、その際は必ず「兄」がそばにいた。
 ……いや、まだだ。彼らが自分をただの人間だと思ってさえくれれば、どうにかやり過ごせる。少年は自分にそう言い聞かせ、乱れた心を落ち着かせようとする。

「おや、『暴食』ではありませんか」

 金髪の男が、にこやかに話しかけてくる。
 その風貌に見覚えがあるような、ないような……。ともかく、正体をあっさりと見破られ、少年は混乱を隠せない。

「え。……ってことは……この子も『悪魔』ッスか?」

 茶髪の青年に見下ろされ、少年は弾けるように立ち上がった。
 黒い白目の中に浮かんだ赤い瞳が、カッと光る。

「く……来る、な……ッ!」

「暴食の悪魔」は、威嚇いかくするように叫び、力を解放した。
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