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第二十話 花ぞ昔の

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 床に押し倒されたところで、銀狐はポンっと狐の姿に戻る。

「あっ、逃げる気ですね」
「ぐえっ」

 大きな手で胴体をわし掴み、貫八は銀狐を逃がさないように捕まえる。
 銀狐はじたじたと暴れに暴れ、どうにかしてその手から抜け出した。

「なんや! 何をさかっとるんや!」

 狐の姿のまま、銀狐はぷんすかと怒りをあらわにする。

「部屋でならええ。そやけどな、うちはあんたと違うて妙な趣味はあらへんのや」
「……趣味じゃのうて牽制けんせいじゃ」
「冷静に考えてみぃ。うちのあられもない顔や格好を、そんなに見せびらかしたいんか」
「そ、そなぁに言われると……。うう、確かに、わしだけが見よったい見ていたいじゃ……」

 銀狐の剣幕けんまくに、貫八も次第にしゅんとしおらしい態度になっていく。
 銀狐はビシッと狐の手で貫八を指さし、容赦なく追い込みを始めた。

「単に、嫉妬してはるんやろ」
「うぐっ」
「他の男連中より優位に立ちたいとか、しょうもないこと思うとるんか」
「うぐぐっ」

 狐の身体のまま、はぁぁぁと大きなため息をつき、銀狐はやれやれと首を振った。
  
陰嚢きんたまは大きゅうても、器の小さい男やな……」
「……銀狐さんは好かれとるようじゃし……」

 ボソボソと呟く貫八。
 大柄な人間体にも関わらず、その姿はやけに小さく見えた。

「銀狐さんが好かれるのはええ。わしら妖怪は強く想われることで力がつくし、寿命も伸びるじゃろう」
「そんな好かれてへんけどな」
「……そうじゃろか」

 冷淡に答える銀狐に対し、貫八は首をひねる。彼からすれば、銀狐は里長として充分に慕われているように見えていた。

「大狸に育っても、中身はあかんたれ意気地無しのままやなぁ……」

 困ったように言う銀狐。
 単純な話、貫八は銀狐が離れていくのを恐れているのだ。
 だから、卑怯な手を使ってでも繋ぎ止めようとする。……それはあくまで、自信のなさの裏返しだ。

 ありのままの自分では銀狐に釣り合わない。……どこかで、そう思ってしまっているのだろう。
 だから、化かそうとする。素のままでは手に入れられないものを、搦手からめてで手に入れようとするのだ。

「……ほんに、どうしょうもない狸やわ」

 銀狐は、千年前、貫八のそういうところに腹を立てた。
 少なくともあの時点では、銀狐の立場では会いに行くことも叶わず、京に連れて行くことも許されない。……けれど、嘘八百の言葉で別れを飾り立てられるより、本人も信じていないような夢物語を語られるより、真っ直ぐに本音を伝えて欲しかったのだ。

「一緒にいたい。そばにいさせてくれ」と……

 ……とはいえ、結果論を言えば、鉄の橋は無事架かり、千年越しの再会も見事果たされたわけだが。

「……まあ、でも……待ってるて言うてくれたんに、行かんかったんはうちやな」

 銀狐は気まずそうに眉をひそめ、肩を落とす大柄な青年の姿を見上げる。
 ためらうように何度か口だけを動かし、やがて、静かに語り始めた。

「そないに長い距離は……うちには、もう……どうにも、厳しゅうてな」

 貫八ははっと顔を上げる。
 金狐から、銀狐の脚について情報は聞かされていたはずだった。……けれど、何度も何度も海を越え山を越えた貫八には、想像しきれなかったのも事実だ。

「……堪忍なぁ」

 快癒したからと言って、限界はある。
 普段は見せないようにしているが、銀狐の身体には、明確な瑕疵かしが残されている──

「……ッ、銀狐さん!」
「な、なんや、いきなり!」

 思わず、両の腕で銀狐を抱き締める貫八。
 ぼろぼろと溢れる涙が、銀狐の白銀の毛並みを湿らせていく。
 
「いつか……いつか、わしが連れて行こわい! 暮らせとは言わんけん! ほいでも……あそこは思い出の場所ぞなもし……!」
「……はぁ……しゃあないな。楽しみにしとくわ」

 ふさふさの尻尾をゆらゆらと揺らし、銀狐は貫八に悟られないよう、静かに微笑んだ。

「……ねぇ、どうする? どう考えても夕食の献立こんだてどうしましょうーって言える空気じゃないじゃん」
「見守ろ。輪島には『銀狐さん忙しそうでした~』って言うとこ」

 部屋の外で、こそこそと囁き合う声を、狐の耳が鋭敏えいびんに拾い上げる。
 ……が、銀狐はどうにか聞かなかった振りをする。そうしてしばし、貫八の腕に抱かれることを選んだ。
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