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ポール・トマの独白

死ねば愛してあげられる

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 エレーヌが死んだ。
 なんでも同じ大学の卒業生が、依頼を受けて多くの代行殺人を行っていたらしい。エレーヌは彼の最後の犠牲者となり、依頼人は恨んでいた相手が多すぎて特定できないのだとか。
 例の殺人鬼……ノエルだかジャックだかは犯行を自供した遺書を残して首を吊り、うちの大学の学生も何人かが殺人を依頼した罪でしょっぴかれて行った。
 当然ぼくもショックではあったけど、いいインスピレーションになるなぁと思ったのは否めない。……まあ、誰にも言わないけどね。

 葬儀に行くと、親御さんは大層悲しんでいて、柩の中の娘にちょっと大袈裟なんじゃないかってくらい愛を叫んでいた。
 若干食傷気味になって外に出ると、教会の前で立ち尽くす「彼」と出会った。

「カミーユ」

 声をかけると、彼は青ざめた顔をこちらに向けた。
 親友が恋人を殺し、その親友も自殺したんだ。……ショックなんてものじゃないだろう。

「ポール……」

 カミーユは涙を流し、うわ言のように呟く。

「僕が殺したんだ」

 何も言うまい、と思った。
 二人が上手くいっていないのは知っていたけど、エレーヌは「悪女」で有名でそれなりに恨まれているし(まあ、ぼくはそんなこと思ってないけどね)、カミーユが人を殺せるようなやつだとも思えない。
 ……きっと電話に出れなかったとか、助けられなかったとか、そういう類のことだろう。

 首元はマフラーで隠されている。おそらく、親友だった男に自首するよう説得した時の傷がまだ癒えていないんだろう。カッとなって切りつけてしまった……と、殺人鬼の遺書にも書かれていたらしい。

「殺されるはずだったのは、僕だったのに」
「もういい、もういいんだカミーユ。きみは何も悪くない。……ずいぶんと参ってるみたいだし、ゆっくり休むべきだよ」

 ぼくの言葉に、カミーユは縋るような視線を向けた。血の気の引いた唇から白い吐息だけが漏れ、時間が流れていく。

「……愛されなくなるのが、怖かったんだ」

 唐突に、彼はエレーヌの思い出を語り始めた。

「ああ……それで、嫌になっても別れを切り出せなかったのか……」
「本音を言うとさ、邪魔だったよ。鬱陶しいとすら思った。だけど……彼女は、僕を愛してくれた。……だからさ、僕も、できることなら同じだけの愛を返したかった」

 堰を切ったように溢れ出す後悔と未練は、もう、何もかもが遅い。……いいや、時間の問題じゃないか。

「無理だね。あんなに肥大化した愛に応えるのなんて、ぼくだってできない」
「……僕が、狂わせてしまったのかな」

 凍えるような空の下、痩身の美青年はガタガタと震えている。
 見ていられなくなって、話題を変えた。

「……そういえばノエルのやつ、遺書にエレーヌを『殺す時に初めて見た』みたいに書いてたらしいね。変なやつだよ、後輩だってのに」

 そして、自分の話題を選ぶセンスを呪った。
 これじゃ傷口に塩を塗るどころの騒ぎじゃない。

「あー……ノエルは他人に興味無いからね。たぶん、本気で忘れてたんだと思うよ」

 案外平然とした答えが帰ってきて、内心胸を撫で下ろす。

「ええー……でも、つい半年くらい前までは同じデザイン科だったんじゃ?」
「……それは、確かにそうだけど……」

 次の瞬間、耳を疑った。

「あんた、周りにハエが飛んでたとして……三日前のハエと同じだとかわざわざ思う?」

 その声がどこから聞こえたのか分からない。……けど、少なくとも、カミーユの声色とは全然違う。

「……って、ノエルなら言うかな」
「あ、ああ、声真似だったのか。びっくりした」

 親友だったというだけあって、よく似ていた。……いや、まあ、ぼくはノエルのことなんて何も知らないけどね。そんな気がする。

「……そろそろ帰る。描きたい絵があるし」
「そうとも、こういう時こそ思う存分描くといい。それできみが救われるなら大いに結構だ」
「いや、別に救われるために描いてるわけじゃないんだけど」
「本当にめんどくさいなきみは!!!」

 じゃ、と手を振り、遠ざかる背中を見送る。……と、去りゆく前に、彼はくるりと振り返り、また話し始めた。

「ポールさ、僕の絵には魂が伴ってないって前に言ったよね」

 冷たい風が頬を撫でる。
 蒼い瞳はまた、縋るようにぼくを見つめている。

「……品評会の時かい? まさか根に持ってたのか。他……特に技術面はだいたい褒めたっていうのに?」
「事実だし気にはしてないよ。……そう、そうなんだよね。美しさだけを抜き出そうとして、むしろ削ぎ落としすぎてた自覚……僕にだってあるよ。そのせいで余計に美から離れてた気もする」

 美しさについては、訊かれてもちょっと困るんだけどね。
 だってカミーユはいつも、ぼくに対して悪趣味だとかセンスがないとか散々言ってくるわけだし。

「きみとぼくのアートの基準は違うから、そこは議論しても無駄だと思うけど」
「……ごめん、聞きたいことからズレてたね。……つまり、さ……?」

 エレーヌの言葉が脳裏に浮かぶ。
 ……ああ、そうか。エレーヌが恋したのは幻想だった。カミーユ自身じゃなく、彼女がカミーユの要素を借りて、自分の中で作りあげた虚像に惚れ込んでいた。それを彼女を失った今ですら、気にしていたのか。

「……エレーヌは、きみを誤解していたから……恋したままでいられたように思う」
「やっぱり……誤解が解けてたら、何か違っていたのかな」

 もしも、に執着したとして、何もかもが手遅れだ。……だけど、傷心中の彼がつらすぎる現在から目を逸らすことくらい、許してやってもいいじゃないか。すべて終わった過去だとしても、向き合うことで楽になるならそれでいいじゃないか。ぼくはそう思う。

「その場合、きみ達の関係は破綻していたよ。……『誤解がある』と二人して思っているからこそ……気付かないでいられた深い溝がある」

 ぼくは色んな恋を経験してきたし、色んな恋を見てきた。……だからこそ、理解できることがある。

「はっきり言おう。エレーヌは愛を活力にするけれど、きみは負担にする。……その時点で、致命的に噛み合っていなかった」

 正しく受け取られないエレーヌの活力はどんどん誤った方向へと向かい、カミーユの負担は一人で抱え切れずにエレーヌごと押し潰した。……ぼくから見れば、不幸にしかならない恋愛だった。

「……どうしてかな。それでも……それでもまだ、愛さずにはいられないんだ」
「何だか……エレーヌが生きていた時と逆だね。きみはどちらかと言えば、彼女に怯えていたような……」

 再び、冷たい風がぼく達の間を吹き抜ける。

「ホントに、どうしてかな。……

 胸の真ん中を押さえ、カミーユは頬を染め、うっとりと目を細め……確かに笑っていた。

  

 ***



 しばらくしてカミーユは「カミーユ・バルビエ」としての活動を辞め、卒業後はまったく連絡がつかなくなった。モントリオールに帰ったとか、ドイツのほうに行ったとか、弟だか兄だかが病気になったとか……色んな噂を聞いたけど、真実はわからない。ぼくは友人だと思っていたけれど、彼にとってはそうでもなかったらしい。

 その後、「Sang」という画家が描いた人物画を見る機会があった。
『女神』と『悪魔』……金髪の女が描かれた、そんなタイトルの二連作。ともに技術を磨いたぼくにはわかる。これは、カミーユが描いた絵だ。……魂の伴った、本気の芸術だ。

 横たわる美しい女。寄り添うように触れる、ペンだこのない、細くてしなやかな手。

 そこで、ようやく悟った。
 エレーヌは確かに、「トクベツ」に至っていたのだと。彼女は死してようやく、欲したものを手に入れていたのだ、と。

 それが幸か不幸か、ぼくにはわからない。
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