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第十話 乱れそめにし
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場所は再び、銀狐の屋敷にて。
浴衣姿の銀狐と、人間体に変化した貫八は、終始無言のまま遅めの昼食を摂る。配膳に現れた付喪神たちも、気まずい空気を察して誰もが口を開けなかった。
輪島だけでなく、銀狐の屋敷で働くのは低級の付喪神ばかり。
その中の誰もが、貫八の存在を指摘できずにいた。
「誰あれ?」
「銀狐さんの昔馴染みだって」
「元カレ?」
「たぶん」
とはいえ、噂話までは止められない。
銀狐が耳をピクッと動かせば一瞬は止まるものの、口に戸板は立てられない。
更には貫八が呑気にも「元じゃないですよ。これからですよ~」などと余計なことを言い出す気配も凄まじく、銀狐は貫八が何か発言するたび、青筋を立てて睨むことを繰り返している。
そんなこんなで冷えきった空気の中での食事も終わり、二匹は、再び銀狐の私室に向かおうとしていた。
「銀狐さん、本当に大丈夫ですかな? 今朝は随分と起きるのも遅かったですし……」
心配そうに足元に歩み寄る輪島に、銀狐は平然と告げる。
「腰を痛めただけや。そのうち良うなる」
「むむ……湿布はご入用ですかな?」
銀狐は負傷によって、第一線を退いた。
決して弱みを見せようとしない銀狐だが、屋敷で働いている輪島は、銀狐の負った傷の深さをよく知っている。
嫌味な態度に辟易してはいるが、面倒見のいい銀狐に恩義を感じ、その身を案じているのも事実なのだ。
……が、銀狐は「これ以上触れるな」とばかりに冷たい視線を向けた。
腰痛の原因が原因であるため、それはそれで当然の話である。
「構へん。そこの狸に按摩してもらいまひょ」
「えっ」
突然マッサージの指名をされて狼狽える貫八に、にっこりと笑いかける銀狐。
「ええな?」
銀狐に念押しされ、貫八は頬を朱色に染めて答えた。
「そ……そんな。まだ太陽も高いのに、積極的ですね銀狐さん……」
「……何を想像してはるん?」
***
「ほんまに、でっかい陰嚢してはるんやなぁ。頭の代わりにでもなっとるんとちゃう?」
「すみません……」
布団の上で銀狐の腰を揉みながら(揉まされながら)、貫八はしゅんとした様子で頭を垂れる。
「……それにしても、本当に人間みたいですね。風呂入って、按摩してもらって……」
「温泉好きの主もおったさかいな。よう一緒に連れてってもろたわ」
「…………へぇ」
「なんや、嫉妬してはるん?」
「……千年も経ってたら、仕方ないですよね。銀狐さんほどの美狐なら、今までに百人くらい妻を娶って、三百人くらいの男と寝ててもおかしくありません」
「そろそろ陰嚢やのうて頭でもの考えよか」
「すみません……」
取り留めのない会話を繰り広げ、銀狐はぼんやりと過去を追想する。
銀狐たち仙狐の血を引く妖狐は、その寿命の長さ、霊力の高さから、牛や馬ほど簡単に増やせる家畜として扱われてはいなかった。
多くなりすぎると、管理しきれずに雑に扱われる可能性が高くなる。そして、雑に扱えば、人間に牙を剥く可能性が捨てきれない。そういった危険性を考えてのことだ。
そのため「種馬」ならぬ「種狐」として選ばれる狐は限られており、銀狐の世代であれば、銀狐の弟である玄狐がその役割を担っていた。狐だけでなく、人間の娘にも身分を問わずにすぐ手を出すと呆れられるほどの問題児ではあったが、当時は多妾が当たり前の時代。妻だけでなく、妾になりたいという女性も後を立たなかったことを覚えている。
対し、銀狐は、妻を娶るのではなく物好きな貴人の愛人(愛狐?)となることが多かった。人間と妖狐の間で子を成すのは、不可能とまではいかないにしろ非常に珍しいため、狐どうしの関係よりもむしろ推奨されていた節がある。
相手は男女を問わなかったが、誘われれば誰相手でも応じるというほど節操がなかったわけでもない。文や歌のやり取りなどを交わした後、気に入った相手とだけ一夜を過ごすのが大半だった。
そういう意味では、貫八の指摘も当たらずとも遠からず、と言ったところかもしれない。
「(……まあ、言うても三百人とは寝てへんわ。さすがに)」
清らかな身とは程遠いが、さすがに淫乱のように見られるのは腹立たしい。
それに、姉の金狐は位の高い相手の妾となるのを好み、権力者の寵愛を受けた時期すらある。……時代がそうであっただけで、決して、銀狐だけが特別淫らだったわけではない。むしろ、当時としては慎ましい方だとすら思う。
……などと、内心複雑な想いをぐるぐると巡らせた末、銀狐は話題を逸らすことを選んだ。
「……あんたは、どうなんや。妻、娶ったんかいな」
千年も経ったのだ。貫八とて妻の一人や二人、娶っていた時期はあるだろう。
だから、お互い様だ……と。
「大家族やったやろう」
「いやぁ、ウチはいつの間にか誰かしらがくっついてていつの間にか家族が増えてるみたいな感じですし……」
「……それ、あんたが興味あらへんだけとちゃうの」
「そうかもしれません」
貫八にとって、銀狐以外はどうでも良かった。
銀狐にまた会いたい。銀狐と言葉を交わしたい。銀狐の身体に触れたい。……その執着が、貫八を化け狸として大成させた。
妖怪が力を付けるには、主に二種類の方法がある。
一つが、敬われたり、恐れられたり、愛されたりすること。
もう一つが、並々ならぬ、強い信念を持つことだ。
「何度も、家族を蔑ろにし過ぎだと怒られました。お家騒動の時すらろくに家にいなかったもので、江戸時代の後半にはほぼ勘当状態でしたね」
落ちこぼれだった貫八が、千年を生きる大狸となれたのは、他を犠牲にするほど、それ以外はどうでもいいと投げ捨てられるほど、銀狐を想っていたから──
「……。ずっこいわ。あんた」
「えっ、なんでじゃ」
きょとんとする貫八には「何でもあらへん」と告げ、銀狐はそのまま口を閉ざした。
浴衣姿の銀狐と、人間体に変化した貫八は、終始無言のまま遅めの昼食を摂る。配膳に現れた付喪神たちも、気まずい空気を察して誰もが口を開けなかった。
輪島だけでなく、銀狐の屋敷で働くのは低級の付喪神ばかり。
その中の誰もが、貫八の存在を指摘できずにいた。
「誰あれ?」
「銀狐さんの昔馴染みだって」
「元カレ?」
「たぶん」
とはいえ、噂話までは止められない。
銀狐が耳をピクッと動かせば一瞬は止まるものの、口に戸板は立てられない。
更には貫八が呑気にも「元じゃないですよ。これからですよ~」などと余計なことを言い出す気配も凄まじく、銀狐は貫八が何か発言するたび、青筋を立てて睨むことを繰り返している。
そんなこんなで冷えきった空気の中での食事も終わり、二匹は、再び銀狐の私室に向かおうとしていた。
「銀狐さん、本当に大丈夫ですかな? 今朝は随分と起きるのも遅かったですし……」
心配そうに足元に歩み寄る輪島に、銀狐は平然と告げる。
「腰を痛めただけや。そのうち良うなる」
「むむ……湿布はご入用ですかな?」
銀狐は負傷によって、第一線を退いた。
決して弱みを見せようとしない銀狐だが、屋敷で働いている輪島は、銀狐の負った傷の深さをよく知っている。
嫌味な態度に辟易してはいるが、面倒見のいい銀狐に恩義を感じ、その身を案じているのも事実なのだ。
……が、銀狐は「これ以上触れるな」とばかりに冷たい視線を向けた。
腰痛の原因が原因であるため、それはそれで当然の話である。
「構へん。そこの狸に按摩してもらいまひょ」
「えっ」
突然マッサージの指名をされて狼狽える貫八に、にっこりと笑いかける銀狐。
「ええな?」
銀狐に念押しされ、貫八は頬を朱色に染めて答えた。
「そ……そんな。まだ太陽も高いのに、積極的ですね銀狐さん……」
「……何を想像してはるん?」
***
「ほんまに、でっかい陰嚢してはるんやなぁ。頭の代わりにでもなっとるんとちゃう?」
「すみません……」
布団の上で銀狐の腰を揉みながら(揉まされながら)、貫八はしゅんとした様子で頭を垂れる。
「……それにしても、本当に人間みたいですね。風呂入って、按摩してもらって……」
「温泉好きの主もおったさかいな。よう一緒に連れてってもろたわ」
「…………へぇ」
「なんや、嫉妬してはるん?」
「……千年も経ってたら、仕方ないですよね。銀狐さんほどの美狐なら、今までに百人くらい妻を娶って、三百人くらいの男と寝ててもおかしくありません」
「そろそろ陰嚢やのうて頭でもの考えよか」
「すみません……」
取り留めのない会話を繰り広げ、銀狐はぼんやりと過去を追想する。
銀狐たち仙狐の血を引く妖狐は、その寿命の長さ、霊力の高さから、牛や馬ほど簡単に増やせる家畜として扱われてはいなかった。
多くなりすぎると、管理しきれずに雑に扱われる可能性が高くなる。そして、雑に扱えば、人間に牙を剥く可能性が捨てきれない。そういった危険性を考えてのことだ。
そのため「種馬」ならぬ「種狐」として選ばれる狐は限られており、銀狐の世代であれば、銀狐の弟である玄狐がその役割を担っていた。狐だけでなく、人間の娘にも身分を問わずにすぐ手を出すと呆れられるほどの問題児ではあったが、当時は多妾が当たり前の時代。妻だけでなく、妾になりたいという女性も後を立たなかったことを覚えている。
対し、銀狐は、妻を娶るのではなく物好きな貴人の愛人(愛狐?)となることが多かった。人間と妖狐の間で子を成すのは、不可能とまではいかないにしろ非常に珍しいため、狐どうしの関係よりもむしろ推奨されていた節がある。
相手は男女を問わなかったが、誘われれば誰相手でも応じるというほど節操がなかったわけでもない。文や歌のやり取りなどを交わした後、気に入った相手とだけ一夜を過ごすのが大半だった。
そういう意味では、貫八の指摘も当たらずとも遠からず、と言ったところかもしれない。
「(……まあ、言うても三百人とは寝てへんわ。さすがに)」
清らかな身とは程遠いが、さすがに淫乱のように見られるのは腹立たしい。
それに、姉の金狐は位の高い相手の妾となるのを好み、権力者の寵愛を受けた時期すらある。……時代がそうであっただけで、決して、銀狐だけが特別淫らだったわけではない。むしろ、当時としては慎ましい方だとすら思う。
……などと、内心複雑な想いをぐるぐると巡らせた末、銀狐は話題を逸らすことを選んだ。
「……あんたは、どうなんや。妻、娶ったんかいな」
千年も経ったのだ。貫八とて妻の一人や二人、娶っていた時期はあるだろう。
だから、お互い様だ……と。
「大家族やったやろう」
「いやぁ、ウチはいつの間にか誰かしらがくっついてていつの間にか家族が増えてるみたいな感じですし……」
「……それ、あんたが興味あらへんだけとちゃうの」
「そうかもしれません」
貫八にとって、銀狐以外はどうでも良かった。
銀狐にまた会いたい。銀狐と言葉を交わしたい。銀狐の身体に触れたい。……その執着が、貫八を化け狸として大成させた。
妖怪が力を付けるには、主に二種類の方法がある。
一つが、敬われたり、恐れられたり、愛されたりすること。
もう一つが、並々ならぬ、強い信念を持つことだ。
「何度も、家族を蔑ろにし過ぎだと怒られました。お家騒動の時すらろくに家にいなかったもので、江戸時代の後半にはほぼ勘当状態でしたね」
落ちこぼれだった貫八が、千年を生きる大狸となれたのは、他を犠牲にするほど、それ以外はどうでもいいと投げ捨てられるほど、銀狐を想っていたから──
「……。ずっこいわ。あんた」
「えっ、なんでじゃ」
きょとんとする貫八には「何でもあらへん」と告げ、銀狐はそのまま口を閉ざした。
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