上 下
5 / 14
エレーヌ・アルノーの追憶

第五話ㅤいいえ、もう手遅れだった

しおりを挟む
「別れるって……どういうことだよ」
「もっとイイ人を見つけたの」

 今まで付き合ってきたカレシたちは、みんな「遊び」だってわかってる。……そう、思ってた。

「まだ2週間で……? ウソだろ、だってあんなに素敵だって……運命の人かもしれないって! 俺を騙したのか!?」

 確かに、そんなことも言ったかもしれない。
 でも、そんなの場を盛り上げるためのお約束みたいなものだし、目の前のカレだって同じはず。……わたしはそう思っていたけど、違ったらしい。

「そんなにピュアな人だったなんて、知らなかった」
「はぁ!? そっちが不誠実なんだろう!」

 どうしてそんなに怒っているのか、その時のわたしにはわからなかった。
 だって、恋愛は遊びのひとつだし。……まだ、そう思っていたから。思えていたから。

「もういい! 好きにしろあばずれ女ユンヌ・サロップ!」
「……酷い言いよう。頭が足りないのねナンポート・コワ。とっとと消えて」
「言われなくても……!」

 肩をいからせて去っていく男を見送って、思わず舌打ちしてしまった。そこまでの暴言を吐かれるようなことはしたつもりがない。カミーユの方が魅力的だった。ただそれだけのこと。

 ──君は……

 ふと、脳裏に浮かんだ声はカミーユのものだった。

 ──君は、怖いひとだね

 あの言葉は、どういう意味だったのだろう。



 ***



 カミーユと待ち合わせした喫茶店に向かう。
 相変わらずシンプルな服装で、コーヒーをすすりながらスケッチブックに向かっていた。

「お待たせ」

 声をかけても、手元に夢中になっていて一向に気付かない。

「……お待たせ」

 少し強めに言ってみても、本人は真剣になりすぎて顔を上げない。
 ……でも、スケッチブックに向く横顔は、つい見とれるほど素敵だった。
 形のいい鼻に、引き結ばれた薄い唇。この男の指先からあの芸術が紡がれている、という事実が既に美しい。

「……あ。ご、ごめん! 気付かなくて……!」

 気が付くのに10分以上かかっていた気がするけど、美しいものを堪能できたからそこまで気にならなかった。

「前のカレには殴られてくれた?」
「……え。本当にそういう別れ方したの?」
「殴られるのも悪くないって言ってたでしょ?」
「言ったけどさ……」

 眉根を寄せ、カミーユはため息をつく。

「わたしのために殴られるのは不服?」
「……その言い方は、ずるいよ」

 わたしの何気ない言葉で、白い頬がうっすら赤く染まった。

「君が殴られたらどうするのさ」
「構わないわ、あなたが手に入るなら」
「……そ、そう……。……ホントに?」
「あら、殴られて傷ついた顔じゃ愛せない?」

 ずい、と顔を近づけると、カミーユはさらに赤くなって「顔で好きになったわけじゃないから」と目を逸らした。

「じゃあ、いいじゃない。何も問題ないわ」
「……そうかなぁ……」

 首を捻りつつ、カミーユは底に残ったコーヒーを飲み干した。
 何気ない仕草だったけれど、それすら美しく見えるのは私の贔屓目ひいきめだろうか。

「恋は麻薬だって、ポールも言ってたね。中毒性があるから痛い目を見ても止められないんだ……って」
「そうかしら。楽しいから恋をするんじゃないの?」

 ポールも確か、付き合った女性は数え切れないと言っていた。
 恋の刺激が好きなんだ……って、そんな話を聞いたこともある。

「…………。恋ってさ、『する』ものだっけ?」

 どこか躊躇うように、カミーユは聞いてくる。

「どういう意味?」
「いや……『してしまう』の方かなって、思ってさ」

 恋って、そんなにネガティブなものだったかしら。……少なくともわたしはそうじゃなかった。
 そうじゃなかった、はずだったのに。



 ***



「エレーヌ、また違う相手と付き合ってるの?」
「そうだけど、それが? いつものことじゃない」

 わたしも、よく話す同期も、座学の講義を真面目に聞く学生じゃない。
 呆れたように相手は肩を竦め、「楽しそうで何より」と苦笑した。

「……そういえば……ノエルが怖いって話、覚えてる?」

 ファッションショーの時に振られた話題を掘り返す。
 彼女の語った「冷たい瞳」を、わたしも実際に見た。あれは、言われた通り気のせいなんかじゃない。

「ごめんなさい、わたし、あの時は──」
「その話、やめて」

 けれど、彼女はさあっと青ざめ、わたしの謝罪を遮った。

「……話題振っておいてごめん。でも……触らない方がいいよ。エレーヌみたいな人は尚更……」
「わたしみたいな人は……? どういうこと、余計に気になる」
「本当に……本当に悪いと思ってるよ。思ってるけど……私、もうノエルには関わりたくない……」

 気になりはしたけれど、それ以上踏み込める気はしなかった。
 彼女の真っ青な表情が、ことの深刻さを告げている気がしたから。

「……今のカレシね。カミーユって言うの。知ってる? 天才だって呼ばれてるみたい」

 話題を変え、ポールから聞いた評価を交えてカミーユのことを伝えてみる。

「ノエルと仲良くしてる人……?」

 返ってきた言葉に、今度はこっちが息を飲んだ。
 知り合いなの? わたし、そんなの聞いてない。
 仲良くしてる? ノエルは男性だけど、中身は女性じゃない。

 あれ?
 どうしてわたし、こんなに動揺しているの?

 恋人に女友達がいたって気にしたことなんかない。
 いつもそうだったのに。どうして、こんなに……こんなに、嫌な気持ちになるの?

「仲、良いの?」
「そうみたい。2人とも変な人だし、波長が合うのかもね」

 何、それ。……ずるい。

「……どうしたの、エレーヌ」
「なんでもない」

 ええ、そうね。きっと、わたしは恋をのね。
 だから……だから、あなたに狂わされた。あなたにすべて奪われた。

 この時なら、まだ引き返せたのかしら。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?

春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。 しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。 美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……? 2021.08.13

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

シチュボ(女性向け)

身喰らう白蛇
恋愛
自発さえしなければ好きに使用してください。 アドリブ、改変、なんでもOKです。 他人を害することだけはお止め下さい。 使用報告は無しで商用でも練習でもなんでもOKです。 Twitterやコメント欄等にリアクションあるとむせながら喜びます✌︎︎(´ °∀︎°`)✌︎︎ゲホゴホ

処理中です...