上 下
14 / 43
6月

第12話 絆

しおりを挟む
 その夜、太郎右近は返り血に塗れて帰ってきたと、許嫁いいなずけ八重やえは人づてに聞いた。
 怪我はないか、身体に障らなかったか心配ではあったが、八重が部屋の外に出ることは叶わなかった。……恐ろしかったのだ。返り血に塗れた、「友」の姿を見ることが。

 八重は大上に嫁ぐと定められた身ではあったが、太郎右近とは良き友としての関係を崩さずに今日まで過ごしてきた。……男女とはいえど、彼らは互いに愛し愛される仲ではない。周りがどう思おうが、2人にとってはそれが真実だった。

「八重殿」

 障子の向こうから、慣れ親しんだ声がする。恐る恐る戸を引くと、微かに血の香りが漂った。

「……太郎殿、お怪我は……」
「この通り、無事に帰って参った」
「それは良かった……。心配で心配で、夜も眠れませなんだ……」

 世継ぎのことを考えねばならぬと、2人にもわかりきっていた。……わかりきっていてなお、やはり、互いに一線を超えようとは思えない。……唯一無二の友であるこの関係を、守っていたかった。

「太郎殿、わたくしはこの部屋から出ることすら恐ろしい身……。……このままではならぬとは存じておりますが、お父上の最期を思えば……」
「……八重殿、私とて無理など言わぬ。貴殿とこうして言葉を交わせば、気が休まるゆえ……それだけで構いはせぬのだ」
「ええ、ええ、私も同じ気持ちにございます。貴方様と話すのは、やはり、気が楽にございます」

 おずおずと頭を下げ、八重はまた戸を閉めた。……限られた人と関わることですら、彼女にとっては大きな気力を必要とする。
 幼い頃、太郎の父……大次郎の死を目の当たりにしてからというもの、彼女は多くのことを恐れ、縮こまるようになってしまった……年月を経ても一向に消えることのない、脳裏にこびりついた紅に怯えてしまっているのだ。

 部屋を後にし、太郎は軽く咳き込む。……昨夜の吸血鬼は仁左衛門の拠点に連れていかせたが、まだ気を緩めるわけにはいかない。

「仁左衛門、あの不埒者はどうしている」

 縁側に跪いた影に、声をかける。

「はっ、今のところは大人しくしておりますが……意思疎通ができぬ以上、はっきりとは申せませぬ」
「……左様か。哀れな化生けしょうよの……」

 ため息に滲んだ憐憫が、湿った空気の中に沈む。

「……と、ところで、あの、八重殿は……お元気でしたか……?」

 従者のわかりやすい狼狽には苦笑しつつ、

「ああ、息災であった。……また、顔でも見せに行くといい」

 実らない恋がせめて安らかであるよう、太郎は密かに願った。



 ***



「……やはり、俺が恋をしたのはお前だったのかもしれない。晃一……!」
「じろちゃんどうしたの?次は何があって頭が宇宙と接続しちゃったの?」

 昼休み、職員室は変わらず騒がしかった。

「それがだな……!長年考えてきた恋愛感情について、そろそろ実のある回答が得られないものかと」
「そっかー。じろちゃん難しく考えちゃってるんだねー。恋って何ーって聞かれたらオジサンも困っちゃうけどねー」

 次郎が突飛なことを言い出すのはいつものことだ。少なくとも晃一は、ある程度聞き流す技術を身につけている。

「大上先生、九曜です」

 ……と、スパーンと戸を開け放ち現れた少女は、音に似合わず神妙な顔立ちでぺこりと頭を下げた。

「……おお、学校のことか?それとも別件か?」
「騒動がありました。竹田女史は大上先生をご所望です」
「……竹田先生が……?わかった、今行く」

 晃一はスポーツ新聞を読みながらコーヒーをすすり、ひらひらと手を振って送り出す。
 次郎がたどり着いた先で見たものは、

 廊下にて、奈緒に技をかけられ青息吐息のロベールだった。

「強くしたげるって言ってんじゃん!!」 
「暴力反対!!!助けて大上先生ー!!!」

 ……どうやら、名前を知っている次郎に助けを求めているだけのようだ。首が完全にロックされ、バンバンと青白い手が床を叩いている。
 次郎を呼んだらしい竹田という教師は、「では私はこれで」と即座にその場を立ち去った。

「あ、聞いてよ大上先生!!こいつお姉ちゃんに挨拶しようとして結局逃げたんだよ!コンジョー鍛え直さなきゃだよね!?」
「だってぇぇぇえ今更どんな顔して会ったらいいのさぁあ!!」
「よく分からないが、俺だってたまに兄さんを目前にしたら逃げたくなる!母さんもセットだと余計にだ!」

 一方、当事者のシャルロットは喧騒から離れ、美和の隣でため息をついていた。

「ロベくん……見栄っ張りなのお父さんに似たのかなぁ……」
「結局情けないところ見せまくってるんだから、早く会いに来たらいいのに……」

 数分後、泣きべそをかいたロベールが奈緒に引き摺られるよう連れてこられる。喧嘩の仲裁で顔に引っかき傷をつくった次郎も、満足げに付き添っていた。

「うわぁぁあん姉さんんんんいじめられたぁぁぁあ」
「ロベくん……よっぽど怖かったんだね……?」

 シャルロットに抱きついて号泣しながら、ロベールは奈緒に向けてべーっと舌を出す。
 美和は呆れつつも、「美しき姉弟……絵になるわ……」と、明後日の方向に思考を飛ばす。

「……別に、悪気があったわけじゃないんだけど……」

 ……本気で可愛がったつもりだった奈緒は、複雑そうに言葉を濁らせた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

カメラとわたしと自衛官〜不憫なんて言わせない!カメラ女子と自衛官の馴れ初め話〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
「かっこいい……あのボディ。かわいい……そのお尻」ため息を漏らすその視線の先に何がある? たまたま居合わせたイベント会場で空を仰ぐと、白い煙がお花を描いた。見上げた全員が歓声をあげる。それが自衛隊のイベントとは知らず、気づくとサイン会に巻き込まれて並んでいた。  ひょんな事がきっかけで、カメラにはまる女の子がファインダー越しに見つけた世界。なぜかいつもそこに貴方がいた。恋愛に鈍感でも被写体には敏感です。恋愛よりもカメラが大事! そんか彼女を気長に粘り強く自分のテリトリーに引き込みたい陸上自衛隊員との恋のお話? ※小説家になろう、カクヨムにも公開しています。 ※もちろん、フィクションです。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

Kiss

hosimure
恋愛
さまざまなキスのストーリーを、短編小説集として描いています。 甘~いラブストーリー、あなたもいかがですか?

ブラコン姉妹は、天使だろうか?【ブラてん】

三城 谷
恋愛
本作の主人公『椎名崎幸一』は、青陽学園に通う高校二年生。この青陽学園は初等部から高等部まで存在するマンモス校であり、数多くの生徒がここを卒業し、世の中に名を残してきている超エリート校である。そんな高校に通う幸一は学園の中ではこう呼ばれている。――『卑怯者』と。 そんな卑怯者と呼ばれている幸一の元へやってきた天才姉妹……『神楽坂美咲』と『神楽坂美羽』が突然一人暮らしをしている幸一の家へと訪ねてやって来た。とある事情で義妹となった神楽坂姉妹は、幸一以外の男子に興味が無いという状況。 これは天才姉妹とその兄が描く物語である。果たして……幸一の学園生活はどうなる? ※表紙も僭越ながら、描かせていただきました。仮の物で恐縮ですが、宜しくお願いします。

廻る縁の妖剣士

井田いづ
ファンタジー
「妖刀(あたし)と契約しようぜ、ユキ!」  咎人の子と謗りを受ける少年ユキは、亡父の死の真相を解き明かす為、また、その復讐の為に妖刀えんきりと互いの夢を叶えるべく契約を結んだ。  己の手で斬るべき仇は誰なのか、果たして父は本当に咎人なのか────。  果てのない復讐と縁切りの旅を通じた、ひとりの少年の成長譚。  その少年は未だ世を知らず、仇を知らず。  いまはまだ無名の剣士。 -------------------- ※カクヨム、小説家になろうにも掲載 ※題名仮名:「めぐるえにしのようけんし」

処理中です...