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Die Geschichte des Vampirs3 ― Zwiespältiger Winter ―

第3話 Zerstörung

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 ヴィルに足を切りつけられ、オットーと名乗った悪魔祓いエクソシストはバランスを崩してよろめいた。
 隙を見て、右腕に牙を立てる。オットーは驚いたように身をこわばらせ、剣を右腕から左腕に持ち替えた。
 噛み付いた腕は妙に硬く、溢れ出た血も生臭い。こう表現するのもどうかとは思うが……非常に不味い。死体に噛み付いた方がまだましだ。

「クソがッ! 二人がかりかよ!」

 罵声と共に、剣が振り下ろされる。
 ……想定通りの動きだ。
 当たる寸前で刃を避ければ、オットーは自分の腕を斬りつけることになる。……が、腕に刃がくい込む直前に剣は止まった。

「……チッ、小賢こざかしい手を使いやがって……」

 オットーは舌打ちをしつつ、体勢を立て直す。
 相変わらず、長剣以外の獲物を取り出そうとはしない。

「賊だろうが異形だろうが、人様に迷惑かけるんならとっとと死ねよなァ!」

 オットーは四方八方に剣を振り回し、不平不満を垂れる。
 おそらくは、威嚇のつもりだろう。……だが、その程度は脅しにすらならない。

 私は多少のことでは死にはしない。
 そして、この身の傷はすぐに癒える。
 多少斬りつけられたところで、何のことは無い。強いて言うなれば、痛みがあるくらいだ。

 とはいえ、問題は私に戦局を終わらせる覚悟がないことだ。
 自らの意思で人を殺めることが、私にはできない。

 慈悲といえば聞こえはいい。
 特にヴィルは、私の弱さを優しさと呼ぶのだろう。
 ……それが今の状況において、不利にしか働かないのだとしてもだ。

「……悪意が透けていますよ。八つ当たりの的にしているようにしか見えません」

 剣の切っ先が頬をかすめる。
 様子を伺いつつ、その時点で身を引いた。
 切り裂かれようが、貫かれようが距離を縮めることはできる。
 だが……問題はだ。
 私には、誰かを殺せない。……ヴィルに、殺させることしかできないのだ。

「だから何だ? クズどもに八つ当たりしようが何しようが、クズがクズってことに変わりはねぇだろ?」

 オットーは私の言葉を鼻で笑い、少年に鋭い視線を投げる。
 いつの間にやら少年は隅の方に逃げ、身を縮こまらせていた。

「おいボンクラ!! 盾になる努力ぐらいしたらどうだ!?」

 怒鳴り声をぶつけられ、少年の肩が大きく震える。

「む、無茶言わないでよオットーさん……! し、死んじまうよ!!」
「あァ? ゴミカスの癖して、まだ自分に生きる価値があるとでも勘違いしてんのか?」
「ひ……っ、そ、そんなこと、言われても……」

 少年は更に震え上がり、頭を抱えてうずくまる。その様子を見て、ヴィルもさすがに眉をひそめていた。
 ……なんと、むごいことを……。

「その少年が罪人であることと、貴方が彼を捨て駒として扱うことはまったくの別問題です」

 少年が罪人であろうが、無実であろうが、オットーの行為は許されるものではない。
 たとえ相手が罪人であったとしても、無関係の人間が新たな罪を重ねることは正当化できないはずだ。

「……これだから聖職者は好かねぇんだ。甘っちょろいことばっか言いやがって」

 ……待て。「聖職者は好かない」……?
 妙な言い分だ。この男、悪魔祓いではないのか……?

「坊さんはいい立場だよなァ。俺の苦労も知らずに、薄っぺらい理想論ばっか並べやがる」
「……貴方は悪魔祓いではないのですか」
「ハッ、冗談言うなよ! 俺が神とやらに仕えるタマに見えるか? 強いて言うならアレさ」

 オットーはげらげらと品のない笑いと共に、言葉を続ける。

「一般市民の味方……ってとこだな」

 ……。
 何を、言っているのだ。こいつは。

「いつの時代も、悪党のせいで被害を被るのはか弱き一般市民だ。だから、そんなクソ共から守ってやらなきゃいけねぇ。……そうだろ?」

 よどんだ瞳で、オットーは恍惚こうこつと語る。……露骨なまでの自己陶酔に、目眩めまいがする。胸の奥から、こらえがたい嫌悪感が込み上げてくるのが分かる。
 隙だらけの今、攻撃は容易いが……おそらくは罠だ。様子を見るべきだろう。

「……チッ、慎重なこって。でも……もう遅いぜ」

 その瞬間、割れんばかりの頭痛が私を襲った。

「あ……!?」

 目の奥に、見知らぬ情景が浮かんでは消える。

 なんだ。
 これは。

「残念だったなァ。掠っただけで充分なんだよ」
「……! 毒か!!!」

 二人の声が遠い。
 現実の音をかき消すよう、頭の中に怨嗟えんさの声が響く。

 痛い。苦しい。憎い。うらめしい。悲しい。つらい。怖い。寂しい。

 ──許さない

「あ……ぐ……っ、う、うぅううう……ッ」

 繰り返される殺戮。
 目まぐるしく変わる視点。
 焼き付く痛みと、響く嘲笑と、動かぬ肉体の記憶。

 嗚呼、私は、この感覚を知っている。
 生命が踏みにじられる瞬間を、知っている。

 飛び散る紅。
 こびり付いた緋。
 視界を埋め尽くす赤──

「神父様……? てめぇ、いったい何を……!?」

 ヴィルの声で、思考がわずかに現実に呼び戻された。肩に寄り添う体温が、蝕まれる自我をどうにか引き戻してくれる。

「何だろうなァ? 当ててみろよ」

 オットーは長剣を器用に片腕でもてあそんでいる。
 視界の隅で、少年が機を得たとばかりに走り出すのが見え……

 ドクンと鼓動が高鳴る。
 知らないはずの記憶が、警笛けいてきを鳴らす。
 数え切れないほどの痛みと断末魔が、脳内を埋め尽くす。

 待て。やめろ。動くな……!

「おい、誰が逃げていいっつった」
「ぎゃっ!?」

 少年の襟首を掴み、オットーが剣を振りかぶる。
 芳醇ほうじゅんな香りが辺りに満ち、転がった「それ」と目が合った。

 意識が塗り替えられる。

 目の前にいるのは……私だ。オットーと、ヴィルと、私が、地面に転がった「私」を見下ろして……いいや、違う。地面に転がった「私」が、私を見ている……?
 胴体を失った「私」は、まるで、祖父の……

 兄上の声が蘇る。

 ──酷い死に方だったよ

 ──首を落とされて、数時間晒し者にされた

 ──最期は日に炙られて、跡形もなく……

 違う声が、聞いたことのない罵声が、私の意識を別人に塗り替える。

 ──その顔を向けるな! 薄汚い下郎の子が!

 ──はぁ。こんなことになるんなら、産むんじゃなかった……

「あぁあぁあぁあっ」

 父に殴られた記憶が、母に蔑まれた記憶が、私のものでない記憶が、次々に流れ込む。

  

 ***



 頻繁に食事を抜かれ、時には家を放り出され、そのたびに店先からパンを掴んで死に物狂いで逃げた。
 やがて財布を掠め取ることを覚え、抜いた金はいくらか「父親」に渡せば、機嫌が悪くても殴られずに済んだ。

 ある日、偶然、身なりのいい紳士を見かけた。男はいかにも隙だらけで、財布を盗ることはそう難しくなさそうだった。
 上手くいけば、大金が手に入れば、両親に褒めて貰えると思った。
 父親が自分を「不義の子」と呼び始める以前に、戻れるような気がした。

 だが、それは罠だった。
 男は容赦なく自分を捕らえ、「殺されたくなきゃ、言うことを聞くんだな」と、長剣を喉元に突きつけた。

 ──おれは人を殺したことなんてないのに。
 そんな大それたこと、するつもりなんてなかったのに。

 ナイフを持たせて、「あの神父を刺せ」って……



 ***



 ……間違いない。
 これは、あの少年の記憶だ。

「し、神父様……?」
「ハハ……どうだ? 頭をぶっ壊される気分はよォ……! 良かったなァ小僧! ゴミでも最期は役に立ったぜ!!」

 はぁ、はぁ、と荒い呼吸を整え、自らの意識をどうにか手繰り寄せる。
 オットーを睨みつけ、吐き捨てた。

「……こ、の……外道が……ッ!」

 少年の恐怖や無念を押し退けるように、誰のものともつかない記憶が濁流のように押し寄せる。
「彼ら」の記憶は次第にひとつの意志を持ち、途切れ途切れに言葉を伝えてくる。

 他でもない私に向けて、呪詛が示される。

 オ マ エ モ
 コ ロ ス

 ……と。

「この剣は俺愛用の剣でなァ、クズの血を吸えば吸うほど、クズ達の怨みや憎しみが根付く。……お前の頭を食い潰そうとしてるのは、そういうドス黒い思念さ」

 仕掛けがわかった途端、ヴィルは間髪入れずに骨の刃を構えた。刃がオットーの眼球を貫く間際、余裕ぶった声がヴィルの動きを止める。

「……残念。俺を殺しても、なんなら傷つけても呪詛は強まるぜ。……俺の分が加わるからなァ」
「な……っ!?」
「今でさえこの苦しみようだ。下手すりゃ廃人になるかもな……?」

 狡猾こうかつなやり口に狼狽うろたえたのか、ヴィルは唖然とした様子で固まる。私の身体も石のように固まり、動くことができない。

「そう焦んなよ。すぐには殺さねぇさ。じっくり楽しんでから、嬲り殺してやる……!」
「が……ッ!?」

 そのまま動けない私の胸を、オットーの長剣が貫いた。舌なめずりの音が、間近で聞こえる。
 激しい痛みと共に、再び怨嗟の声が意識になだれ込む。

「野郎……!!」

 ヴィルの声を最後に、意識が遠のいていく。

 ……その最中。
 奥底に秘めていた「何か」が、わらったのを感じた。

「…………おいおい……そう、来るのかよ……」

 今度は、呆然とした呟きが間近で聞こえた。ヴィルではない。オットーの声だ。
 地面に、黒髪の頭部が転がる。
 いつの間にやら、指が、真っ赤に染まっている。

 嗚呼……不快な香りだ。
 味も生臭くて、とても飲めたものではない。

 だが、

 私はずっと……

「……っ、ぁ……、────ッ!」

 喉から、自分のものとは思えない声がほとばしる。
 渦巻いていた憎悪が、確かな悦楽へと形を変える。

 たのしい。

 自らの肉体から剣を引き抜く。首のない胴体に突き立てる。切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む……!

 私を なぶり、はずかしめ、さげすみ、おとしめ、もてあそび、甚振いたぶった者たちを、力では圧倒的に劣るくせをして、愚かな、恥知らずの人間どもを、

 引き裂いてやりたかった。
 捻り潰してやりたかった。

 ……殺してやりたかった……!



 オットーは鳶色とびいろの目を見開き、既に事切れていた。
 身体の感覚が遠い。手を伸ばし、転がった頭を潰したのが私だと、すぐには気付かなかった。

「────ッ、────!!」

 獣のごとき咆哮を発したのが、私だということも。

「……神父様」

 声が、聞こえる。
 優しい声だ。
 温かい声だ。

 ……ヴィルの、声だ。

「……ヴィ、ル……」

 地面に、重い何かがぶつかった音がする。
 どうやら、私の腕から剣が落ちたらしい。
 肉体の感覚が蘇り、手が、身体が震える。

「……身体洗って……宿、探しましょ。話は、その後っす」
「……ああ……」

 何が起こったのか、自分が何を行ったのか、未だに飲み込めない。
 ただ、私を抱き締めてくれる腕が、心地よい。

「……あたたかい……」

 そして、今度こそ。
 私の意識はふつりと途絶えた。
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