【受け視点分割版】堕ちた神父と血の接吻 ― Die Geschichte des Vampirs ―

譚月遊生季

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第一章 彷徨の秋

第5話 Mein Leib wandert

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 幾度目かの悪夢から逃れ、目を覚ます。
 今日も温もりに抱き留められていると気付き、わずかな安堵を感じた。

 陽が照っているうちに起きると、どうしても身体の抵抗を感じる。
 それでも、不調に気付かぬ振りをして寝床から起き上がった。
 ヴィルはまだいびきをかいていたので、起こさないようにして脇をすり抜け、庭の方へと向かう。

 外に出たところで、ずきん、と、身体の内側が激しい痛みを訴えた。
 以前よりは幾分ましになったが、見えない箇所の傷は未だ癒えきっていないらしい。
 とはいえ、余計な気を回させたくないため、ヴィルには伝えていない。

「……ッ、ぐ、ぅう……」

 傷付いた臓腑ぞうふから流れ出た血を、地面に吐き捨てる。
 既に「傷痕」になった腹の傷がじくじくと痛み、煮えたぎる憎悪が「忘れるな」と訴える。

「……私も……人を、許します……」

 小さく祈りの言葉を呟き、ふらふらと立ち上がる。
 日陰の方に向かうと、柔らかくなった地面に「目印」として枝が突き立っているのが見えた。
 掘り返すと、空になったはずのワインボトルに赤い液体が詰まっている。

 ──この方が飲みやすいでしょ

 ヴィルの言葉が脳裏に蘇る。

 ──死体に口つけてるの見ると、こっちもしんどくなってくるんで

 ……それだけ、私は抵抗のある表情をしていたのだろう。
 気を遣わせてしまったことを申し訳なくは思うが、実際、この形の方が心理的な抵抗は薄い。

 食料をほとんど消化できない今、私の身体を生かすには吸血に頼らざるを得ない。傷が未だに癒えていない以上は、それなりの量が必要になる。
 ……どれほど不愉快でも、私は血を口にする他ない。
 そうしなければ、いずれ、そばに居るヴィルを傷つけることになってしまうだろう。



 日当たりの良いところに出ると、光に目が眩んだ。
 すぐに影響が出るわけではないし、長時間当たらなければ体調を崩すこともないが……やはり、昼に動くのは少々辛いものがある。
 とはいえ、ヴィルが起きてくる前に食事を用意しておきたい。
 手早く菜園からいくつか野菜を摘み取り、キッチンの方へと向かった。

 元は貴族の別邸だったのか、廃墟にしては設備がしっかり整っている。
 とはいえ、かなり長く放置されていたようで、老朽化も激しい。使える範囲は限られていた。

 ヴィルはどうやら食事にこだわりがないらしく、当初は「えっ、野草とか生でかじらないんですか」などと、頭の痛くなるようなことを言っていた。
 それが当たり前の環境で生きていたのだろうが……よく、食あたりで死なずに生きてこれたものだ。

 ライ麦パンを薄く切り、かたまりを少しでも風通しのいい場所に置いておく。
 日持ちが少々心配だが、手に入れる機会が限られているため、あと2~3日は持たせたい。
 菜園では収穫の早い野菜しか育てていないが、ワインビネガーとオイルでえればそれなりの味付けにはなる。
 いくつかは井戸水で煮て、スープにしておく。薄い味付けにしかできないが、胃に流し込みやすいので私が食すにはちょうどいい。
 追っ手が持っていた荷物から干し肉なども手に入れてはいるが、それらを使うのは……。……いや、贅沢を言える状況ではないだろう。

 相手が先に殺しに来たのだとはいえ、人の命を奪って生きながらえた以上は、神に与えられた肉体、与えられた糧を駆使して生き延びなくてはならない。
 ……それが、絶望と苦難の道のりだったとしても……いや、だからこそ、憎しみに身を委ねず、悲嘆に囚われず、歩み続けなくてはならないのだ。

 調理を終えた頃に、廊下を走る音が聞こえる。

「神父様! まーたこんな時間に起きて……! 身体壊したらどうするんすか!」

 寝癖をつけたヴィルが、慌てた様子でキッチンに駆け込んできた。



 ***  



「着席して食え。さもなくばパンすら与えんぞ」
「神父様ぁー、憐れみの心ってのを忘れたんですか?」
「……妙な知識ばかりつけたな、貴様は……」
「弱き者を憐れみ施しを与える心は、どこに行っちまったんです?」 
「貴様のどこが『弱き者』だ。毎晩の様子をかえりみてから言え」
「毎晩……確かに、神父様の方が組み敷かれて鳴かされ」
「な……っ、私の話は関係なかろう」
「えっ、どう考えても関係あるだろ!? 毎晩ヒィヒィ言わされてるのは神父様の方とか、そういう話の流れっしょ、今の」
「……この話はやめておくか」

 着席するかしないかでまた少し問答をしたものの、今回はヴィルに着席させることができた。
 指を組んで祈りを捧げ、心に巣食った負の感情をどうにか紛らわせる。

「で、今んとこ……ほんとに無いんですか? 神罰」

 ヴィルの問いには、なるべく冷静であるよう努めて返した。

「心当たりはない」
「気付いてなかったりとかは?」
「かつての仕打ちに比べれば、何か『罰』を受けたとは一切感じない」

「あの日」の蛮行は、未だに受け入れられない。
 現在の生活が罪深いというのならば、「あの日」以上の罰が下されなくてはならないはずだ。
 それがないということは、私は神に赦されているか、あるいは……

「……そう……っす、ね……」

 ヴィルは気まずそうに言葉を濁し、パンに齧り付く。

「いっそ、信じるのやめちまったらどうです?」
「黙れ」
「一蹴かぁ……」

 ヴィルの言いたいことは理解できる。
 ……実際、私も神の存在を疑ってしまっている節はある。
 だが……私や、私の家族に流れる異形の血が、神のおぼし召しでないというのなら、
 ……神が、受け入れてくださるわけでないのなら。

 それこそ、どこに救いがあるというのだろう?

 気まずい沈黙が流れる。
 ヴィルは何事か思案していたが、やがて「あ、そうだ」と切り出した。

「そろそろ拠点変えないとかもです」
「……仕方あるまい」

 ここに来てからひと月以上は経つが、もう、3人ほど殺めてしまった。
 殺し合いになるより前に、見つからないに越したことはない。

「教会のある屋敷、また探しときますね」
「小規模な礼拝堂で構わな……いや、区別がつかないのか」
「とりあえず祈れるとこあったらいいんすよね?」
「……まあ、そうだな」

 知識が足りない箇所も多いとはいえ、ヴィルの頭の回転自体は決して悪くない。
 何を行うにも話が早くて助かるが……「骨董品店とかから像を盗んでくるのはどうっすかね?」と聞かれた時は叱る他なかった。ダメに決まっているだろう。

「酒が残されてる屋敷、どっかにねぇかなぁ。神父様、ベロンベロンに酔うくせに酒好きだし」

 続く言葉は聞き捨てならなかったので、きっぱりと否定しておく。

「ま、前はそこまで弱くなかったのだ……!!」
「それ、単に飲んでなかっただけっしょ」
「ち……違う! 聖餐せいさんの際に酔ったことなど一度もなかった……!」
「せいさん? あー、これは主がオレらのために流した血とか言ってワイン飲むやつか」

 確かに以前より酩酊めいていに頼るようになった節はあるが、私は元々酒にそこまで弱くはない。
 それに、そこまで量が増えたわけでもない。あくまで苦痛に耐えるため、一時的に頼っているに過ぎないのだから。

「オレはさぁ、神父様が酒飲むの、むしろ良いことだと思ってんですよ。酔ってる神父様、めちゃくちゃエロいんで」

 ……いや。だが、ヴィルの印象に残るほど飲んでいたのだろうか。
 苦痛に耐えるため……とは言ったが、そもそもの「苦痛」の頻度が高い……というか常に苦痛にさいなまれているだろう、と言われれば、ぐうの音も出ない。

「………………。まあ……量が増えたのも……事実だったか……」

 ヴィルがケダモノのごとく舌なめずりをするので、視線をそっと逸らした。

「控えなくて良いんすよ? 積極的な神父様、超イイです」

 茶色の瞳がきらりと輝き、すっと細められる。
 最初に「忘れさせろ」と言ったのは私だが、ヴィルは人並み以上にが強いのか、昼夜問わず私を求めるようになった。
 いや、タガを外したのは私なのだろうが……

「……これだから貴様はケダモノなのだ。悔い改めるがいい」
「えー、神父様がド淫乱になっても、誰にも迷惑かからねぇじゃん」
「ド……っ!? つつしみを覚えろ! 恥を知れ! 愚か者が!」

 ただでさえ、寝台の上ではヴィルの激しさに飲まれがちなのだ。
 これ以上快楽を教えられたら……。……いや、考えないようにしておくか。うっかり口に出して、期待していると誤解されるのは避けたい。

 ……と、玄関の方でノックの音がする。ヴィルが弾かれたように立ち上がったので、手で制した。
 欲望を映していた瞳は途端に獰猛どうもうな色に変わり、全身の筋肉が臨戦態勢となっている。
 凄まじい殺気は、先程までヘラヘラと笑っていた男のものとは思えない。

「構えるな。近隣住民ならば困る」
「……あー……そうでしたね」

 私がいさめると、ヴィルはガシガシと頭をかいて臨戦態勢を解いた。
 ……知性は申し分なく、知識は欠けているものの覚える速度自体は劣っておらず、むしろ優れている方だ。
 だが、彼は特定の状況下で本能をき出しにしてしまう。ケダモノのような本能が、理性よりも優先されてしまう場合があるのだ。

 自分の身に危険を感じた時。
 私の身に危険を感じた時。
 そして……私を、愛する時。

 ……おそらくは、過酷な環境で育ったがゆえに。
 彼は、どこかで「野生」に生きている。



 ***



 二人でエントランスに向かい、即席で作ったかんぬきをヴィルが外す。普段は板を打ち付けてあるのだが、先日の襲撃で既に破壊されていた。
 扉を開くと午後の光が差し込み、目が痛む。何とか平静を装い、ノックの主を見た。
 老夫婦と、中年の男性……。おそらくは、親子なのだろう。土の付着した服装を見る限り、農家だろうか……?

「ここは廃墟だと思っていたんですが……」

 老婦人が不安そうに尋ねる。その横で、中年の男がこちらを絶えず睨みつけている。
 ただでさえ不安定な情勢だ。民が不安に思うのも仕方がない。……特にこの地方は、そうだろう。戦禍せんかに巻き込まれた傷痕が各地に残されている。
 私はできる限りにこやかな笑みを作り、安心させようと言葉を紡ぐ。引きつっている自覚はあるが、上手い笑い方など忘れてしまった。

「驚かせて申し訳ありません。我々は、戦乱により奪われた尊い命に祈りを捧げるため、各地を回っております」

 すべてが嘘、というわけではない。

「おお……そうでしたか。神に仕える方々だったのですね」
「……ええ」

 ……神に「仕える」ではなく。
 神に「仕えていた」の方だが。

「……こいつもですか」

 と、息子らしき中年の男がヴィルの方を睨みつける。……確かに、聖職者と思うには難しいだろう。ヴィルの顔立ちはあどけないところもあり、田舎の純朴な好青年といった雰囲気もあるが……顔の大きな傷は、どうしても目立つらしい。
 ……何と説明するべきだろうか。怪しまれるわけにはいかないが……

「彼は……その、兄弟です」
「似ていませんが……?」

 そう言われても、弟と私もあまり似ていない。
 いや、納得させねばならないのだ。何か別の言い訳を考えるべきだろう。

「もちろん、実の兄弟ではありません。同じ神の家で育った……という意味です」
「……なるほど」

 中年の男はいぶかししみつつも、納得した様子に見えた。
 老夫婦の方はというと、すっかり警戒心が解けたらしく「何かあったら頼ってくださいねぇ」と、朗らかに微笑み去っていった。

 ──お若いのに立派なことで……何かあったら、頼ってくださいね

 ──あんた、吸血鬼だったって!? 酷いじゃないか! 息子は、自分の病が良くなるって信じて通ってたのに……! 血を吸うためにそばに置いていたんだろう!

 ──この、化け物がッ!!!

 閉じた扉の前に佇み、襲って来た記憶をどうにかやり過ごす。
 ヴィルの視線を感じ、緩やかに意識が現実へと帰ってくる。

「聞いたか。何かあれば頼れ、とのことだ」

 私の言葉に、ヴィルは「良かったっすね」と当たり障りのない答えを返した。

「……ハッ。皆、似たようなことを言っていた。……私が吸血鬼になる前はな」

 思わず、自嘲気味な言葉が漏れる。 
 分かっている。醜い八つ当たりでしかない。
 ヴィルは、ヴィルだけは、あの時も私に手を差し伸べたのだ。その上、突き放し、冷淡な態度をとる私にさえも変わらず手を差し伸べ続けてくれている。

「んじゃあ、オレに頼ってください」

 ……そうしてヴィルはまた、平然と私に手を差し伸べた。
 胸の奥から熱いものが込み上げ、言葉にならない。……だが、動揺を見せるわけにはいかない。弱っているところを見せてしまっては……何かが、崩れてしまう。
 すまない、ヴィル。
 おまえを早く解き放ってやらねばならないのに、これ以上、罪を犯させるわけにはいかないのに……私は、もう、おまえなしでは理性を保てそうにない。

「……なるべく早く、次の拠点を探せ。今はまだ『対処』が可能だが……見つからないに越したことはない」

 平静を装い、ヴィルに指示を出す。
 このままでは、酷い姿を見せてしまう。ヴィルが探索に出た後、どうにか一人で立て直さなくては。

「へーい。あ、明日までに探したら、なんかご褒美くれます?」

 空の様子を見るに、明日までに見つけるのは不可能ではなさそうだ。
 しかし、褒美、か……。
 確かに、ヴィルの行動には報酬があって然るべきだろう。
 今までも、彼は充分に私を支えてくれている。……とはいえ、それに甘えすぎるわけにはいかない。
 ……この関係を、肯定するわけにはいかないのだから。

接吻せっぷんをくれてやる」 

 だが……それでも。
 真っ直ぐな愛に報いるくらいは、主も、お赦しになるだろうか……?
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