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序章 その物語について
0-11. Andleta-Ⅱ
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智恵者と言うものは、俗人とは見る世界が異なるからこそ特殊とされる。
レヴィ、時にモーゼ、時にノアと名乗る赤毛の賢人の場合、その卓越した才にいささか驕っていたとも言える。
その才が、自らのみに備わっていたと彼は信じていた。目の前の青年……ルマンダに勝負を挑むまでは。
発端は、ほとんど王専用の遊戯室と化した合議部屋でのカークの一言だった。
「ルマンダとチェスして勝てるヤツなんかいないだろ」
どのような話の流れだったかは割愛するが、何より娯楽の類を愛するレヴィがそれに乗らないはずはなかった。
「じゃ、俺と勝負してみるか?」
楽しげに輝く金の瞳を、ルマンダの灰色の瞳が射抜いた。鈍く光を放つその眼光は、時折銀色にも見える。
「……良いだろう」
それまで赤毛の賢人には、ルマンダが非常に短気かつその情緒を激情に支配されているように見えていたらしい。
しかし、
「キサマ、ポーンの使い方が雑だな」
冷静に吐き捨てるように駒を動かす彼の手には無駄がない。彼は、駒を手に取る前に相手の動きを凝視し、思考を巡らせていた。短絡的な激情型とは、思いがたい手法。
「……へぇ」
楽しげに喉を鳴らした賢者の空気が変わる。ルマンダに対する評価が彼の中で書き変わったことを意味していた。
「……え、何この空気」
完全についていけていないカークを置き去りにし、レヴィも新たな策を練る。わざと手を空中でさ迷わせ、相手の視界を撹乱する。
「……小賢しい手を」
「周りにゃ普通にしてるように見えてるぜ、たぶんな」
「やはり頭が回るようだ。油断ならん」
意味がわからず目を回しているカークの隣で、既に思考を放棄したハーリスは読書に夢中だ。
「あ、勝った方には負けた方が秘密か何かの暴露とかどう?」
……しかし、何気なく発した一言で、二人の空気はさらに張り詰めてしまった。
「余計なこと言わないでくださいよ!! この空気本当に怖いんですけど!?」
慌てふためくカークをよそに、炎と氷の魔術師は盤面での争いを熾烈にしていく。
レヴィは気づいていた。知識や情報の蓄積を得意とする智恵者が自分であるならば、目の前の青年は……時流や相手の動きを察知し、分析する。
彼もまさしく、「賢者」に近い存在だと言えるのかもしれない。
ヘラヘラと浮ついた感覚が、引き締まっていく。
「……なぁ、昨日お前が殺した兵士」
「今、その話は必要か?」
チラリと顔を上げたルマンダに、レヴィは投げかけた。
「上司に会うのに、短刀は隠し持たねぇよな?」
「無論だ」
「……ひょっとして、気づいてたのか?」
「……さあな」
死体に近づくのは、弔いが目的とは限らない。
「私からも一ついいか」
「いいぜ?」
「楽士の手は、あのような形に豆が潰れて固まるものか?」
「……どうだろうな」
二人とも表情は一切変わらない。張り詰めた感情を先に途切れさせたのは……
「……王、こんなところで眠られてはお風邪を召されます」
隙が、生まれた。
「……ルイン・クレーゼ」
静かに発せられた言葉に、ルマンダの顔色が変わる。
「……その名を、どこで」
「あれ?お前の相方の名前じゃねぇの?」
とぼけたような口調だが、その声色は一種の確信に満ちていた。
「……なるほど、お互いに……」
ルマンダの口元に薄らと浮かんだのは、笑み。レヴィは知っていた。窮地に瀕した者の攻撃ほど恐ろしい。
「……ボードゲームの場で殺し合いはやめてねー」
気の抜けた声で、ルマンダの殺気は氷解した。
「……申し訳ございません。王」
「僕もう飽きちゃった。部屋に帰るね」
目を白黒させたカークが付き従う。ハーリスが部屋を出た刹那、ルマンダは弾けるように立ち上がり、レヴィの胸ぐらを掴んだ。
「何が目的だ。言え!」
「そんな怖い顔すんなって。真っ青だぜ?」
殺意に怯むことなく、穏やかに……いや、穏やかなのではない。余裕のあるふてぶてしい笑みを浮かべる。
「ふざけるな。キサマほど信用ならん男がなぜその名を……!」
「そうカリカリすんなよ。目的ならちゃんと話してやるから」
「……どうせ信ずるには足らん。言ってみろ」
「おう。俺はな……」
「楽しく生きようと思ってる」
その時のルマンダの顔は、今でも忘れられない。
***
ページに貼られた付箋:
「激動の時代に生きた2人の「異端」」(「異端」が、線で消されている。他にも「賢者」「魔女」「旅鳥」などと書かれた付箋も)
ボクは本を読む時は必ず付箋を貼るのだがね、自著『旅鳥の唄』を書くにあたって大事だったのがこのシーンだ。
ミシェル……レヴィ、モーゼのモデルとなった旅芸人だ。彼の人間性は、物語にするにおいて実に興味深かった。
旅芸人がなぜ平気で王城に上がれるのか……と、疑問には思うが……おそらく、「ハーリス」は「王」ではなかったのだろう。というより、モデルが誰か分かっているので断言もできる。
ハーリス・フェニメリル。モデルはルイ=フランソワ・フィリップ伯爵。小さな地方領地の、実権なき領主だよ。
お気に入りの旅芸人を囲うくらいなら、容易い立場だっただろうね。
レヴィ、時にモーゼ、時にノアと名乗る赤毛の賢人の場合、その卓越した才にいささか驕っていたとも言える。
その才が、自らのみに備わっていたと彼は信じていた。目の前の青年……ルマンダに勝負を挑むまでは。
発端は、ほとんど王専用の遊戯室と化した合議部屋でのカークの一言だった。
「ルマンダとチェスして勝てるヤツなんかいないだろ」
どのような話の流れだったかは割愛するが、何より娯楽の類を愛するレヴィがそれに乗らないはずはなかった。
「じゃ、俺と勝負してみるか?」
楽しげに輝く金の瞳を、ルマンダの灰色の瞳が射抜いた。鈍く光を放つその眼光は、時折銀色にも見える。
「……良いだろう」
それまで赤毛の賢人には、ルマンダが非常に短気かつその情緒を激情に支配されているように見えていたらしい。
しかし、
「キサマ、ポーンの使い方が雑だな」
冷静に吐き捨てるように駒を動かす彼の手には無駄がない。彼は、駒を手に取る前に相手の動きを凝視し、思考を巡らせていた。短絡的な激情型とは、思いがたい手法。
「……へぇ」
楽しげに喉を鳴らした賢者の空気が変わる。ルマンダに対する評価が彼の中で書き変わったことを意味していた。
「……え、何この空気」
完全についていけていないカークを置き去りにし、レヴィも新たな策を練る。わざと手を空中でさ迷わせ、相手の視界を撹乱する。
「……小賢しい手を」
「周りにゃ普通にしてるように見えてるぜ、たぶんな」
「やはり頭が回るようだ。油断ならん」
意味がわからず目を回しているカークの隣で、既に思考を放棄したハーリスは読書に夢中だ。
「あ、勝った方には負けた方が秘密か何かの暴露とかどう?」
……しかし、何気なく発した一言で、二人の空気はさらに張り詰めてしまった。
「余計なこと言わないでくださいよ!! この空気本当に怖いんですけど!?」
慌てふためくカークをよそに、炎と氷の魔術師は盤面での争いを熾烈にしていく。
レヴィは気づいていた。知識や情報の蓄積を得意とする智恵者が自分であるならば、目の前の青年は……時流や相手の動きを察知し、分析する。
彼もまさしく、「賢者」に近い存在だと言えるのかもしれない。
ヘラヘラと浮ついた感覚が、引き締まっていく。
「……なぁ、昨日お前が殺した兵士」
「今、その話は必要か?」
チラリと顔を上げたルマンダに、レヴィは投げかけた。
「上司に会うのに、短刀は隠し持たねぇよな?」
「無論だ」
「……ひょっとして、気づいてたのか?」
「……さあな」
死体に近づくのは、弔いが目的とは限らない。
「私からも一ついいか」
「いいぜ?」
「楽士の手は、あのような形に豆が潰れて固まるものか?」
「……どうだろうな」
二人とも表情は一切変わらない。張り詰めた感情を先に途切れさせたのは……
「……王、こんなところで眠られてはお風邪を召されます」
隙が、生まれた。
「……ルイン・クレーゼ」
静かに発せられた言葉に、ルマンダの顔色が変わる。
「……その名を、どこで」
「あれ?お前の相方の名前じゃねぇの?」
とぼけたような口調だが、その声色は一種の確信に満ちていた。
「……なるほど、お互いに……」
ルマンダの口元に薄らと浮かんだのは、笑み。レヴィは知っていた。窮地に瀕した者の攻撃ほど恐ろしい。
「……ボードゲームの場で殺し合いはやめてねー」
気の抜けた声で、ルマンダの殺気は氷解した。
「……申し訳ございません。王」
「僕もう飽きちゃった。部屋に帰るね」
目を白黒させたカークが付き従う。ハーリスが部屋を出た刹那、ルマンダは弾けるように立ち上がり、レヴィの胸ぐらを掴んだ。
「何が目的だ。言え!」
「そんな怖い顔すんなって。真っ青だぜ?」
殺意に怯むことなく、穏やかに……いや、穏やかなのではない。余裕のあるふてぶてしい笑みを浮かべる。
「ふざけるな。キサマほど信用ならん男がなぜその名を……!」
「そうカリカリすんなよ。目的ならちゃんと話してやるから」
「……どうせ信ずるには足らん。言ってみろ」
「おう。俺はな……」
「楽しく生きようと思ってる」
その時のルマンダの顔は、今でも忘れられない。
***
ページに貼られた付箋:
「激動の時代に生きた2人の「異端」」(「異端」が、線で消されている。他にも「賢者」「魔女」「旅鳥」などと書かれた付箋も)
ボクは本を読む時は必ず付箋を貼るのだがね、自著『旅鳥の唄』を書くにあたって大事だったのがこのシーンだ。
ミシェル……レヴィ、モーゼのモデルとなった旅芸人だ。彼の人間性は、物語にするにおいて実に興味深かった。
旅芸人がなぜ平気で王城に上がれるのか……と、疑問には思うが……おそらく、「ハーリス」は「王」ではなかったのだろう。というより、モデルが誰か分かっているので断言もできる。
ハーリス・フェニメリル。モデルはルイ=フランソワ・フィリップ伯爵。小さな地方領地の、実権なき領主だよ。
お気に入りの旅芸人を囲うくらいなら、容易い立場だっただろうね。
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