上 下
52 / 57
第四章 流転の日々

21. プロローグへ

しおりを挟む
「ねぇ、アルマン。理想のために命を奪うのは、正しいこと?」

 ルイの問いは、アルマンにとっては唐突にも聞こえた。
 金の髪を指先で弄びながら、領主は机に頬杖をつき、インクで汚れた羽根ペンを手に取る。

「さぁ……俺にはよくわかりません」
「じゃあ……生きるために命を奪うのは?」

 サラサラと、確認のサインが紙面に綴られていく。
 鉄道の開発は順調……と、紙の上で、それだけが「事実」となる。
 自らの生が、既に誰かの血によって成り立つのだと……知っているのか、それとも知らぬままか、澄み渡った蒼は語らない。

「それは……」

 アルマンには、答えを出せなかった。
 もし、1人の命で多くが救われるのなら、……また、1人を救うために多くが殺されるのなら……
 死にゆくことこそ「正しい」命がこの世にあるとするのなら、足掻くことで罪になるのなら、……どう、罪を犯さず生きればいいのだろう。

 かつての友人の背を思い出す。

 ジャンは、生きるために弟を殺した。
 その罪に苛まれ自らを壊すくらいならば、潔く殺されるべきだったと……アルマンには、到底思えない。
 生き生きとハムレットを演じた姿を失わずに済む方法が他にあったのなら、……もっと別の手段があったのなら、それに越したことはなかった。

「俺の知り合いに、劇作家がいます。……彼女なら、殺さなくとも、死ななくともいい道筋を……考えて、くれるかもしれませんね」
「ふぅん。……やっぱり、凄いんだね。作家さんって」
「伝えておきますよ。もしかしたら、張り切って新作を書いてくれるかもしれません」

 頬をリンゴ色に染めて、金髪をかきあげて、彼女はペンを取るだろう。……その作品を自分のものにしてしまうことは、あまりにも恐れ多いように思う。
 けれど、日の目を見ないよりは余程いい。アルマンは、ソフィの脚本を、コルネーユの名演を、……ジャンの作り上げたあの劇団を、心より愛している。

 それが例え、もう二度と取り戻せない過去だったとしても……アルマンの胸には、しかと刻まれている。

「……ラルフの様子がおかしいの、アルマンは気付いてる?」
「……仕事疲れ、だと思いますよ」

 汚れ役を買って出たラルフの覚悟を、アルマンは認める他なかった。
 ……止めるほどの豪胆さも、能力も、彼は何一つ持たなかったのだから。



 ***



「……で、朝っぱらから何の用だ?」

 からりと澄み渡る晴天が、腐臭漂う街角すらも鮮明に照らしていた。……そこに立つ2人の表情も、同じように。
 ぎらりと、照りつけた太陽が金の視線を眩ませる。……もう、分かっていた。

「殺せ」

 ゴクリと、ジョゼフが息を呑んだ。……穏やかな視線と相対し、ガタガタと脚の震えが増していく。
 手元で煌めくナイフが、ぽとりと地に落ちた。

 ……ミゲルには分かっていた。

 ジョゼフと名乗る彼がもう、誰かを殺すことすらできないことも。
 背後で「危険分子」を仕留めるべく、歩兵銃マスケットが狙いを定めていることも。
 ……友の死を直視できず、ジョゼフがすぐに逃げ出すことも。

 ……けれど、ミゲルにも、その後は分からなかった。

 射抜かれた肩口を押さえ倒れ付した時、その声は響いた。

「……無辜の民を白昼堂々殺めようとは……。ジベール子爵、貴方も落ちぶれたというもの」

 聞き覚えのない声だった。……だが、その黒髪には覚えがあった。

「ラルフ・アンドレア……偽物子爵か。おまえとて同じだ、いずれおまえは僕を殺す……間違いない……!」
「……貴方を殺すつもりなど毛頭ない。もっとも……それは我が主君ルイ=フランソワ・フィリップ、および罪なき民に牙を向けなければの話だが」
「そいつに罪がないものか……!
父上が言っていた……赤毛で金眼の男に騙されたことがある、と……。頭が回る上に革命思想を扇動する男だと、おまえの兄からも聞いた! いずれこの領地を、いや、この国を滅ぼすのが奴らだ!!
理想にそぐわぬ世界を破壊するのが革命だ!! そして……そして、壊されれば生き残れないのが僕達だ……ッ!」

 怜悧な声音が、取り乱した悲鳴とぶつかり合い、ミゲルの頭上で飛び交う。

「その男に革命の思想などあるものか。その日その日を必死に生き延びるだけの詐欺師に、大層な義などあるまい」
「……ッ、なぜ、なぜそんなことが分かる!! やはり、やはりおまえも僕を殺そうとしていたのだな!! 父の失脚はやはり、アンドレア家の謀略だったのだな……!! そこにいろ、今すぐ殺してや──あ」

 ガタン、まずは、そんな音だった。……骨が砕け、どこか、柔らかな肉の潰れた音が消えかけの意識に届く。

「…………。気が触れた貴方を見た時……こうなるとは、予測していた」

 ぽつり、ぽつりと、静かな祈りが血臭に溶けていく。
 撃たれた傷口が熱い。……痛みは、そろそろ意識を奪うだろう。
 歩み寄った青年の瞳に、見覚えがあった。……懐かしい、などと余計な感傷が浮かんだのは、痛みのせいか、出血のせいか……。

「……どこが安全な場所か、君の方が分かるはずだ」

 その声音はまた別人のようにも聞こえたが、ミゲルの思考はまとまらない。

「……セルジュ・グリューベルって、旅芸人、の……とこ……」

 だが、ミゲルの口は動いた。
 生存のため、知識が勝手に言葉を紡いだのだ。
 鉛のように重い身体に肩を貸し、青年はよろよろと立ち上がった。

 転落した亡骸に背を向け、ふらふらと2人は歩き去る。
 ……取り返しのつかない終焉とともに、新たな始まりの訪れを感じ取りながら、若者たちは歩を進めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

赤松一族の謎

桜小径
歴史・時代
播磨、備前、美作、摂津にまたがる王国とも言うべき支配権をもった足利幕府の立役者。赤松氏とはどういう存在だったのか?

おぼろ月

春想亭 桜木春緒
歴史・時代
「いずれ誰かに、身体をそうされるなら、初めては、貴方が良い。…教えて。男の人のすることを」貧しい武家に生まれた月子は、志を持って働く父と、病の母と弟妹の暮らしのために、身体を売る決意をした。 日照雨の主人公 逸の姉 月子の物語。 (ムーンライトノベルズ投稿版 https://novel18.syosetu.com/n3625s/)

北武の寅 <幕末さいたま志士伝>

海野 次朗
歴史・時代
 タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。  幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。  根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。  前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。 (※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)

不屈の葵

ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む! これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。 幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。 本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。 家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。 今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。 家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。 笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。 戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。 愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目! 歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』 ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!

16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽
歴史・時代
【第12章を週1回程度更新します】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。 12章では16世紀後半のヨーロッパが舞台になります。 ※このお話は史実を参考にしたフィクションです。

枢軸国

よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年 第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。 主人公はソフィア シュナイダー 彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。 生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う 偉大なる第三帝国に栄光あれ! Sieg Heil(勝利万歳!)

大日本帝国、アラスカを購入して無双する

雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。 大日本帝国VS全世界、ここに開幕! ※架空の日本史・世界史です。 ※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。 ※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。

織田信長に逆上された事も知らず。ノコノコ呼び出された場所に向かっていた所、徳川家康の家臣に連れ去られました。

俣彦
歴史・時代
織田信長より 「厚遇で迎え入れる。」 との誘いを保留し続けた結果、討伐の対象となってしまった依田信蕃。 この報を受け、急ぎ行動に移した徳川家康により助けられた依田信蕃が その後勃発する本能寺の変から端を発した信濃争奪戦での活躍ぶりと 依田信蕃の最期を綴っていきます。

処理中です...