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第1章 欲望と大罪
1. 深海特急
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「おじさん、どこ行くの?」
海を越えるのに、大昔は随分と苦労したらしい。
深海特急に乗りながら、男はまどろみの淵にいた。窓の外で泳ぎ回る魚の群れには目もくれず、ついでに話しかけてくる少年の言葉にも耳を貸さない。
「ねぇ、おじさん」
少年に声をかけられているが、彼は無視を決め込む。
まだおじさんという歳ではない。生きる人間なら120年も生きる今、27歳などいわば少年と同じだ。少年は言い過ぎかもしれないが少なくとも青年だ。……と、ありったけの抗議を込めてふて寝を続ける。
「ねぇおじさん、もうオキナワ着いたよ。乗り過ごしたらトーキョーだよ。あそこは怖いよ」
どうやら心配しているようだが、彼はその「トーキョー」に用がある。
壊滅した不毛の地に、わざわざ足を踏み入れる理由ができてしまったのだ。放っておいて欲しい。
「おじさん」
「坊や。そこに何があるか知ってるか?」
「知らない」
「処刑場だよ」
「悪いことしたら殺されちゃうの、当たり前だよ」
「……その悪いことってのは、世界連合に歯向かうことかい?」
「当たり前だよ。世連に従わなきゃ、また戦争になるんだから」
うんざりしながら、男はわざとらしく寝たフリに戻る。
……この手の話題には付き合いたくない。疲れるし、何より……
ボロを出せば、連れていかれる。
***
第三次世界大戦の後、新たに結成された世界連合はひとつの条例を定めた。
「恒久平和条例」と名付けられたそれは、争いの芽を摘み、今度こそ世界から痛みを消し去るものとして発表された。
賛否は当然あった。……それでも、当時の人類には、手段を考慮する時間など残されていなかった。
「……いってぇ……」
頭の中に埋め込まれたチップが絶え間なく電磁波を受信する。
……が、正しく脳に浸透することなく、鈍い頭痛だけが頭を支配する。
早く取り除きたい。……だから、早く辿り着きたい。
逸る気持ちを抑えつつ、男は短く切りそろえた短髪を掻きむしり……片手で、胸元の手記に触れる。
指先から伝わる信号が、自分の感覚を呼び覚ます。
その手記には、とある女が受けた「治療」が記されている。誰がどうやって遺したのかは分からないが、それを見つけた日、彼は初めてリチャード・ロブソンになった。
その他大勢の人類ではない、「リチャード」という「個」を得た。
それはもはや、世界にとって許されざる罪。
彼はその瞬間、「要処置者」となった。
深海特急は罪人を運ぶかのように走り続け、やがて、浮上を始める。降車する者はほとんどいない。
……そもそもが、長時間外気を吸うだけで身体に障るような土地だ。
自動運転の列車は、静かにまた沈んでいく。
殺風景な駅のホームには、リチャードと……黒髪の女が1人。
「……初めまして」
左眼に大きな傷を持つ女は、深い蒼の瞳をこちらに向ける。
スーツから覗く首筋にも、酷く爛れた痕があった。
「わたしはアイリス。……あなたの護衛です」
無機質な冷たい声が響く。
「……あんた、人造人間か」
「はい。肉体はすべて人工物で構成されています。とはいえヒトの肉体から培養されたモノが大半ですので、いわゆるロボットの定義には当てはまらないでしょう」
淡々と、女……アイリスはあくまで冷静に語り続ける。
「へぇ……じゃあそれも……」
豊満な乳房に、リチャードの視線が吸い寄せられる。その瞬間、顎に冷たいものが当たった。
数段低い声が、頭蓋を揺らすように響く。
「……勘違いしないで欲しいのだけど、セクサロイドとして作られた覚えはないわ」
確かに感情の滲んだ声に、思わず手を引っこめる。
鋭い眼光でリチャードを睨めつけ、アイリスはホルスターに銃を仕舞った。
「……言い忘れていましたが、わたしは『かつての人類』と遜色ないほど無駄な機能を備えています」
「む、無駄……?」
「ええ、あなたの『スケベ心』みたいにね」
不機嫌さをあらわにし、アイリスはくるりと踵を返す。
ついて来い、とハンドサインで示され、リチャードも慌てて後を着いていく。
殺風景な駅の外には、死屍累々の焦土が広がっていた。
海を越えるのに、大昔は随分と苦労したらしい。
深海特急に乗りながら、男はまどろみの淵にいた。窓の外で泳ぎ回る魚の群れには目もくれず、ついでに話しかけてくる少年の言葉にも耳を貸さない。
「ねぇ、おじさん」
少年に声をかけられているが、彼は無視を決め込む。
まだおじさんという歳ではない。生きる人間なら120年も生きる今、27歳などいわば少年と同じだ。少年は言い過ぎかもしれないが少なくとも青年だ。……と、ありったけの抗議を込めてふて寝を続ける。
「ねぇおじさん、もうオキナワ着いたよ。乗り過ごしたらトーキョーだよ。あそこは怖いよ」
どうやら心配しているようだが、彼はその「トーキョー」に用がある。
壊滅した不毛の地に、わざわざ足を踏み入れる理由ができてしまったのだ。放っておいて欲しい。
「おじさん」
「坊や。そこに何があるか知ってるか?」
「知らない」
「処刑場だよ」
「悪いことしたら殺されちゃうの、当たり前だよ」
「……その悪いことってのは、世界連合に歯向かうことかい?」
「当たり前だよ。世連に従わなきゃ、また戦争になるんだから」
うんざりしながら、男はわざとらしく寝たフリに戻る。
……この手の話題には付き合いたくない。疲れるし、何より……
ボロを出せば、連れていかれる。
***
第三次世界大戦の後、新たに結成された世界連合はひとつの条例を定めた。
「恒久平和条例」と名付けられたそれは、争いの芽を摘み、今度こそ世界から痛みを消し去るものとして発表された。
賛否は当然あった。……それでも、当時の人類には、手段を考慮する時間など残されていなかった。
「……いってぇ……」
頭の中に埋め込まれたチップが絶え間なく電磁波を受信する。
……が、正しく脳に浸透することなく、鈍い頭痛だけが頭を支配する。
早く取り除きたい。……だから、早く辿り着きたい。
逸る気持ちを抑えつつ、男は短く切りそろえた短髪を掻きむしり……片手で、胸元の手記に触れる。
指先から伝わる信号が、自分の感覚を呼び覚ます。
その手記には、とある女が受けた「治療」が記されている。誰がどうやって遺したのかは分からないが、それを見つけた日、彼は初めてリチャード・ロブソンになった。
その他大勢の人類ではない、「リチャード」という「個」を得た。
それはもはや、世界にとって許されざる罪。
彼はその瞬間、「要処置者」となった。
深海特急は罪人を運ぶかのように走り続け、やがて、浮上を始める。降車する者はほとんどいない。
……そもそもが、長時間外気を吸うだけで身体に障るような土地だ。
自動運転の列車は、静かにまた沈んでいく。
殺風景な駅のホームには、リチャードと……黒髪の女が1人。
「……初めまして」
左眼に大きな傷を持つ女は、深い蒼の瞳をこちらに向ける。
スーツから覗く首筋にも、酷く爛れた痕があった。
「わたしはアイリス。……あなたの護衛です」
無機質な冷たい声が響く。
「……あんた、人造人間か」
「はい。肉体はすべて人工物で構成されています。とはいえヒトの肉体から培養されたモノが大半ですので、いわゆるロボットの定義には当てはまらないでしょう」
淡々と、女……アイリスはあくまで冷静に語り続ける。
「へぇ……じゃあそれも……」
豊満な乳房に、リチャードの視線が吸い寄せられる。その瞬間、顎に冷たいものが当たった。
数段低い声が、頭蓋を揺らすように響く。
「……勘違いしないで欲しいのだけど、セクサロイドとして作られた覚えはないわ」
確かに感情の滲んだ声に、思わず手を引っこめる。
鋭い眼光でリチャードを睨めつけ、アイリスはホルスターに銃を仕舞った。
「……言い忘れていましたが、わたしは『かつての人類』と遜色ないほど無駄な機能を備えています」
「む、無駄……?」
「ええ、あなたの『スケベ心』みたいにね」
不機嫌さをあらわにし、アイリスはくるりと踵を返す。
ついて来い、とハンドサインで示され、リチャードも慌てて後を着いていく。
殺風景な駅の外には、死屍累々の焦土が広がっていた。
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