上 下
12 / 14
エレーヌ・アルノーの追憶

第十二話ㅤ永遠にさようなら

しおりを挟む
 夏の熱に浮かされた恋は、秋になっても冷めはせず、冬の寒さの中でも燃え続け、訪れた春を空虚にし、新たな夏には私の身を焦がし、殺人鬼から逃れた実りの秋ですら焼き尽くした。
 凍えるような冬でも、わたしの身は熱に侵され、焼かれ続けている。

 ……少しは詩人みたいになれたかしら。
 ランボーの本を借りてみたから、せっかくだしわたしも恋の詩を綴ってみたくって。

 最近は寒いみたいね。カミーユが指先が凍りつきそうだってぼやいていたわ。
 そうそう、Sangサンって筆名を考えたらしいの。今の名前のまま作品を発表し続けるのは気が引けているんですって。

 どうだっていい。
 どうだっていいのよそんなこと。

 カミーユ。最も愛し、憎んだ男。あなたは神も悪魔も信じなかったわね。なら、救われる手立てもないわ。ずっと「Sang」に苦しめられればいい。永久に呪ってやる! 死ぬまで芸術に囚われてしまえ!!

  

 ***

  

 センスのない文章がノートの上で踊っている。
 カバンの中にしまって、鏡の前に立った。
 いつも以上に美しく自分を飾り付けて、誰よりも魅力的な女になって、愛しいあなたに会いに行こう。

 待っていてね、カミーユ。
 今すぐ、あなたを殺しに行くわ。
  


 ***



「あなたとなんか、出会わなければ良かったわ」

 肉を裂いた感触の割に、溢れ出す血は想像より少なかった。人は案外簡単に人を殺せる。……そう、思っていたけれど、致命傷を外したことは見ればわかった。

「……殺してやる……!」

 衝動に任せて刃を振るう。世界がぐるりと反転し、打ち付けられた背中が軋んだ。
 絞められた首が苦しい。頬に、ぱたぱたと彼の血が落ちる。

「……エレー、ヌ……」

 わたしに馬乗りになった彼が、呆然と呟く。わたしの首から、潰れたペンだこだらけの手が離れていく。ためらう彼の首に、再びナイフを突きつけた。

「わたしを殺せば……あなたは、自由よ。好きにして」

 カミーユはゴクリと息を飲み、散らかった部屋に蒼い視線をさまよわせる。
 あの忌まわしい指先が古本を束ねかけていたビニール紐をひっ掴み、わたしは再び呼吸を奪われた。

 ああ、ようやく、わたし達の感情が重なった。

 あなたが死ねば、美しい死体と、美しい作品だけが遺される。わたしを必要としながらも邪険にするあなたはいなくなる。……そして、あなたのすべてを無理やりにでも奪えば、わたしはあなたのトクベツになれる。
 わたしが死ねば、あなたは、わたしの愛を理想の形に作り替えてしまえる。……あなたを苦しめるわたしはあなたに殺されて、あなたの記憶に遺ったわたしは、いくらでも理想の恋人になれる。……ああ、それも悪くないわ。
 どっちにしろ、あなたのトクベツになれるんだから。

 二人の殺意が重なり、一つの死体が出来上がる。

 意識が遠のく間際、頬に落ちた雫は血かしら、涙かしら。
 ……もう、どちらでも構わないわ。
 誰にでも愛されるような女は、誰からも愛してもらえない女と同じ。これも、自業自得。わたしが招いた悲劇。だけど、不思議と今は満足しているの。
 あなたの手で、苦しみも、悲しみも、すべてが終わる。……ようやく、終わらせることができる。
 潰えていく命とともに、燃え上がった激しい執着も溶けていく。記憶も自我も真っ白になって、わたしとカミーユの情念が混ざり合う。わたしという存在そのものが、傍らのキャンバスに描かれた「わたし」のように、カミーユの理想へと塗り替えられていく。

 さようなら、憎らしい人。
 わたしが遺した想いは、どんな爪痕になるのかしら。 
 ……さようなら、愛しい人。
 心の底から、愛していたわ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?

春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。 しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。 美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……? 2021.08.13

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

シチュボ(女性向け)

身喰らう白蛇
恋愛
自発さえしなければ好きに使用してください。 アドリブ、改変、なんでもOKです。 他人を害することだけはお止め下さい。 使用報告は無しで商用でも練習でもなんでもOKです。 Twitterやコメント欄等にリアクションあるとむせながら喜びます✌︎︎(´ °∀︎°`)✌︎︎ゲホゴホ

処理中です...